11 吼え、願う
高らかに名乗りを上げた敵の女に笑みを零しながら、ノアは大剣を振り下ろす。
降下の勢いと彼女の全体重を乗せたその一撃を、竜人の女は真正面から迎え打った。
「フッ――面白い!」
腰から抜き放たれる禍々しい紅の長剣。
女の鋭い気合に呼応するように、その武器は薄っすらと青い炎を纏った。
そして、衝突。
ドゴッッ――!! と重量級の剣がぶつかり合う鈍く激しい音を立て、二人の戦士は己の誇りにかけて負けまいと力を振り絞った。
「重く、苛烈なまでの魔力……だが」
竜人――プグナの琥珀色の瞳が、ノアの深緑の眼を穿つ。
【異端者】の彼女は歓喜していた。剣と剣を交わらせたこの一合で、彼女はノアが紛れもない「強者」であることを確信した。
腕の骨が軋むほどの重さ、その圧力。黒く無骨な刃が宿す、凍てつく氷の魔力。そしてその眼差しが訴える勝負への真剣さ。
この女こそが、自分が求めた戦いの相手だ。こいつを倒せば、プグナは最強の【異端者】になれる。あの『エキドナ』にも劣らない、無双の戦士に――。
「悲しいかな、武器の性能が足りていない!」
プグナの鎧の下で、鱗に覆われた腕の筋肉がぐぐっと隆起する。
彼女が握る剣は、彼女が祖先から代々受け継いできたものだ。『始祖竜』の霊魂を宿すとされる、獲物の血を吸って紅く染まった刃は、千年もの間折れずに敵を討ち続けた業物である。
撓る紅剣は白銀の剣を押し返し、膂力に任せてノアごと吹き飛ばす。
「っ、こいつ――!?」
――強い、とノアは目を剥いた。
【異端者】は所詮、怪物。千と五百年もの時を戦い抜いてきたノアに及ぶべくもないと思っていたのに――。
その彼女の見込みは半分正しかった。剣技に於いてはノアの経験の方が上回っているのは、明らかだ。だが、武器の性能で差を付けられている。
ノアが最高のパフォーマンスを発揮できる剣は、現在トーヤの手に渡っているのだ。今、彼女が扱っているのはその『白銀剣』の改良版だったが……データの蓄積によって学習し強くなる特性上、それがまっさらに近い新型はそこらの剣と大差ない。
「簡単に負けるつもりなんて、ないよッ――!」
竜神の剣圧に吹き飛ばされながらも、ノアは即座に空中で体勢を立て直した。
魔力を纏わせた剣先を甲冑の竜人に照準し、風と氷の複合魔法を撃ち放つ。
鋭い風切り音と共に飛来する氷の刃の連撃に、プグナは――
「小賢しいな」
そう苛立ちも露に呟き、地面を蹴った。
硬い土に亀裂を刻むほどの力で跳躍した彼女は、空中のノアだけを見ている。
「私はお前との剣戟を楽しみたいのだ。魔法など使われては、興醒めする」
鎧に触れた側から白く蒸発していく氷たち。
プグナの発する闘気が魔力となり、熱を生み出しているのだ。
振り絞った剣は射られた矢のように、ノアの胸めがけて突き出される。
刃の側面で咄嗟にそれを受けたノアは、プグナの膂力で弾かれるのを逆に利用し、そのまま足から着地を決めた。
短い下草の地面を抉りながら剣を構え直すノアは、次いで眼前に着地したプグナを見据え、ニヤリと笑った。
「まさか、敵側からそんなことを言われるとはね。ただの怪物……そう侮ったこと、謝罪しよう」
「……怪物だろうが人間だろうが、私にはどっちだっていい。ただ闘争に身を委ねる、それだけだ。戦いは私に新たな何かを見せてくれる。私が私である理由を教えてくれる。だから――」
プグナの瞳は冷たく滾っている。
鎧兜の下から覗くその獰猛な眼に、ノアはただならぬ殺気を感じ――直後、
「その技を、その燃える魂を、私に見せてみろ!」
両者、同時に地を蹴り――剣を交える。
*
「アリス、ヒューゴさん、矢の残量がもう僅かよ……!」
焦燥を孕んだヨルの声に、そこで兄妹は初めてその事実に気がついた。
二人は一心不乱に、一秒も途切れさせることなく交互に矢を撃ち続けていた。その甲斐あって、数に任せた敵の戦力は確実に削れてはいたが……減らした側から転送魔法で新たに出てくるのだから、きりがない。
大本を断たねば、こうして残弾が尽きて終わるだけだ。
「くっ……ここまでか……」
「ええ、矢がなくては私たちは何も出来ない。最後の一矢を射ち次第、撤退しましょう」
小人族の非力をアリスはしっかりと弁えていた。
悲鳴すら上げられずに毒矢に倒れる凶狼たちを見つめながら、彼女は額に脂汗を垂らす。
大盾を構える傭兵団の壁役たちが怪物の攻勢から自分たちを守ってくれているものの、それもいつまで持つか分からない。
「…………」
体当たりで強引に突破しようとしてくる凶狼の群れを前に、ヨルは逡巡していた。
後方の旅団を襲うべく突撃してくる怪物たちの大半は、ケルやリルをはじめとする仲間たちが阻んでいるが、迂回路を採った怪物たちまではカバーしきれていない。
怪物たちは理知を持たないが、その頭目たる【異端者】の単純な命令をこなすことは出来る。
前へ進め、右に曲がれ、二手に分かれろ。
群れのボス格にかけた首輪――通信の魔道具である水晶玉が取り付けられている――を通じて命じることで進路を分岐させ、敵の戦力を分散させる。
そんな彼らの策に、フィンドラの戦士たちはまんまと嵌ってしまっていた。
――もう、出し惜しんでいる場合じゃない。
怪物の力を解き放てば、獣性に支配され、倒れるまで化け物として暴虐の限りを尽くしてしまう。
そしてその獣性は、力を使えば使うほど強さを増してしまうのだ。次に使った際、もとの人間らしい自我が残っている保証は、ない。
ヨルは人でありたかった。リルと二人で組織から逃げ出し、傭兵団に流れ着いてから知った人の温もりを捨てたくはなかった。これから先も、彼らと共に生きたかった。
だが、それでも。
彼らと未来を歩むためには、ここで勝たなければならない。
例え自分が自分でなくなってしまったとしても、勝利を掴むことで仲間たちの希望が得られるのなら、それでいい。
それから他の誰にも聞こえない囁きを、最後に彼女は零した。
「ごめんね、リル。あんたを好きでいるこの気持ちは、怪物になったとしても変わらないから――」
「ヨル殿、あなたも下がってください! これ以上ここにいるのは危険です!」
必死に手を引いてくるアリスに微笑みかけ、ヨルはその手を振り払った。
「ヨル殿!? 何を……」
食い下がろうとするアリスの口元を、ヒューゴはそっと塞ぐ。
彼はヨルの横顔を見て察してしまった。彼女を止めれば、その意思を踏みにじることになる。
ヒューゴはアリスの手を引っ張って、走り出す。後ろは振り返らず、ヨルの覚悟を信じて。
『ぎゅるるりああああああああッ!!』
戦場に鳴り響いた怪物の産声に、誰もが時を止めた。
エインが息を呑み、ケルベロスは勝ち気に笑い、オルトロスは無言で魔法を撃ち続け、リルは目をあらん限りに見開いた。
ヴァルグはその叫びに苦い思い出を蘇らせる。悪魔ベルフェゴールを巡る戦いで辛酸を舐めさせられた怪物、世界蛇ヨルムンガンド――そいつが、この地で再び目覚めたのだ。
「っ……くそっ、魔力切れか……ッ」
「団長! 俺たちの魔力、受け取ってほしいっす!」
顔を歪め、地面に膝を突くヴァルグに、魔導士の部下たちがすぐさま回復魔法をかけてくる。
それで魔力を回復させるヴァルグは、切れては補充を繰り返す行為が「何度も死にかける」のと同義であることを自覚していた。もちろん、それは青年魔道士たちも承知している。
だが、ここで命惜しさに魔法を止めれば、上空からの敵襲を防ぎ切れなくなる。そうなれば第三、第四旅団は壊滅だ。いくら訓練された兵士たちでも、飛竜に対抗する術は持っていない。
(ここを守れるのは、俺しかいねえんだッ!)
剣の柄を握る腕ががくがくと震えようと、視界が霞もうと、彼は魔法の続行を厭わなかった。
絶え間なく溢れる飛竜たちの悲鳴の残滓が尽きるのは、その全てが絶命した時以外に有り得ない。
決死の覚悟で臨む団長の意思を、団員全てが尊重していた。ヴァルグの部下として活動してきた彼らは、元々悪魔との因縁などなかった。だが、ヴァルグを通して少年らと触れ合ううちに、彼らが持つ熱い思いに胸を打たれるようになった。
今では団員たちもトーヤたちの使命を全霊をもって助けたいと言える。
ゴブリンやオークが振り回す棍棒を躱し、剣で素早く切り込んで乱戦を凌ぐダークエルフのナイトは、モンスターたちの合間を縫って接近してくる白髪の少年に眉根を寄せた。
「リル、何があった!?」
「ナイトさん――今出現したあの怪物、ヨルなんだ! ヨルもオレも、『組織』に作られた怪物になれる人造人間。今まで黙ってて、ごめんなさい……!」
軸足を固定したまま、上半身の動作を最小限にとどめた巧みな細剣捌きでモンスターたちを相手取るリル。
絶命と怒号の合間から届く少年の告白に、ナイトは驚愕しつつも動揺はしなかった。
剣を振るう腕を鈍らせない青年騎士は、「よく打ち明けてくれた」と笑って言う。
「では、あの大蛇は味方だと見て良いのだな!?」
「う、受け入れてくれるのか……!?」
「当たり前だ! お前たちは仲間なのだから――それ以外の理由など必要あるまい!」
背中合わせに戦う青年の言葉に、リルは視界が滲みそうになるのを必死に堪えた。
ナイトはあらん限りに声を張り上げ、周囲の団員たちにヨルとリルのことを伝える。その知らせを受けた他団員たちの反応も、青年騎士と似たようなものだった。
「ありがとう、皆。――ヨルが力を解き放ったんだ、オレだって!」
絶対にこの場を乗り切り、ノエル・リューズの野望を打ち砕く。
その強い意思があれば、怪物の本能にも抗える気がした。仲間に認められ、力を尽くせるこの状況ならば、何だって出来ると思えた。
少年は吼える――怪物の力を身に宿すために。
少年は願う――怪物の性に負けぬように。
「うあああああアアアアアアアアアアッッ!!』
純白の光に包まれ、銀狼は姿を現した。
その鋭利な爪牙は本来、人を喰らうためのもの。そのあぎとから噴出する炎は、神を殺すためのもの。
だが今は、それら全てを怪物を倒すために使う。
炎を脚部に纏う神速の銀狼は、怪物の鯨波へと勇猛果敢に突っ込んでいく。
「あれが、リル君なの……!?」
踵落としで角兎の頭蓋を叩き割り、脳漿を浴びながらリリアンはその怪物の猛威を目撃した。
獣や亜人型の怪物の腹や首を食いちぎり、血の通わないアンデッド型の怪物はその白き火焔で再起不能に追い込んでいくフェンリルは、確かに『怪物』であったが――そこには間違いなく人の「闘志」があった。
眼だけは変わらない。あの熱く生意気な赤い瞳は、リルのものだ。
『ぎゅるああああああああああああッッ!!』
濁った咆哮と同時に放たれるのは、巨大な尾の一薙ぎ。
押し寄せる怪物たちを問答無用で一掃する一撃に、傭兵たちの歓呼の声が上がった。
ヨルの理性はぎりぎりのところで保たれていた。彼女は味方を巻き込む広範囲に毒液を撒き散らす攻撃は用いず、その巨大な体躯を活かして戦っている。
小型から中型のモンスターたちには、それだけでも十分すぎる脅威だ。全長100メートルにも及ぶ超大型級の大蛇は怪物の軍勢を阻む壁になり、後方の兵士たちを守った。
「怪物たちに気を取られるな! 向こうはフィンドラの戦士たちが何とかしてくれる! 止まらずにストルムを目指せ! 第二旅団に続くのだ!」
第三旅団の壮年の指揮官は、怪物たちの叫喚に塗れる戦場に目を釘付けにしている兵たちを叱咤する。
ほどなく滞りない進軍を再開した彼らだったが、二体の怪物がフィンドラ陣営と協力している光景を脳裏から引き剥がすことは決して出来なかった。怪物であるはずなのに人以上の強固な信念で戦っているのだと、彼らは直感的に理解していたのだ。
そして二人に奮い立たされたのは、兵士たちだけではない。
ケルベロスとオルトロス、そしてヴァニタスも【魔獣化】を発動し、無数の怪物たちへと飛びかかっていった。
冥界の番犬たる彼女らが放つ魔炎は、みるみるうちに怪物らを飲み込んで灰に変えていく。
『あは、あたしたちって天才じゃないですか?』
『自惚れないでくださる? 油断してると、私が追い抜いてもよくってよ』
三つ首の獣人と美醜の魔女は、半目しながらも互いの実力を認めて共闘していた。
そんな二人と共に、弟分の黒き魔犬は牙に炎を纏わせ、肉薄した敵を燃やし尽くす。
気づけば、怪物が魔法陣より現れる速度を討伐のペースが上回っていた。
「……お仲間が押されてるけど?」
もう何合、剣を打ち合わせただろうか。
汗を滝のように流すノアは、対峙する甲冑の竜人に勝気な笑みを浮かべてみせる。
技と駆け引きにおいてはノアの方が優っていたが、武器の性能と本人の持久力ではプグナが上だ。このまま縺れれば、軍配はプグナに上がる。
どこかで活路を見出さねば――女傑の内心では、そんな焦りが首をもたげていた。
「だったら、どうした?」
敵の注意を逸したい一心で発した言葉も、そう一蹴されてしまう。
駆動する肩、肘、手首――瞬く間に銀閃を繰り出す彼女の身体は悲鳴を上げていた。
中段からの刺突、肘当てで弾かれる。
斜め下からの斬り上げ、体を捻られ躱される。
そこから返しの斬り下げ――その長脚に蹴り飛ばされる。
「っ……!?」
ノアだけが、疲労している。
全力の彼女に対してプグナの呼吸は一切乱れていない。無駄な動作を完璧に省き、消耗を極限まで減らした剣術。速度と膂力で押すノアの戦い方を「剛」とすれば、相手の動きに合わせて受け流す彼女のそれは「柔」だ。
「お前は強い。だが……鈍っているな」
プグナの指摘にノアは閉口するしかなかった。
直近の戦闘経験の密度、その差がここに来て如実に表れていた。
『闘争』に何より価値を置くプグナは、おそらくモンスターたちを相手に連日連夜、苛烈な争いを続けてきたのだろう。
それに対してノアは、神殿ノルンの戦い以降、『組織』の本拠地を暴くための調査に専念していた。組織やノエルに嗅ぎつかれないよう、その過程で戦闘は極力避けていた。
埋められないブランク――それさえなければノアは自分を下せていたかもしれない、とプグナは言外に告げた。
「お前が実力者であるのは認めるが、その冴えのない剣では面白くなかった。次にまみえた時は、もっと楽しませろ」
それが最後通牒であった。
紅の剣がどくん、と燃える魔力の光を脈動させる。
「はぁ、はぁ……あ、あんたも、なかなか苦戦させて、くれたね。怪物で、なかったら……良い、友になれた……そんな気さえ、するよ」
あの一撃を食らえば自分は再起不能になる。ノアはそう確信した。
息も切れ切れにプグナを賞賛する彼女は、竜人の背後にある【転送魔法陣】に目をやる。
無数に生まれ出る怪物たちはノアとプグナを避け、フィンドラとルノウェルスの戦士たちへと一直線に向かっていた。その勢いが緩和する様子は全くない。どうやら、【異端者】の拠点にはノアの想定以上の怪物の「巣」があることは間違いなさそうだ。
あれを断てば、この戦場から怪物どもを駆逐できる。
「これで……終わらせる!」
ノアは鋭く呼気を吐き、地を蹴りつけた。
大きく振りかぶる風を纏う剣。全体重を乗せた、隙が大きい代わりに一撃の威力に特化した最大出力!
「ほう……へし折ってやる」
琥珀色の竜人は目を細め、兜の下で舌なめずりする。
心臓が歓呼していた。闘争がもたらす興奮が全身を震わせる。
「柔」の戦いは止めだ。正面から「剛」の剣で勝負する。どちらが真の強者なのかは、それで決まる。
「はあああああッ!!」
「ふッ――!!」
ノアの裂帛の咆哮と、プグナの静かだが激しい気合が衝突する。
次いで、風の剣と炎の剣が甲高い激突音を打ち鳴らした。
鎬を削り、軋みを上げる二つの剣。
その力は――完全に、互角だ。
「くっ……!」
「ちッ――!」
ノアは歯を食い縛り、顔を歪ませる。
プグナは舌打ちしながらも、敵の全力に愉悦していた。
ここからは根比べだ。先に体力が尽きたほうが負ける。
押されまいと足を踏ん張り、目と鼻の先にある相手の顔を睨みつける。
使命のため、渇望のため。目的は違えど、勝利を求める意志は同じだ。
――負けられない!
全身の力を振り絞り、相手を打ち負かさんとする両者の魔力は極限まで高まった。
暴風と爆炎。剣を握る当人をも巻き込むほどの苛烈な魔力が迸り――そして。
「今だよ、少年ッ!!」
女傑の呼号が響き渡った。
その瞬間、天空に舞うのは角ばった翅を広げたシルエット。
咄嗟に振り仰いだプグナが見たのは、逆光の中でも妖しく輝く真紅の瞳であった。
「ふふっ……その魔力、食らってあげる!」
高らかに告げてくる少年の声に、プグナはすぐさま視線をノアへ戻した。
驚愕に次いで湧き上がった感情は、怒りだった。
「この期に及んで横槍を入れさせるなど……!」
お前には戦士の誇りはないのか。そう訊ねてくるプグナに、ノアは唇を引き結ぶだけだった。
感情は変化するが、高まった魔力が色褪せることはない。
太陽を背負って天を翔ける白髪の少年は、腕のひと振りでノアとプグナを囲む赤い光の檻を出現させる。
その、直後だった。
「何っ……!?」
プグナが剣に纏わせていた魔力が、跡形もなく霧散していた。
それだけではない。ノアの剣のそれも、彼女らが体内から解き放とうとしていた魔力も、何もかもが封じられてしまっている。
「……まあ、いい。剣で始末するだけだ」
鎬を削る膠着状態は、どちらかの力が勝った瞬間に決着する。
出せる膂力の全てを込め、ノアを得物ごと押し倒そうとしたプグナだったが、しかしそれは出来なかった。
身体に力が入らないのだ。剣を持つのもままならないどころか、纏った鎧の重量に耐え切れずに膝をつく。
「何を、仕掛けた……!?」
プグナはそれでも諦めはしなかった。自分と同じくへたり込んでいるノアを、どうにか首を上げて睥睨する。
だが、答えは聞かずともすぐに悟ることとなった。
「【我は蝿の王の背信者。然れども、其の力を識る者なり。かつて溺れた此の力、再び我が手にもたらさん。貪りし力は、新たな光へ。かけがえのない輩を、世界の平穏を、護る為に】――【暴食の魔眼】!」
詠唱が玲瓏に響き渡る。少年の右の眼はプグナとノアを、左の眼は【転送魔法陣】を捉えていた。
構えた二刀、【紅蓮】にはそれぞれ、風と火炎の魔力が宿る。
アナスタシアとアズダハークの共同開発の試作品、【超兵装機構・飛翔型】を以て空中戦を実現したエイン。彼は魔法陣から飛び出してくる飛行型モンスターを自在な高速駆動で躱しながら、その魔剣を魔法陣へ向けて振り下ろした。
斬撃に乗せて射出される二色の魔力は、寸分たがわぬ狙いで陣の中央を穿っていく。
「いっけぇええええええッ!!」
火炎を孕んだ爆風は、少年の雄叫びに呼応するように威力を増幅させた。
視界を塗り潰す白煙と熱風。怪物たちをも巻き込んで連鎖していく魔力の爆発に、魔法陣が限界を迎えるまでは束の間だった。
魔法陣が破壊された――それを悟った刹那、ノアは動けずにいるプグナに腕を伸ばし、彼女を守るように抱きしめる。
直後、魔法陣を構成していた魔力が行き場を失って周囲へ拡散された。津波となって全方位へ押し寄せるそれは、この戦場にあるあらゆるものを薙ぎ払った。
爆心地近くにいた怪物は一瞬にして燃え尽き。魔法陣から数百メートル離れた位置に陣取っていたフィンドラの戦士たちも、爆風に殆どが吹き飛ばされた。
その中でも立ち続けられたのは【怪物の子】たちだけであった。足元に転がる怪物たちは、動けるものから起き上がり始めていたが、彼らはそれを淡々と潰した。
そして、この結果を導いた当人のエインは。
「はぁ、はぁっ……! やった、出来たっ……!」
対象の魔力を「喰らい」、それを自らの魔法に転用する。それこそが彼の新たな切り札、【暴食の魔眼】だ。
ベルゼブブの「能力を奪う」力を再現したこの魔法を、彼は絶え間ない特訓の末に身につけていたのである。
実戦での初成功に、エインは素直に喜びを露にしていた。
トーヤやエルたちと肩を並べられる戦士になりたくて、必死に努力を重ねてきたのだ。それがこうして形になった。嬉しくないわけがない。
と、その時――背中で低く立てられていた翅の稼動音が、止まった。
――え、うそ、なんで……!?
胃が下へ引っ張られる感覚と同時に、眼下に映る地面との距離がどんどん縮まっていく。
溺れた子供のようにもがくが、浮遊魔法を使うだけの魔力も残っていない。
――ぼくは、ここで終わるのか……? そんなの、いやだ……!
だが彼には何も解決策を導き出せない。
絶望の中、大地は無情にも迫ってきている。
諦められない、それでも何もできない。涙に濡れる瞼を閉じ、唇を噛み締めた彼だったが――。




