10 狂気の王国
「来いよ、王子様のもとへ連れていってやる」
金髪の女性は僕達を半眼で見、言った。
僕は心の中で安堵の息をつく。
どうなることかと思ったけど、これでなんとかマーデルの王子に接触できる。
そして、王女様を取り返す。いくら王族といえ、女性を勝手に連れ去るなんて許せない。まして、それが一国の王女様というのなら、なおさら。
「名乗り遅れたな、オレの名はアン。この城で働くメイドの一人だ」
男勝りな口調の女性は、アンと名乗った。
アンは僕達にも名乗るよう促す。
「私はエル! で、この子は」
「ト、トーコです…….。 よ、よろしくねっ」
僕が顔を赤くして嘘の名前を言うと、アンさんに肩をバシンと叩かれた。
「なんだ、照れてるのか? 東洋人は変な顔をしてるって聞いてたけど、案外可愛いもんだな!」
うりうりー! と僕の頬に頬擦りしてくるアンさんに、僕は辟易する。
こ、この人、暑苦しい人だなぁ……。
エルがアンさんに冷たい視線を投げかけるも、彼女は気がつかなかった。
「……アンさん、止めてくださいっ。ここは暗くて寒いし、早く行きましょう」
「お、そうだなトーコ! じゃあ行くか!」
明るくて暑苦しいアンさんは、僕達の前を歩き、お城を案内してくれた。
廊下を抜け、階段を上る。お城は七階建てで大きく、王子がいる最上階に着くまでにかなりの労力がかかった。
外では戦いの音。ルーカスさん達が、兵士達を相手に時間を稼いでくれているのだ。
「つ、疲れたー! ……にしても、奴ら凄い戦い方をするらしいな」
階段を上りきったアンさんが大声で言い、僕達は神妙な顔で頷く。
「え、ええ。苦戦しているようですね」
「なんだよトーコ! タメで話そうぜ!」
アンさんはとにかく暑苦しい。僕は苦笑を浮かべた。
「う、うん……。じゃあ、そうさせてもらうわ」
女の子っぽい言葉になるよう意識して答える。
うまく出来たかな……不安だ。
「さあ、行こうぜ! 王子様が待ってる」
「ちょっと待って、聞きたいことがあるんだ」
エルが、階段を上がってすぐの所でアンさんを止める。
月が出てきたのか、下の踊り場の窓から差し込む月明かりがアンさんと僕達の顔を照らした。
「なんだ、エル?」
アンさんは首をかしげる。
エルは僕達が気になっていた事を、大胆にも王城の人間に訊ねた。
「どうして、このお城には人が少ないんだろうと思ってね。アンは何か知ってる?」
「……何でそれを聞く? 私も詳しい事情は知らない――というと嘘になるな。色々あるんだ。でもあんたらには話せない」
アンさんは苦い顔で言う。
「お、お願い、アン! どうかそれを、私達に教えてくれないかしら?」
僕が、背の高いアンさんを見上げて訊くと、アンさんは少し頬を赤くして呟く。
「あ、あんたらみたいな、今日会ったばかりの奴らには本当は話すべきじゃないんだけど……いいよ、教えてやる」
よしっ! 僕とエルは内心でガッツポーズする。
「その、なんだ……。トーコが言うならな、教えてやる。まだ公にはされてないが、実はこの城には今、マリウス王子以外の王族はいないんだ」
僕達は大きく目を見開いた。
それは、何故……!?
「皆、逃げたんだ。スウェルダの報復を恐れてな。あの国と正面からぶつかりあったら確実に負ける事を、うちの王族達は知ってたみたいだ」
アンさんは、失望したように溜め息をつく。
「くそったれ」と彼女は小さく悪態の言葉を放った。
「ホント、がっかりしたぜ。オレはあの方たちに一生仕えていくと決めたのに、その思いがいっぺんに崩されちまった」
迎撃しても、打ち負ける。絡め手を使っても、ミトガルド一の大国相手に勝つことは難しい。
怒れるスウェルダ王は、容赦は一切しないだろう。
そんな国の結末は一つ。
制裁という名の、破滅が訪れる。
「狂った王子が起こした一つの事件が、この国を破滅へ導いた。オレ達はもう終わりだよ」
国が終わる。王達が姿を眩まし、国民はそれをまだ知らない。
残されたこの国の人達はどうなるのか。
王子が犯した一つの罪が、この国の人達皆を巻き込んでしまうのか。
「そんなの……」
僕は拳を握り締め、込み上げる何かを押さえようとうつ向いた。
アンさんが、僕の肩を掴んで揺すってくる。
そして、僕達に問いかけた。
「なぁ、本当にあの王子のところへ行くのか!? 今からでも遅くない、この国はもうじき終わる……この国から出た方が、あんたらの身のためだ!」
僕は静かに、首を横に振る。
アンさんが少し狼狽えたような顔をした。
「どうして!? トーコ、エル! オレはこの国から逃げる! 王子が狂ってしまったせいで、この国は滅びちまうんだぜ!?」
「ううん、アン……。私は、王子に会ってやらなきゃいけない事がある。王子様は悪いことをした、でもこの国の人達には罪はない。私が動いて何か変えられないか、やってみるわ」
僕は、アンさんの手を自分の手で包み込む。
懇願するように、彼女の目を見て口を開いた。
「お願い、私を王子様のところへ連れて行って……!」
アンさんは、うつ向いて包み込まれた手を見つめていたが。
顔を上げ、頷いてくれた。
「わかった、トーコ……。エルも、ついて来い。マリウス王子の部屋は、この先の廊下……左から三番目の部屋だ」
* * *
僕達は階段を上がった先、左手に曲がる。
数えて三番目のドアを開けると、王子様がいるらしい。
アンさんは口を結び、覚悟を決めたようにドアを細い腕で叩いた。
コンコン、と小気味良いノックの音が鳴る。
「王子様、新たな専属メイド二名をお連れしました」
掠れた声で告げるアンさん。
僕は胸に手を当てて、心臓の鼓動を静めようとした。
「入れ」
部屋の中から、マリウス王子のものであろう声が聞こえた。思いの外、明るく機嫌の良さそうな声だった。
「失礼致します」
アンさんがドアを勢いよく押し開け、僕達はその部屋に足を踏み入れる。
月明かりが照らす、薄暗い部屋。
そこに入るとまず豪華な装飾やシャンデリアが目に飛び込んでくるが、一番目を引くのは巨大な天盖付きの寝台だろう。
広い部屋の壁際、そこに置かれた寝台に腰かけて微笑んでいる男が、マーデル王国第二王子マリウス・マーデルだった。
「やあ、可愛い少女達よ。よく来てくれたね」
王子はにこやかに手を振ってくるが、彼のことなんてどうでもいい。
僕とエルは、王子の傍らで笑みを浮かべている女性を見て愕然としていた。
「ミ、ミラ王女……!」
見たくもない光景だった。
王女様がマリウス王子に擦り寄り、抱きついている。そして彼女は、上半身着衣していなかった。
「お、王女様!? 一体何故、こんな事に……」
ありえない。勝ち気で我の強いことで有名な王女様が、異国の王子に体を許すなんて。
僕は、エルを横目で見る。彼女は僕と目を合わせ、小さく首を縦に振った。
王女様は、様子が普通ではなかった。目は虚ろ、口からは涎がだらだら垂れている。
そして王子も、笑っていながらもどこか目が据わっていない気がする。
アンさんが呟いた、『狂った王子』という言葉……。
僕は全てを悟った。
この王子……マリウス王子には、『悪魔』が取り憑いている。
エルが初めてあった日に語った、封印から解かれたという【七つの大罪】の悪魔。
その一柱が、目の前の男の体をそのものにしている。
彼に憑いた悪魔は、恐らく【色欲】。人間の性と情愛を暴走させる悪魔だ。
僕は背中に隠し持った【テュールの剣】に手を伸ばす。
王子はそんな僕を見て、顔中に悪意に歪んだ笑みを浮かべた。
「さあおいで、美しい少女達よ。私に全てを委ねなさい」




