エピローグ 魔導書
僕とシアンは調理場にタコを届け終わり、二人で廊下を歩いていた。
シアンは少し気まずそうに僕を見上る。
「トーヤさん、私、その……あ、あれは気にしないでください。プレゼントは嬉しかったです。ですが、あの時のあれは……」
「シアン、さっき君に、ああ言って貰えて嬉しかった」
これは、僕の本心からの言葉。
僕は皆が大好きだ。その気持ちは変わらず、揺るがない。
シアンは顔を真っ赤にしていた。可愛らしい尻尾をブンブン振っている。
と、廊下の曲がり角を通った時にある人物から声をかけられた。
「やあ、トーヤくん、シアンちゃん。元気にしていたかな?」
そう言って笑うのはノエルさんだ。この人はいつもニコニコ笑っている。
「はい。今朝は、タコを買いに行っていました」
「おお、タコか。食べるのが楽しみだ。……トーヤくん、実はね、今日は君に『プレゼント』があるんだ」
ノエルさんの眼鏡がキラリと光る。
彼は、鞄から大きくて分厚い茶色いカバーの本を取り出した。
僕とシアンはその本をまじまじと見る。
「……これは?」
僕は訊いた。本の表紙には、僕の知らない文字で題名のようなものが書かれている。
「これは、【魔導書】だよ。ぜひ君に読んで欲しい」
ノエルさんは僕に魔導書を渡す。そして、僕らに背を向け立ち去ろうとした。
「待ってください! この本は一体何なのですか? 僕には、この文字は読めるとは思えません」
ノエルさんは振り返った。
「読めなくても、本が導いてくれるさ。時間がある時にでも、読むといい」
ノエルさんはそう言って去ってしまった。
僕は、謎の文字で書かれた魔導書を、訳もわからず見つめていた。
* * *
その日の夜。ノエルの元には、一人の女が訪れていた。
女は黒いマントを纏い、頭にはフードを被っていた。フードの下から長い金色の髪が見える。
彼女はノエルと向き合うように、テラスのテーブル席に座っていた。
ワインが入ったグラスに口を付け、女は口端を歪める。
「あの少年……トーヤといったかしら? 彼に、魔導書を渡してくれたそうじゃない」
「ええ。彼には素質がある。あれが引き金になり、彼が力を開花させてくれればいいですが」
ノエルはワインには手をつけず、女と談笑する。
「ふふ……面白いわ。彼がどう動くか、私には楽しみでしょうがないの」
「私も、彼には期待をしているのですよ。彼の魔力の質は良い。私が見たのだ、間違いはないでしょう」
「うふふ……そうね」
女はくすりと笑い、グラスを揺らす。ワインの水面が静かに波を立てた。
「【悪器】の状態は、どう?」
「上々ですよ。新たな器候補も見つかりました」
「そう。それは……良かったわ」
女はグラスをテーブルに置いて立ち上がり、空を見上げる。
三日月の夜だった。
「良い夜ね。何だか、昔に戻ったような気分になるわ」
ノエルは少しの間黙っていたが、やがて口を開いた。
「『永久の魔導士』殿。……いや、シル・アレフ・ヴァルキュリア殿、と呼んだ方がよろしいかな」
女はノエルを見た。青色の目が冷たくノエルを射抜く。
「何かしら?」
「貴女の目的は計り知れないが……私は、貴女に利用されるつもりは無い。貴女を逆に利用し、私の目的を達成する」
炎のようなノエルの言葉は、氷の如く冷たい女を焦がす。
「うふふっ……面白いわね」
女はフードを取った。この世界で最も美しいであろう、その美麗な顔が月明かりに照らされた。
「楽しみにしているわ。ノエル・リューズ」
女はそう言い残し、消える。
ノエルは女が消えた辺りを見つめ、一人ほくそ笑むのだった。




