表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
最終章【傲慢】悪魔ルシファー討伐編/マギア侵略編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

379/400

32  知らない天井

 知らない、天井。

 知らない、自分。

 ――私は、何? 

 彼女には「自己」が分からなかった。

 ただ、そこには一つの意思があるのみで、それ以外の一切の情報は記憶の彼方に放逐された。

 

 ――破壊。


 破壊は創造の礎となる。

 古いものが死んで初めて、新たなものが生み出される。

 人間における新陳代謝と変わらない。世界も、神も、変革を必然の運命として定めているのだ。

 その真理を女は漠然と理解していた。それを齎すために何を要するのかも、知っていた。


 そこはスウェルダ王宮の医務室であった。

 ベッドに寝かされているのは二人の魔女。金髪に黒ローブの女と、青髪に白ローブの女だ。

 目を覚ましたのは、かつてリリスと名乗っていた青髪の魔女だった。


「……私こそが世界の歯車にして、管理者となるの。うふふ……だから、早く壊してしまいたいわ」


 シル・ヴァルキュリアの肉体からイヴの魂を引き剥がした代償に、リリスは自身の心にイヴの人格を宿してしまった。

 結果、記憶や心に干渉する秘術を用いて消耗したリリスの魂はイヴの意思に抗えず、彼女に支配された。 

 イヴを狂わせた元凶としての、リリスの贖い――それは彼女の人格がイヴに呑み込まれたことで、決して叶わぬことに成り果ててしまった。


 意識を失ったままのシルを意に介さず、女は悠然とした足取りで歩み始める。

 自分が何者なのか不明瞭でも構わずに、その意思に導かれるままに、進んでいく。



 ゴウン、ゴウン。

 規則正しく響く重低音が、僕の耳を撫でた。

 不快感に意識を刺激され、目を覚ます。ぼんやりとしていた世界が徐々に実像を結び、鮮やかさを増していく。

 

「ここは……?」


 眩い光が降り注いでいる、白い天井の空間のように見えた。

 頭から脚まで柔らかい何かに触れていて、ここはベッドだ、と感覚的に理解する。

 

 ゴウン、ゴウン。

 何の音だろう。重い岩で何かをすり潰しているかのような、そんな音にも聞こえる。

 

「……案外、早く目を覚ましたのだな、神の子よ」


 知らない、声。

 知らない、呼び名。

 ――貴方は、誰?

 僕には「その人」が分からなかった。

 ただ、そこには呆然とした自己があるのみで、ここに至るまで目にしたものは記憶の奥底に押し込められていた。


「ここは我が飛空艇に設けられた『神事の間』……【マギ】により定められし儀式の場だよ。少年よ、君は選ばれたのだ」


 嗄れた男の人の声だ。

 飛空艇、神事の間、マギ――聞き慣れない単語の連続に、僕は混乱するしかない。

 上体を起こそうとしてみると、身体はちゃんと言うことを聞いてくれた。

 眺めた先、この白い円形の空間の中央に佇んでいるのは、黒ローブを纏った魔導士の男性だった。

 この人に見覚えはない。だけど、この人は僕を知っている。そんな非対称な状況がむず痒く、本能的な焦燥感を掻き立てた。


「……っ、エイン……!」


 視線を右に移ろわせると、白いふかふかのベッドに横たわるエインの姿があった。

 彼はまだ眠っていて、穏やかな寝息が僕のところまで届いてくる。それでこの場所が静寂の中にあり、先程の重低音はどうも壁の外が発生源らしいことに気づく。


「貴方は、誰なんですか。僕は一体、どうしてこんな所にいるんですか」


「私の名を知らぬ者がいるとは、恐れ入ったよ。だが、神の子に免じて教えてやろう。私はマギア帝国皇帝、アダマス・マギアという」


 不屈にして無敵、至高神ゼウスの加護を得て南方の国々を制覇してきた【神器使い】の帝。

 そんな人物が目の前にいるなんて、とても信じられない。

 僕が狼狽えている中、アダマス帝は二つ目の質問に答えてくれる。


「君をここに転送したのは、我が弟にして海軍の長、タラサだ。そこの少年まで連れてくるつもりはなかったのだが、君がエウカリスの矢で負傷していたのでな。君を介抱し連れ帰ろうとしていた少年ごと捕らえる羽目になった」


 僕たち二人がここに来るまでの経緯を丁寧に説明してくれるアダマス帝だけど、肝心の理由を語っていない。

 訊ねるべきか迷った僕は、僅かに黙考し――それから口を開いた。

 手元に【神器】はなく、相手は【神器使い】なのだ。戦闘しても勝ち目はない。だったら、会話で時間を稼ぎながら他の打開策を探るしかないだろう。

 判明している少ない情報をり合わせて、どうにか逃げ道を見いださなくては。


「僕をここに連れてきたのは……貴方が僕を神の子だなんて馬鹿馬鹿しい名前で呼んだことに関係があるんですか? 僕なんか、ただの人間でしかないのに」


「種族で言えば、の話だがな。トーヤ君、人には生まれながらにして定められた運命があるのだと思ったことはないか? その運命に沿って誰もが生きており、人の自我などその導きの下での法則が決定づけるものでしかないのだと、考えたことはないか?」


 帝の発言は、僕には正しく理解できる気がしなかった。

 運命って何だ。それは誰が描くんだ。僕らの意思がそれの導きだなんて、何が根拠だ。

 正当性の欠片もない。この世界に神なんていないのに。神とは、かつて強すぎる魔導士が勝手に名乗った称号だというのに――

 そこまで考えて、僕は思い出してしまった。

 いたのだ、神様は。エルが語ってくれたユグドラシルの終末には、実体を持たない光のような「創造主」なる神が登場していた。


「『創造主』が運命を定めるから、僕らは命を営んだり争ったりする……そういうわけなんですか」


「理解が早いな。これも然るべき下地が積み立てられていたからか。……ともかく、それが我が人生における最大のテーマなのだよ。タラサもモナクスィアも知らぬ、私だけの到達点」


 本人以外には明かされていなかった彼自身の理想を、帝はあっさりと僕に話した。

 何故かは不明だけど、そこに辿り着くには僕の力が要る――これは確定事項だろう。

 白い光に満たされた温かくも冷たくもない空間の中、帝は青い目を僕へ向け、そこに僕の知らない何かを見出している。


「【マギ】という神の使徒の一人に導かれ、私はその存在を知った。神とは、私たちを生みしもの。私たちの世界は所詮、神の手で造られた箱庭でしかない。その箱庭の中にもまた、箱庭を営もうという者がいる。

 ――イヴという名の女だ。君も知っているだろう」


 知っている。けど、僕はアダマス帝に何も答えられなかった。

 しかし、それはさして問題でもなかったようで、帝は話を続行する。


「イヴのやろうとしていることは、神の真似事でしかない。彼女は真の意味での神になれない。それは欺瞞でしかないのだ――己の分を越えた、『創造主』を冒涜する行為なのだ」


 アダマス帝は僕を殺さない。何かに使おうとしている。そして、その何かとは、


「貴方は、イヴのその欺瞞を未然に防ぐために僕を利用したい……ということですか」


「端的に言えば、そうなるな。イヴは世界を一度破壊し、新たに作り変えようとしている」


「……それが運命だとしても? 貴方の言う運命が本当にあるのなら、イヴもそれに従ってるだけなんじゃないですか。その否定は、神それ自体の否定にも繋がってしまいませんか。

 貴方にとって、神は都合のいい偶像になってはいませんか」


 自分が自分じゃないみたいだった。

 アダマス帝の考えをここで無闇に批判するのも、神の一貫性を守ろうとするのも、僕の役割じゃないのに。

 何故なんだろう。僕が潔癖だから? 曲がったもの、二面性のあるもの、嘘、欺瞞、そういうものが嫌いだから?


「……っ……」


 それは僕だ。

 汚され、人を殺め、心の奥底の暗いものから目を背けてきた僕そのものだ。

 だから、嫌う。遠ざけようとする。自分の中のトラウマ、その原因となった恐怖を掘り起こされないようにするために。

 僕が平和を求めるのも、本当は皆のためなんかじゃないんだ。

 自分の安寧が欲しいから――エルたちと一緒にいるのも、彼女らから注がれる愛を享受し、その温もりに浸っていたいから。


「ノエル・リューズも、僕も、結局はエゴのために戦っていた。大義なんて建前で、自分の欲望のためだけに……僕とノエルの違いなんて、その欲望が周囲の害となるかどうかの違いに過ぎないんだ。……アダマス帝、貴方はどうなんですか? 貴方には、貫くべきエゴがあるんですか?」


 ベッドから抜け出して、立ち上がった僕は帝を毅然と見つめた。

 さっきまでの彼の話を聞いていて、「神」や「運命」に従おうという意思は感じられても、彼自身が独自に持つそれは見えなかった。

 単なる敬虔な神の信徒というだけで、【神器】を得、ここまで帝国の版図を広げられるだろうか。彼にはまだ、何かがある――全ての原動力となっている強烈な「何か」があるはず。


「…………」


 アダマス帝の立ち姿は、ひどく脱力していた。

 ぼんやりと天井を仰ぐ彼は沈黙しており、僕は重ねて問いかけようとしたけど、止めた。

 彼の視線の先にあるもの――天井に描かれた、いや浮かび上がった、光の絵画に目を奪われて。


 写実さとは程遠い、抽象的な絵だった。

 歪んだ人の顔、燃え上がる建物の数々、泣く女、腕をもがれ血を流す男。

 赤と黒で描かれた、混沌の世界。

 僕はそれを知っている。つい最近、あの戦場の中で、実体験として記憶に焼き付けた。

 

「あれは私の過去だ」


 帝は言った。


「あの過去から全てが始まったのだ」


 傷からの始動。僕と同じだ。


「あの悲劇が私たちを変えた。世界はどこまでも私たちに残酷だった。そんな世界を私は恨んだ。壊したくて仕方なかった。戦という過ちを繰り返す人の社会を、否定した」


 そんな人が、どうしてマギアを建国し、世界を侵略しているのか。

 僕の視線を受け、アダマス帝は語り出す。


「私を導いた者こそが【マギ】と名乗る賢者であった。彼は言った――力があれば世界を変えられるのだと。彼は示した――力とは魔導士が持つべきものなのだと。私は飛びついたよ。世界を壊せる力が実在し、私にはそれを得る資格があると知ったのだから。

 そして、私は【神器】という力を手に入れた。【マギ】の導きを得て、10年の時間をかけて国を打ち建てた。作った国には【マギ】への敬意を込めて、マギアと名付けた」


 20歳の帝は弟タラサ、そして【マギ】という賢人と共にマギア王国を成長させた。

 戦を以て戦乱に塗れた周辺国を統一し、彼は一躍英雄と呼ばれるようになったという。


「終戦のための戦争……武力で国家を統一することで、恨んでやまない戦争をなくすことを目指した。貴方の原動力は戦争の根絶――その過程で多くの人命が失われても、貴方はその理想を叶えるまでは止まらない」


 ラファエルさんやアナスタシアさん、シアン、ジェード。マギアに故郷を奪われた人たちと、僕は何度も出会ってきた。

 大切な場所、かけがえのない家族、そういう宝を彼らは永遠に失ったのだ。

 それは不幸だ。帝が理想に突き進めば進むほど、それは連鎖していく。


「貴方のせいで多くの人が傷ついてる。貴方のやっていることは、貴方が嫌う戦争を蔓延させる行為でしかないんだ。世界の全てを一つにするだなんて、歴史上誰も成し遂げたことがないのに、夢ばかり見て――。

 それに、貴方が理想としているのは魔導士主導の世界だ。非魔導士や亜人を軽んじる格差に満ちた社会が、本当に正しいわけがない!」


 柄にもなく大声を上げてしまう僕に、帝は憐憫するような眼差しを向けてきた。

 何がおかしい。僕は正しいことを言ってるのに、何でそんな目で見るんだ。

 それじゃあまるで、僕が間違ってるみたいじゃないか――。


「『平等』など絵空事だ。人種、性別、年齢、能力、それらは生まれながらにして決まったもの。地位や職業、思想などもそれぞれ違う。

 人はすべからく異なるものだ。異なりバラバラであるものたちを分け、社会という枠組みの中で適切な役目を与え、管理する。それこそが、人の上に立つ者の使命なのだ。

 魔導士を頂点に置くのは力があるから。人という暴れ馬を制御するだけの力を持つ我々が、最もその地位に適しているから、に過ぎない」


 帝の論に、僕は反駁の言葉を即座に思いつけなかった。

 この人は間違ってなんかない。僕が言う不平等への反対も、誤りではないと思う。

 どちらも正義なんだ。ただ折り合いが悪いだけで、どちらも尊重するべき理想なんだ。

 差別に苦しむ人たちに手を差し伸べたい僕の思想は、今を見たもの。世界統一による平和を望む帝の考えは、未来を見たもの。

 どちらを大切にするのか、きっと人類全員が議論したって結論は出やしない。

 今が良ければ未来がどうなってもいいわけないし、未来のためなら今生きる僕らが苦しみに曝されるのが当然だとも言えない。


「そうか……だから、神がいるんだ」


 神。

 誰もが実存を証明できないが、確かにあるものと認識している超常的な存在。

 それは否定不可能な絶対権力だ。

 帝が『創造主』と真に通じているのかどうか、そんなことは関係ない。

 彼が神の言葉を理解し、その導きによって世界を統べようとしていると、人々が信じるだけで構わないのだ。

 神は帝の意見を箔付けする権威でしかない。そこに畏敬など、ない。


「神は本来、死んでいるものなんだ。貴方はそれを言葉によって生かそうとしている。『運命』なんて誰にも否定しきれない理論を持ち出して、神を騙っている」


「……聡いな、君は。『言葉によって生かそうとしている』か……面白い言い回しだな。そう、確かに、私が『運命』について語ったことで君の中に運命を仕組む神のイメージが生まれた。私が言わなければ存在しなかったものだ」


 アダマス帝は僕を見据えて笑った。

 初めて見せた、純粋な笑顔。

 その表情が僕の中で何かに重なった。

 そう、あれは――父さんだ。僕に剣術を教えてくれた時の父さん。技を身に付け、上達を褒めてくれた時の父さんだ。

 聡い、と褒められた。相手が敵だと分かってるのに、何故だか嬉しくてたまらなかった。

 

 それは承認欲求の表れだ。

 仲間がいて、認めてくれる大人たちがいてもなお、醜く燻る願望だ。


 それを心中に押し込めて、僕は帝を批判する。

 彼を否定しなくてはならなかった。そうでないと、僕が僕としてここにいる理由がなくなってしまう気がしたから。

 

「貴方は狡いです。あるか分からない運命を持ち出して、僕を籠絡しようとした。神話に詳しい僕が『創造主』の存在を認知してるのを知ってて、接触不可能な領域にいる神さまを根拠に、自分の意見に正当性を持たせようとした」


 帝の正義。僕の正義。ノエルの正義。アレクシルの正義。カイの正義。カタロンの正義。

 どれも違う。そして、全てが正しいものなのだ。

 間違ったものは淘汰される。正しさ同士がぶつかって敗北したものは、「誤り」の烙印を押される。

 人が争う理由もそこに帰結する。思想がなければ戦争なんて生まれない。意味なく発生する争いなんて、ない。


「アダマス帝、貴方の理想は幻想なんです。魔導士至上主義の思想一色にしたところで、その中で新たな分岐が生まれるだけ。人の考えに蓋なんてできない。抑圧すればいつかは破綻する。本当に必要なのは、多様性を認めることなんだ」


 思想や価値観、正義は人の数だけある。種族、人種、性別、性的指向、地位、宗教、魔導士か非魔導士か、多様性は無限にあるのだ。

 それらを認めること、どんな人でも自分を誇らしく思えることが大事だと僕は思う。

 帝の理想が現実になったら、魔導士でない人は自分の価値を見いだせなくなってしまう。暗い感情を抱えて生き続けなくてはならなくなる。


 そんなの、駄目だ。


 東洋人である自分、男に汚された自分、天涯孤独になった自分――僕はこれらを過去に拒絶した。許せなかった。叶うなら誰にも知られない所で消えてしまいたいくらいだった。

 苦しかった。逃げたいのに、逃げられなかった。家族の幻影が僕を「生」に縛った。

 僕にはそんな呪いがあったから生きてこられた。でも、それがない人は? 過去を捨て、未来に展望がなく、今死んでも良いと思える人がいたとして、自死を止められるだろうか?


 それは無理だ。

 

 帝の描く世界とは、選ばれなかった者だけが絶望する世界だ。

 魔導士という上位者だけが希望を手にし、悦楽を得る世界。

 

「貴方が言う『不平等』を前提に管理された世界では、多様性に応じた役割の割り振りを誰がするんですか。結局は、上位階層の人たちの都合のいいように決められてしまうのではないですか。貴方がどれほど正しくても、領土全てに目を通すなんて出来ない。貴方の臣下が貴方と同じ正しさを以て割り振りしてくれるのだと、本気で思っているんですか」


 ある一定の領土に限定すれば、アダマス帝の理想は現実的に実行できるかもしれない。

 でも、世界全体に範囲を広げたら? 

 ――不可能でしかない。全能の神や、完璧に制御された機械コンピュータでない限り。


 僕が次の言葉を口に出そうとした、その時だった。

 ガタン、と壁際から鉄のドアが開く重い音がして、一人の女性がこの空間に姿を現した。

 

「随分と議論を白熱させていましたね、陛下。貴方が私やタラサ殿下以外と楽しそうに話してるところ、初めて見ました」


 銀色の長髪を頭の高い位置で結び、ポニーテールにした若い女性だった。

 褐色の肌や、胸や秘部を隠す最低限の衣服からして、アマゾネス族だろうか。


「モナクスィア、私が命じるまで入るなと言ったろうに」


「申し訳ありません、陛下。【マギ】が示した『神の子』が何を話すのか、どうしても気になってしまいまして」


 モナクスィアと呼ばれた女性の言葉遣いは、皇帝に対するそれではなかった。

 なんだろう……どこか家族同士のような距離感に思える。

 帝の表情も僕と話していた時に比べ、幾分か温厚さを帯びているように見えた。

 アマゾネスの女性は僕の方を向き、こちらに歩み寄りながら名乗る。


「……あなたが【神器使い】のトーヤ君ですね。私はアマゾネス族のモナクスィア。マギア陸軍中佐にして、神アテナの【神器使い】です」


 僕は瞠目し、身体を強ばらせた。

 モナクスィアさんの腰元には剣が下がっているわけでもなく、それ以外の箇所にも装備らしきものは見受けられない。

 それでも僕が本能的に緊張してしまったのは、彼女の眼光が獣のそれだったからだ。

 物腰は柔らかくても、最大限の警戒を払っている。僕が少しでも怪しい動きをしたら、飛びかかって首を取るだろうことは明白だ。

  

「モナクスィア、私は席を外す。お前は嫌かもしれないが、理想のためだ。務めを果たせ」


「平気です。思っていたよりずっと可愛らしい子だし、ここにはお誂え向きにもベッドがありますから」


 そう言い残したアダマス帝は、腕のひと振りで【転送魔法陣】を展開してみせると姿を消した。

 にっこりと笑みを浮かべて近づいてくるモナクスィアさんに、僕の背筋には冷や汗がたらりと流れる。

 逃げるには【転送魔法陣】を使うしかない。だけど僕にはまだ、アダマス帝のように一瞬でそれを発動させられるだけの技量がなかった。呪文を高速で唱え、魔力を練り上げて転送先のイメージを鮮明に脳内に浮かべる――今の僕では、どんなに早くても一分はかかってしまう。

 戦闘民族アマゾネスが、一分の隙を与えてくれるわけがない。魔法の勝負も、【神器】なしで勝てるかは分からない。

 でも……戦わなければ。自分の意志を捻じ曲げられ、彼らに従うような結末は望まないから。


「……っ」


 細く息を吸い、掌の中に魔力を溜め始める。

 しかし、そんな僕の行動なんて全く気にしていないのか、モナクスィアさんは唐突に――


「えっ、ちょっ……!?」


 衣服を、脱いだ。

 胸元を覆う薄布が、はらりと床に落ちる。下半身を隠す水着同然のパンツが、静かに衣擦れの音を立てながら下ろされていく。

 目の前にいたのは、全身を露にした褐色の美女。

 僕は状況を飲み込むことが出来ず、狼狽えるしかなかった。

 と、次の瞬間。


「――色に惑うようでは二流」


 腹に、一発。

 

「がはっ!?」


 身体を()()()に折って吹き飛ばされた僕は、蹴り上げた体勢から下ろされるアマゾネスのしなやかな右脚を確かに見た。

 早すぎて、視認すらできなかった。この人は、あのリリアンさんよりもずっと強い。


「さて……事に及ぶ前に、まずはあなたを抵抗不能まで追い詰めなくてはなりません。あなたの願う世界と陛下の願うそれは相克(そうこく)するもの。言葉で折れぬのなら、力で屈服させるまで」


 壁に背中を打ち付け、床に崩折れた僕にモナクスィアさんは宣告する。

 白い照明の下で黒い影の如く立つアマゾネスは、まさしく「魔女」といえた。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ