19 獣の叫び
【拳の魔女】が倒れ、敵側の戦力はノエル自身とグリームニルのみ。
対するのはトーヤとエル、ミラ、エミリア、カイの五名だ。
数的な有利は少年らにある。しかし、そんな状況にあってもノエルは泰然と構えていた。
(まさか、あのグリームニルさんまでここに来ていたなんて。【ユグドラシル】時代の魔導士が簡単に負けるはずがない……やっぱり、【服従の魔法】にかけられているのか)
唇を噛むトーヤは、シルに見せられた記憶の光景から浅葱色の髪の少年の魔法を思い起こす。
彼の防御は何より脅威だ。並の攻撃では傷一つ付けられないだろう。
まず彼を倒さねば、ノエルに刃を突き込むことさえ出来ない。
「エインの治癒はエル、エミリアさんとミラは適宜防御魔法を使って僕たちをサポートして。カイ、君は僕と攻撃役だ」
「「「「了解!」」」」
素早く役割分担を指示したトーヤに、全員が迷わず従った。この場で最も魔導士同士の戦闘に長けているのはトーヤであり、彼こそがリーダーに相応しいと皆が認めているのだ。
「作戦会議は終わったかね? さあ、かかってくるがいい」
ノエルの態度は余裕綽々であった。
イルヴァとの戦闘を経てもなお、彼の気力と体力は衰えを見せていない。
挑発するように指をくいくいと動かす白髪の男に、カイは剣を抜き放つとダンッ! と床を蹴って飛び出した。
「その余裕の仮面、引っぺがしてやる!」
「あぁもう、先走らないでよカイ!」
いきなり突っ込んでいくカイに合わせてトーヤも走り出す。
愚痴りながらも彼の口元には微かな笑みが浮かんでおり、青年と一緒に最大の目標としてきた男と戦えるのを歓喜しているのが見て取れた。
「ふふっ――さぁ、神様! 僕に力を!」
「行くぞ、ロキ!」
駆ける一瞬に二人の身体は純白の光に包まれ、その姿を変じさせていく。
光が霧散して現れたのは、赤きマントをなびかせる朱髪の剣士と、長い白髪に漆黒の鎧とマントの槍使い。
カイの【レーヴァテイン】には紅蓮の炎が、トーヤの【グングニル】には紫紺の雷が纏う。
「カイ! 分かってると思うけど――」
「俺を舐めるなよ、トーヤ! 戦い方くらい弁えてるさ!」
疾走する二人が迫るのはグリームニルだ。彼を封じればノエルの守りは格段に弱体化する。
左右二手に分かれたトーヤとカイはアイコンタクトで連携を取り、寸分違わぬタイミングで浅葱色の少年へと斬りかかった。
「――――」
グリームニルは口を噤み、微動だにしない。
が、瞬間――ドーム型の防護フィールドが彼の周囲に展開され、トーヤたちの刃を阻んだ。
激しく散る火花に、鋭く打ち上がる衝突音。
まるで巨石を叩いているかのようだ、と二人は目を剥く。
「硬っ……!?」
エイン・リューズが【超兵装機構】の最大出力で稼働させ、圧倒的な速度と手数を実現してようやく破れた防御だ。
一撃で破壊することはもちろん敵わない。トーヤもそれは承知の上だったが、だとしても驚かざるを得なかった。
――直後。
「っ、危ないッ!」
エミリアの警告が鋭く響き、トーヤたちはすぐさまグリームニルから距離を取ると同時に背後を振り向く。
肉薄せんとしていたノエルの漆黒の翼。それをエミリアの操る植物の蔦が絡め取り、ミラの光の盾が遮っていた。
「トーヤ君、カイ陛下! ノエルは私達が抑えます、君たちはあの子を!」
「っ、急いで討ちなさいよね! これを止めてるの、しんどいんだから!」
二人の王女も既に【神化】を発動しており、ありったけの魔力を振り絞ってノエルを抑えていた。
今にもトーヤたちを喰らおうと暴れ狂う腕の如き翼に、王女たちは歯を食いしばり、額に汗を垂らしている。
――彼女らが時間を稼いでくれている内に、グリームニルを落とす!
少年たちの剣と槍が唸り、迸る魔力で翠の防護フィールドへと連撃を浴びせていく。
「グリームニルさん、目を覚ましてください! あなたは正義のために戦った人だ! エルも、ノアさんも、人格は変わってしまったけどシルさんもこの王宮にいる! ノエルを倒して、また皆で顔を合わせましょうよ、グリームニルさん!」
叩き込む槍が弾かれようが、反動に後退させられようが、トーヤは諦めずに何度も向かっていく。
しかし、悲痛な声で訴える彼にグリームニルは全く反応を示さない。何の感情も読み取れない澱んだ赤い瞳で少年と青年を見る浅葱色の少年は、ノエルの言いなりのままに防護フィールドの出力を高めていた。
「おい、トーヤ……これでは埓があかない! ノエル戦を残して使うのは躊躇われるが、一発でかいのをぶち込むべきなんじゃないか!?」
レーヴァテインの火焔が緑の防護壁に罅一つ入れられずにいる現状に、カイはお手上げだと言わんばかりに声を上げた。
背後ではエミリアとミラがノエルの動きを抑えてくれている。だが、彼女らがいつまでも持つわけがない。グリームニルを早期決着で下し、彼女らと合流しなければ。
「――カイ、君はエミリアさんやミラと共に戦うんだ。グリームニルさんは僕が突破する。僕の声なら、彼は心を開いてくれると思うんだ」
「……分かった。任せたぞ!」
トーヤは短い思索の末にそう選択した。
彼がその案を遂行してくれるのを信じて、カイは踵を返してエミリアらのもとへと駆け出していく。
その背中に内心で鼓舞の言葉をかけながら、トーヤはグリームニルを正視した。
「エインが頑張ってイルヴァさんを倒したんだ。僕だって――!」
漆黒の槍は炎雷を帯びて、唸り、猛る。
少年の全身全霊の攻勢が、苛烈さを極限まで増していった。
「くっ、もう持たない――!」
蔓の束縛から逃れんと荒ぶる漆黒の翼に対し、エミリアは遂に限界を迎えてしまった。
力が弱まった極太の蔓がブチッ、と引きちぎられ、巨腕のごとき翼がトーヤへと急迫していく。
彼女の隣でミラが唇を噛むが――少年へ接近する三枚の翼の前に、真紅のマントの青年が飛び出した。
「邪魔は、させない!」
滾る灼熱を纏った波状剣の一閃。
横薙ぎに振り払われたその火焔が、ノエルの翼の先端を切断する。
黒い羽根が舞い散る中、気合を迸らせる青年はすかさず切り返しの剣を翼に叩き込んだ。
「うらあああああああああああッ!!」
骨が真っ二つになる凄絶な音を立て、その翼の一本が真ん中からへし折れる。
カイの快進撃に瞠目するエミリアはノエルを一瞥した。翼が破損するのに連動するように、彼の目元や口元が痛みに歪んでいる。
あれは魔力が生み出す単なる翼型のオーラではなく、実体を持っているのだ。命属性と闇属性の複合魔法――それならば前者のオーラとは異なり、「自分の肉体」として操ることで本人の感覚と完全にシンクロした挙動を可能にする。
「……ごめんなさい、これ以上は……っ!」
ミラの発動していた光の盾は、翼が触れた部分から徐々に魔力を失いつつあった。
その盾が色褪せていくのに比例して、ノエルの魔手は黒さの純度を高めていく。触れた側から魔力を吸い取ってしまう悪魔の翼に、ミラの防御は儚く打ち砕かれる。
「魔法」ではこの男を抑え続けられない。
それどころか、魔力吸収の機会を与えることで敵を利する結果をもたらしてしまう。
だが――。
「カイ陛下、そちらにもう三枚の翼が! 私も出るわ!」
そう叫んだミラは、「光の付与魔法」の詠唱を開始しながら駆け出した。【神化】により変じた半透明の白い長髪をなびかせ、彼女は【光の細剣】を中段に構える。
カイはミラの警鐘に鋭敏に応じ、左右から殴りつけようとする翼を捉えて即座に後退した。
すんでのところで漆黒の殴打を回避した彼は、停止できずに激突した二枚の翼を瞥視した後、次いで上から襲い来るもう一枚へ剣を振り上げる。
「ふッ――!」
火柱が屹立し、振り下ろされた魔手が縦に二分された。
返り血に顔を赤く汚すカイは先ほど衝突した二枚の翼へと肉薄、彼を絡め取らんとしている羽根を掻い潜って手首にあたる部位へと刃を滑り込ませる。
奮闘するカイにミラ王女も合流する。付与魔法で強化した身体能力を遺憾なく用いた彼女は、薙ぎ払われる翼を跳躍して躱し、光の筋を空中に描きながら剣舞を舞った。
鋭く突き込まれる細剣の切っ先は風切り羽を着実に穿ち、ノエルにダメージを与えていく。
「魔法は効きづらいが、刃なら通る……そういうことですか」
エミリアの表情に光が戻った。彼女は魔法しか武器を持たないが、それでもやれる事はあるはずだと床に倒れたまま放置されていたイルヴァ少佐を瞥見する。
ノエルの洗脳にかかっていた彼女だが、完全に無防備な状態ならばフレイヤの【魅了】で上書きすることで忠誠の対象を敵から外せるはずだ。グリームニルに関してはトーヤが防壁を破ってくれるまで手出しできそうにないが、一人でも味方を増やせれば十分だろう。イルヴァが息を吹き返せば手負いのエインを彼女に預けられ、エルが戦闘に参加できるようになる。
だが、エミリアがイルヴァを回収するべく動き出すのをノエルが見逃すわけもなかった。
少佐の周囲にドーム状の緑の防護フィールドが展開され、外部からの魔法を全てシャットアウトしてしまう。
「エミリア・フィンドラ……君の使う手は読めている。こいつは私の下僕だ、渡しはしないよ」
「下僕、ですか。自らの部下をそのように見下す、あなたの人間性には反吐が出ます」
尊大な態度で言ってのけるノエルに、エミリアは嫌悪感を露に吐き捨てる。
こんな者が「王」を名乗るな――彼女の中で激情が沸き上がるが、それは冷静さの仮面の下に封じて、呪文の詠唱を紡ぎ出した。
「エミリア殿下――よし」
「ええ。この翼を全部削ぎ落として、一気に片をつけるわ!」
大蛇の尾のように暴れ狂う漆黒の巨腕の間隙を縫い、赤と白の【神器使い】はノエルへと猛進していく。
青年たちの超人的な動体視力は敵の軌道を正確に捕捉し、頭上や胴を魔手が掠めるも致命打を負うことなく敵へ肉薄した。
王女のレイピアが白く瞬き、王の剣が緋色に輝く。
「お父様の仇を――!」
「今ここで討つ!」
魔力が生む焦熱を纏った刃が男の左右から繰り出される。
たった一人の男の欲望によってケヴィン王は殺された。その怒りを剣に乗せ、二人の戦士は叫ぶ。
が――ノエル・リューズは微笑みを崩さなかった。
瞬間、男の姿が透明になったかのように消え失せる。カイたちの攻撃は空を切り、彼らは前触れなく起こった現象に目を見張った。
「なっ……!?」
目標が姿を消したことで狼狽したその隙こそ、ノエルの狙いなのだ。
動揺するカイが周囲を見回す中――背後から鋭利な何かに切りつけられたミラは、抵抗も許されずに倒れ伏す。
「くそっ、【炎の防壁】!」
ミラごと自身を囲うように炎の壁を展開したカイは、敵の魔法の掴めなさに脂汗を流した。
王女の背は刃物で切られたと見えるが、カイはその瞬間に実体を持った刃も魔力の輝きも確認していなかった。
自らの姿を透明化し、見えざる刃を放つ。それこそがノエルの奥の手なのだろう。
そうと分かれば対策も可能だ。姿を消せたとしても、音や臭い、気配までは誤魔化せないはず。五感を研ぎ澄ませば必ず、ノエルの位置を捉えられる。
「――――」
カイは全神経を集中させ、近くにいるであろうノエルの気配を探っていく。
しかし、数秒後に彼の耳が捉えたのはエミリアの驚愕の声であった。
「っ、そんな――」
途切れる詠唱。歌に代わって口から出るのは、鮮血。
防壁を咄嗟に張ったことで致命傷は免れたものの、圧倒的な膂力で放たれた「見えざる刃」にエミリアは弾き飛ばされ、背中から床に叩きつけられてしまう。
「エミリア殿下!!」
「――私のことはいい、撃ちなさいカイ!」
火炎の防壁を解除してエミリアのもとへ駆け寄ろうとするカイに、当の王女は立場の差をかなぐり捨てて命じた。
ノエルはエミリアのすぐ側にいる。今撃てば、彼に攻撃を命中させられる確率は高い。
カイに迷う選択肢はなかった。エミリアの覚悟を無為にすることなど、出来ようもなかったから。
「あああああああああああッッ!!」
雄叫びを轟かせ、剣が宿す魔力を一気に放つ。
脚の筋肉をあらん限りに躍動させ、カイは前方へ跳び出しながら肩を振り絞った。
ぐぐぐっ、と溜められた力をひと息に開放し、真紅の横薙ぎを閃かせ、そして――その斬撃の軌跡に刻まれた無数の「火種」が、カイの号令によって一斉に爆発を開始した。
「【獄炎刀】、点火!」
連鎖する小爆発が熱風と黒煙を巻き起こす。
広範囲を焼き尽くすこの魔法から一瞬で逃れる手段は、【転送魔法】以外に存在しない。
限られた高位の魔導士だけが扱えるその魔法をノエルが習得しているとは考えにくい。攻撃は当たっている、それは断言できるのだが――
「【蜃気楼】で姿を隠した私を狙うため、広範囲攻撃に切り替えた判断は間違っていない。だが……生温いね。エミリア王女というブレーキをぶち壊せなかった君の甘さに救われたよ」
煙越しに嘲笑う男の声に、カイは歯軋りした。
黒のカーテンに視界を遮られてエミリアの様子が確認できない。彼女の声は聞こえて来ず、カイの爆撃に巻き込まれて負傷してしまったのは明らかであった。
青年の背後には倒れたミラ王女がいる。彼女から離れてしまえば、ノエルの毒牙は残酷にその頸を貫くだろう。それだけは、させられない。
「カイ・ルノウェルス、曲がりなりにも君は王だ。だが、君には王として必要な素質が欠けているのだと言わざるをえない。それは何か――おそらくは君も自覚し、周りも美点だと褒めそやしている部分だよ。その甘さがいつか足を掬い、大切なものを掴めなくなると分かっていながら、君はそれを放置してきた」
煙が晴れ、ノエルの全身を包む緑の防護壁が露になる。
半透明の壁の向こうから送られる侮蔑の目は、カイの心に無力感を押し付けた。
ノエルの声音、口調、言葉選びは相手を都合のいいように動かすことに長けている。話に聞くカイ王の性格を鑑みて、彼は青年の「恐れ」を突こうと決めた。
弱さがもたらす破滅の未来。守るべきものを守れず、傷つけ、失ってしまう、青年が最も忌避する結末を。
「仲間に縋り、手を汚すことを躊躇い、味方を巻き込むリスクに尻込みする……君は所詮、一人では何も為せない子供に過ぎないのだよ。
その弱点を克服しようともせず、向上心を捨てた君は馬鹿だ。その凡愚さはいつか君の首を絞め、国を滅ぼすだろう」
ノエルの足元に転がっているのは、深い火傷を負って倒れ伏したエミリアだ。
結局あの一撃でノエルを討つことは叶わなかった。エミリアの思いを、無駄にしてしまった。彼女は自分が死ぬことも覚悟で疾呼してくれたのに――カイは、その意志を裏切ったのだ。
「俺は……俺は……っ」
剣を握る手の震えが、何故だか止まらない。
呼吸が否応もなく乱れ、敗北の恐怖が胸の奥底から湧き上がる。
青年の目には映るノエルの姿は、文字通りの怪物であった。自分では勝てない、残虐にして強大な鬼。
「君たちとの勝負は正直、退屈だったよ。トーヤ君もグリームニルなどに構っていないで、私と戦ってくれれば良かったものを。先日のリベンジマッチになれば、もっと楽しめただろうさ」
少年と比較することで、青年の内にある劣等感を刺激する。
尊敬の裏返しは羨望であり、羨望とはその者と自らを比べた劣等感に起因するものにほかならない。
どれだけ対等だと言おうとも、力ある者は力なき者を本心では見下すものだ。それは青年と少年の関係でも例外にはならない――ノエルはその現実をカイの胸に刻みつける。
「ノエル……っ!」
「何だね、まだ私に抗う気か? ならば思い知らせてやろう、君が王たる資格を持たない弱者であることを!」
カイは呻吟する。ノエルの高笑いが響く。
男の背から漆黒の翼が新たに伸び、青年の腕と脚に纏わり付いて拘束した。
関節を締め上げられる辛苦に顔を歪めるカイに、ノエルは嗜虐的な薄ら笑いを浮かべた。
舌なめずりする男のその精神性は、悪魔と魂を同化させても変わっていない。
「ふふっ、ふははははっ! あぁ、カイ君よ……君の魔力はどんな味がするのかな?」
人を痛めつけることに何よりも快楽を覚える。特に少年の苦しむ顔は最上の美酒だ。
それはかつてノエルを拐った男の影響あっての感覚だろう。少年期に繰り返された虐待と同じことを、彼は子供たちにしてしまう。
焼き付けられた記憶が、過去の歪みが、抗いようもない「獣の叫び」を呼び起こすのだ。
年を経るごとに理由もなく増していく虚無感や、妻と娘が死んでからの喪失感も、その欲望に身を任せている間は忘れられた。
極論、ノエルがスウェルダ王を弑逆し、王位を簒奪したのもそのためだった。
「覇道を突き進む暴虐な男」でいなくては、ノエルは前を向いて生きていくことが出来なかったのだ。
「そんなっ……カイ!?」
グリームニルとの交戦を未だ続けていたトーヤは、カイの窮状に顔を歪めた。
よそ見をした一瞬は少年の攻め手を確かに緩め、それは洗脳下にあるグリームニルに好機をもたらしてしまう。
浅葱色の髪の少年は赤い瞳を妖しく輝かせ、緑の防壁を「変化」させて反撃に移る。
ドーム型の防壁の表面が陽炎のように揺らめき、そこから細く伸び出した魔力が幾つもの腕となって少年へ肉薄していった。
「しまった――」
これまで一度たりとも、シルの記憶の光景の中でさえ見せていなかった技。
驚倒するトーヤの槍の柄に絡み付いた魔力の腕は、梃子でもそれを離さない。【神化】の筋力でも振り解くことの敵わない馬鹿力に、少年は呻き声を漏らした。
「少年よ、君に別れの歌を贈ろうか。ノエル様に逆らう者への、せめてもの手向けだ」
主体性を剥奪されていながらも、吟遊詩人らしく鎮魂歌を歌い出すグリームニル。
ア・カペラで紡がれる哀切な調べは、トーヤへ引導を渡す魔法の詠唱だ。
その間にも防壁から伸びる腕は、【グングニル】を手放して【テュールの剣】の『神化』を発動した少年を執拗に狙う。
奪った師の槍をもって、槍術も何もない乱雑な攻撃を繰り出す。都合6本の力魔法による腕の殴打に【神器】の威力まで加わってしまえば、斬撃を飛ばせる少年にも全てを防ぎ切ることは不可能であった。
「ぐっ!?」
殴られた肩が跳ね上がる。手放しそうになる剣をすんでのところで握り込み、浴びせられる次弾を切り返しの刃で断つ。
滝のように流れる汗に、不規則に加速する鼓動。グリームニルの防御を前に少年の体力はじわじわと削られており、時間と共に彼は不利を押し付けられていた。
「目を覚ましてください、グリームニルさん……っ!」
悲痛に訴えるが、その声が浅葱色の髪の少年へ届くことはなかった。
トーヤとグリームニルが対面したのは今が初めてだ。それに、グリームニル側はトーヤのことなど全く知らない。もしかしたら風の噂で聞いていたかもしれないが、彼とトーヤは赤の他人でしかないのだ。そんな者から何を言われても、響きはしない。それが単なる感情論だったとしたら、なおさら。
「【嗚呼、我は麗しき風の使徒。愛の川に溺れ、誓いのキスを落とす。忠義の剣は君を食み、母の腹に還す。全てを抱く偉大な彼女へ、君の魂を捧ぐ】」
恍惚とした笑みがグリームニルの顔に浮かび上がった。
その表情に、トーヤは彼が何のために戦っているのか悟る。
アマンダがノアを操った時と同じだ。ノエルは彼の洗脳状態を万全にするために、【服従の魔法】に加えて彼の大切な人の幻影を見せているのだ。おそらくそれは、詠唱の文脈からして女神フレイヤだろう。【ユグドラシル】時代に敬愛していた彼女への忠誠こそが、グリームニルに力を与え、トーヤの剣も言葉も拒絶させているのだ。
「くそっ……魔力がっ……!?」
少年の剣が帯びていた黄金の光輝が、明滅を始める。
イヴとの戦いでテュールの【武神光斬】を撃った後、精霊の力を借りて魔力を補充したものの、付け焼刃のそれでは限界が訪れるのも早かった。
生身の刃ではグリームニルの防壁を突破することは不可能。猶予はあと一分もない。言葉での説得は諦め、武力で屈服させる!
「ここであなたを倒して、次に繋ぐんだ! 僕らの世界を守るために、道を切り開く!」
グリームニルを倒せたとしても、魔力は尽きてノエルと満足に戦うこともできなくなる。
だが、それでも構わなかった。自分に必要なのは悪の権化を討つ「栄誉」ではなく、戦った果てに悪が討たれるという「結果」だから。
英雄は一人ではない。
トーヤには旅の中で出会った沢山の仲間がいる。彼らに戦いのバトンを繋ぐ――それが今の彼のやるべきことだ。
「はあああああああああああああああああああッッ!!」
最後の咆哮が轟き、少年の刃の黄金が縦横無尽の軌跡を描き出す。
一撃、ニ撃――三、四、五。
グリームニルの詠唱の一節が紡がれるごとに、彼の剣は加速していく。
「みんなのために――僕は、絶対に勝つ!!」
六、七……十撃。十一撃。
少年の連続技は止まらない。
一撃が重なるごとに彼の剣は輝きを増していた。全属性の色が混じった、虹色の光――それはかつてシル・ヴァルキュリアが発動した「究極の魔法」が帯びた後光と同質のものであった。
時間という概念すら超越した圧倒的な速度で放たれる剣撃は、もはやグリームニルには捉えることも出来ない。
敵意や殺意、戦意などトーヤはもう捨てていた。あるのは目の前の防壁を破らんとする確固な意志のみ。
叫びと共に加熱する刃が防壁に亀裂を走らせ、悲鳴を上げさせる。
「【武神連斬】ッ!!」
十二連撃技の最後の刺突が、防壁を正面から穿った。
崩壊する魔力の壁。トーヤは咄嗟に剣を引き、身体を翻して背中からグリームニルを押し倒そうとする。
防壁さえ壊せば、鍛えられていないグリームニルを組み伏せることは容易だ。
トーヤはそう勝利を確信する。が――
「【誓いの抱擁】」
赤い瞳に妖しい光を揺らめかす少年は微笑む。
長い詠唱を終えた彼の魔法が、その瞬間に発動した。




