47 終わる世界
三国同盟とマギア帝国は、ともに停戦を決定。
たった一日、しかし大量の死者を出した戦争は、これにて幕引きとなった。
『魔導砲』や『天空要塞』、【神器使い】といったマギアの最新の力を全て注ぎ込んだこの戦は、『北方大戦』として歴史に刻まれることとなる。
その時、両陣営の誰もが無事に事態は終結したのだと思っていた。
が、しかし――誰しもが望まない形で、その【使徒】は天より舞い降りた。
「あれは、一体……!?」
エミリア・フィンドラは見上げた空に映る人型のモノを確認し、瞠目する。
黒い翼を広げ、赤く光る眼で大地を睥睨する人に似た巨大な姿。身体の全体が血に濡れたような赤色で、ゴツゴツと角ばっている。
『オオオオオオオオオオオ――――!!』
獣の如き咆哮を上げるセトの【使徒】は、広げた掌を荒野へ向けてかざし、無造作に漆黒の光線を撃ち放った。
直後――エミリアらの眼前で、乾いた大地が揺らぐ。
ただ揺れただけならば、まだ良かった。彼女らが目撃したのは未知の現象。その光線が照射された地点が一瞬激しく瞬いたかと思えば、次には虚無を体現するような黒に変わっていたのだ。
「……やはり、何かがおかしい。何か、何かが狂って――」
エミリアの声は否応なしに震えた。
トーヤたちが帰還しないことと、この人型の怪物の出現が無関係であるとも言い難い。ともかく今は対処しなくてはならない敵が現れ、エミリアたちは戦いを余儀なくされている。
「残念ながら、我々の共同戦線は終わってなどいなかったようだ」
アレクシルは真紅の魔神を仰ぎ、忌々しげに呟いた。
彼と同時に【神化】を再び発動したアダマスは無言で頷くと、即座に【雷霆】を射出する。
最強の【神器使い】が撃つ、雷一閃。
雷鳴が轟き、青白い閃光が着弾した側から敵を呑み込んでいく。
「よし、これなら……!」
アダマスの雷霆に倒せぬものはない。
ロンヒは早速勝負が決まったか、と拳を振り上げるが――
「いや、まだだ」
帝には手応えを感じられなかった。
彼の感覚は正しく、雷光が収まった後に天空に立っていたのは、攻撃を食らう前と一切変わった様子の見られない赤き巨兵であった。
「無傷!? 陛下の技が通じないなんて、ありえません!」
モナクスィアの悲痛な叫びに、アダマスは深い皺の刻まれた目元に苦渋を滲ませた。
彼の隣ではアレクシルや他の【神器使い】たちが攻撃魔法を斉射しているが、それも悪あがきにしかならないのだろうと帝は悟る。
赤い体躯を空中で反転させ、【使徒】は進路を東へと定めた。
迫りくる炎や雷、光の攻撃を意に介さず、破壊の化身は一直線に空を翔けていく。
「あいつを追うのよ!! さっきの魔法が市街地に放たれる前に、何としてでも止めなくちゃならないわ!!」
ミラ・スウェルダは喉が張り裂けんばかりに絶叫し、大地を蹴って空へ飛び立つ。
【神化】で白くなった髪を風に乱し、彼女は切迫した形相で敵を追走する。
これ以上、市民を死なせるわけにはいかない。彼らに理不尽な死を強いてしまったら、ミラの心は立ち直ることも不可能なほどに引き裂かれてしまう。女王として、それだけは防がなくては――自分の生きてきた意味さえも、否定されてしまう。
『オオオオオオオオオッ――!』
【使徒】のあぎとが開き、牙の並ぶ口内が露わになる。
その異形は体内で生成された漆黒の魔力弾を呼吸するように次々と吐き出し、投下していく。
落下、着弾、破裂。
無作為に広範囲へ撒き散らされた魔弾の全てを防ぐことは、わずかな【神器使い】にできるはずもなく。
大地が、川が、丘が、荒野とそこにいた動物たちが、そして小さな村一つまでもが、黒き魔力を浴びた側から虚無と化した。
「なんてことを――」
エールブルー近辺の地図は所々黒塗りにされ、もはやミラの知る光景はなかった。
一部分が黒く切り取られた川は、水の流れゆく場所を失って氾濫する。【使徒】を指差して騒いでいた村の子供たちは、黒に呑まれて跡形もなく消失していた。
――なぜ、私の大切なものばかりが奪われるの。どうして、神は私にこんな苦しみを課すの。
父も、兵たちも、無辜の民たちも、彼女が恩を返す前に死んでしまった。
彼らには何の罪もなかったのに。
彼らはミラを支えてくれた。ミラを愛してくれた。未熟だった彼女を温かく見守り、次代を担う王女として認めてくれた。
――まだ、彼らにしてあげなくちゃいけないことは、数え切れないほどあった。執務にいっぱいいっぱいでお礼もろくに言えていなかった。それ、なのに……。
世界がそう理不尽を強いるなら、そんな世界はクソ喰らえだ。
命を駒として扱い、ゴミのように捨てるのが咎められないのだとしたら、そんな規則は破り捨ててしまえ。
「ああああああああああああッッ!!」
絶望と激情に心を委ね、ミラは吼える。
割れ金のごときその声は、彼女の恨みの全てだ。
レイピアを構え、突き出す。純白の光が剣先に瞬き、一条の光線を【使徒】へと射出する。
「これ以上、私から奪わないで! 消えて、消えて、消えてよ! あんたみたいな存在は、この世界にいちゃいけないの!!」
少女が背負うにはあまりに重い、死の数。
押し潰される痛みに涙は止めどなく溢れ、少女に光線の乱発を強いた。
狂乱する彼女が撃った光線は【使徒】の肉体を穿ち、胸部に穴を開けるも――
「あ"ッ……!? や、やだっ――離して、離しなさいよっ……!」
振り返り、肉薄。
踵を返した刹那、【使徒】はその腕を伸ばしてミラの胴体を鷲掴みにした。
金属質な指の隙間から逃れようとしても、圧倒的な膂力の前には少女の力などないも同然である。
――死。
理不尽に奪われ、救われることもないまま、ミラ・スウェルダは漆黒の魔力に呑まれ、消去された。
*
「――【三位一体の剣】!」
少年が繰り出すのは【グングニル】、【テュールの剣】、【白銀剣】が一体となった最強の剣。
軍神の剣の特性を反映し、斬撃を「飛ばす」力を持つその武器は、空中に浮遊するセトへ一撃を浴びせる。
「効かないさ」
青年へ肉薄した斬撃は、彼の白い肌を裂く直前に【絶対障壁】により阻まれた。
エルの光の矢も、シルが呼び出す【氷炎龍】の牙も、ノアの風の刃でさえも、セトの肉体には届かない。
四人の攻撃はことごとくが黒い障壁に弾かれ、青年に一切ダメージを与えられずにいた。
「……時間の猶予はないってのに……」
己の無力を思い知らされ、ノアは唇を噛む。
そんな彼女にエルは努めて明るい声音で呼びかけた。
「大丈夫、私たちならきっと勝てるさ! パール先輩もハルマくんもいないけど、【ユグドラシル】時代から私たちは最強のパーティーなんだから! そのメンバーにトーヤくんも加われば、敵なんていない!」
士気を失ったら終わりだとエルは分かっていた。
シルの龍たちの爪牙が青年の防壁に何度拒まれても、トーヤやノアの刃が何度跳ね返されても、諦めてはならない。
エルの武器は、その明るさとハングリーさだ。親を失う痛みを知ってからの彼女は、どんな絶望からも這い上がる力を手に入れた。無力に屈してしまう前に、形だけでも明るく振舞うことでそれを回避する術を会得した。
「私がみんなに魔力を分けてあげる! 【絶対障壁】が絶対なんかじゃないってこと、あのセトに思い知らせてやろうよ!」
「うん、そうだよ! 個々の攻撃が通じなくても、力を結集させれば――!」
エルの支援を受け、全身に温かな緑色のオーラを帯びたトーヤは、シルとノアと顔を見合わせて頷く。
「やっぱりあんたは凄い子だよ、エル。あんたの言葉を聞いてると、不思議と勝てる気がする」
「当然よ、私の自慢の妹だもの。――トーヤ君、あなたの剣に私たちの魔力を乗せるわ!」
胸に灯った炎を加熱させ、ノアとシルは勝気な笑みを浮かべる。
エルの声で士気を取り戻した四人を見下ろすセトは、興味深げに目を細めた。人の感情や言葉が肉体や精神に及ぼす効果――それを知っていてもなお、彼は驚かずにはいられない。
セトには、その相乗効果を発揮できる仲間がいなかったから。過去にセトと共に生まれた十一人の魔導士たちは、セトを同胞だと認め、契りを交わして子を儲けもしたが、本当の意味での信頼はそこにありはしなかった。彼らは王者となったセトの位を簒奪しようといつでも機を伺っており――暗殺に失敗した者から順に、原因不明の死を遂げていた。
「僕は母さんのように、人の心を否定したりはしない。心があるから人は表現する。表現というのは人を豊かにする。たとえば、歌とかね。単純な音の重なり、繋がりなどではなく、感情がこもって初めて歌は『歌』としての形をなす。魔導士が詠唱するのも、そうした方が感情を込められるからだ。『感情』の高まりは人にさらなる力を、可能性を与える」
セトは組んでいた足を解き、見えない足場の上に起立した。
見下ろした身体は、全部が彼の可能性だ。腕は何かを作る。足は何処へでも彼を運ぶ。喉は声による表現を実現し、頭は想像によって何でも生み出せる。生殖器だって子孫を増やすための立派な武器だ。
人は皆、可能性を持っている――それがセトの持論だ。
貧富の差、能力の差、年齢の差、種族の差。そういった「差」とは関係なく、誰もが可能性の芽を抱いて生きているのだ。
それでも格差は埋まらない。満たされない者たちの怨嗟の声は収まらない。それはイヴですら解決できなかった問題だ。
「『感情』は人と人を繋げる。繋がりは力となり、時に巨大な権力をも打ち砕く。それはとても素晴らしいことだと思う。【神】との接続が叶えば、人の心や脳の持つ『可能性』の全てを紐解けるんだ」
トーヤたちが詠唱しているのを悠然と眺めながら、セトは独り演説を続ける。
彼は常にこうだった。誰が聞いていなくても、自分が崇高だと感じる考えを表現した。彼は思考を言葉にして練り上げることが、何かを生み出す手がかりになりうることを経験則で理解している。
「僕らには、僕らの知らない『何か』が眠っているかもしれない。それを知ってみたいと、君たちも思わないかい? 僕は思うんだ――どんな犠牲を払ってでも、それは得るべき知識だと。【神】を降ろすための犠牲と釣り合う、いやそれ以上の人類の発展がもたらされる。ここまで聞いて、君たちはまだこの世界に拘るのかい?」
「――拘ります。この世界に僕らの大切な人たちがいる限り、彼らの暮らすこの世界を全力で守る!」
トーヤの【三位一体の剣】の刃は、ノアの風とシルの虹色の魔力が激しい渦となって纏っている。
両手で大剣の柄を握り、大粒の汗を垂らしながらあらん限りの魔力をそこに注ぐトーヤは、自らの信念を言葉に変えてセトへぶつけた。
「僕らはこんなにそっくりな見た目をしてるのに、どうにもそりが合わないようだね。まぁ、いいさ。所詮は子供、この理想の崇高さが分からなくても無理はない」
「子供だからって見下さないでもらえますか? 僕には僕の理想があり、正義がある! あなたと同じ土俵に立てる、一人の男です」
せせら笑うセトを睨んでトーヤは強い語気で言い切った。
青年は表情を改め、少年へ軽く頭を下げてから訊ねる。
「それは悪かった。じゃあ謝った上で言うけど、君は【神】に祝福された人間なんだ。物語の主人公として彼に設定された恩に、彼のもとへ赴くことで報いたいとは思わないかい?」
「思いません。第一、そんな【神】なんて存在しませんから。あなたは【神】が存在する証拠でも持っているんですか」
「物的証拠はないさ。だけど、【神】の存在はそこにいるエルが視認している。【ユグドラシル】の神々の多くもね」
「エルや神様たちからそんな話を聞いた覚えはありません。【神】なんて、あなたの妄言なんじゃないですか? 二千年も生きたから、現実と妄想の違いも分からなくなったんだ」
「はぁ、言ってくれるじゃないか。何も知らない坊やのくせに」
少年と青年の論争もとい口論を、エルは焦りを滲ませた表情で見つめる。
屁理屈を並べ立て捲し立てる様子は、彼の前世であるハルマによく似ていた。そこに少しの懐かしさを抱きつつも、危うさの方がやはり勝る。ハルマが理詰めでなく屁理屈に頼った時は、理論で説き伏せられない相手だけだった。【創造主】がいないなど詭弁だ。そう言い張るには、その姿を見て後世に伝えた者の数が多すぎる。
少年の頬に、汗が一筋垂れる。歯を食いしばり、魔力を最大限まで溜めた彼は、それを解き放つ瞬間を静かに待っていた。
そして、セトもトーヤの魔法が完成するのを待ち構えていた。『英雄』『特異点』『物語の主人公』――【神】によってそう定められた唯一の存在の全力の技とはどのようなものなのか、青年は体感したかった。
「今を守らなければ、繋がる未来なんてない! 破壊でもたらされるのは進歩なんかじゃない、過去への後退だ! 【ユグドラシル】の高度な文明の水準に千年経った今でも到達できていないのに、ここでまた壊してしまったら逆戻りじゃないか!」
少年は叫ぶ。あの悲劇の二の舞だけは演じてはならないと、【ユグドラシル】の歴史を知る数少ない現代人として訴える。
「それは破壊の果てに何もなかったからだ。今度は違う。その先には【神】がおり、彼は僕らの『可能性』を芽吹かせる。【神の知恵】があれば、世界の文明レベルは【ユグドラシル】をも超えられるのさ」
セトは後退の可能性を否定した。トーヤはその言葉に反駁しようとして、逡巡を余儀なくされる。【神】の御技を否定する理屈など、果たしてあるのだろうか。全知全能たる【神】の不足を指摘することなど、できるのか?
そのパラドックスに少年が歯噛みする中――ノアは彼の尻を叩いた。
「づッ!?」
「一旦頭を空っぽにしな! 自分の信念に従い、見える道だけを見据えていろ!」
尻に走った痺れるような痛みは、トーヤの目を覚まさせるには十分だった。
女傑の叱責に冷静さを取り戻した彼は、両隣に立つノアとシルに目配せする。
悠然としているセトはこちらの攻撃を避ける素振りを微塵も見せていない。両腕を広げて「いつでもおいで」と言わんばかりの彼に、これ以上の魔力の蓄積は必要ないと判断し、少年は号令をかけた。
「ノアさん、シルさん、エル! みんなの思いを込めた一撃を、ここに放つ! ――【三位一体の剣・斬】!!」
大上段に振りかぶった剣に全体重を乗せ、渾身の一刀を閃かせる。
風と光、そして力属性の魔力が一つとなり、大斬撃と共にセトを襲った。
「――来たね。【使徒への接続】」
彼らに対し、セトが用意していたのは。
彼らが最も望まない展開を現実にする、彼だけの秘術であった。
*
三色の光が瞬いた直後、エミリア・フィンドラはそれが自分へと向かってきていることに気がついた。
空間が歪んで見えるほど、魔力を激しく揺らがせながら迫る一刀。
その技に少女は見覚えがあった。
――確か、あれは――。
嗤うメイド服の女性と、【神化】の少年が剣を振るう光景が脳裏によぎる。
そうだ。あの女に止めを刺した武神の一刀と、この斬撃のごとき光は似ているのだ。
それが何故なのか、知らせることもなく――エミリアの防壁魔法を食い破って、その刃は彼女の柔い肉体を犯した。
「……トーヤ、君……ッ」
身体を焼く熱も、肉が裂かれ骨が断たれる痛みも、もはやエミリアにはどうでもよかった。
彼女はただ、自分に光を見せてくれた少年のことを想った。
『あなたには王様を盲信せずに、諫められるような人でいてほしい』
『は、はい――って、わっ!?』
『いいよ、さあ――おいで』
『悪魔を討つ使命を果たした後も、僕はあなたたちと共にいたい』
王との関わり方を案じた、真剣な顔。
エミリアが突然抱きついてびっくりしていた、可愛らしい顔。
葡萄酒の酔いに任せてキスをする前の、甘酸っぱい顔。
未来を語る、光に満ちた顔。
そのどれもが愛おしい。叶うのならばいつまでも彼の側にいて、その横顔を見つめていたかった。
――なぜ、でしょう。痛いのに、苦しいのに、どこか、温かい……。
魔力に込められた少年とシル、ノアの思いは、エミリアから命を刈り取る瞬間に彼女を優しく抱いていた。
閉じた瞼から涙が零れて散る。少年たちの無事だけを祈ったのを最後に、エミリア・フィンドラはその意識を永遠に手放した。
「エミリア――――ッ!!」
青年の悲痛な絶叫が、虚空に響き渡った。
上半身と下半身を分断され、紅の花弁を散らしながら落下していく少女。
それが妹だと、兄は認めたくなかった。だが、彼の理性はその現実逃避を許さない。
エミリア・フィンドラは死んだ。【使徒】の放った未知なる攻撃によって。
彼女は【使徒】を追走し、エールブルー沖上空でようやく追い縋れたその時、振り返った【使徒】の光を帯びた斬撃を浴びた。
先程までの黒い魔力の乱射とは比較にならない速度と、威力。エールブルー周辺の大地を黒く塗り替えてしまうだけの魔法を吐いた後にも拘らず、その消耗を感じさせない大魔法であった。
「待て、エンシオ! お前の力では――」
「うあああああああああああああああああああああああああああああああッッ――――!!?」
父の制止は彼の耳に届くこともなく、その慟哭に掻き消えた。
魔力を燃やし、空を蹴って加速するエンシオは刹那にして赤き魔神との距離を詰める。
暴れ狂う感情に身を委ねた彼は、妹の敵を討たんと刃に瞋恚の炎を灯し、振り下ろした。
燃え盛る剣身が【使徒】の頭部に肉薄、その脳髄をかち割ろうとして――
「くっそぉおおおおおおッッ!!」
発現した防壁がその刃を阻む。
激情の炎に押され、魔力壁の光芒が波紋を描く中、青年は半狂乱の叫喚を上げた。
【使徒】の牙の並ぶ口が、歪に曲がる。それはあたかも、エンシオの無力を嘲笑っているかのようだった。
――負けて、たまるか! エミリアの敵は、俺が取らなきゃいけないんだ!!
汗と唾を飛ばし、憎悪の化身となった青年は脳が焼ききれるほどの魔力を【神器】に注ぎ込む。
心臓が肋骨を叩き割ってしまいそうだ。剣を握る腕は迸る魔力に耐え切れず痙攣し、汗は滝のように流れて止まる気配を捨てていた。
その時、彼は聞いてはならない音を聞いた。
何か硬いものに亀裂が走るような、ビキ、ビキという音だ。
「そん、な……【神器】は、不壊の武器である、はずなのに――」
砕けるのは一瞬で、呆気なかった。熱量と魔力の負荷は許容量を大幅に超過し、【勝利の剣】は何を遺すこともなく持ち主の元を去った。
【使徒】の手には、黒い魔力。
掴まれ、握り締められたエンシオ・フィンドラという青年は、この瞬間、【アナザーワールド】と名付けられた世界から存在を削除された。




