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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
最終章【傲慢】悪魔ルシファー討伐編/マギア侵略編

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34  人の正義、神の正義

 予期せぬ姉の登場にエルは目を剥いた。

 ノエルが倒される前、イヴに精神を支配されたシルはエルたちを襲っていた。完全にイヴに心を蝕まれてしまったものかと、彼女は思っていたのだが、眼前の女からは敵意を感じられない。

 

「姉さん……? 本当に、イヴじゃなくて姉さんなの……!?」


「正真正銘、私よ。かつてイヴに抗った【永久の魔導士】は、ここにいるわ」


 見つめてくる青い瞳は、過去の姉のそれと変わらない。

 だがエルは、やはり猜疑心を拭い去れなかった。

 イヴというのは狡猾な女だ。エルたちに近づき、油断させるために、シルの振りをしている可能性だって高いのだ。

 それが彼女の疑い過ぎだと証明するには、イヴが知らずにシルだけが答えを知っている問いを投げかけるしかない。


「…………ハルマくんの避妊具のサイズは?」


「一番大きいやつ。売ってる店も少ないから探すのが大変だったわね」


 イヴの知識の範疇にない質問を、エルには咄嗟にこれしか思いつけなかった。

 顔を赤くする緑髪の少女に対し、金髪の魔女はしみじみと懐かしむ。

 研究室に籠りがちなエルと付き合っているために滅多に学園から出なかったハルマは、遊び歩いていたシルに買い物をよく頼んでいたのだ。

 エルと同じく頬を紅潮させるシアン、何故か悔しそうな顔をしているジェード、苦笑するユーミと、見守る彼女らの反応は三者三様だった。


「聞いてきた当人が恥ずかしがってんじゃないわよ。さ、これで私が私だって分かったでしょ? トーヤ君の所まで急ぎましょ」


 妹へ挨拶代わりのツッコミを入れ、それからシルは遥か高みにある天空要塞『アイテール』を見据える。

 シルのトーヤとの関わりは、イヴに精神を支配されていた頃の僅かな時間だけだった。それでも、過去を語ったあの時、シルへの理解を表明してくれた彼の言葉は忘れていない。

 彼女にとっても、少年は既に特別な人になっていた。彼と共に歩む未来が見たい、と思えるほどに。

 

「イヴやリリスに心を乗っ取られてしまったからとはいえ、私はこの世界の人たちにも迷惑をかけてしまった。彼を救うことで、少しでもそのあがないになれば良いのだけれど」


 シルのこの先の人生は、贖罪のためにある。

 そのはじめの一歩が、トーヤの奪還だ。


「姉さん……姉さんとまた一緒に戦えるなんて、夢みたいだよ」


 一刻を争う事態であるのはエルも承知していたが、それでも、彼女は姉と本当の意味で再会できたことを喜ばずにはいられなかった。

 熱くなった目頭を押さえながらもエルは破顔して、シルの手を取った。

 それから、タラサの魔法の効力が失われたことで太陽が雲間から顔を出し始めた空を仰ぐ。


「さあ、飛ぼう」


 あの天空要塞に到達し、侵入、そしてトーヤを捜し出すのは、至難の業かもしれない。

 だが、今のエルたちなら――シルと共にある彼女たちならば、不可能はない。

【ユグドラシル】時代の英雄が、現在に再びの「奇跡」をもたらしてくれることを信じて、彼女たちは遥か高みにある『アイテール』へと突き進んでいった。



 滑らかな褐色の肢体が、しなやかに唸る。

 瞬間、まるで時を切り裂いて迫ってくるような蹴り上げ。

 僕はそれを視認するのと同時に口を開き、呪文を唱えようとするも、


「【防衛魔(ディフュ)

「――遅い」


 アマゾネスの槍のごとき長脚が、僕の腹を穿った。

 

「がはっ!?」


 濁った呼気には血なまぐさい臭いが混じる。

 蹴飛ばされ、床に身体を打ち付ける僕は、霞む視界の中に映る女戦士を見上げた。

 呼吸一つ乱さずに歩み寄りながら、モナクスィアさんは僕へ静かに言葉を浴びせてくる。


「自分に施された『戒め』の効力を実感しているでしょう。今のあなたは体力的には何ら問題はありませんが、『魔力を引き出す』脳の力に制限がかかっている。普段ならば常人以上の速度で伝達されるパルスの働きが弱っている……だから、先程の【防衛魔法】も発動できなかった。本来ならば、無詠唱でも使えたはずなのに」


 その通りだ。何が起こっているのか、言われずとも自分が一番よく把握している。

 だからこそ、僕の勝ち目が限りなく薄いのだと悟らざるを得なかった。

 こういう魔力制限系の魔法は、かけられた対象が自力で解除するのはよほど相手との力量差がない限り――つまり相手が弱くない限り――無理なのだ。そしてモナクスィアさんが、【神器】抜きにしても僕以上の実力を有しているのは明らか。


「あなたが望むなら、私は何度でもあなたを蹴り付けます。肉体の傷など、魔法薬で幾らでも治療できますからね」


 彼女の目的は僕を殺すことではない。僕をいたぶり、屈服させ、要求を飲ませることだ。

 

「ぼ、僕は……あなたたちの思い通りにはならない。僕の正義は、譲れないから……!」


「まだ意思は折れていませんか。私としても、【マギ】に選ばれし少年を痛めつけるのは心苦しいのですが」


 ――集中するんだ! とにかくこの人を倒すんだ、今はそれだけを考えろ!

 自分を叱咤し、耳を澄ませる。

 魔法を使えない状況下で僕が活かせるのは、天性の優れた聴力と動体視力、そしてこれまで鍛えてきた敏捷さだ。

 汗で僅かに湿った足が床を離れる微かな音を、僕の耳は捉えていた。

 

「――負けるわけには、いかないんだ!」


 立ち上がれ、と僕の中で誰かが叫んだ気がした。

 記憶の海に浮かぶ、過去に大切にしていた人たちが、僕の背中を確かに押した。


『お兄ちゃん』『頑張るのよ、トーヤ……』


 (ルリア)の声。母さんの声。僕が何よりも愛し、僕のせいで喪ってしまった人たちの、声援。

 

『負けんじゃねえぞ、トーヤ!』


 嫌いで仕方がなかったその声。道を踏み外して結局は後戻りできなかった哀れな男の、もしかしたら現実に聞けた過去があったかもしれなかった、激励。


「ぐッッ――!」


 弾丸のように叩き込まれるアマゾネスの脚の軌道を、僕の眼は一切逃さず辿ることができていた。

 その褐色の凶器に飛びつき、強引に受ける。

 足を踏ん張って、不格好に顔を歪めて汗を撒き散らしながらも、僕は食い下がった。


「余計な手間をッ……!」

「好きなだけ詰ってください! 僕は負けるつもりなんて、これっぽっちもないんだ!」


 不快感を露にするモナクスィアさんに、僕は強い語気で言い返す。

 彼女の足にしがみついた僕は、梃子でも離れない。――離れて、なるものか。

 これまで、沢山の失敗を繰り返してきた。自分が正義と信じて起こした行動や選択で、母さんも(ルリア)も喪った。

 神殿でマティアスを殺してしまったことも、奴隷たちを一時の怒りに任せて解放したことも、イェテボリの街で人間の発展を阻害することで自然を守ろうとしたことも、それは僕にとっての正義であるだけ。

 マティアスの中には生きる意思が残っていたかもしれない。奴隷たちは誰かの下で働いていた方が生活にありつけたかもしれない。森林開発を取りやめたことで仕事を失った人たちは、僕を恨んでいるかもしれない。

 僕の正義は絶対のものではないのだ。それは僕に限らず、アダマス帝もノエルさんもアレクシル王も、掲げる「正義」は所詮エゴでしかない。

 その個人の意思で、世界を統べてしまおうというのなら――止めなくては。


「モナクスィアさん……あなたは、帝の正義に世界の命運を託せるのだと、本気で思っているんですか!? 帝だって人間だ、いつかは間違えるかもしれない。それでも、あなたがアダマス帝が絶対の世界に賛同するというのなら、目を覚ませ、と言わざるを得ません」


「抵抗し始めたかと思えば、今度は説教ですか。子供の癖に、知ったような口を利いて……それはあなたの考えの押しつけでしかありません。陛下は真の意味で人々の心の柱となるのです。彼が衰え、死んだとしても、その『教え』は生き続ける。世界は陛下を開祖とした『魔導教』によって、律されるのです」


 一人の正義も広く人の心に根ざせば、普遍の価値となる。

 モナクスィアさんは言った。論じるまでもない文化、習俗、習慣の類として、それは問題にする方がおかしくなるのだと。

 彼女や帝は百年後、千年後の未来を見ている。僕らなんかには想像のつかないほどの遠い将来のために、現在を変えようとしている。

 

「帝の下には【神】がある。父なる陛下、母なる私、そして二人を支える賢者としての役割を、タラサ殿下が担う。【神】は人々に畏れを抱かせ、『父』の戒律を守らんとする最大の効力となる存在です。

【マギ】はその【神】を生み出すのに、あなたのような特別な人間――【ユグドラシル】時代の英雄の生まれ変わり――の、遺伝子が必要だと私たちに告げました。私たちがあなたを捕らえたのは、あなたの子種が欲しいからにほかならない」


 この人は、何を言ってるんだ?

【神】を生み出す、だって? 父と母、賢者の三位一体を頂点に置き、【神】の圧倒的な力を以て民を従える統治――そんなものは、義による統治なんかじゃない。単なる恐怖政治だ!

 モナクスィアさんの膝蹴りの体勢の脛にしがみついたまま、僕は彼女の瞳を睨み上げた。

 

「あなたの指す【神】が【ユグドラシル】時代の【神】と同じものなら、あなたたちの理想は叶わない。【神】は人間であって、作り手の想定通り動く機械じゃないから」


「知っていますとも」


 モナクスィアさんは眉をぴくりともさせず、言い切った。

 地に着いた左脚を軸として回転、その勢いと遠心力を利用して、彼女は僕を引き剥がさんとする。

 

「ぐッ、まだ、引きさが――」

「この、愚か者! 離れなさいと言っているでしょう!」


 裸体の女は苛立ちを露に叫ぶ。

 絶対に負けるものか――僕が彼女の脚に噛み付くと、それとほぼ同時にバチッ! と鋭い音が上がる。

 直後、鈍器で殴られたのにも似た衝撃が僕の背中を襲った。

 意識が揺らぐ。視界が反転しそうになる。

 何が起こったのか理解できないでいる僕へ、モナクスィアさんは淡々と宣告した。


「魔法は使わないつもりでしたが、これ以上争っていても無駄でしょうからね。……安心してください、トーヤ君。あなたからの体液採取が完了次第、すぐにでも解放させてあげますから。と言っても、解き放ったところで海に真っ逆さまなだけですが」


 うつ伏せに倒れた僕をひっくり返して、モナクスィアさんは僕の両腿に跨ると腰のベルトを弄りだす。

 その動作からこれから何が行われようとしているのか、悟らざるを得なかった。

 やめて。嫌だ。怖い。僕に触らないで、汚さないで、そんな目で見ないで――。

 過去の恐怖が甦る。心の奥底に押し込めて二度と感じたくなかったあの感覚が、呼び覚まされる。

 辛うじて意識を保てているのに、身体は麻痺状態にあるのか動かせない。

 いっそ、気絶させてくれればよかったんだ。それなら知らないうちに嫌なことが終わったはず。

 

「ふふ、これからすぐに気持ちよくなります。快感に全てを任せれば、余計な考えも――」


 一瞬の出来事だった。

 突然、何かが、爆ぜた。

 女はそれ以上の言葉を発さなくなり、その場にばたりと倒れた。

 何が起きたのか分からないまま、僕はどうにか目だけを動かして周囲を探ると、そこには何かを投擲した姿勢で固まっているエイン・リューズがいた。

 

「え、エイン……?」


 口を動かせた僕は、全身にかけられていた麻痺の魔法が解除されたのだと気づいた。

 それから、ズボンを脱がされ下着一枚になった自分の格好にも。

 顔を真っ赤にして俯く僕に、エインはか細く震える声で言った。


「トーヤ君、大丈夫だよ。あの女の人の意識が君に傾いて周囲への警戒が薄れた一瞬で、やったから。左胸に深く刺さってるし、即死だと思う」


 気持ちを慮る言葉よりも、現状の報告はずっとありがたかった。

 僕の身体はどうやら汚される寸前で助かったようだ。それを確かめてようやく安堵感が湧いてきた僕は、エインを改めて見つめ、礼を言う。


「ありがとう。一つ、借りを作っちゃったね」


「ううん、気にしないで。君の痛みや恐怖は、ぼくも知ってることだから。あの苦しみを、繰り返したくなかったから……」


 過去にエインがノエルさんから虐待を受けていたのは察していたけど、まさか、あのノエルさんがそんなことをしていたなんて信じたくなかった。

 エインは僕への信頼の証左として、嘘を吐かない。故に、それは揺るがない真実なのだろうけど……。

 エインが目を背けてくれている間にズボンを履き直した僕は、彼へ訊ねる。


「エイン、君はいつから意識を取り戻してたの?」

「えっと、君とアマゾネスの女性が戦う音で、目を覚ましたんだ。すぐに助けようと思ったんだけど、身体の倦怠感が酷くて……。ごめんね、こんなにギリギリになっちゃって」


 倦怠感は睡眠系の魔法の副作用として現れうる。それで彼を責めるのは、お門違いだろう。

 伏し目がちにこちらを向くエインに、僕は首を横に振って微笑む。


「ううん、モナクスィアさんが事に及ぶのを未然に終わらせられたんだから、君はよくやってくれたよ。……ジェードなんかは美女にそういうことされるなら本望だ、なんて言うかもしれないけど」


「あははっ……彼なら言いかねないね。でも、【神】をこの時代に再現しようだなんて……それじゃあ【ユグドラシル】の二の舞を演じるだけかもしれないのに」


 笑い声を漏らしたエインは、一転して真剣な口調になった。

 その懸念はもっともだ。しかし解せないのは、モナクスィアさんが僕の指摘を「知っていますとも」と一蹴したこと。

 彼女にそう言わせるだけの、僕らの知り得ない根拠があるのだ。

 それが何なのか、手がかりは何もないけど――彼女らの野望を止めるには、知らなくてはならない気がする。


「これは僕の勝手に決めたことであって、君は君の好きな道を行ってほしいんだけど。

 僕は、アダマス帝の目指す世界を認めたくない。だから、戦うよ」


 簡潔に、大義名分を並べ立てることなく僕は表明した。

 大帝国の皇帝や皇太子、神器使いたちに抗うのは、もしかすれば悪魔を滅ぼすこと以上に困難な道のりかもしれない。

 その過程で大切な人を失いたくなくて、僕は仲間を呼び込む言葉を発さないと決めていた。

 それなのに――


「社会の形がどう変わろうが、正直ぼくは興味ない。でも、【神】への恐怖で人を抑えつけるやり方は許せないと思った。

 恐怖って、人の心に深い傷跡を残すものだから。世界中の人たちがそれを抱えて生き続けるのが正しいのだとしても、不幸でしかない。不幸を伴う正しさよりも、間違いがあっても幸せな未来をぼくは望みたい」


 正義も悪も関係なしに、エインは思いを率直に言った。

 床に倒れたままの僕へ手を差し伸べて、彼は真っ直ぐな瞳を向けてくる。


「ぼくも一緒に、戦うよ」


「――ありがとう」


 彼の手を取って、僕は頷いた。

 その手の温もりとエインが隣にいてくれるという事実が、この上ない安心感を僕に与える。

 現状、ここがどこなのかも分からないけど、僕たちなら絶対に切り抜けられる。

 そんな確信をもって、僕は天井を仰いだ。

 そこに描かれた混沌の戦場で、逃げ惑う人々――その中の一人が帝だったのかもしれない。

 彼も昔は子供だった。それがいつからか理想に芽生え、【マギ】という魔導士の導きを得て覇道を突き進み始めた。

 

「……分かり合うことが出来たら、って気持ちは甘さなのかな」


 戦争を根絶しようという帝の気持ちは分かる。でも、そのために取った手段が、僕と彼とでは違い過ぎた。

 願うところが同じなら、理解し合って折衷案を見つけることも不可能ではないんじゃないか。

 と、僕が心中で呟いた、その時だった。

 視界の端で、褐色の影が動いたのは。


「ふ、ふ……【王佐の魔女】を甘く見てもらっては、困ります」


 口許をひくつかせて嗤うモナクスィアさんが、そこに立っていた。

 彼女の剥き出しの左乳房には、確かに漆黒の刃が突き刺さっている。それを掴んで引き抜き、傷口から鮮血が滴り落ちてもなお、彼女は笑みを崩さない。

 

「そんな……!? 柄まで深々と刺さってたから、肋骨に阻まれてもいないはずなのに……!」


 驚愕するエインの震え声を聞きながら、僕も自分が狼狽えていることを自覚していた。

 文字通りの意味での「不死者」は、歴史上ノアさん以外に存在しないはずだ。そのノアさんだって、イヴ女王の『不死の術式』がなくては不死の力を継続することが出来ない。

 モナクスィアさんがイヴと接触していた形跡は、確認されていない。そしてイヴが彼女へ力を与えるにたる理由も、見当たら――


「いや……神を復活させようという帝の目論見を、あの人が知っていたとしたら?」


 辻褄が、合ってしまう。

 イヴ女王は自分が作り出したものに対して強いこだわりを持つ人だ。かつて子として育てた【神】の系譜を継ぐ者たちが誕生したら、それを影から操って世界の手綱を握らんとする可能性は十分に考えられる。

 先ほどモナクスィアさんが、バラバラの意思を持つ【神】を従えられるのだと暗に言っていたのも、彼女らの背後にイヴ女王の存在があれば納得できた。事実、イヴ女王には【ユグドラシル】時代、数多の神が支配階級に置かれた九つの国を統べていた実績があるのだから。


「モナクスィアさん……もしや、あなたやアダマス帝を導いた【マギ】とは、イヴ女王なんじゃないですか?」


 僕は後退しそうになる足をどうにか抑え付けながら、モナクスィアさんの銀の瞳を見つめた。

 彼女の瞳の中には爛々とした光が灯っていたが、こちらの問いを受けた直後、それは嘘だったかのように収められた。

 眼をすっと細めて投じられた視線から感じるのは、怪訝さ。


「女王? ユグドラシルを統べたイヴ女王については存じていますが、【マギ】は男性です。同一人物ではありません」


「じゃ、じゃあ一体、【マギ】って誰なんですか!? イヴ女王じゃなかったら、誰があの術式を――」


 僕は身を乗り出して激しい語調でアマゾネスの女性へ訊ねた。

 彼女に不死の術式を施したのがイヴでないなら、「彼女と同等の実力を有した魔導士」が少なくとも一人、存在していることになる。一人で世界を変えてしまえる力を持つ者――それは僕らにとって脅威になりうる人物、と言い換えてもいい。


「ちょっと待って、トーヤ君! 今は【マギ】の正体よりも、帝や皇太子が不死者なのか訊くのが先じゃないかい?」

 

 冷静さを欠いていた僕を諌めてくれたのは、エインだった。

 僕の前に一歩踏み出し、右腕で制しながら、彼はモナクスィアさんへ詰問する。

 

「答えてください、モナクスィアさん! アダマス帝やタラサ元帥は不死者なんですか?」


「【マギ】は、不死者は一つの時代に一人あるべきだと考えています。そしてその不死者は、『母』なる魔導士でなくてはならない、とも。【マギ】には、父や賢者は替えの効くものであっても『母』は不変でなくてはならない、という思想があるのでしょう」


 不変の母。まるでイヴ女王を指しているみたいだ。

 となると、神の再臨を願う【マギ】はイヴ女王を信奉する人物……?

 僕はシルさんに見せてもらった彼女の記憶の光景を脳内で辿ろうとして、それから中断を余儀なくされた。

 

「お喋りは終わりです。【マギ】の存ぜぬ所で彼の個人情報をこれ以上漏らせば、お叱りを受けてしまいますからね。

 ――さあ、永遠の戦いを。あなたが諦めない限り、この決闘は終わりません。その身を私に委ね、子種さえ提供してくれれば、辛いことももうないというのに」


 話す側から傷口を自動的に修復させていく不死の女は、手の中でエインが投擲していた魔剣【紅蓮】を弄ぶ。

 エインから武器を奪っておかなかったのも、裸体を躊躇なく晒したのも、彼女にはそう出来るだけの余裕があったから。

 自分は絶対に負けない――不敵な笑みでそう語るモナクスィアさんに、僕も笑顔を返してみせた。


「……なんですか、その顔は? まさか、私に勝てるとでも?」


「いや、不死者に勝負を挑むという荒唐無稽なことをしようとしてたなんて、おかしくて」


 くすりと笑い声をこぼしつつ、僕はエインの肩に手を置いた。

 彼は肩を小さく揺らし、それから流し目で僕を伺う。

 今、作戦を口頭で伝えることはできない。だから、エインが僕の意思を正しく汲み取って行動に移してくれることを願うしかなかった。


 ――君なら適切に対処してくれると、信じてるからね。


 自分一人では決して完結し得ない作戦。一度きりのチャンスで敵を抑える以心伝心の呼吸が、必要になる。

 

「エイン、ごめんね。倒せない敵と真っ向勝負なんて意味ないし、逃げる選択、も取れるわけない。だから……僕は彼女の言うとおりにするよ」

 

 モナクスィアさんの口元に刻まれた笑みが、深まる。

 一歩前に出た僕は両腕を上げて降参を示し、視線で壁際に用意されたベッドを指した。


「さぁ、お姉さん。僕を気持ちよくさせてみてくださいよ」


 アマゾネスの豊満な乳房から引き締まりながらも程よい肉付きの臀部まで、舐めるような目で僕は眺め回した。

 開き直ったようにも聞こえるだろう口調で、煽ってやると――乗った。


「色に貪欲なのは三流以下。あなたが【マギ】に選ばれていなければ、蹴り殺していたところですよ」


「でも殺すわけにはいかないでしょう? アダマス帝に怒られちゃいますもんね? ……さあ、早く頼みます。お姉さんの床で磨いた技術、見せてくれません?」


 減らず口を叩く僕の手を無理やり引っ張って、モナクスィアさんは寝台へ直行する。

 ――エル、許しておくれよ。モナクスィアさんに絶対の隙を作らせるには、これしかないんだ。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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