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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
最終章【傲慢】悪魔ルシファー討伐編/マギア侵略編

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48  深く、沈む

 一言、魔法名を唱えた。青年がしたことは、それだけ。


「だから言ったじゃないか、僕と戦うのは得策じゃないって。君たちが何をしようが、僕には通用しないんだからさ」


 トーヤの斬撃は青年の肉体に届く前に虹色のもやに包まれ、霧散していた。

 それが単なる防衛魔法であるとは、トーヤには思えなかった。防衛魔法は通常、魔力の防壁が物体として具現化する。光の壁、炎の壁、土の壁……属性は違えど、壁という確かな形として出現するはずなのだ。

 自分たちの全力を尽くした攻撃を防がれ、瞠目するノアは、確認できた情報から何が起こったのか探ろうとする。


「【使徒への接続】、セトはそう唱えていたね」

「……【使徒】? 確か、彼は【悪魔の心臓】の魔力を集約して生み出された破壊の化身って――」


 シルはそこまで呟いて、そして悟った。

 彼女らの攻撃が何に利用されたのか、その結果何がもたらされたのか。

 ノアやエル、トーヤもそれに気づけないほど馬鹿ではないだろう。にも拘らず、彼らがそのことに具体的に触れようとしなかったのは、その現実を直視するのが怖かったからだ。

 誰だって、罪を背負いたくなどない。それが正義を振りかざすヒーロー気取りの人物だったら、なおさらだ。

 

「正義の味方は死んだ。君たちが攻撃魔法を放った結果、外界では既に二人の【神器使い】が退場したよ。茶髪の見目麗しい双子さ。兄の方は先に散った妹の仇を討たんと吼えていたけど……悲しいかな、【神器】が彼の【心意の力】に耐え切れなかったようだ」


 ――やめて。聞きたくない。何も、言わないでくれ。


「嗚呼……可哀想に。妹の方は上半身と下半身を分断され、臓腑を撒き散らしながら海に墜ちていった。あの光の刃を防ぐ術も持たず、無力さに苛まれながらね。【武器】を無くして抵抗出来なくなった兄の方は、呆気なかったよ。見せられるなら君たちにも見せたいくらいの情けない泣きっ面で、【使徒】の黒い魔力に呑まれていった」

 

 少年の心の叫びを無視して、セトの声は彼の頭を侵食していく。

 双子の兄妹が惨殺される光景は、彼の拒絶を否定し、映像として脳裏に浮かぶ。

 肉体を断ち切られる痛みは、得体の知れない闇に呑まれていく恐怖は、どれほどのものだったのか。

 分からない。分かるはずがない。そんな痛みや恐怖を、トーヤは知らないのだから。

 知ったふうな口で彼女らの死を悼むなど、出来ようもない。その死をもたらしてしまった元凶であるトーヤに、その資格はない。


 ――わざとじゃない。事故だ。そんな言い訳をしても何も変わらない。いくら悔やんでも、死んだ人は戻らない。泣いて懺悔すれば神様が奇跡を起こしてくれるなんて、おとぎ話だ。 

 

 深く、沈む。

 黒く冷たい感情の海に。

 何度潜ったか知れない、自罰の沼に。

 

 ――僕は、罪人だ。僕のせいで、二人は死んだ。僕のせいで、僕が攻撃しなければ、僕がセトと戦わなければ、僕がいなければ、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が――――。


 死ねよ、と少年の中に潜む誰かが言う。

 償うにはそれしかないと、侮蔑と怒りの眼差しを少年に向ける。

 これまでだって、何度もその誰かは少年に死を促した。母が逝った時、妹が自殺した時、マティアスを殺した時。彼の知る人物が、彼の意思に反してこの世を去ってしまった時、決まってその誰かは囁いた。

 

 しかし、それでも少年が生き続けてきたのは――彼が、大切な人たちから生きる理由を託されたからだ。

 使命という義務的なものではない。

 そこにあったのは、愛情だ。大切な人たちから注がれた温かい感情が、彼の手を引いて「生」の道へと誘ったのだ。


 そう、今だって――。


「トーヤくん。私たちのせいでエミリアさんたちが命を落とした事実は、決してひっくり返らない。でも、それはセトと向き合うことを放棄する理由にはならないよ」


 エルの声が、トーヤを現実へと引き戻した。

 いつの間にか彼女は少年の前にいて、その澄んだ緑の瞳で彼を見つめている。

 

「罰を受けるには、その瞬間まで生きていなくちゃいけない。そして、その瞬間とはセトを倒してから訪れるものだ。トーヤくん、生きるんだよ」


 これは呪いだ。言葉が心を縛り、決められた結末へと身体を進ませる。

 

 ――そうだ。死は、逃げなんだ。僕は『英雄』なんだから、逃げちゃダメだ。それがたとえ記号的な肩書に過ぎなかったとしても。


 喚けば楽になるか? ――否。

 逃げれば楽になるか? ――否。

 笑ってしまえば楽になるか? ――否。

 考えることをやめれば楽になるか? ――否。

 

 少年は顔を上げる。

 彼は気づいてしまった。始めから、楽な道など用意されていないことに。自分の生きる先には、艱苦のレールだけが敷かれていることに。

 

「……解ったよ。僕は生きて、進むよ。進むしかないのなら、後退なんかしない。するもんか。沈んでるくらいなら、血を流してでも動いてやる」


 逃げることは死んだ大切な人たちへの裏切りだ。それだけは、できなかった。

 

「……そうだ、少年。セトに勝てるのは、あんたしかいない。攻撃魔法に頼らず、彼を超えてみせろ。やるんだ、トーヤ」


「やってみせなさい、トーヤ君。『英雄』のあなたなら、方法を導き出せるわ」


 ノアとシルがトーヤへ傾ける、無償の信頼。

 それを受けた少年は唇を引き結び、俯いた。

 

「…………」


 無責任な大人が押し付ける重責は、思春期の男の子が独りで抱えるには大きすぎる負担であった。

 その歪さに気づけないほどにシルとノアは焦燥に駆られ、答えの出ない問題に思考を雁字搦めにされていた。

 セトはそんな彼女らの姿をつまらなさそうに眺める。彼が尊重するのは人の自由意志であり、周囲の圧力ではない。


「……どうするのかな。こっちとしては、諦めて貰ったほうが嬉しいんだけど」


「生憎、諦めるなんて言葉は私のデータベースにはないんだ。――トーヤくん、私と君は二人で一つ、前にそう言ったよね」


 虹色の水面に視線を落としていたトーヤの手を、彼より一回り小さな手が握った。

 その温もりは彼をこれまで何度も勇気づけてくれた、光だった。

 彼女の温度に触れている間は、彼の鈍く重い痛みは化石となった。

 少年少女の肌が接触した瞬間、互いに感情が揺れ、高まる。それは単なる男女の情ではない。性愛を超越し、人と人を繋ぐ、心の深奥に根ざした深い愛。


「この精神世界では、居る人間の感情が外界よりもダイレクトに発露する。だけどそれを抜きにしても、君たちの『絆』は興味深いね。ある意味では尊く、またある意味では無責任で、決して解けぬ鎖のよう……」


 セトの評価にトーヤは俯きかけるが、エルは違った。

 彼女は前を向き、青年をまっすぐ見据える。


「どう評価してくれても構わないさ。私の価値は私が決める。私が持つ絆の意味や、トーヤくんとの間にある全部の価値は、私の主観で定められる」


「自分にとっての神は自分、君はそういうのかい?」


「神が世界を主宰する者、という定義ならね。私が生きる世界は、あくまでも私の世界なんだから。私以外の人はみんな虚像で、実はゾンビみたいなものかもしれないだろう?」


「嗚呼、ナンセンスだね。この世界は【神】が管理するシステムによって動いている。それが真理だというのに……」


 何をもって世界を定義するか、何が価値を決め、何が真理なのか――少女と青年の問答は噛み合わなかった。

 噛み合っては、ならなかった。

 自らの意思を貫かんとするエルの姿に、トーヤは思い至る。

 この空間では『感情』の強さが物を言うのだ。セトが『感情』に拘るのも、自身の思想を語ったりトーヤの精神を暗く沈めようとしたのも、そのためだった。

 セトに勝つ糸口はそこにある。

 ならば――。


「セトさん。僕は、あなたを『知りたい』。あなたと僕のどこが同じで、どこが違うのか。何が僕らを分けているのか、それを知りたいんです」


 トーヤの顔つきが、変わった。

 痛みを乞う懺悔の表情は既にない。真摯で純真な知識欲だけが、その眼差しには込められていた。

 セトはトーヤの請願に、躊躇うことなく応じた。教えを求める者に考え方を説くことを拒むのは、彼の生き方に反しているから。



 セトはトーヤの問いに幼さを感じた。

 かつて彼も持っていた、自己と他人とを比較して自らの価値を知りたがる欲。

 それは誰もが持つ欲望だ。そのために悩み、そのために努力し、そのために戦うことさえあるほどの、普遍的なものだ。

 

「トーヤ君。他人と自分との違いを意識することは間違いではないけど、別に重要なことでもないんだよ。結局のところ、自己同一性アイデンティティは個人の内面で決定づけられるものなのだから」


「じゃあ訊きますけど、誰にも接触できない空間で赤子の頃から大人まで育った人がいたとして、その人の自己同一性アイデンティティはどんなものになるんですか」


 すかさず鋭く返される。

 言葉選びや反論の仕掛け方が、やはり自分と似ている。そう感じてしまい、セトは思わず首を横に振った。

 他者を意識することは個人を揺らがせ、精神の均衡を崩すのだ。これでは、思春期の少年と同じ土俵に上がることになってしまう。


「その人の先天的な性格が大いに影響するだろうね。ただ、その人が自分のことを幸せだと感じられるかは分からない。誰にも触れられないということは、言葉や文字、文化を知る機会もないということなのだからね」


「知らないことが不幸だと、あなたは信じているんですね」


「当たり前だろう? 情報がこの世界を統べている、といっていいくらい、それは大切なものなのさ。知識の集積があって技術は発展する。文化もそれまでの歴史が伝えられて育つ。知らなければ、いつまでも未熟なままさ」


「知識は歴史の中で積み上がってきたもの。では、その全てを世界ごと破棄してしまうのは誤りではないんですか? 未来を目指すために過去を葬ることが、本当に正しいだなんて僕には思えません。

 人は、過去から学ぶものだから。今の僕があるのも、消したくて仕方のない過去があったから。感情では消したいほどの過去でも、それを経たおかげで成長できたと胸を張って言える!」


 トーヤの表情は、最初に問いかけてきた時から変わっていない。

 毅然とセトを見据え、静かに目で訴えている。――答えろ、と。

 知を重んじるならこの問答から逃げられるわけがないだろう、彼の思惑はそんなものであろう。


「誰が望んで世界を壊す? 僕だって、叶うのならば破壊に頼ることは避けたかったさ。だけど、いくら願っても、いくら祈っても【神】は応えてくれなかった。過去に【神】が確認されたのは【ユグドラシル】が崩壊した時だけ。ならば当時と同じ状況を演出してやろうというのは、考えとしては真っ当だと思うけどね」


 過去を尊重し、そこから学んだ結果、見いだせた手段はそれしかなかったのだとセトは語る。

 千年を超す時の中で、世界中の遺跡や文献を調査し、各民族の伝承を聞いてもなお、【神】への手がかりは何一つ見つからなかったのだ。

 

「なぜ、あなたは【神】を頼るんですか。自分の知を、信じられないからですか」


 少年の問いの意味を、セトはすぐに理解することができなかった。

 ――信じられない? 僕が、僕を?

 有り得ない。有り得ないはずだ、とセトは呟く。

 だが、本当にそうなのだろうか? セトは自分を疑うことは決してなかったが、では、信じることはどうなのか?

 考えたこともなかった問いに、青年は初めて言葉に詰まる。

 

「ぼ……僕の知には無二の価値がある。僕はこの世界で誰よりも知識を抱え、力を持つ存在だ。【神】は利用する対象に過ぎない。縋ってなどいない」


 そう早口にまくし立てるセトに、トーヤは声を被せるように言葉を吐く。

 

「あなたは僕と同じだ。違うけど、同じなんだ。あなたは嘘つきで、偽善的で、自分の使命とは別に欲望を持っている。そうなんじゃないですか」


 ――この子は何を言っているんだ?


 セトには、少年の声が壊れたラジオのノイズめいた音にしか聞こえなかった。

 嘘、偽善、欲望――そんなものが、絶対の叡智を誇るセトにあるわけがない。

 彼は知識が得られればそれで構わないのだ。行動は、全てそのための手段に過ぎない。

 

「君が何を言いたいか、僕には分からないな。確かに僕は君の先祖であり、見た目も似てるけど、君とは別人だよ」


「セトさん。あなたが知らないことを、僕は一つ知ってます」


 ちらつかされたカード。

 食いついてはならないと理性が鳴らした警鐘は感情に無視され、青年は手を伸ばしてしまった。


「なんだい? 言ってごらん」


「あなたは『あなた自身』を知らない。インプットに傾倒して自己表現アウトプットをして来なかったあなたは、自分の本心を見ていないんだ」



 僕の目の前で、僕と鏡写しの顔をした青年が瞠目する。

 その眼はすぐに怒りを孕んだ睥睨に変わった。

 他人に知ったような口で自分を評価されれば、誰だって嫌だろう。だがそれを隠せず発露してしまうのは、幼さの表れだ。


「僕に知らないことがあるのは認めるよ。それを知るために【神】を降ろすのだからね。だけど、僕の内面について君に評価されるのは気に食わないな」


 感情。心。精神。

 それは決して、幸福を生み出すのに一途な存在ではないんだ。

 時に自分を傷つけ、損ない、殺してしまうこともある、歪さを持つものなんだ。

 幸福は書物でいくらでも想像できる。でも、痛みは違う。身体の痛みも心のそれも、字を追うだけじゃ本物を理解できない。

 それを知らずに賢者を気取るな。上ばかり見るな。知識があるならそれを使って辛い思いをしている人を助けてみせろ。人が何のために知恵を蓄えてきたのか、思い返せ。


「……あなたは、自分を強くみせたいから知識を求めてるんだ。敗れたくない、死にたくないから、自己防衛のための知識を探しているんだ。世界をより良くするために【神】を下ろすだなんて、詭弁だ」


【神】の知恵さえあれば世界は変わる――【神】を降ろす正当な論拠としてセトさんが挙げたそれは、彼の本心とはズレている。

 人は何かを守るために嘘を吐く。

 そして、彼は嘘つきだ。


「こちらに降りてきてください、セトさん。僕と同じ立ち位置になることが怖いだなんて、言いませんよね」


「まさか」


 膨れ上がり冷めないプライドに、僕はちょっかいをかけてみた。

 白い素足を虹色の水に浸けた青年。

 僕の瞳と彼の黒い瞳が交錯したその時、僕は微笑んだ。

 僅かに、揺らぐ瞳。微動する唇。

 それを見つめた瞬間――互いの距離を詰め、両腕で彼の胴を僕は抱き留めた。


「なっ……!?」


 セトが驚愕の声を漏らす。


「トーヤくん――」


 エルが密やかに僕の名を口にする。


「ちょ、直球だな、少年」「ええ……でも、セトの精神をかき乱すには抜群だわ」


 意外にも動揺しているらしいノアさんと、手応えを感じて声のトーンを上げるシルさん。

 僕はセトさんの額に自分の額を突き合わせながら、言った。


「独りじゃ知られないことも沢山あるんだって、知ってほしいんです。誰かが側にいてくれる温かさ、心を満たす愛情……それはきっと、尊ぶべきものだから。人と人を繋ぎ、心という『可能性』を育てる大切なものだから」


【神】が世界を管理する機構であり、そこに人格性がない――エルたちが目撃した【創造主】は無数の手を伸ばす実体の掴めぬ光輝であり、言葉などは発さなかった――としたら、おそらくセトさんに【神】は何ももたらさない。

 起こされた世界の破壊を粛々と止め、破損箇所を修正する。それだけだろう。

【神】はあくまで世界を管理するだけで、そこに暮らす人に何かを与えたりはしない。それが一個人だとしたら、なおさらだ。 

 

「セト、さん……」


 それをセトさんに伝えるかどうか、僕は迷った。

 目的のために生涯を費やしてきた人に対し、その目的を根底から否定するようなことをしてしまえば、二度と立ち直れない傷を負うかもしれない。

 ここで彼を挫かせれば、【使徒】の暴走も止まる――分かっていても、あまりに冷たい青年の身体に触れていると、それを手折るのは残酷すぎる気がした。



 紅の髪を散らしながら、女の細い肢体が地に墜ちる。

 その身体を両腕に抱いて、嗚咽を堪える青年がいる。

 鞭を持っていた女は黒い魔弾に撃ち抜かれ、土の防壁で傷ついた妹たちを守らんとした女は、防壁ごと巨大な闇に呑まれて「消去」された。

 獣人の少年は歯をガタガタと鳴らし、震えていた。


「みんな……消えちまった。俺が動ければ、守れたかもしれなかったのに――」


 サタンの【神化】を発動したイヴを倒すためにベルザンディの魔法を発動したジェードには、もう戦えるだけの魔力が殆ど残っていなかった。

 彼は【使徒】を追いかけるので精一杯で、攻撃に移れもしなかった。それは、他のノルンの【神器使い】であるシアンとユーミも同様だった。

 歴戦のマギアの【神器使い】たちが、目の前で死んでいった。【使徒】の標的となった者たちを、誰ひとり守れなかった。

 かろうじて敵の攻撃を避け、今も戦い続けているアレクシルとアダマスの魔法も、致命打にはなり得ない。先の戦いでの魔力消費が、かなり足を引っ張っている。


「なぁ、シアン……俺たち、戦うべきなのか? 逃げたほうが、得策なんじゃないか? 今の俺たちじゃ勝てない。勝てないのに立ち向かうだなんて、意味がない」


「どうして、そんなこと……トーヤたちは今も戦ってるのに、私たちだけ逃げるなんてできません! あと少し、あと少しだけ時間があれば、魔力が回復してあの敵にも抗えるはずなんですから!」


 獣人の少女の叫びが虚空に響く。焦りを孕んで乱れる呼吸、浅く上下する胸。そんな彼女の肩を掴み、視線を合わせてジェードは唸る。


「あと少し、ってどれくらいだ? お前は今までの訓練で何をしてきたんだ? ノルンの大魔法を撃ってから次のそれを撃つまでのインターバルは、一時間だ。その間、味方が死んでいくのを見ているだけなんて……俺には、できない」


「あたしも、ジェードと同意見だわ。できることがないのに戦場にいても仕方ないじゃない。これは逃げなんかじゃない……正しい判断の下で行われる、撤退よ」  

 

 浮遊魔法を発動する余裕もなく荒野に立っている二人の獣人と、巨人族の女性。

 二人の訴えにシアンは反駁の言葉を見つけられなかった。気持ちだけが先行して、身体も頭も追いついていない。時間だけが流れ、【使徒】との距離が広がり続ける中、彼女は諦めを認めざるをえなくなった。

 

「ごめん、なさい……ごめん、なさい……」


 項垂れて謝罪するシアンの肩を後ろから静かに抱き、ジェードは彼女を振り返らせた。

 彼女の手を握り、自身も踵を返して歩き出す。後悔と無力さを噛み締めながら。

 と、その時。

 ユーミは空に過ぎった黒い影に気づき、声を上げた。


「ねぇ、あれ……もしかして――」


 獣人二人も空を仰ぎ、その存在を見た。

 ――翼だ。漆黒の三対の翼を広げ、悠然と空を翔ける堕天使ルシファーの翼。


「まさか、ノエルさん……!?」

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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