9 呼び声
洞窟の横穴は、さっきまでいた一本道とは違っていた。
先に行くほど空気は冷たくなり、足元は湿っていて、ぬるぬるしている。僕はエルを背負っているため、足を滑らせないよう細心の注意を払って歩いた。
天井を仰ぐと氷柱が見えた。水滴が、ぽつりぽつりと垂れる。
「随分、寒くなってきたね……」
「はい……長くいたら、凍え死んでしまいそうです」
シアンは腕を抱え、震えていた。
「縁起の悪いこと言わないでよ、シアン……」
「す、すみません……」
道は下り坂になった。僕らは慎重に進んでいく。
「なあ、本当に辿り着けるのか?」
「そんなのわからないよ。今はただ、進むだけだ」
ジェードが訊き、僕は返した。
湿った洞窟は、どんどんその冷たさを増していく。
しばらく進むと、広い空間が現れた。
「うわぁ……」
そこには、真ん中に岩の小島がある、凍った湖があった。
僕は目を見張った。こんなところに凍り付いた湖があったなんて……。
「一面凍っていますね。私初めて見ました……」
シアンが溜め息をついた。僕があげたマフラーを巻き直し、静かに湖面に近付く。
「あれ? 何か臭います」
シアンが僕を振り向いた。ジェードも優れた鼻でくんくんと臭いを嗅ぎ、頷いた。
「何の臭いなの?」
「私達が嗅いだ覚えのある臭いです。誰だったでしょうか……?」
人なのか? 僕は辺りを見回してみたが、人なんていなかった。
「ここに、誰か居たってこと?」
「そうなるな。これは、小人族の地下街で嗅いだ臭いなんだ」
「小人族……!?」
もしかして、戻って来ないというアリスのお兄さんだろうか?
でも、そしたらシアンが言った、『私達が嗅いだ覚えのある臭い』の説明がつかない。僕たちは、アリスのお兄さんの顔も臭いも知らないのだ。
「とにかく、先に進もう。その臭いの正体はまた後で考えよう」
僕は言った。正直、『神の館』に辿り着くまで体力と魔力がもつかどうか不安だった。余計な魔力の消費を減らすためにも、急がなければならない。
タイムリミットは、二、三時間くらいか。
「トーヤくん……」
エルが囁いた。僕は彼女の言葉に耳を傾ける。
「灯りは、最低限のものでいい。上手く節約すれば、君の魔力なら五時間は持つから」
エルに言われ僕は杖先の光を少し弱めた。頼りない、本当に最小限の光だったけど、ギリギリ足元は見える。
シアンとジェードが僕にくっつくように添って歩く。地底湖の回りを周り、もっと奥深くへ。
この辺りに来ると、寒すぎて最早モンスターさえいない。
地上より遥かに寒く、凍り付いた世界で、僕らは本当に辿り着けるのだろうか?
「エル、やっぱりもっと光を強めた方がいいんじゃないかな?」
五時間魔力が持ったところで、それまでこの寒さの中生きていられるのか?
僕の問いに、エルは唸った。
「一応上着を着込んでるから、大丈夫だと思う。いや、そう思いたい……」
「魔力が尽きるか、凍え死ぬのが先か……考えても仕方ないね」
考えたくないことばかり考えてしまう。
不安は、今の僕らにとって『毒』だ。それもかなり強力な。
「向こうに……別れ道がありますね」
シアンが指差す。二つに別れた道は、右の道は狭く、左の道は幅が広かった。
僕らは別れ道で一旦立ち止まり、しばし考える。
「どっちを行く?」
「そうですね……左にしますか? 道も広いですし」
「うーん、そんな簡単に決めちゃっていいのかな……」
僕らが迷っていると、どこからか微かに女の子の声が聞こえて来た。
誰かを、呼んでいた。
「誰かいる」
「えっ? 何か聞こえたのですか!?」
シアンたちは鼻で臭いを探ろうとしたが、わからなかったようだ。
僕の気のせいだったかな……?
『兄上……どこに……』
まただ。今度ははっきり聞こえる。
「兄上って言ってる。人を捜してるんだ」
シアンたちと、エルが息を飲んだ。
この声は、きっとアリスだ。いなくなったお兄さんを捜してこの洞窟に潜り込んだのか。
「声は右の道からする。僕に付いてきて」
僕はそう言ってエルを下ろす。エルは、えっ!? と戸惑った顔をした。
「どういうことだい、トーヤくん」
「もう歩けるでしょ? 歩いて付いてきて」
「……そんなぁ」
エルの手を引き、僕らは右の道を急ぐ。
ちょくちょく曲がりくねっている道は狭くて歩きにくかったが、途中別れ道もなかったので迷わず先へ行く。
声が止んだ? 何かあったのか?
シアンが、鼻をふんふんいわせて呟いた。
「臭います。まだここを離れたばかりのようです」
「なんか、変だ。アリスの臭いに混じって、汚い臭いがする」
ここから近くで、アリスは何らかのアクシデント……恐らくモンスターに襲われ、危機に瀕しているのか。
僕は大声で、アリスの名を呼んだ。
「アリス! どこにいるんだ!?」
洞窟内に反響する僕の声に、シアンたちは耳を塞いだ。
この大声ならきっとアリスも気付いた筈だ。
「行くよ。アリスを、助ける」
僕らが狭い道を駆け抜けると、広めの空間に出た。
そこは古いトロッコやロープ、スコップなどの道具、線路の跡が残っていて、線路は僕らが入ってきた反対の通路へと続いていた。壁や天井には、崩れるのを防ぐための木枠のようなものがはめてある。
「この洞窟は、かつて採掘場だった場所なのか……」
僕は広場を見回していたが、すぐに意識を全て耳に集中させる。
アリスの声は、聞こえない。
「臭いは?」
僕は、寒いのに嫌な汗をかいていた。額に浮いた汗を拭い、シアンたちに訊く。
「向こうまで続いています。線路に沿って行きましょう」
一分……二分……アリスの声が聞こえなくなってから、どんどん時は流れていく。
早くしないと、助からない……。
僕が息を切らしながら、それでも必死に駆けると、見えてきたのは……。
「アリス!」
地面に倒れ伏せ、傷を負ったアリスの姿が、そこにあった。




