17 シアン
「トーヤさん、おはようございます」
シアンがにっこり笑顔で、部屋から出てきた僕を迎えた。
「おはよう、シアン。今日は早いね」
「そうですか? 私もルーカスさんに同行を許可されて、少し浮き足立っているのかもしれませんね」
シアンは、尻尾を嬉しそうに振る。なんとも可愛らしい。
僕は昨日の出来事もあり、殆ど眠れていなかった。鏡で自分の顔を見てみると、目の下に濃い隈が出来ている。
「トーヤさん、どうなさったのですか? お元気がないように見えます」
「あまり眠れていなくてね。まあ、なんとかなるさー」
僕は大欠伸をする。侍女長とモアさんの顔を思い浮かべ、頭をシャキっとさせようと頬を叩いた。痛い。
「あまり強くやるのは良くないですよ? ……今日は私と同じ担当でしたね。少し早いですが、一緒に朝食を取りに行きませんか?」
僕は、頬を叩いてはっきりしだした意識で頷いた。シアンが僕の前に立って食堂へと向かい、僕はついてゆく。
シアンも、中々仕事が板に付いてきていた。てきぱきと丁寧に働く姿は同僚や上司達に高く評価されている。
僕はシアンと一緒に座り、朝食のパンを食べる。このパンは使用人たちが昨日作って一晩置いておいたものだ。とっても美味しい。
「トーヤさん、実はそのパン、私たちが作ったパンなんですよ」
シアンが少し頬を染めて言う。
「へえ、そうなんだ。凄く美味しいよ。ありがとう」
僕はシアンに笑いかける。シアンの顔がリンゴのように赤くなった。
僕が見ていると、シアンは恥ずかしそうに目を逸らし、マグカップに手を伸ばした。
シアンは熱々のスープをごくりごくりと飲み干す。この熱さのスープを一気飲みするとは、この子凄いなあ……。
シアンは溜め息をつき、僕から目をそらして言った。
「……トーヤさんは、気付いていないのですか」
「えっ?」
僕はよくわからず聞き返した。
シアンは、囁くように言う。もごもごしててよく聞き取れない。
「トーヤさん……あの、その……トーヤさんには、す、すっ……好きな、女性は……い、いらっしゃらないんですか?」
シアンは上目遣いで僕を見る。可愛い。
「うん。いるよ」
「……! それは、どなたなのですか?」
シアンは僕にぐっと詰め寄る。僕は答えた。
「まず一番はエルかな。エルは僕の家族みたいな人だから。……も、勿論シアンたちの事も大好きだよ!」
エルの名を出した途端、シアンががくっと落ち込んだ表情になったので、僕は付け足す。
まぁ本当の一番は死んだ妹なんだけど、それは言わずにおいた。
「へぇ~。そうなんだ」
ドンと朝食の載った盆をテーブルに叩き付けたのは、ダークエルフのベアトリスさんだ。
黒い長髪に、褐色の肌。大人っぽい雰囲気をかもし出す彼女は、以前僕の背の上に乗ったことがある。結構重い。
「あんた、幸せもんだね。こんなに多くの女性があんたに好意を寄せてくれてんだからさ」
ベアトリスさんは僕の隣にドカッと座り、僕はシアンとベアトリスさんに挟まれる形となった。
「多くの女性って、具体的には何人くらいなんですか……?」
僕は恐る恐る訊く。
ベアトリスさんの口からは、衝撃的な数字が飛び出してきた。
「うーん、まぁざっと10人くらい? 昨日誰があんたを取るか大いに盛り上がった」
ええ……本当なのかな。
ベアトリスさんはよくひどい冗談を言う人なのだ。にわかには信じがたかった。
「ほんとだって、何なら後でシェスティンに聞いてみなよ。あれも確か、あの談義に加わってた筈だから」
「そ、そうですか……」
僕はちょっと引き気味に呟いた。
ベアトリスさんは僕に耳打ちする。
「今日、あんたシアンと買い出しの仕事あったよね? 買い物に行くついでに、シアンにプレゼントの一つでもしてあげれば?」
僕はシアンをちらっと見る。彼女に今の話は聞かれていないようだった。
「サプライズ、ってやつですか?」
「ああ、そう。男を見せてやりな」
「お二人共、一体何を話されているのですか?」
シアンに訊かれ、僕は慌てて応える。
「いや、何でもないよ!」
シアンは首をかしげた。
「トーヤさん、今日は『何でもない』が多くないですか? 隠し事は良くないですよ?」
「いや、ほんとに何もないから。大丈夫だよ、心配しないで」
「そんな言い方されると余計に心配になります。何かあったら、私が聞きますから、いつでも言ってくださいね」
「え、うん……。ありがとう」
ベアトリスさんがニヤニヤして僕を見ていた。
『その顔はやめてください』
『何? 別にいいでしょ』
僕とベアトリスさんは目で会話していた。
目で通じるって僕たちかなり繋がってる感じじゃないかな? でも相手がベアトリスさんだから何か怖い。
「何か言った?」
「いえ何も」
やっぱりこの人怖い。モアさんもそうだけど、この人も結構ヤバい。
不思議そうな顔のシアンをよそに、ベアトリスさんは立ち上がった。もう食べ終わったらしい。
食べるの早いなーこの人。全部丸飲みしちゃったんじゃないの。
ベアトリスさんに睨まれた。とりあえず、すみませんと心の中で謝っておく。
「じゃ、じゃああたし行くから。あんた達も、頑張りな」
「はい、ベアトリスさん!」
シアンが元気よく返事する。僕も声には出さず同じことを考えた。
「トーヤ……あんたねぇ」
「すみません。僕、頑張りますから!」
* * *
時間が来た。朝一番に僕らはある商品を仕入れて来なければならない。
朝七時の市場、そこで売られる珍しい食材。
その名を、タコという。
僕は食べたことは無いが、リューズ家では月一回、必ずこれを食べるのだという。なんでも食感が良く、焼くととても良い匂いがするのだそうだ。
僕とシアンは、侍女長からお金を預かり、二人で市場にやって来ていた。
「凄く人が多いですね……圧倒されます」
「うん……僕、ちょっとこういうの苦手かな」
市場は、人、人、人と、とにかく人が多い。
僕らはガヤガヤと騒がしい人の波を掻き分け、目的のタコ売り場へ向かう。
内陸部のストルムでは、海で採れるというタコはまず食べられない。しかし近年、遠い南東の魔導国家『マギア』からもたらされた、魔法で冷凍保存し運ぶ技術のお陰でここストルムの市場でも遠い国の海の幸を手に入れることができる。
「おじさん、タコください!」
僕は市場のタコ売りのおじさんに声をかける。
「いくら出せるね?」
「3金貨で!」
市場のおじさんは目を丸くしたが、すぐに納得したように頷く。
「リューズさんの遣いかい? こんなにタコに金を出してくれるのはリューズさんくらいしかいないよ!」
おじさんはガハハと笑い、僕にタコの入った大きな容器を渡した。
ひとまず、これでこの仕事は終わらせた。
次は……。
「ねぇ、シアン。ちょっと、トイレ行きたくなっちゃった。これ持っててくれる?」
「え、トーヤさん?」
僕はシアンにタコを押し付け、走り去る。あまり時間を使ってはいられない。良さそうなのを、急いで見つけないと。
ストルムの市場には、北からの旅の商人もやって来る。彼らが持ってくる北の民の民芸品を、僕はシアンに買ってあげようと考えていた。
僕の初めての給料から切り崩して買うことになるから、なるべく安いものがいい。プレゼントは、値段ではなく気持ちが大事なのだ。
「ん……あれにしようかな」
僕はある店の前で足を止める。
「それ下さい!」
僕は買ったものを抱え、シアンのもとへ駆け足で戻った。
* * *
「トーヤさん、どうしたのですか? そんなに息を切らして……」
シアンは僕が持っているものに気付くと、目を丸くした。
「それはもしかして……私に?」
僕はシアンにプレゼントであるそれを手渡す。吐く息が、白くなっていた。
「うん。寒いし、必要だろうと思って、買ったんだけど……気に入って、もらえたかな」
僕は微笑んで言う。
僕がシアンに渡したもの、それはマフラーと手袋だった。
シアンは僕からのプレゼントをそっと身に付け、ぼうっと僕の顔を見つめた。
シアンは目に涙を浮かべていた。少しうろたえる僕に、シアンは耳元で囁いてくる。
「トーヤさん……。私、あなたのこと……」
「――好きに、なってしまいました」




