3 使命
この子は『精霊』だ。それも、かなり力の強い。
僕は驚きながらも、自然と彼女の正体を受け入れた。
「君は、精霊だったのか……」
僕が瞠目し呟くと、エルは緑の瞳を細めて優しい微笑みを浮かべる。
「やっとわかったんだ。気付いてくれなかったら、どうしようか考えていたところだったよ」
「じゃあ、君が僕のことを探していた理由は、僕が精霊の声を聴けるから?」
僕は物心付いた頃から、精霊の声を聴くことができた。
だが、僕と僕の母さんが極東からの移民であることから、村のみんなは僕が精霊の声を聴けると言っても信じてくれなかった。
それどころか、「移民のくせに精霊の声を聴けるなどと嘘をつくな」と言われ、村の少年たちからいじめを受けていた。
ユダグル教では、精霊の声を聴くことのできる者は高位の聖職者に限られるとされていたから、ユダグル教を信じていない僕がいくら言っても信じてもらえなかったのだ。
僕が自分の特別な能力について語ると、エルは神妙な顔で応える。
「うん、そうだよ。……でもね、私は君が知っている普通の精霊とは少し違うのさ」
「……普通とは違う?」
「君が私のことを見つけたとき、私のことを普通の人間だと思っただろう? つまりそう言う事さ」
いやいや。どういうことだよ。
理解できずにいる僕に、緑髪の少女は若干もどかしそうに言った。
「だから……私は、人間に転生した『元精霊』なのさ。これで分かったかい?」
「あっ、そういうことだったのか」
納得。すぐに精霊だと気づけなかったのは、人間になっていたからなんだね。
母さんが昔話してくれた『転生魔法』は、高位の魔道士や精霊にしか使用することの出来ないかなり難しい魔法なのだそうだ。
詳しいことは僕もあまり知らないんだけど……要するに、この魔法を使えるエルはかなり力の強い精霊ということだ。
「でも、普通の人間は私の正体を見抜くことはまず不可能だろうね。私の正体が分かったのは実は君が初めてなんだよ」
エルは自分の正体を見破った僕に感心しているようだった。
僕はまだ気になる事――エルが夢の中に現れた事――があったので、彼女に尋ねてみた。
彼女はこう返答する。
「夢の中に出る魔法……夢現魔法って私は呼んでるんだけど、実はこれは、私が編み出した秘密の魔法なんだ。扱うのが難しい魔法だから、私も滅多に使わないんだけどね」
自分の魔法について、得意気にエルは語った。
そして何故か偉そうに、立ち上がって僕の肩にポンと手を置いて言う。
「よし、私の正体については話したし、私の目的を君に聞いてもらいたい。これは世界の命運がかかった大事な使命だ。心して聞いてくれたまえ」
世界の命運? 随分大袈裟に言うんだな……どんなことだろ?
僕はほんの軽い気持ちでエルの話を聞き始める。
が、エルが口にした『目的』は世界を巻き込むとても大きなものであった。
「今、この世界に大きな異変が起きようとしている。私は何としてでもそれを止めなければならない。これは私が神様から課せられた使命なんだ! だけど私一人の力ではその脅威に打ち勝つことはできない。私には、ともに戦う英雄が必要なんだ!」
エルはぐっと拳を握り、力強い口調になる。
彼女の目の光が力を増し、緑色に激しく輝いた。
「再び解き放たれてしまった七人の【大罪の悪魔】……。その闇を晴らし、彼らをもといた場所へ戻してやってほしい。それが私の願いだ」
最後にエルは静かに締め括る。僕と目を合わせた彼女の瞳は、本当に真剣だった。
だが僕は、エルの言葉を飲み込むのに少し時間がかかった。
世界の異変? 【大罪の悪魔】? いやそもそも【大罪の悪魔】なんて本当にいたのかよっ。
いきなりそんな事を言われても、困惑する事しか出来ない。
「エ、エル。なんとなくわかったけど、なんで僕なの? 僕に悪魔を倒せる力なんて無いし、他に適役がいるんじゃあ……」
自分に自信がなく、己を卑下する僕は弱気に呟きを漏らす。
エルはそんな態度を責めるような事はしなかった。予め、そう返されるだろうという事は分かっていたのかもしれない。
彼女は僕の手を繊細な白い手で包み込み、穏やかな声音で告げる。
「トーヤくん。私たち精霊は、相手の目を見ればその人がどんな性質を持っているかが分かる。私は、君を見てすぐこの子だって知ったんだ。人を思いやることのできる、優しくて、温かい心。ちょっと自分に自信がないところもあるけど、私は惹かれたのさ。君の、その心に――どこまでも伸びていけるその可能性にね」
エルは真剣な表情を崩し、笑顔になる。
僕の目の前に人差し指を立てて見せると、小さく指を振って片目を閉じた。
「使命のために、君には『神の力』を手に入れてもらいたい。悪魔を倒す、もしくは封印することは常人の力ではまず不可能だ。それを可能にするのは、【神器】。神話でも語られている、人に最強無比の力を与える神の器だ。君には私と一緒に、その【神器】を手に入れてもらいたいんだ! お願い出来るかな?」
今の僕にやれること。
家族を失くし、全てを失った僕の前に現れた一つの道。
神の力、【神器】。その力で人々を脅かした魔物を退治した、神話の偉大な英雄。
英雄になりたいと願ったあの時の僕。父さんは僕の頭を優しく撫で、笑っていた。
僕は、腰に差した父さんから貰ったナイフ――【ジャックナイフ】を見る。
もしエルと一緒に戦うのなら、父さんに教わった剣術が活かせるかもしれない。
考えた末に、はっきりと自分の意思をエルに伝える。
「僕、やるよ。エルと一緒に【神器】を手に入れて、【大罪の悪魔】と戦うよ。エルがそう望むのなら、僕はやるよ」
エルは目の淵を一瞬きらめかせる。彼女は目元を指で擦り、次には顔中に笑みを咲かせていた。
「良かった……。ありがとう!」
「うん。これで僕にも、やることが出来た」
笑顔のエルにつられて、僕も笑う。
互いに笑いながら顔を見つめあっていると、不思議と前にもこうしていたかのような懐かしい感じがした。
二人で笑いあっていると、やがて。
……まるで示し合わせていたかのように、揃って腹の音が鳴った。
「何か、お腹すいちゃったねー」
「さっきパン食べたばかりでしょ……。まぁいいや、僕もこれから朝食にするから、一緒に食べよ?」
僕は台所に立ち、食事の準備を始める。
エルは僕が朝食を作っている間、黙って待っていてくれた。
神とか悪魔とか、関係なしに穏やかな時間が過ぎていく。
共に食事を取りながら、僕はとても落ち着いた気持ちになれていた。
「トーヤくん、君なら必ずやりとげられるよ! 少なくとも、私はそんな予感がするんだ」
食事を終えて食卓を立とうとした時、エルも椅子から立ち上がって大きな声で言ってくれた。
僕は微笑み、ぐっと拳を握って高く掲げる。
「うん。必ずやってみせるよ。僕が、『英雄』になるんだ」
僕はもう、弱気になんかならない。
本当に不思議だ。人と関わるだけで、こんなに考え方が変わるなんて。
でもそれだけではない気もする。エルと出会った事で、僕の中で何かが変化したのだ。
それが何かは、わからない。わからなくてもいい。
僕が今こうやって、前を向けたという事実が何よりも大事なんだ。
「さあ、これからだ」
僕は一人呟く。固く握った拳は熱い。
窓の外の青い空を眺めて、この先の波瀾万丈な冒険に思いを馳せた。
ここから、僕の『冒険』という名の物語が幕を開けたのだった――。