4 王女の決意
「エミリア殿下と面会させてください! 僕が話さなきゃ……神器使いとして、僕が……!」
トーヤはエミリアの居室の前に訪れ、扉の側に立つ兵士に詰め寄った。
額に脂汗を浮かべて焦燥を露にしている少年の様子に、番兵の男性は狼狽える。
縋るように見上げてくる彼の瞳は追い詰められた獣のように必死で、番兵は目を背けたくて仕方なかった。
エミリアは一昨日に過労から倒れ、静養の時を過ごしている。アレクシル王とエンシオ王子の帰還が予定より遅れてしまっているため、現在は元老長が王の代理を勤めていた。
「ま、待ちたまえ。殿下には休息が必要なのだ。彼女の心身が回復するまで、医師以外との面会は禁じられている」
「……っ、で、でも。ノエル・リューズに対抗するにはエミリア殿下の力が不可欠なんです! スウェルダの兵士にかけられた洗脳を解くには、彼女の『魅了』で上書きするしかない!」
ノエルをいち早く倒さなければ。彼の支配が実現し、スウェルダが名実ともに彼のものになってしまえば――肥大した彼の【傲慢】が、【悪魔の心臓】を呼び覚ます結末を招きかねない。
これはトーヤが最も危惧していたシナリオだった。これだけは現実に起こってはならないことだった。しかし……予感していながら、防げなかった。自分たちの行為はノエルを刺激しただけで、それ以上の成果を齎さなかった。
「これは世界の危機なんです! エミリアさん、聞こえてますか!? エミリアさん、貴女の力が必要なんです!」
「き、君っ!? 止めたまえ!」
自責の念が少年を駆り立て、王女という「武器」に縋らせる。トーヤは番兵の制止を振り切ってエミリアの部屋のドアを激しく叩き、鬼気迫る形相で呼びかけた。
「エミリアさん、聞いてるんでしょう!? エミリアさんッ――ぅくっ!?」
次の瞬間――バシャリ、と。
頭から冷水を浴びせかけられたトーヤは目を剥き、背後を振り向いた。
「な、何するんですか!?」
「何するんですか、じゃないよ馬鹿ッ! 今の君、全然かっこよくなんかない!」
そこにいたのは、杖をトーヤへ突き出して叱咤するティーナ・ルシッカであった。
呆気に取られる番兵にこの場は任せるよう視線で訴え、彼女はトーヤに歩み寄ると――びしょ濡れになった彼の身体を強く抱き締めた。
自分も濡れてしまうことも構わず、言葉を失う少年の首元に顔を埋めたティーナは、涙声で彼に告げる。
「トーヤきゅん……怖いよ。君らしくない」
その言葉にトーヤははっとする。
焦燥のあまり自分はエミリアを慮ることを忘れていた。彼女を単なる【神器使い】という戦力として扱い、彼女という人間として見ていなかった。
――最低だ。
人のことを戦いの道具だとする考えは、自分が嫌ってやまないノエルのそれと同じではないか。
「ごめんなさい……僕は、周りが見えていなかった」
客観視してみた自分は何と愚かしかったか、トーヤはそんな自己嫌悪に陥る。
ティーナは彼の背中を優しくさすりながら、諭すように言った。
「気づけたならいいんだよ。有事に人を追い詰めるのは焦りだ。冷静に、厳格に、今起きていることを俯瞰できる――君みたいな実力者に求められるのは、そういう資質だ」
抱いていた身体を離し、ティーナは少年の顔を正視した。
トーヤの瞳には普段の彼らしい、強い光が戻っていた。自分を見据えてくる彼の目に「わざわざ水をぶっかけた甲斐があった」と安堵するティーナは、番兵に声を投じた。
「お騒がせして悪かったね。警護を続けて」
頷く番兵に手を振ると、ティーナはトーヤを連れて廊下を歩きだした。
行き先は、会議場である『円卓の間』。焦りは禁物といったが、同盟を組んだ以上フィンドラがスウェルダの危機を見逃すわけにもいかない。そこに悪魔が関わっているのなら、なおさらである。
エミリアもエンシオもアレクシルもいない。そんな現状で何が出来るのかと、臣民は不安を抱いているはずだ。【神器使い】の王族というカリスマ的存在によって引っ張られてきたのが、この国の姿なのだ。その精神的支柱がなければ、彼らは確実に脆くなる。
「エミリアたんについては、倒れた原因が分かっているぶんまだマシだ。問題はエンシオっちと陛下だよ。彼らと未だに連絡が取れない。こんなこと、普段なら有り得ないのに……」
外交先――マギアの使者との会談の地――で、二人に何かが起こったのだとティーナは断定していた。
それはトーヤも、他の臣下たちも同意見であった。外交先でのトラブルか、それとも帰還中の船の事故か。理由は定かではないが、タイミングが悪すぎるとしか言い様がない。
「それでも、僕たちだけで乗り切るしかない。僕らが力を授かったのは、こういう危機に抗うためなのだから」
憑き物が落ちた少年の横顔は頼もしい。ティーナは彼に頷きかけ、その手を引くと歩く足を早める。
フィンドラの武器は『フィルン魔導学園』をはじめとする「魔法」の技術だ。三国の中で最も発展し、マギア帝国にも追随しようという魔導の力があれば、ノエルにも十分に対抗できるはずだ。
円卓には既に国の中枢たる大臣たちが集っていた。空の玉座にちらりと目を向けてから、ティーナはトーヤを伴って空いていた席に座る。
(みんな、来てくれてるね)
この円卓の間には【神器使い】の面々が全員出席していた。シアン、ジェード、ユーミ――彼女らは緊張を帯びていながらも、覚悟を秘めた眼差しでティーナとトーヤへ視線を送る。
「エインは……まだ来てないのか」
白髪の少年の姿がないことに気づいたトーヤが呟くのと同時に、バタン、と勢いよく扉が開けられて最後の入室者がやって来た。
「す、すみません……遅れ、ました」
汗だくになって肩で息をするエインは、膝に手をついてうなだれる。
彼の格好は半袖シャツにハーフパンツという練習着であり、つい先程まで修練に励んでいたことを窺わせた。
「いや、大丈夫だよ。とにかく座って、あ、あとお水も用意してあるからね!」
少しの遅れを責めることに時間を割きたくはない。王の右腕としてこの場でも最上位の立場であるティーナは、エインにそう促した。
揃った全員の顔を順々に見ていきながら、ティーナは喫緊の議題を提示する。
「ノエル・リューズが起こした反乱により、ストルムは制圧され、彼は『新生リューズ王国』の誕生を宣言している。悪魔が齎した血の革命……それを私は否定したい。三国同盟の一員として、我が国はこの危機に対処すべきだと思いますが、皆様方はどう考えますか」
国として動くにはそれなりの手続きが必要だ。王がいれば彼の一声でどうにでもなるが、生憎彼は不在。行動の全ては、軍や議会の意思を確認した上でのものとなる。
ティーナの問いに、大臣や軍の高級将校たちはそれぞれの意見を述べていく。
ノエル・リューズの『新生リューズ王国』は断じて認められない――それはこの場の全員の共通認識であった。
「我が国とスウェルダはかつて敵対していたとはいえ、ケヴィン王には多大な恩を頂いた。我が軍を挙げて逆賊を討つ、それこそが彼への弔いとなりましょう」
軍部はこの事変に戦力を費やすことを厭いはしなかった。
しかし、そこで防衛大臣が難色を示す。
「気持ちは分かるがね、大将。最優先は国防だということも忘れないで頂きたい。それに……ノエルを討つために挙兵したとして、それは我が国とスウェルダの戦争という形になる。『新生リューズ王国』を認めない以上、あれはスウェルダ王国だ。スウェルダに我が国が攻めるような形になるのは、同盟を組んだ間柄として不味いのではないか?」
「しかし大臣! この件には悪魔が関わっている、なりふり構っていられない問題なのですよ!」
「落ち着きたまえ、大将。軍とはあくまでも政府の下にあるものだという大原則を、忘れたわけではありますまい?」
語気を荒げる壮年の大将を、老練の防衛大臣は冷静になだめた。
軍に纏わるあらゆるものの最終決定権は己にある――その事実を突きつけられれば、大将も矛を収めざるを得なかった。
「大臣の言い分は正しいよ。ここで隙を見せれば、マギアはすぐに好機と見なして攻めてくるだろうからね。ただでさえスウェルダが危地にあるというのに、マギアの侵略を許してしまったら――三国は文字通り崩壊する。海に面したフィンドラが最後の砦なんだ」
マギアに征服された国は強制的に文化を破壊され、思想を魔導士至上主義に塗り替えられる。そうなれば、これから三国同盟が築き上げようとしていた「種族による差別のない平等な国」という理想は崩れ去ってしまう。
それだけは阻止しなくてはならない。他国を武力で支配し、その思想を押し付けるマギアの暴虐に屈するのは、三国の歴史への裏切りだ。
王に一生を捧げると誓ったティーナは、語気を強めて訴えた。
と、そこでこれまで静観していたトーヤが口を開く。
「大将殿と大臣殿、どちらの意見も一理あります。僕たちは悪魔に対処した上で、マギアの侵略を退ける必要がある。ですが……その両方を一手に担うというのは、実際リスクの方が大きいと思うんです。
ここは、同盟の利点を存分に活かすべきでしょう。フィンドラは対マギアを見据えて防衛に専念し、ノエル討伐はルノウェルス側に任せるんです。危機が二つなら、二カ国で分担して臨めばいい」
少年の発言に正面から異を唱える者はいなかった。だが、大臣の一人がルノウェルス側への懐疑を示す。
「だが、ルノウェルス側の戦力は十分なのか? あの国は最近まで悪魔の支配下にあり、腐敗していた。財政もボロボロで軍もろくに機能していなかったと聞いている。そんな国にスウェルダ軍を従えるノエルを倒せるのか? 下手を打てば、ルノウェルス側が大打撃を被ることになる。そうなれば尻拭いさせられるのは我々だ」
その論が引き金となって、列席する大臣たちは口々に意見を述べ出した。
この国の運命を左右する事態に、彼らも平静ではいられなかった。声音は熱を帯び、議論は段々と激しさを増していく。
「た、確かにそうだ。それにルノウェルスとスウェルダの間には『スカナディア山脈』が連なっている。軍を送るには西の海側を回り込むことになるが、それでは時間がかかりすぎる。我が国ならば海を経由するとはいえ、距離的には近い」
「ルノウェルスにも働いて貰うべきだろう。だがその上で、我が軍からも少数に絞って部隊を送ればよかろう」
「しかし、二カ国間の混成部隊を組んだとして、まともに連携を取れる算段はあるのか? 合同訓練を行う時間などないぞ」
「ああ、だから前々から合同訓練をせよと申し上げていたのですよ。それなのに大臣、あなたという者は……」
「大将殿、まさか私に先見の明がなかったとでも言うのか? 失礼な……ルノウェルス側には私の方から交渉していた。それに取り合わなかったのはあちらであって――」
「そんなこと、今初めて聞きましたよ! 己の失態を誤魔化すために嘘は言わないで頂きたい!」
防衛大臣の発言に大将が激昂し、その指摘に失言の当人である大臣も顔を真っ赤にして言い返す。さらに軍部側から大臣を糾弾する発言が相次ぎ、その言葉選びの酷さに政府側の面々も声を荒らげ始める。
こういった口論は、普段の議会では殆ど見られなかった。アレクシル王がいる場に於いて、そのようなことがあるはずはなかった。
ティーナに落ち度があるわけではない。この未曾有の危機が彼らの歯車を狂わせているのだ。
「みんな落ち着いて! ここは『円卓の間』であって、喧嘩する場所じゃない! 冷静で建設的な議論をしなきゃ!」
「黙れ小娘! 陛下に良くされているからって調子に乗りおって……知識だけで何も為せない軟弱者が!」
この場を鎮めなければ終わる。ティーナは怯まずに大臣たちへ叫んだが、それは火に油を注ぐだけであった。
ヒートアップしてしまった彼らは引き返せない。この混沌を巻き起こした元凶の防衛大臣は、特にそうだ。失態が露呈した挙句に自分の孫ほどの小娘に諫められている――そんな状況は恥さらし以外の何物でもない。
防衛大臣から浴びせかけられた罵倒にティーナが言葉を失い、もはや誰にもこの狂騒は止められないとも思われた最中――ガタンッ! と。
『円卓の間』の扉が勢いよく音を立てて開かれ、人々の注意は一斉にそちらへ向いた。
「何を騒いでいるのですか! 貴方たちは陛下や私がいなければまともに議論が出来ないほど、落ちぶれてはいないはずです!」
厳然と宣うのは、軍務の際に用いる黄金の鎧を着用したエミリア王女であった。
その表情には、ティーナと会った際に宿していた鬱屈した色はなかった。
――自分の見据えるべき道を見つけたんだ。
晴れやかに澄んだ彼女の瞳を見てティーナはそう察した。エミリアにはもう、迷いはない。進みたい場所へと己の意思で行く覚悟があった。
「ティーナ、ここからは私が議長を務めます。それから書記、ここまでの記録を見せてください。すぐに読み込みます」
「エミリアたん……! いいよ、いいよっ! あとは任せた!」
エミリア・フィンドラはティーナの隣席、空いていた玉座に着いた。
しん、と円卓は無音の空間へと変貌する。皆が皆、緊張を纏っていた。エミリアが発するオーラ、そこにあるカリスマが確固たるものだと、このとき全員が改めて理解していた。
「……大方は理解しました。では、陛下に代わって私がこの議論に終止符を打ちましょう」
王女ではない、エミリアという自分。王族として公の場では毅然と振舞い、城の生活ではか弱い乙女の顔を纏ってきた彼女が見つけられずにいた、本当の「エミリア」とは何なのか。
彼女はティーナに羨望を覚えた。自由奔放な彼女は型にはまった自分とは正反対の人種で、そこに密かな憧れを抱いた。だが……責務を投げ出して旅に出るだとか、そんなことは望まない。アレクシル王のもとに生まれついてフィンドラ王国という国を根幹から見てきた彼女は、最後までこの国に添い遂げたいと願う。
ティーナやトーヤ、そしてエルをはじめとする彼の仲間たちなど、エミリアの周囲には信頼できる友がいる。そして何より――同じ日に生まれ、神器使いとしても志を同じくする実の兄、エンシオがいる。彼らはエミリアに無償の親愛の情を注いでくれる存在だ。そんな彼らと、エミリアは共に歩んで行きたいと思った。
理性で説明できるような根拠はない。だが、心が訴えている。自分は支配の機構などにはなりたくない。友情も、愛情も知りたい。感情を捨てたくなどない。
自分はアレクシルの敷いたレールは走らない。行くのはかけがえのない仲間たちと歩む、政治家としての道だ。――その理想はフィンドラ王国という国の在り方を今後変えていく可能性を有しているのだが、エミリア自身はまだそれを表に出そうとは思っていなかった。
「まず、我が国のスウェルダへの挙兵ですが、これは控えましょう。言うまでもなくマギアはここ最近で急速に版図を拡大しており、北へ北へと侵攻しています。彼らの毒牙がこのスカナディア半島まで及ぶのに、どれほどの猶予があるか……。警戒を怠った瞬間に喉笛を食いちぎられる、そう考えて良いでしょう。我が国は防衛に専念し、海軍の増強を急ぎ行います」
軍の将校たちはエミリアの決断に異論を唱えなかった。陸海両軍の大将は王女へ恭しく敬礼し、「承りました」と応える。
「しかし、我が国としてもスウェルダの危機は見過ごせません。そこで、軍とは別の精鋭部隊を選出し、彼らをルノウェルス軍に同行させることにします」
軍とは異なる精鋭部隊――その言葉に、つい先日の出来事が一同の脳裏を過ぎった。
リューズ邸を襲撃し、『リューズ』が悪魔に関与していた証拠を暴き出した少年たち。ノエル・リューズの【悪魔】の能力に対抗しうるのは、彼ら以外にいないだろう。
「トーヤ君……私はあなたを、あなたたちを頼りたい。応えて、くれますか?」
エミリアの眼差しにトーヤは力強い笑みを浮かべ――そして、頷いた。
「はい。僕たちが必ず、ノエルを討ちます」




