15 教育
日が完全に沈み、辺りは真っ暗になっていた。
僕は仕事と緊張で疲れきった足で立ち上がり、エルの元へ急ぐ。
ルーカスさんが僕の肩に触れた時、何か嫌な感じがした。彼だけじゃない。アマンダさんも、ノエルさんも……何か得体の知れないものを持っている。
それが何かはわからないけど、僕の頭が、警鐘を鳴らしているのだ。
使用人室に向かうと、そこにはシアン、シェスティンさん、モアさんらがいた。エルの姿は無い。
「シアン、エルを見なかった?」
シアンは首をかしげる。
「私は、見ていません」
僕は椅子に体を沈み込ませる。
シアンが心配そうに訊いた。
「トーヤさん……何か、あったのですか?」
シアンたちには余計な不安を抱えさせたくない。僕は適当に誤魔化した。
「いや、何でもないんだ。ちょっと仕事で疲れただけだよ。エルが来たら、僕が話したいと言っていたと伝えといてくれないかな?」
「わかりました。エルさんを見たら、言っておきます」
シアンは頷く。僕は、疲れたので自分の使用人室に戻ることにした。
男子用の部屋に入ると、ジェードが僕を見て尋ねる。
「ルーカスさんとの剣、どうだった?」
「うーん、まあまあかな。基礎的なトレーニングを毎日やれって言われたよ」
僕は二段ベッドの上の段に梯子で上った。僕の下で眠るのはジェードである。
身体を横たえらせ、僕はリラックスした姿勢になる。疲れがどっと押し寄せてきた。
「庭仕事、疲れるもんな」
ジェードが言う。僕は相槌を適当に打った。疲れて、もう考えるどころじゃなかった。
「うん。そうだね……ほんと、疲れたよ」
「シェスティンさん、凄いよな」
「うん。あの人、化け物みたいに体力あるよね」
ジェードも僕とは違うグループだったが、庭仕事をしていた。シェスティンさんの仕事姿を離れた所から見ていたのだろう。
「ここ、色んな種族の人が、集まってる。皆で協力している。とても、いいこと」
ジェードは呟く。
彼の言う通り、リューズ家のやっていることは何ら間違ってはいない。
この世界からはみ出した者たちを救ってくれる、いい人なんだ。
僕は少しの自己嫌悪に陥る。ノエルさんたちに何があっても、彼らは良い人たちだ。疑うのは、いけないことだろう?
そして僕は沈むように、眠りへと落ちていった。
* * *
「トーヤ! いい加減起きなさい!」
侍女長に怒鳴られて、僕は目を覚ました。
侍女長はかなり苛立った顔をしている。どうやら僕がいつまで経っても起きないから、業を煮やしてここまでやってきたのだろう。
「お、おはようございます。侍女長」
「何がおはようですか!? もう仕事の時間はとっくに始まっているのですよ!」
侍女長はプンプンに怒っている。これはまずい。
「すみません! 今すぐ行きますので!」
僕は慌てて二段ベッドから飛び降りる。だが、着地に失敗して腰を打った。
「いててっ……」
侍女長は呆れた顔だ。僕は痛む腰をさすりさすり立つ。
と、ドアを開けてもう一人の女性が入って来た。
「どうしました? トーヤ」
見目麗しいハーフエルフの、モアさんだった。
モアさんは昨日のシアンと同じような、心配した表情を浮かべている。
「ベッドから落ちちゃって……でも、大丈夫ですよ」
「そう、なら良いのですが。トーヤ、皆あなたがなかなか来ないので心配していました。私と一緒に早く来てください」
モアさんは厳しく言う。僕の腕を掴むと、引っ張っていった。
「モア、しっかりとこの子に『教育』しておやりなさい」
侍女長が目を細めて言った。
モアさんはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
何か、嫌な予感しかしない。
「本当にすみませんでした」
僕は地面に頭を垂れ、一緒に仕事をする仲間たちに謝った。
今日は調理室での仕事で、この仕事は特に忙しい仕事だ。僕がいなかったため朝食の時間、彼女らはいつも以上にハードに働くはめになっていた。
「もう、あんたが女だったらここから追い出してるところよ」
「そうそう。許してやったんだから、私達の器の広さに感謝することだね」
二人のダークエルフの女性が言う。一人が僕の背中にドンと乗り、笑った。
「あんた、ノエル様から目、かけられてるみたいだけど……ここでは皆と同じ扱いになるから、今度から遅刻とか、許さないよ」
「ス、スミマセン」
僕は謝る。……この人、結構重いな。
「何か言った?」
「い、いえ何も」
ヤバい思考が読まれてる!? この人怖い。
「それじゃ、モアの『お仕置き』を受けて貰おうかね」
ダークエルフの女性が僕の体から離れた。ひとまずホッとするが、モアさんの『お仕置き』って何だよ……。
「さあ、トーヤ。私の前に立って下さい」
僕は言われるままにモアさんの前に、立った。
「姿勢を正しなさい」
「は、はいっ!」
モアさんの目が赤く光る。怖い。これはハーフエルフの目じゃないよ。
「では、行きます」
辺りがしんと静まる。何なんだこの空気は。
「はあッ!!」
バチーーーンと、音がした。そして、痛みが僕を襲う。
「痛ったああああッッッ!!」
僕は悲鳴を上げる。
張られた。頬を。あまりの痛みに僕は悶絶し床をのたうちまわった。ジンジンと、痛む頬が熱くなる。
「久し振りに見た……モアの『ビンタ』……」
「うわーっ、痛そー」
「流石に可哀想じゃないかしら」
「良いのです。仕置きとしては充分でしょうから」
「モア、あんたのは充分すぎるのよ……」
モアさんは冷酷な目で、悶絶する僕を見下ろす。
「これで、わかったでしょう。遅刻した者には、私が罰を下します」
「は、はいぃっ!」
思わず上ずった声が出た。
「……調教は終わりました」
「よくやりました、モア」
侍女長が柱の陰から出てきて言った。あんた見てたんですか……。
「ええ。シェスティンの時より、スムーズにいけて良かったです」
この人、シェスティンさんにもやってたのか……。恐ろしいハーフエルフだ。
「さあ、仕事を始めなさい!」
侍女長がビシッと命ずる。彼女の一声で、使用人たちはせかせかと働きだした。
この日、僕はいつも以上に激しく働かされ(というか雑用全て押し付けられ)、昨日よりも疲れた状態で床についた。
僕はその時、エルに話そうと思っていたリューズ家に対する不安を、すっかり忘れてしまっていた。




