プロローグ 紫水晶の指輪
スウェルダ王宮――ミトガルド地方で最も大きな建造物として知られているその宮殿で、今宵、豪奢なパーティーが開かれていた。
マーデル王国の王と王子を招いて開かれたパーティーには、ノエル・リューズと彼の娘、アマンダも参加している。
スウェルダ王とマーデル王が和やかな雰囲気で談笑しているのを、彼らは少し離れた壁際から見つめていた。
「王と王が手を取り合っているわね。かつて対立していたとは思えないくらい、結束を強めて……」
「ああ。……素晴らしい事だ」
「……ふふっ」
ノエルは目を弓なりに細め、アマンダは口元に手を当てくすりと笑った。
白髪の女はワインの入ったグラスを揺らし、赤いワインに透ける二人の王と、彼らの側で微笑んでいる二国の王女、王子の姿を見据える。
「少し、イタズラしちゃおうかしら」
アマンダの美しい指輪の宝石が、紫に輝く。
父親を仰ぎ、彼が首を縦に振るとアマンダは動き出した。
「あらあら、王子様! ご一緒してもよろしいでしょうか?」
マーデルの王子はアマンダの白い髪を見て一瞬嫌悪の表情を浮かべたが、ノエルの姿を確認すると嘘の仮面を顔に貼り付けた。
「ええ、踊りましょうか」
スウェルダ王女とついさっき一曲踊り終えた彼は、頬を微かに上気させたままアマンダの手を取る。
二人は、ダンスホールとなっている広間の中央に出た。
オーケストラが演奏する曲に合わせ、王子にリードされながらアマンダは躍りを楽しむ。
「王子様、貴方のような高貴な方と踊ることが出来て、私は心から光栄に思っております」
「フフ、そうか。貴女は美しい、私も共に踊れて嬉しいよ」
王子の言葉は綺麗だが、これは嘘か本心か。
そんなことは、今のアマンダにはどうでも良かった。
踊り終え、二人で外の空気を浴びに誰もいない中庭へ。
そこでアマンダは王子にあるものを渡した。
「王子様、私から贈り物を」
「む、これは……?」
紫の宝石がはめられた、指輪。
それを指から抜き取ったアマンダは、妖艶な笑みでこう言った。
「その指輪は、貴方様に大きな力を与えるでしょう。リューズ商会自慢の逸品ですよ」
――あなたは、欲望に支配されるの。
小さく呟かれた女の声は、王子には聞こえなかった。
「こんなものを……良いのか?」
「ええ。わざわざ海を越えてこの国まで来てくださったのだもの。これくらいのサービスをして差し上げるのは当然のことでしょう?」
「まあ、そうだな。ありがたく貰っておこう」
王子は美麗な顔を子供のように綻ばせる。
彼はこの指輪の美しさに対して喜んでいるのだろう。
だが、本当に見るべきものは別にある。常に、それは凡人には見えぬよう隠れ、見つけられる者こそが特別な者と呼ばれる。
――この男は、どちらだろうか。
「では、私はここで失礼させていただきます」
「待ってくれ、この指輪の礼をしたい」
「いいえ、結構ですよ。私のような汚い人間には、貴方様から礼を頂くなど、とても畏れ多くて出来ません」
そう頭を下げて、アマンダは王子から離れた。
柱の陰に身をもたれかけ、ホッとしたようにため息をつく。
「あぁ……大分楽になったわ」
アマンダ・リューズが所有していた悪魔の器。
それが海の向こうの国の王子へと渡り、彼女はほくそ笑んだ。
器に眠るのは【色欲】。
運命の歯車は今、狂い始める。




