エピローグ 蒼の雫
【神殿】テュールを攻略した僕らは、気付くと小人族の地下街のあの宿にいた。
どうやら、倒れていたところを助けられたようだ。
服は【神殿】攻略に行った格好のままで泥だらけ、髪はベタついていた。……お風呂に入ったほうがいいな。
僕が目を覚ましたのに気付いた小人の仲居さんが、「具合はどうですか?」と訊いてきた。
「体のところどころが痛みます。でも、僕は大丈夫ですから……それより他のみんなはどうですか?」
「凍傷を負っていましたが、私たちが手当てをした結果、回復致しました。心配は無いと思いますよ」
仲居さんは労るような、穏やかな声で教えてくれた。
「でも、未だに信じられません。あなた方があの『魔の口』から生きて戻ってきたなんて」
モンスターを生み出し、近隣の人々に度々被害をもたらした魔の口、『暗黒洞窟』。
僕らは、そこから初めて生還し、【神殿】にたどり着いた英雄として小人族の人達に語り継がれる存在になるのだろうか。
「自分でも、信じられませんよ。みんな生きて戻って来られて、本当に良かった……」
僕は枕元に置かれていた黄金の剣を引き寄せ、手に取った。
魔力に溢れる片手剣は、細身ながらもパワーを感じさせるオーラがある。
二つも【神器】を使いこなせるか不安もちょっとあったけど、そこは頑張ろうと決めた。
「では、私は失礼しますね」
仲居さんがしずしずと部屋を出たので、部屋は静寂に包まれた。
地下街はもう少し騒がしかった筈だと思い時計を見ると、夜の十一時を過ぎている。小人族の人達はもう寝静まっているようだ。
小さな窓から顔を出し、外の通路を眺める。
外はどうなってるかな。月が出ているかな?
僕は月が好きだった。夜になると、いつも眺めていた。
精霊は満月の夜に最も力を発揮する。僅かだが精霊の血が流れる僕は、月に惹かれても当然なのだろう。
「ああ……僕は」
「トーヤ殿、起きていましたか」
アリスが僕の隣にちょこんと座る。
「少し、話をしませんか?」
僕は頷き、アリスの肩に手を回した。二人でくっついて、夜の地下街を臨む。
「トーヤ殿……あなたには力がある。素晴らしい人だと私は思います」
アリスは僕の首もとに頭を埋め、囁くような小さな声で言った。
「僕も、アリスは素晴らしい人だと思うよ」
僕が微笑んで返すと、アリスはきょとんとした顔になった。
「それは、なにゆえに?」
「だって、アリスはお兄さんのために命を投げ打って洞窟に入ったんでしょ? 普通の人にはそんな危険なこと出来ないよ」
この小人の女の子には、小さな体に大きな勇気が詰まっている。
僕は彼女に感銘を受けていた。そして、少し惹かれてもいた。
「そう、でしょうか……」
自信無さげなアリスに、僕は明るく言う。
「そうだよ。アリスはシアンを助けてもくれたよね。あの状況で冷静に動いてくれたアリスがいなければ、シアンは助からなかったかもしれない。アリスは僕の仲間の命を救った恩人でもあるんだ。だから、僕の恩人と同じだね」
「? 私は、トーヤ殿には何も……」
「仲間の命は自分の命と同じ。いや、それ以上に大切なものだから。僕の大切なものを守ってくれたアリスは、恩人さ」
アリスの蒼の目が、涙で光る。
零れたそれは、僕の胸の中にすっと落ちていった。
「トーヤ殿、その言葉ありがたく受け取りました……」
「うん。そういえば、アリスは弓矢の扱いが本当に上手かったよね。誰かに習ったの?」
「私は、父から習いました。本来、女の私は弓矢など使う必要はないと父に言われていたのですが、弓矢を習う兄の姿に憧れて、私も父にどうしても教わりたいと懇願したのです」
アリスは、穏やかに過去を語っていく。
僕は静かに耳を傾けた。
「何度も頼み込み、父は許してくれました。私は嬉しかった。兄と同じ場所に立てると、そう喜びを感じていました。それからは修行の日々。厳しく辛い修行でしたが、楽しかった」
お父さんと、お兄さんと一緒に弓の修行をするアリスの姿を思い浮かべ、僕はそれを自分と父さんに重ねていた。
あの時は、楽しかった。
「トーヤ殿は弓矢にたしなみはありますか?」
「うん。あるよ。森で狩りをする時よく使ってたけど、今は剣ばっかりで殆ど触れてないなぁ」
「そうなのですか。では今度勝負してみませんか?」
アリスがポンと手を打った。
面白いかも。僕は首を縦に振った。
「では……!」
「うん、やろう! 僕だって前は毎日のように弓を使ってたんだ、負けないぞ!」
「ふふ、私が勝ってみせますからね」
アリスはふっと笑みを漏らし、髪を揺らすと僕から少し距離をとり、正座をする。
なんだろう、と僕が思い訊こうとすると、先にアリスが口を開いた。
「トーヤ殿。私に、あなたのお供をさせてもらえませんか?」
僕は驚いた。えっ!? と大きな声が出そうになって慌てて口に手を当てる。
「アリスは村長の娘じゃないか、村を離れるのはまずいんじゃあ……」
僕が言うと、アリスは少し寂しそうに呟く。
「私達の一族では、首長は血筋ではなく、実力で決まるのです。その当時最も偉大だといわれた【英雄】が一族の中から選ばれ、首長になる。だから私が村を出て、父の後継ぎがいなくなっても、別の家から次の村長が選ばれるだけです。私は、到底人の上に立つ器ではありませんので……誰かの下について尽くすのが私に最も合った生き方なのです」
アリスは、僕の下について尽くしたい。僕に惹かれたから。
僕は自分が人の上に立つ人間ではないと思っていた。
でも、アリスやシアンたちは僕を認め付いていくと言ってくれている。
なら、僕は……。
「自分勝手な女だと、私を笑いますか?」
か細い声で、アリスは卑屈な微笑みを浮かべる。
「そんな事ないよ。これがアリスの選んだ生き方なんでしょ? だったら、その選択に嘘をつく必要なんてない。こんな僕でもよければ、付いてきて欲しいと僕も思ってるから」
「ト、トーヤ殿……」
アリスはわっと声を上げて泣き出した。僕の胸に顔を埋めて、幼い子供のように、えんえんと泣き続けた。
「兄さん……ごめんなさい」
泣き疲れて再び眠ってしまった少女を抱く僕は、彼女の口から漏れる呟きを聞いた。
「……僕こそ、ごめんよ」
僕は腕の中で眠る少女と、失った妹の面影を重ね合わせ、一筋の涙を流した。




