13 すれ違う思い
次の日から、僕らはリューズ邸の使用人として本格的に働き始めることとなった。
初日、二日目と通して色々覚えることも多くて大変だったけど、この仕事が少しずつ自分の身に染み付いていくのを僕は感じていた。
掃除、皿洗い、調理等々。やることは沢山あった。でも、それは何ら苦ではなかった。
周りの雰囲気がそう感じさせた部分もあるだろう。シェスティンさんやモアさんたちが優しく指導して下さった部分も大きい。そして何より周りで働いている人たちが皆楽しそうな表情で、僕らも自然と笑顔になっていた。
ここでの仕事を始めて三日目の朝。
今まで出払っていたノエルさんが、帰ってきた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
僕らは門の前でノエルさんを待ち、お辞儀をする。
「やあ、皆。遅れてすまなかった」
ノエルさんは爽やかな笑みを浮かべて言う。
この場の誰もが、ノエルさんが遅れた事については責めるような気持ちは持っていなかった。
「トーヤくんたちは、もう仕事には慣れたかな?」
使用人の中から僕らを見つけ、ノエルさんが訊く。
「いえ、まだ慣れない事の方が多いです。でも頑張ってます!」
「そうか。精進しなさい」
玄関口からアマンダさんがこちらへ走って来る。
彼女は父親に駆け寄り、心配そうに訊いた。
「あらあら、お父さん! 遅かったじゃない、何かあったの?」
アマンダさんに訊かれノエルさんは苦い顔になる。
「大丈夫だったか? 何も、問題はなかっただろうな?」
「……? 何もなかったけど。ルーカスも居たし、特に問題はなかったと思うわ」
アマンダさんは、ノエルさんの表情の意味がよく分からず言った。
「ねぇ、お父さん。何かあったんでしょう?」
ノエルさんは唇を噛んで暫く押し黙っていたが、やがて口を開いた。
「商談が、破談になった」
アマンダさんが目を見開く。
「やっぱり……ルノウェルスね?」
二人は玄関を通り抜け、僕らはその後をついていった。
「ああ。あそこの経済は今最悪な状態だ。リューズ商会でも力を尽くしているが、事はこちらの想定を遥かに上回って進んでいるようだ」
「では、どうするの? お父さんの力でもどうにもならなければ、あの国には破滅しかないわよ」
アマンダさんは深刻な顔で言う。
破滅。その言葉が僕らの胸に静かに突き刺さる。
隣国の民は、今苦しんでいるらしい。僕たちも、いつか同じ状況になるかもしれない。他人事では済まされない話だった。
「……どうもしない。私達の手では及ばないのであれば、放っておくほかないだろう。まぁ勿論、被害を最小限に抑える努力は惜しまないつもりだがね」
ノエルさんは不敵な笑みを浮かべる。
アマンダさんの表情は見えなかったが、少し身悶えしたのがわかった。
「そうね、お父さん。私も出来るだけ力を尽くすわ」
アマンダさんは抑揚の無い声で言った。
「それで、今後のプランだが……」
「何だよ、仕事の話? 俺も入れてくれよ」
ルーカスさんが、二人の前に立っていた。
アマンダさんとノエルさんの間に何だか気まずそうな空気が流れる。
「ルーカス。あなたにはまだ早いわ」
アマンダさんは吐き捨てるように言った。
「どういう事だ? 姉さん」
ルーカスさんはわなわなと唇を震わせ、アマンダさんに詰め寄る。
「あなたにはまだ早いと言っているのよ。わかったらどきなさい」
ルーカスさんが拳を握り締める。ゴツゴツとした手は強く握り締められるあまり、関節が真っ白になっていた。
「ルーカス……私も、お前にはまだ時期尚早だと思っている。お前はもっと勉強したほうがいい」
ノエルさんが表情の無い顔で言い放つ。
ルーカスさんは俯き、立ち尽くしていたが、やがて走り去ってしまった。
侍女長が、慌ててルーカスさんを呼び止めようと叫ぶ。
「お待ちください! ルーカス様!」
しかしルーカスさんはその声に応えない。
僕らは、何もできずにルーカスさんの背中を見つめていた。
* * *
「リューズ家でも、こんなことがあるんですね……」
シアンは机に突っ伏した姿勢で、憂鬱そうにしていた。
「そうだね……ルーカスさんとあの二人の間に溝があったなんて」
僕は彼女の隣で温かいミルクティーを頂いていた。
女性用の使用人室は、夜以外では男性の使用人が入っても良いことになっていた。なので僕は今、シアンに誘われて仕事が始まるまでの時間、一緒にお茶をすることになった。
ちなみにジェードも一緒に来ないか誘ってみたのだが、何故か拒否された。女の子だらけの部屋に入るのに抵抗があったのだろうか。
「たとえすれ違ってしまっても、それでも……いつか、元に戻れたら、いいけど……」
僕は、それを言ったのがエルだと気付くのに数秒の間を要した。
「……エルか。確かに、そうだよね」
「ちょっとしたすれ違いから、大事になってしまうこともある。早い段階でわかりあえなければ、後々にそのツケが回ってくる」
エルの目は、どこか遠くを見ている目だった。
今日の僕の仕事は庭の手入れだった。僕と一緒にいるのは、エルとシェスティンさんだ。
広い庭仕事では、数人でチームを組み手分けして行うのがルールなのだという。
「はい、トーヤくん、エルちゃん! 君達の分も持ってきてあげたよ!」
力持ちのシェスティンさんは僕らの分だけでなく、他の皆の使う用具まで持ってきて配っていた。
僕らは彼女から必要な用具を全て受け取り、早速仕事を開始する。
「さっき侍女長に言われたこと、忘れないようにね、トーヤくん」
「忘れないよ。ルーカスさんが剣を教えてくれるって言うんだ。行かなきゃ損でしょ」
仕事に出る前に侍女長に呼び止められた僕は、ルーカスさんが今夜中庭に来て欲しいと言っていたと伝えられた。
今夜の出来事に今からワクワクしながら、僕は仕事に取り掛かる。
「はぁ……疲れたー」
半日の庭仕事を終え、僕も、エルもヘトヘトになり、刈られたばかりの芝生の上に大の字になっていた。
「あはは、お疲れ! 皆の分も用具、片付けたげる!」
シェスティンさんは僕らと同じ仕事を同じ時間やっていたのに、まるで疲れている気配を見せなかった。他の使用人たちも、畏怖するような目で彼女を見やる。
「よっこらせ……」
僕は疲れて棒のようになった足を動かし、立ち上がる。
「エル、立てる?」
エルを起こしてやろうと手を差し伸べ引っ張ると、思ったよりもエルは軽かった。まるで綿のように、軽く、儚い。
「よっこらせ……ありがとう、トーヤくん」
エルは仕事を終え達成感に満ちた表情だった。
「この後、トーヤくんはルーカスさんのところに行くんだよね」
「うん。じゃ、また後でね」
僕は後片付けをシェスティンさんに任せ、一足先に仕事を上がらせてもらう。
館へと戻った僕は、さっと夕食を腹の中に入れ、ルーカスさんとの待ち合わせの場所である中庭に急いだ。
夕暮れの中庭には、僕より先にルーカスさんが佇んでいた。
「それじゃあ、始めるか。トーヤくん」




