15 風の矢
導きのままに、僕らは光の穴を目指して進む。
北の方角の、大きな岩の裏側にその穴はある。理屈では説明出来ないが、僕はそれを知っていた。
赤猫……『魔導書の主』は一体何者なんだろう? 彼女はどうして、僕を導いてくれたのだろう?
謎ばかりで、モヤモヤする。
もし見てるのなら正体を現して欲しいけど、こうやって直接現れない辺り、何か理由でもあるのだろう。
僕はエルに耳打ちした。
「ノエルさんがくれた『魔導書』の主が、僕に話しかけているんだ」
「……! そうか。なら、その声を信じても……良かったかもしれないね」
やはりエルは何か知っている。でも、それを表に出そうとはしない。
「エルは、僕のこと信頼してるよね?」
「当然さ。当たり前じゃないか」
「……じゃあ」
「モンスターです! 前から来ます」
モアさんの鋭い警告に僕の言葉は遮られた。
シアンとジェードも魔具を構えて臨戦体勢に入っている。
「多い……二十匹くらいいる」
大丈夫だ。僕らなら二十匹のモンスターなんて敵じゃない。簡単にいなせるさ。
「シアン、ジェード、ベアトリス。君たちが前に出て戦ってくれ。俺とシェスティンはトーヤくんとアリスを守る。モアとエルは光を絶やさないよう、モンスターとの接触をなるべく避けてくれ」
ルーカスさんが声を発し、全体が動き出した。
前衛の三人は武器を携えてモンスターの来襲を待つ。無闇に突っ込むのは愚策だ。
「待ってください! 私も戦えます」
弓矢を持ったアリスがシアン達の後に飛び出していく。
「待て、アリス!」
「――助けられてばかりではいられません! 私は、戦いであなた方のお役に立ちたいのです!」
アリスの叫びに、ルーカスさんの赤い瞳が驚いたように開かれる。
それから間を置かず、彼は大きく頷いた。
「アリス……。そう言ってもらえて俺はとても嬉しい」
「ありがとう、アリス!」
ルーカスさんと僕は小人族の、とても小さな、それでいて強い魂を持つ少女の背中を押すように声をかける。
頼りにしている、頼りにされている。
その思いが、人を――戦う者を強くするのだ。
前方からぬっと出現したのは、豚頭人体の怪物『オーク』の群れと、生ける屍『グール』の集団。
これだけのモンスターが集結した場面を、僕は生まれて初めて見た。
「おっそろしい数だね。動きの鈍いオークなら簡単に殺れたけど、グールが混ざっているとなると少し手間がかかるかもしれない」
ベアトリスさんはそう言いながらも舌舐めずりしていた。
もしかしたら彼女は、根っからの戦闘狂なのかもしれない。普通の人は、この数のモンスターに囲まれたら目を回して倒れてしまうだろうから。
「怖いけど、仲間のためなら私は何でも出来ます。こんなモンスターなんか、この脚で蹴散らしてやりますよ!」
「かかってこい! 全員消し炭にしてやる!」
シアンとジェードも魔具に魔力を溜め、己を鼓舞する叫びと共にモンスター達と対峙する。
「さあ、行くよ!」
ベアトリスさんが吼え、赤い血塗られた棍棒を持ってモンスターの群れに飛びかかっていく。
踊り子のように激しく舞いながら棍棒を振り回し、次々と『グール』の左胸……心臓にあたる『核』を破壊していった。
炎と雷の魔具を使う二人も負けてはいない。
『オーク』の攻撃をかわし、魔具を使ったヒットアンドアウェイの戦い方で相手を翻弄する。
「あの魔具の副次効果……使用者の能力を底上げできるんだ。だから、特に訓練を受けていないシアン達でも、モンスターと渡り合える」
ルーカスさんが二人の戦いっぷりを見て、満足そうに笑った。
戦力としては申し分ない。充分すぎるくらいだ。
――ルーカスさんは、本気で勝ちたいと思っている。出し惜しみはしない。
僕が【神器】を使えば……。
おっと、そんなこと考えちゃいけない。今は、シアンたちに任せよう。
「きゃあ!」
シアンが一匹の『オーク』を蹴り上げたその時、もう一匹の『オーク』が彼女の左腕を掴んだ。
丸太の如く太い腕で持ち上げられ、ぶよぶよした肉の指に挟まれる。
「いやっ……! 離してっ……」
シアンは心底嫌そうに、悲鳴を上げた。
僕は助けに飛び出そうとしたが、足がガクンと下がり動かない。
【神器】を二回も使ってしまったから、こんな時に何も出来ないのか……。
シェスティンさんが『グール』の間を掻い潜ってシアンを助けに向かう。だがそれも、モンスターが多すぎて困難な状況だった。
オークがシアンを目と鼻の先まで持ち上げ、激しい口臭と共に顎を開く。粘っこい涎が、ずるずると垂れ下がった。
「い、嫌……やめて……」
恐怖に萎縮したシアンの脚の炎は途絶えてしまっている。魔具の力の発動には使用者の精神状態も深く関わっているためだ。
僕が目を見開き、ベアトリスさんが歯を食い縛り、ルーカスさんが拳を握り締めたその瞬間。
ヒュン、と風を切って二つの矢がオークの両目を潰した。
他の三体の『オーク』の目も風の矢は正確に狙い撃ち、使い物にならなくしていく。
アリスは毒を塗った矢を瞬時に次々と放ち、この窮地からシアンを救ったのだった。
「助かりました……。はぁ、はぁ、死ぬかと思いましたよ……」
シアンはオークの手から滑り落ち、地面に尻餅をつく。そして息絶え絶えに呟いた。
アリスは、すかさず戦っている二人へ叫ぶ。
「ベアトリス殿! ジェード殿! 残りの『オーク』を一掃してください!」
「「わかった!」」
ベアトリスさんとジェードの技が、素早く目を塞がれた『オーク』達を倒していく。
視力を失ったモンスターなど彼らにはただの的でしかない。
それでもまだ数匹残ったグールは、シェスティンさんとルーカスさんが駆逐した。
「【妖刀・紫電】!」
ルーカスさんの刀は紫の光を帯び、屍たちを葬っていった。
腐った果実のように、どしゃりと斬られたグールは崩れ落ちていく。
「よし、これで全部やったぞ!」
モンスターは全滅。アリスが奮闘してくれたからこその結果だ。
「アリス。助けてくれて、ありがとうございます」
「いえ。私は私に出来ることをしただけですよ」
シアンが礼を言いアリスは気恥ずかしそうに返す。
僕はほっとした思いで二人を見つめていた。
「ひとまず助かったね。……エル、モンスターの気配はする?」
「いや、しないね。ここを進んでも構わないと思う」
「私も同意見です。モンスターが立てる音は向こうからは聞こえてきませんから」
エルが答え、モアさんがそれに同意した。
それなら、進もう。この先に神殿へと繋がる門がある。
全ては、そこにあるのだ。
「ルーカスさん、急ぎましょう。もうこの洞窟に入ってから半日……いやそれ以上経っています。長引くと、僕たちの命に関わる」
ルーカスさんは頷く。考えていることは、一緒だった。
僕は目の前を悠々と歩く赤猫の後を追った。
赤猫――『魔導書の主』はこちらを振り返りもせず、真っ直ぐ目的の場所を目指す。
僕も迷わず赤猫と、自分の額にある感覚を信じた。
指し示す方向は同じ。北の岩の裏だ。
歩いて、歩いて……。見えてきた、あれが……?
半時間程歩いただろうか。行き止まりであるそこに、大きな岩が鎮座していた。
この岩の裏の穴に入るには、岩をどかさないといけない。
どうしようか……?
「なぁ、トーヤくん。本当にここで良いのか?」
ルーカスさんが怪訝そうに顎に手を当てる。他の皆もどうしてここなのか、と疑問に思っているようだった。
「ここが、【神殿】に繋がっている筈なんだ。だよね?」
思わず赤猫に問いかけてしまったが、そいつは既にそこにいなかった。
「トーヤさん? 誰に……?」
「いや、何でもないんだ。とにかく、この裏に穴があるんだから」
説明するよりやって見せた方が早い。僕は本日三度目の【神器】を使用した。
「【グラム】! 打ち砕けッ!!」
大剣を大岩にぶつける。
紫の炎と赤い雷を纏った剣は、たった一撃で岩を粉々に破壊した。
「ゴホッ、ゴホッ! トーヤ殿、どうするおつもりですか!?」
砂塵が舞い、アリスが口元に布を当てて声を上げた。
光の渦がすぐそこに見えて来ている。僕はその穴に向かって静かに歩を進めた。
「トーヤ、そっちは壁ですよ!? そんなところ……」
モアさん? もしかして、皆には穴が見えていないのか?
「こっちです! こっちの壁に、【神殿】に繋がる穴があるんです!」
僕は片腕を穴に突っ込んだ。穴の中に入れた腕は、暖かい光に包まれている。
「嘘!? 壁に手が入ってるぞ!」
「本当ですよ! ベアトリスさん、いいから来てください!」
そう大声で言うと、皆は壁に近付いて来た。
穴に突っ込んだままの片腕が千切れるように痛い。【神殿】とこの世界の狭間には、長くはいられないようだった。
「じゃあ、皆で僕の左腕に触れて。そうしたら穴に入れるから!」
促し、空いている左腕を後ろにぐっと差し出す。
そして皆が僕の腕に手を触れたり、腕を回したりした。
「行くよ。ここからが、【神殿】だ!」
体の力を抜くと、すっと吸い込まれるような感覚。暖かな光の海の中、僕はそっと目を閉じた。




