25 開戦
ノエルのクーデターが決着した翌早朝、カタロン皇子が三国の王たちに突き付けた『宣戦布告』。
それを受けたカイ・ルノウェルスはストルムに設営した拠点にて、固く握った拳を震わせていた。
「屈服の選択などありえない。俺たちの国や文化を奴らに明け渡すことなんて……絶対に」
彼が背負っているのは「国」という一つの巨大な共同体だ。そこにあるのは民の命だけではない。彼らの文化、住まい、伝統、そこにある家畜や様々な生き物たち――脈々と積み重ねてきた歴史の上に、ルノウェルス王国は成り立っている。
一度壊れた「国」の形が元に戻ったケースは、カイの知識にはない。壊れてから後悔しても、決して取り返しはつかないのだ。
ならば――守り、保つのみ。
「論ずるまでもなく、マギア軍は強大だ。だが、『三国同盟』が結束すれば撃退できる可能性はゼロではない! 剣を執り、抗う――俺たちがやるべきことはそれだけだ!!」
「「「おおおおおおおおおッ!!!」」」
青年王は集った兵たちの前で燃え盛る魔剣を掲げ、炎と声を打ち上げる。
兵たちの雄叫びが轟き渡る中、それを傍から眺めるトーヤは呟いた。
「すごいな。皆、一つになって巨大な敵に屈しまいとしている。彼らの象徴であり、纏め上げるカイの存在がなければ、ここまでの意思の結束は実現できないよ」
「そうだね。……ふと思ったんだけど、トーヤくん、言い回しがちょっと子供っぽくなくなったよね」
トーヤにそう微笑んでみせるのはエルだ。フィルンで彼に買ってもらった「杖剣」を胸の前で握り締めながら、彼女は出会った当初と今の少年とを比較する。
彼は本当に大人になった――とエルは思う。
三度の神殿攻略を果たし、大罪の悪魔との戦いを乗り越え、その道の途中で様々な人たちと出会い。最初は孤独で気弱な男の子でしかなかったのに、気づけば誰もが頼る戦士へと成長していた。
そう言われたトーヤは照れくさそうに頬を掻いた。
「……そうかな?」
「そうだよ。私はそれが誇らしい。君と過ごした時間の全てが、君を成長させたのだと思うと……本当に嬉しいよ」
マギア側が設けたタイムリミットは正午。それまでに降伏を申し出なかった場合、彼らはスカナディアへの侵攻を開始する。
カイもミラも、エミリアもマギアの傘下に入る気など毛頭なかった。刻限が迫る中、沿岸部の主要都市では海軍が迎撃準備に取り掛かり、陸軍も守りを固めるべく展開している。
「僕たち【神器使い】の出番はいつになるかな」
トーヤの目は、初めて体験する「戦争」を見ている。
恐れず、動じず。彼がそう冷静でいられるのは、ノエルのクーデターでの混沌の戦場を走り抜いた経験があるからだろう。
無秩序な戦場という阿鼻叫喚の地獄――思い出すだけで震えが込み上げてくるが、それだけだ。覚悟は出来ている。あの戦場に立っても自分を見失わないでいられる確信が、トーヤにはあった。
「敵の【神器使い】が登場したら……かな。現状、【神器使い】に対応できるのは【神器使い】くらいだ。魔導士が束になってかかれば抑えられはするだろうけど、それをするには魔導士の数が足りない。恐ろしいことに、マギアの【神器使い】は十二人もいるそうだからね」
帝が持つ「ゼウス」の他、「ヘラ」、「アテナ」、「アポロン」、「アフロディーテ」、「アレス」、「アルテミス」、「デメテル」、「ヘパイストス」、「ヘルメス」、「ポセイドン」、「ヘスティア」といった十二神の【神器】がマギア側の最大の武器だ。
彼らに対抗するには、三国側も巨人族のウトガルザ王やダークエルフ族のリカール族長まで【神器使い】を総動員しなくてはならない。
「『魔導通信機』でウトガルザ王やリカールさんにも連絡しておかなきゃね。カイやミラたちよりも僕の方が彼らとの交流があるし……僕から呼びかけてみるよ」
「彼らの移動は私の【転送魔法陣】で補助しよう。ふぅ、忙しくなるね」
連日の魔法陣の使用に頭を痛めつつも、エルは自らそう申し出た。攻撃役であるトーヤに、それ以外の負担はかけられない。魔導士の本望は【神器使い】のサポートだ――それを改めて胸に刻むエルは、トーヤが懐から水晶玉を出しているのを横目に早速準備を始めた。
「支えてくれた貴女はもういない……でもね、イルヴァ。私は一人でもやっていける。私は、あの子みたいに強くなったのだから」
スウェルダ軍中央基地の円卓には、歴戦の将校たちが顔を連ねている。
彼らを統べる者として玉座に着く赤髪の女王は、かつての副官の姿を脳裏に描きながら呟きをこぼした。
小声だが、その言葉には決意が秘められている。もうこの国を守れる王族は、ミラしかいないのだ。他の王族は立場だけで能力が伴っていない。【神器】という国の象徴に相応しい力を持つミラだけが、民たちの「英雄」として旗を掲げられる。
恋慕した少年のようになりたいと本気で願い、強くなった。そしてその成長は、保護者からの巣立ちも意味していた。
イルヴァの支えがなくとも、ミラ・スウェルダは一人前の王族として生きていける。
おそらくイルヴァにはそれは救いだったろう。自分がいなくてもいい――そうミラが思ってくれているなら、それは彼女の本望なはずだ。
次に会うとしたら戦場。それでも、ミラはイルヴァと剣を交えるのを躊躇わない。一夜を経て、心中での整理はついた。これからは、今まで寄り添ってくれたイルヴァではなく、【拳の魔女】として彼女を見ようと。
お転婆で高飛車な王女は、既にそこにいない。
王たる覚悟を決めたミラは集う将校たちを見渡し、不敵な笑みを浮かべて言った。
「私が貴方たちに何を求めるか、理解しているわよね? ――全てが終わったら、共に勝利の美酒を飲み交わしましょう」
フィンドラ王城は騒然としていた。
それも当然だ――消息不明だった王と王子が、共に帰還を果たしたのだから。
『玉座の間』にて再びその席に着いた王と、その側に立つ王子を取り囲み、臣下たちは涙ながらに歓喜の声を上げている。
「……父上。兄上っ……!」
マギア来襲の報を受け、フィルンに舞い戻っていたエミリアも例外ではなかった。
目に涙を溜め、それ以上の言葉を発せずにいる彼女は、父へ駆け寄ると彼の手をぎゅっと握った。
「……心配をかけて、済まなかったな」
「それだけですか。それだけですか。私がどれだけ苦労してきたのか、父上は分かってますか。私は、私は父上も兄上もいない中で、本当に、今にも擦り切れてしまうのではないかと……!」
父からの謝罪に、エミリアの口から堰を切ったように悲痛な感情が溢れ出た。
「エミリア……」
アレクシルは立ち上がると娘を両腕で力強く抱きしめる。
これからは決して離れ離れにならない――触れ合った体温を通してその念を伝える父に、エミリアは涙を止める術を見いだせなかった。
「エミリア、これからは親父が軍を率いてくれる。だから、一旦休め。お前は十分すぎる仕事をした」
そう彼女を労るのはエンシオだ。
演じた失態は武勲で帳消しにしてみせる、彼はそんな決意を胸に宿していた。
「俺たちの失敗を許せとは言わない。だが、任せてほしいんだ。俺は国と、民を守るために命を賭す。それだけは、偽らざる信念だ」
その言葉はどこか後ろめたさを誤魔化すような雰囲気を醸していたが、エミリアは、単にマギアに囚われた失敗を気にしてのことだろうと捉えた。アレクシルが国民の命と国体を天秤にかけ、前者を取ったためだ――ということも知らずに。
(大国を前に、弱気になってしまっていたな。娘が懸命に守ってきたものを、私は……)
選択には後悔が付き物だ。普段の彼ならばそう流せた話だったが、今回ばかりはそうはいかなかった。
(トーマ殿……貴方の行動、無駄にはしない)
自分たちを救済してくれた黒衣の男に報いるためにも、アレクシルは【神器】を執る。
神と悪魔の大戦――トーマが予言したその演目が幕を開ける前に、マギアとの戦を片付けるのだ。
猶予は一切ない。【神器】による殺戮での短期決戦――非道だと詰られようとも、アレクシルはそれを厭わない。
たとえ彼が舞台を降りても、代役は既に用意されているのだから。
*
その日の正午、三国からの降伏の通達を確認できなかったマギア軍は、スウェルダ南の領海に侵入。
魔力によって風に左右されない推進力を実現した最新鋭の『魔導艦』をもって、彼らはスカナディアの国々への侵攻を開始した。
マギア兵たちの士気をそのまま反映したような快晴の下、カタロンは刻々と近づくスカナディア半島の輪郭を見つめて悲しげに言った。
「彼らは自らの『国』を選んだわけだ。そこにある全てのものを、守ろうと決断した。オレたちは彼らの選択を尊重しなくてはならないけれど、同時に――彼らへ『救済』を施すために、彼らを傷つけなくてはならない」
風が少年の橙黄色の髪を撫でていく。それを心地よく受けながら、彼は腰に下げた波状剣を抜いて天へ掲げた。
「オレは君たちを希望ある未来へ連れて行く。マギア人にも、それ以外の民にも、等しく平和を与える。この戦の果てに、それはきっと叶うさ。オレには君たちという頼れる仲間がいるのだから」
「ええ、お兄様。私たちが辿り着くべき道は、既に見えております」
理想を語るカタロンに頷きを返すエウカリス。彼女の隣では神ヘルメスの【神器使い】・プシュケが目を細め、興味深げに弟を観察していた。
「無理難題を言うのね、あの子。眩しすぎるけど……嫌いじゃないわ」
プシュケは帝や他の皇族、【神器使い】の思想に染まっていない「中立派」として知られている。
通信役を担う彼は軍内でもクリーンな立場を求められている、ということもあるが、本人の性格によるところがやはり大きい。
性的指向が他と異なる分、それ以外のことではなるべく波風立てまい――それがプシュケの信条であった。
「さ、カタロン。指令を下すならさっさとなさい! アタシの気が変わるのは早いわよ」
「へいへい。そういう指示は人の気分で左右されちゃいけないものだって、教わらなかった?」
と言いながらも次には各艦への指示を口にするカタロンに、プシュケは快く応じる。
エウカリスの副官・イスィホが魔法で眼前に映し出してくれている戦場の地図を睨み、【太陽の寵児】カタロンはその頭を素早く回転させていった。
結果から言ってしまえば、スウェルダ海軍はマギア海軍によって壊滅的な打撃を被った。
気象条件など無視し、更には従来型の1.5倍もの速度で進行する戦艦。これについてはスウェルダ側も予備知識があったため、敵の進路を予測した上でそれを阻むように艦隊を配置しておいた。
艦と艦の激突になれば敗北は免れない。だから、彼らはぎりぎりまで敵を引きつけてからの迎撃という形で対応しようとした。
しかし――彼らは知らなかったのだ。マギアの『魔導砲』の、恐ろしさを。
艦の側面に並べて設置された砲身に弾を込め、敵に向け、撃つ。それがスウェルダ側の砲撃の方法だ。
が、マギアは根本から異なっていた。彼らの砲は弾込めの時間を必要とせず、船の側面のみならず砲身を前後に置くことで方向転換の手間を省き、その魔力光線の射程は四キロメートルにも及んだ。
砲身を幾つも搭載できているのは、艦がその重量に耐えられる巨大さを有しているから。巨大にも拘らず海に沈まず、従来型より機敏な動きを実現しているのは、力魔法のコントロールがあるから。射程の飛躍的向上を果たせたのは、砲弾が重力を克服できる光線に変わったから。
戦う前から結果は決まっていたのだ。
戦略や戦術など全くの無意味。そもそもの艦艇のスペック差で、スウェルダはマギアの次元に達することも出来ていなかったのだから。
「第一、第二艦隊は敵の砲撃により壊滅! 第三艦隊が現在、フィンドラの魔導士たちを伴って沖合へと進行していますが、敵への接触は困難と見られています!」
中央基地の円卓に座すミラ・スウェルダは、卓の中央に置かれた水晶玉から響く悲痛な声に唇を噛んだ。
敵の『魔導砲』の射程を甘く見ていた。通常の魔導士が放つ大魔法のそれを基準に、ミラたちは想定していたが――『魔導砲』は彼女らの予想を凌駕する伸びを見せつけてきた。
「フィルン魔導学園の魔導士たち、それにグリームニルの防衛魔法があれば、こちらの射程範囲まで敵へと近づけるかもしれない。でも……厳しいかしら」
ミラの推測に苦渋の面持ちで頷くのは、壮年の海軍大将である。
「ええ……。こちらが近づこうとしても敵はそれ以上の速度で距離を取るだけでしょう。旧来の海戦のように艦と艦をぶつけ合い、船上で戦う時代は終わったのです。やはり、奴らを崩すには『魔導』の力――【神器使い】の協力が不可避でしょうな」
「三国には『水』を司る神の【神器使い】はいないけれど、出撃させるしかなさそうね。私も出た方が良いかしら」
「無論、陛下も参戦すべきでしょう。陛下の『光』の【神器】ならば、速度では敵の砲を上回れます。あとは射程と、敵の防護フィールドを破壊するだけの威力があれば――」
「要は私の頑張り次第、ってところかしら。いいわよ、やってやるわ! さっきのお返し、その艦の横っ腹に浴びせてあげる!」
父が死に、民が死に、兵が死んだ。沢山の尊い命が一人の男の欲望によって失われ、追い打ちをかけるようにマギアの兵たちも進撃してきている。
第一、第二艦隊が立て続けに破られ、出鼻をくじかれたミラだったが、彼女の戦意はより激しく燃え上がっていた。
このまま終われない――そんな負けず嫌いの精神が彼女を駆り立て、戦場へと突き動かす。
「……本部は貴方たちに任せるわ。何かあったらすぐに連絡して」
将校たちにそう言い残し、ミラは本部の控え室に待機しているエルのもとへと急いだ。
エルは【転送魔法陣】の使い手として、本部から各戦場へと兵や戦士を送り届ける役割を担っている。ルノウェルス兵やフィンドラの戦士たちが駐在しているストルムと外の戦地とを繋ぐ、不可欠なラインだ。
「行くんだね、ミラ。僕もご一緒させてもらおうかな」
控え室に到着した赤髪の女王に声をかけたのは、エルの傍らに佇んでいたトーヤだった。
連日の戦闘を経ても気丈に振る舞う少年にミラは微笑みだけを投げかけ――エルに頼んだ。
「エールブルーの軍港まで転移させてくれるかしら?」
「了解です。では、そこの魔法陣の上に乗ってください」
床に描かれた八芒星の中央に足を踏み入れたミラの隣に、トーヤも乗り込む。
戦わずにじっとしていることなど、彼はできない性分だった。ミラという大切な友が戦場に降り立つならば、なおさら。
「ミラ……一緒に、勝とう。生きて戻って、平和な三国を作るんだ」
「薄っぺらい台詞ね。もっとロマンチックな感じのはなかったわけぇ?」
「な、そんなの一々考えてる余裕なんかないよ!」
「それもそうね。ま、肩の力抜いていきましょ」
真剣な顔の少年をおちょくってやると、彼はミラの狙い通り顔を赤くして言い返す。
くすりと笑みをこぼすミラはトーヤの肩を軽く叩き、それから深呼吸した。
転移魔法の白い光が二人を包み込んでいく。身体が浮遊する錯覚を覚えながら、彼女らはその魔法に身を委ねるのだった。




