18 『神化』
「これが、【グングニル】……」
【神器グラム】は、その姿を変えていた。
僕は驚き、同時に新たな力を手にしてぞくぞくとした喜びを感じていた。
そして変わっていたのは【神器】だけではない。
僕の右腕、【神器】を持った方の手が白い光の粒に包まれていたのだ。
「これは……?」
僕は左手で光る右手を包み込む。微かに温かい。
「ああっ、間に合いませんでした……。主よ、私はどうしたら良いのでしょう……?」
桃色の髪の少女が、床に崩れ落ち絶望したような声を上げる。
「ねぇ、エル! 僕と【神器】の間に何が起こったの?」
僕が尋ねるとエルは神妙な表情になり、答えてくれた。
「トーヤくん、君は『神』に一歩近付いたんだ」
えっ、今なんて……?
神だとかなんだとか、どういうこと?
「エ、エル? 神様に近付いたって言った?」
信じられず動揺する僕に、エルは淡々と語る。
「【神器】を持つ者は、神の力を得る。身体能力も少なからず強化されるし、魔力も上がる。それは【神器】の保持者が知らず知らず神に近付いていっているからなんだ」
神に近付く……?
人間が、神になれる?
「それでも、人は完全に神にはなれないんだ。しかし……一時的に、己の身を神に限りなく近付けさせることは出来る。その現象を、私達は『神化』と呼んでいるんだ。君がさっき【グラム】を【グングニル】へ昇華させたのも、『神化』と言える」
体が震えていた。神と一つになれることに畏怖する感情もあったけど、それ以上に今よりもっと力が手に入る。その事実に打ち震えていた。
【グングニル】は【グラム】と同じく黒い光沢の長槍で、二メートル程のリーチがある。
柄には古代文字の紋章が刻まれ、その文字は赤々と輝いていた。
僕が【グングニル】を見つめていると、やがて……。
『神の槍』は元の大剣に戻ってしまった。
「はぁっ、はぁ……」
『神化』が終わると、今までに無い疲れが波のように押し寄せてきた。剣を下ろし、床に尻を付ける。
もう一歩も動けないくらい、全身が悲鳴を上げていた。
二人の魔導士の少年、レオとキルノは死人のように動かない。桃髪の少女は項垂れた姿勢のまま、固まっていた。
「遅かった……『神化』が、起こってしまった……」
桃髪の少女は呟く。
エルもがくりと、地面に膝をついた。
誰しもが、戦う気力を無くしていた。
もう、勝負はついていたから。
『また一つ、レベルアップしたようね』
撫でるような女の人の声。赤猫だ。
赤猫は僕の前に現れると、ちょこんと座り、僕を赤い目で見上げた。
『よくやったわ。テュールには悪いけど、勝手に観戦させてもらってたの。うふふ、貴方は輝いていたわ』
神テュールを、呼び捨てに出来る人物。
やはり、この女は普通の人じゃない?
赤猫はエルに向き直り、艶やかに言う。
『エル、久しぶりね』
エルの顔が凍り付いた。何も言わず、赤猫から目を逸らす。
『どうしたのよ? 千年振りに合ったんだし、もう少し喜んでもいいんじゃないかしら?』
「あなたはかつてのあなたとは違う人になってしまった。あなたは私が知るあなたではない」
この二人は、かつての知り合いなのか。
千年前……神話の世界で、この二人は生きていて、何かしらの関係があったのだろうか。
『うふふっ……! そうよ、私はかつてあなたが知っていた私ではない。でもね……』
「でもね、何よ? 私はあなたがやったことを許せないし、これからも許すつもりなんてない」
エルは赤猫を睨み、赤猫もエルを見返す。尻尾が、ゆらゆら陽炎のように揺れた。
『はぁ……この子達、邪魔ね。用が済んだし外に出しておきましょうか』
赤猫がくすりと笑い、三人の魔導士は姿を消した。
『転送』されたのだろうか。
『じゃあ、私は帰るわね。テュールによろしく言っといてくれるかしら?』
赤猫はそう言い残し、魔導士達と同じように消えた。
後に残された僕らはなんとも言えない表情になる。
「エル……あの人とは、何かあったの?」
エルには僕なんかに踏み込まれたくない事情があるのかもしれない。
でも、僕は知っておきたかった。
ここに来て何度も話し掛けてきた赤猫……『魔導書の主』のことを。
妖しい影は、決してこれからも消えることはないだろう。
何も知らないまま、あの女に見られているのは嫌だった。
「あの女は、『永久の魔導士』……何度も何度も転生を繰り返し、千年もの時を生きている。私は昔、あの女と一緒にいた時期があるんだ」
「一緒に……暮らしてたってこと?」
「そう受け取ってもらっても構わないよ。でも、ある時から私はあの女から離れるようになった」
「それで、彼女の名は?」
「……シヴァ。破壊の『女神』だよ」
『神』。僕の予感は外れてはいなかった。
人知を越える力を持つ者。
『魔導書』の主、赤猫と姿を変えて僕に近付いていたのは、一柱の女神様だった。
『シヴァ……奴め、俺の【神殿】を汚しおって』
僕の頭の中に流れてきた声は、神テュールのものだった。
女神シヴァにあまり良い感情を抱いていないようだけど……。
「テュール様……?」
『すまなかった、少年。本来、神殿には他の神が介入することなどあってはならないのだが……シヴァの侵入を止めることが出来なかった。許せ』
そんな、神様が謝らなくても……。
僕がちょっと戸惑っていると、神様は言った。
『いや、このことは俺に非がある。オーディンに選ばれし者よ、俺の力で倒れた仲間たちを救ってやろう』
良かった……! 皆、助かるんだ。
「ありがとうございます、神様!」
『神様と呼ばれるのはどうも慣れんなぁ……。まぁいい、【神器】を託す者も必ず選ぼう。この部屋の奥の隠し扉を開け。そこに【神器】がある』




