エピローグa 夢の彼方
戦いが終結して、一夜が明けた。
スウェルダ・フィンドラ・ルノウェルスの三国連合軍とマギア帝国軍は、停戦条約を正式に締結。【神器】及び魔導技術が中心となった史上初の戦争は、これにて幕を引いた。
【使徒】により「消去」されたものは余さず再生され、少年の大切な人たちもその中に含まれてはいたが、しかし戻らなかったものもある。
天空要塞『アイテール』から投下された『魔導砲』の一撃がもたらした、エールブルーの壊滅――その復興に取り組むことが、ミラ・スウェルダと彼女の臣民に課せられた使命の第一歩と言えた。
砲の発射を指示したゼステーノ・ロ・マギアは、その夜のうちにミラ王女に謝罪。両陣営の協議の結果、帝国側が多大な賠償金を支払うこととなった。無論、【神器】による大量殺戮を実行した三国側も賠償金を払い、形としてのケジメは付けられた。
アダマス帝は戦争による領土拡大から、内政への注力に尽力する方向へ舵を切った。
彼の考えを変えた少年の名は、これからマギア国内にも伝わっていくだろう。帝のあり方を通じて、少年の優しさはマギアの人たちにも広がっていくのだ。
「……そう面と向かって言われると、照れくさいですけどね」
辛くも破壊を免れていたエールブルーの軍港の波止場にて、トーヤはアダマス帝らマギアの【神器使い】を見送りに出ていた。
ミラやカイ、アレクシルといった三国の長たちは既に、【転送魔法陣】で自国の都に帰還して早くも政務にあたっている。
晴れ渡った空の下、エルやエイン、シアンたちに見守られながら、トーヤはアダマス帝の言葉にはにかんだ。
「誇るのだ、少年。人の命を想うことの尊さを、これからも他者に伝えていけ。思えば……私たちの原点も、大切な人を『失いたくない』という願いだった。平和を築くためには犠牲も必要なのだと、そう信じて突き進んできたが……」
アダマスは回顧する。弟以外の家族を失った絶望の矢先、【マギ】という道しるべを得た彼はそれに飛びついてしまった。
【神】を生み、【ユグドラシル】のような統一された世界を作るために国を建て、力を付け……その果てに、己の「弱さ」を知った。
――兄さんは、俺に嘘ばかり吐く。
帝弟タラサの言葉は、アダマスに自身が【神の父】の器でないことを自覚させた。
モナクスィアに言った通り、彼は失敗もするし嘘だって吐く、等身大の人間なのだ。
と、そこでアマゾネスの女性が一歩前に出て、少年に声をかける。
「トーヤ君」
「は、はいっ……」
モナクスィアの銀色の瞳に射抜かれ、トーヤは立ち竦む。
この戦争の中で生き方を一番歪められたのは、彼女だ。帝の理想のために不死の呪いを刻まれたにも拘らず、その理想自体がなくなってしまったのだから。
それでも、モナクスィアの眼差しに怒りはなかった。
「あの【儀式】のこと、謝らせてください。私たちの身勝手で、あなたに苦痛を強いてしまった……人として、恥ずべき行いでした」
彼女は真摯に自分の行動に向き合い、トーヤへ頭を下げる。
その時を思い出してエインが赤面し、【儀式】を知らない他の面々が困惑する中、トーヤは静かに首を横に振った。
「あの時の痛みのおかげで、僕は僕として生きる道を見つけられました。恨んでなんかいませんよ。むしろ、散々煽ったことをこっちが謝りたいくらいです」
「い、いえ、あなたに非はありませんから……あの時あなたが泣いていたのも事実ですし、やはりきちんと償わなければ――」
「はーいそこまで! 真面目すぎるのも良くないよ、モナクスィアさん?」
謝罪の言葉を連ねようとするモナクスィアを遮って言ったのは、カタロンだ。
橙黄色の髪の皇子は下げられたアマゾネスの頭をポンポンと叩きながら、トーヤへ微笑む。
「話すのは初めてだね、トーヤ君。僕はカタロン、陛下が考えを変える前から君と似た理想を掲げていた者さ」
「えっと、はじめまして。マギアの皇族って、一枚岩じゃなかったんですね」
「まぁね。そのせいで誰かさんたちからはハブられちゃったけど、これからはそんな心配もなくなる。君のおかげだよ」
少年二人が握手するのをバツが悪そうに見つめるタラサやカロスィナトス。
彼らが口を開くのに先回りして、カタロンはべぇと舌を出してみせる。
「ここは辛気臭い謝罪の場じゃないの! 陛下に似て、みんなクソ真面目なんだから」
「クソは余計です」「そうねぇ、カタロンちゃんはちょっと言葉遣いが俗っぽすぎるわ」
即座に文句をつけるカロスィナトスに、プシュケがおちょくるチャンスとばかりに乗っかる。
それにカタロンが口を尖らせ、場はにわかに騒がしさを増していく。
――この人たちも、僕らと同じなんだ。それぞれ大切な人がいて、理想のために戦った、優しさを胸に灯した人間。
それを実感しつつカタロンらを眺めているトーヤは、マギア一同の端の方から視線を感じてそちらへ目を向けた。
アッシュブラウンの前髪で目元を隠し、なおも何か言いたげにしているフォティアである。
「フォティアさん……?」
「あ、あのっ。ありがとう、ございました」
トーヤとエインにそれだけ告げて、内気な青年は兄の背中に隠れてしまった。
『アイテール』での戦いの中での少年の叫びは、兄と比較して抱いていたフォティアの劣等感を払拭してくれた。
彼の言葉があったから、フォティアはこれから胸を張っていける。素直な気持ちを伝える青年に、少年は力強く頷いてみせた。
それからフォティアに続き、トゥリはトーヤに感謝の意を表した。
「少年、助かった者を代表して、私からも礼を言おう。君たちの尽力がなくては、私たちは揃ってここに立つことができなかった。私としては、その恩に報いるためなら何だってしたい所存さ」
「気持ちだけで十分ですよ。僕は別に、見返りを求めて戦ったわけじゃないですし……平和な世界があれば、それでいいんです」
「謙虚だね。もう少し欲に正直になってもいいのに」
何故だか色っぽい視線を送ってくるトゥリにトーヤは苦笑する。
少年の貞操に危機を感じたエルは黒衣の女性を睨みつけるが、トゥリはどこ吹く風といった様子だった。
「なぁ、嬢ちゃん。俺はあんたと最後まで戦えなかったのが、少し心残りだな」
そうロンヒに言われたエルは、そういえば、と思い出す。
ロンヒ対エル、トゥリ対ユーミ、プラグマ対ジェード。三対三の【神器使い】の対決は、【悪魔の心臓】の出現により中断されたままだった。
「ええ、私も坊やと決着をつけたかったわ。またいつか、『試合』という形で戦えたら良いわね」
「おう、その時は負けないぞ!」
プラグマの提案に乗り気になるジェード。ロンヒも「こっちだって負けねえぞ!」と対抗意識を燃やし、血気盛んな男たちにカロスィナトスら女性陣は辟易する。
娯楽好きな少年は黒髪の少年にウインクし、申し出た。
「そういえば、トーヤ君と【神器】で直接対決したのはフォティアお兄様だけか。トーヤ君、もしマギアに来ることがあったらオレと腕試ししてよ」
「いいですけど……負ける気がしませんね」
「へぇ、言うじゃん。オレもその時までに強くなってるからさ、鍛錬怠らないでよね」
近い将来の再会を約束する若き【神器使い】たちを、アダマスやタラサは一歩引いた目で見ていた。
自分たちが体感できなかった、青い感情に溢れる彼らの眩しさが、彼らには率直に「羨ましい」と思えた。
と、肩をそっと叩かれて二人は振り向く。
アマゾネスの女性はにこりと笑って、彼らの背を押した。
「陛下、殿下、青春を取り戻すのは今からだって遅くないですよ?」
「……そうかもな」
皺の刻まれた目元を微かに細めた兄弟だったが、すぐに表情を改めるとマギア一同の前に出てトーヤたちと向き合う。
「トーヤ君、そして未来ある少年少女たちよ。マギアは君たち三国の民を拒まない。行き来するには少々遠いが……長い人生の間に、一度でも訪れてくれると嬉しい」
帝の意思表明にトーヤたちは笑顔で応じた。
命をかけて戦った敵同士。だが今は、少年の優しさを通じて繋がった同志だ。
固く固く握手するトーヤとアダマスは、交わした視線に変わらぬ意志を見る。
これでお別れだ――少年が挨拶を切り出そうとした、その時だった。
「最後に、【マギ】よ」
アダマスはトーヤたちの陰で居心地悪そうにしていたセトへ、呼びかけた。
「私に夢を見せてくれたことを、感謝する。貴方がいなければマギアも生まれず、私の愛しい子らもここにいなかっただろう。貴方の撒いた芽は、貴方の望む形ではなかったがこうして育ったのだ」
「……責めないのかい、僕を」
セトにとって、アダマスの発言は意外だった。
青年は兄弟の人生を戦争の道に突き進ませた元凶だというのに。彼らには、セトを責めなじる権利があるというのに。
「他人の罪を責めるのに時間を割くなど、暇人のすることだ。罪は法が片付ける。そして私は、未来を考えるのだ」
法を絶対の規範とするマギアの国民性の源流は、この男なのだと今更ながらセトは思い出す。
彼はアダマスとタラサ、モナクスィアとゼステーノを順に見て、うなじが覗けるほど深く頭を下げた。
「君たちの人生を僕は不当に縛ってしまった。特にモナクスィア、君の身体には不死の呪いまでも刻み込んでしまって……本当に、済まなかった」
身勝手な理想のためにセトは彼らを利用した。その罪に気づいたのは、もはや引き返せない所に達した後であった。
責めないとアダマスが言った手前、タラサもモナクスィアも無言だったが、やはりやり切れない思いはあるようだった。
トーヤも介入せずに口を噤む。そんな中、最初に口を開いたのはアダマスだった。
「顔を上げてくれ、【マギ】……いや、セトよ。貴方にはトーヤに教わったことがあるだろう? 知ったそれを世界に伝えるのが、知恵者である貴方の役割だ」
それを贖罪代わりとしてくれ――そのアダマスの意を汲み、セトは頷く。
彼との問題はそれで終わらせ、帝は改めてトーヤと向き合った。
「――では、我々は行こう。息災でな」
短い別れの言葉に、少年も「では、また」と微笑んだ。
プシュケの発動する【転送魔法陣】がマギアの【神器使い】たちの足元で輝き、そして、彼らを『アイテール』まで転移させる。
それからほどなくして動き出した天空要塞を少年たちは仰ぎ、帰還していくマギアの戦士たちを彼らは静かに見送るのだった。




