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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第10章 【強欲】悪魔マモン討伐編/【嫉妬】悪魔レヴィアタン討伐編

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42  片翼の英雄

 商館が燃えている。

 水龍の暴威により通りが浸水状態になっている中、少年が仕掛けた「罠」はドリス・ベンディクスを巻き込んで大爆発を引き起こした。

 

「……ふざけないで、ください。そのような、手で……私を、愚弄する、など……ッ!」


 炎上する建物のベランダからゆらりと現れた一人の女は、少年への呪詛の声を吐き散らした。

 着こなしていたスーツは黒焦げで、破れた布地から火傷した肌が露出している。焼けただれた顔を怒りに歪めるドリスだったが、それでも死んではいなかった。

 まだ悲願は果たせていない。この胸に刻んだ野望は、何一つ達成できていない。志半ばで終わってなるものか――その執念が、彼女の命を辛うじてつなぎ止めていた。


「私は……誰もが認める英雄にならなくてはいけない。英雄にならなければ、何も変えられない。……私が立ち上がらなければ、同胞たちは希望を抱けないのに……!」


 脳裏に過るのは、血に染まり数多の屍が転がるかつての楽園。

 そこには安寧があった。外部の干渉を受けることもなく、静謐な時間がただ流れていくような平和があった。

 その場所で仲間たちと穏やかに暮らせるだけで、ドリスは満足だった。彼女はその日常が永遠に続くことを望んでいた。

 が――願いは打ち砕かれた。その地に眠る資源の存在を嗅ぎ付けた者たちの侵略によって、同胞たちは殺戮され、彼女らが大切にしていた『宝玉』は略奪された。


 故郷も仲間も喪った彼女が選んだのは、その国の軍人になる道であった。

 それが修羅の道になることは理解していたが、力を得るにはそれ以外の選択はないと思われた。

 幸運なことに、彼女はそこでこれまで自覚していなかった実力を発揮し、めきめきと頭角を表していった。

 破竹の勢いで出世していったドリスは、軍での活動に確かな喜びを感じていた。自分の居場所はここなのかもしれない。ここならば認めてもらえる。幸せに生きることも、英雄になることも出来る。

 戦争に出ては確実に勝ち星を挙げるドリスだったが、彼女は己に向けられる嫉妬の目に気付かなかった。そしてそれが、彼女の人生における二度目の失敗となってしまった。


 着せられた汚名。理不尽な冤罪。戦いで結果を上げ、実力で蹴落とすこともなく、卑怯な手で軍だけでなく国民の敵に仕立て上げる――そのような浅ましい手段で道を閉ざされた彼女は、これまで以上に力に執着するようになった。

 そして、放浪の果て、海を越えて辿り着いたスウェルダ王国にて、彼女は【悪魔】と出会った。


「人が、憎い。私から何もかもを奪った彼らが、憎くてたまらない。……だから悪魔に協力を仰いだ。だから、この手を血に染めた。

 ……ねぇ、みんな。私はみんなの英雄になれたでしょうか。みんなの復讐を、果たせたでしょうか」


 ベランダから見下ろせる大通りには、ドリスが葬った民たちの遺骸が散らばっている。

 それは同胞の怨念を鎮めるための供物であり、ドリスの身勝手な恨みが爆発した結果だ。

 人々の英雄になど、なれなくてもいい。同胞たちの英雄になれれば、それで構わない。今は亡き者たちの怒りを背負うことでしか、もはやドリスは生きられなかった。

 

「嗚呼……ごめんなさい。守れなくて、救えなくて、私ひとりだけが生き残ってしまって……」


 ベランダの柵に手をかける。脚を上げ、そこによじ登る。

 背後で炎が激しさを増していく中、ドリスはその不安定な足場に立ち、ただ空を見上げた。

 分身体を操作し続け、エインの全力の攻撃を防ぐために高出力の防壁魔法を展開し、加えて少年の置き土産の爆発までも食らってしまい、彼女にはもう戦えるだけの魔力が残されていない。

 少年らに『神』だと言わしめた力は、どこにもない。今ここにいるのは、一人の無防備な女性だった。


「――――――――」


 瞬間。

 どこかから飛来した漆黒の刃が、女の左胸に突き刺さった。


「やって、くれる、じゃない……ぼう、や」


 自らを穿つ刃の熱に、ドリスはそれを投擲した者の正体を悟った。

 見覚えのある漆黒の短剣――エイン・リューズの【紅蓮】である。

 彼女はその柄を掴み、躊躇いなく胸から引き抜く。途端にどくどくと溢れ出た()()の血液が服を伝い、足元まで流れ落ちた。

 それ以上の言葉は発さない。心のうちで叫びを上げるレヴィアタンも、魂の最後の力で押し留める。


 舞台から転落した女の骸は、あまりに小さく見え――その表情は、ようやく訪れた終わりに安堵しているかのような微笑みであった。



 リューズ商会フィルン支部から通りを挟んだ反対の建物の屋根上に、エインは佇んでいた。

 投げた刃の熱の脈動は、まだ手の中に残っている。自分がドリスという一人の女性の命を絶った――その事実は決して消えることなく、歴史に刻まれる。

 悔やんではいけないとエインは思う。悪魔を倒す使命を掲げるトーヤたちのためにも、戦士としてのドリスの矜持を尊重する意味でも。


「……帰ろうか」


 誰に聞かれることもない呟きをこぼし、エインは【紅蓮】を回収しにドリスの骸のもとへと足を運んでいった。


 ドリスを出し抜くためにエインが用いた秘術。それは、彼がベルゼブブの【悪器使い】であった頃に使えた「分身体」を生み出す魔法であった。

 通常、悪魔の魔法は【悪器使い】以外が扱うことは不可能とされていた。が、エインはかつての自分の強さを悪魔に頼らない形で再現するために、密かに血の滲むような特訓を重ねていたのだ。

 ティーナやヘルガ学長の協力を得ながら完成させた「分身体」を生成、操作する魔法――ドリスと対面した時点から、彼女の前にいたのは本物のエインではなく「分身体」であった、というのが事の真相である。



 ドリス・ベンディクスがエインによって葬られたのと同時刻。トーヤに敗北を喫したメイドのドリスの肉体も、本体が死んだことで力を失い、消滅しようとしていた。


「ドリスさん……」


 黒髪の少年の視線の先で、地面に膝を屈したドリスは微笑んだまま、蒼い光の粒となって指先から天へ昇っていく自分の手を見つめていた。

 彼女の過去や意志をトーヤが知る由はなく、ドリス自身それを語るつもりは一切なかった。

 そんな女が最期に少年へ告げたのは、己の力の源泉の在り処であった。


「この『分身体』は、マモンやベルゼブブが一時的に生み出せるそれとは異なります。この身体こそが、レヴィアタンの【悪器】。宿主にとってのもう一人の『私』……それに根ざすことで、レヴィアタンは宿主本体と悪魔の人格が過度に混じり合わないようにしていました」


 何故、悪魔に仇なすような真似をしたのだろうとドリスは自問する。

 それから間もなく、水龍の姿から元の人間に戻って倒れているルーカスを瞳に映して、彼女は気がついた。

 結局、利用するだけだと思っていながら、情が湧いていたのだ。頼りなくて、アマンダが死んでからは泣いてばかりだった彼を支えてやりたいと、ドリスは心のどこかで感じていた。

 彼を狂わせたのは自分だ。正しく手を差し伸べることもせず、思考を【嫉妬】で染め上げたのはドリスだ。だからせめて、彼をその【嫉妬】から解放することを償いとさせてほしい。

 これがエゴだということは自覚している。それでも、救いたかった。彼が狂った果てに自分のように討たれる運命を回避するために、彼女は悪魔を裏切った。


「これで、終わり……ですね」


 不器用な微笑みを浮かべて、ドリスは自身とレヴィアタンの魂が完全に消え去るのを待った。

 掠れた声を漏らす彼女は、少年の顔から目を逸らし――最期に、愛した男の姿だけを目に焼き付ける。

 トーヤやエル、ユーミたちは何を口にすることもなく、その女が命を散らしていく光景を見守った。

 指先、手首、腕、肩……徐々に、だが確実に消え去っていく自身の身体に、分身体のドリスは皮肉な笑みを浮かべた。


 ――嗚呼……結局、忌み子の英雄は人間には敵わないのですね。


 今際の際に彼女を蝕んだのは、どうにもならない虚無感と――そして、この過酷な人生に終止符を打てることへの身勝手な安堵感であった。

 全ての感覚は霞んでいき、見つめていたルーカスの姿もほどなくして見えなくなる。

 彼女が瞳を閉じ、渇いた喉を震わせて何かを告げようとした瞬間――人と怪物の間に生まれた一人の女は、この世界から跡形もなく消失した。


「…………」


 長い、長い静寂がこの場に降りた。

 ドリスが少年らに残したのは、言葉に形容しがたいもどかしさ。彼女は自身について、誰にも語ることはなく死んだ。ノエルやシルなど組織の者にも秘匿されていた彼女の過去を知っている者は、この世に一人たりともいない。

 今回の犠牲者はあまりに多い。【グラム】の一刀だけで百、二百、いや五百、千にも達するだろうか。水龍による浸水被害も馬鹿にはならず、復興には莫大な費用がかかってしまう。

 悪魔を倒すことに成功はした。が、手放しにそれを喜べる状況では決してなかった。

 沈鬱そうに俯いていたエミリアだったが、粉砕された蒼の刃を前に立ち尽くしているトーヤの隣に歩み寄ると、労わるように彼の細い肩に手を置いた。


「貴方たちの活躍で、【嫉妬】の悪魔は討たれました。それは讃えられるべき栄光です。この国を代表して、礼を言わせてください。――本当に、ありがとう」


「エミリアさん……ごめんなさい。犠牲を最小限にとどめることができなくて」


 それでもトーヤは自分が許せないようだった。自分の強さが足りなかったせいで、ドリスの殺戮を止められなかった。絶対的な強ささえあれば、守れた人もいたはずなのに。

 唇を噛む少年に、エミリアは何と声をかければ良いか迷った。そして逡巡した末に、彼女は少年におそるおそる腕を伸ばし、彼の身体を力強く抱きしめた。


「え、エミリア、さん……?」


「今は謝らないで、前を向いていてください。どんな名将でも、一切の死者を出さず勝利することは不可能です。過程がどうであれ、あなたは勝ったのですから……使命の達成に一歩近づいたのですから、充分誇るに値することだと思います」


 それは少年だけでなく、この場の全ての戦士たちに告げられた言葉だった。

 王女からの抱擁に、トーヤは首を横に振ることができなかった。彼女の温もりを通して、その台詞が欺瞞でないことを理解してしまったから。

 

「分かりました。――復興に向けて、これから力を合わせて頑張っていきましょう」


「はい。引き続きよろしく頼みます。……では、トーヤ君。あなたはまず、ルーカス・リューズ氏のケアを。私の魔法で彼の一命は取り留めましたが、心の回復までは……」


 その指示に手際よく動いたトーヤは、エルの手も借りて横たわっていたルーカスを【浮遊魔法】で運ぶ。

 エミリアはトーヤの後に続いて城内に戻り、通信の魔道具で医務室に連絡を取った。ルーカスを受け入れ、そこで匿うこと。それから彼を不用意に刺激しないよう、医務室に部外者を立ち入らせないこと。彼女はその二点を、予め医師に伝えておいた。

 アレクシル王もエンシオ王子も不在の今、この国の舵をとっていかねばならないのはエミリアだ。無論、この事件の報告を受ければ王は即座に引き返してくるだろうが、それでも彼が戻るまでの間はエミリアに全ての責任は降りかかる。


「――大丈夫。務めは果たしましょう」


 王族として、アレクシル王の娘として、エミリアはその意志を言葉として表明した。

 自分に言い聞かせるようにも捉えられる彼女の台詞。そこに込められた強固なプライドは、「王」の資格を有した者としての、ある意味では機械的な整然さを持って顕現していた。



 銀髪の少年は目を覚ます。重い瞼を開くと、最初に見えたのは柔らかい線を持つエルフの輪郭であった。


「……ぅ、あんた、誰だ……?」

「やっと起きてくれたか。長かったのぅ」


 窓の外から差し込む月明かりと、カーテンを揺らす夏の夜風。鼻に通るのは、仄かな薬品の匂いだ。

 レヴィアタンとの戦いが決着した後、城内にある医務室の一つに運び込まれたオルトロスは、彼に癒しの魔法をかけた当人のリオに見守られながら半日以上に渡って眠り続けた。

 深夜にも関わらず起きて少年を看護していたリオは、まだ焦点の定まらない目をしている彼に微笑みかける。


「身体の具合はどうじゃ? 異常はないか? 何かあれば遠慮なく言うのじゃぞ、お主は丁重に扱えとアズダハーク殿に厳命されておるのでな」


 アズダハークからの指示を抜きにしても、リオは自分が異種族の者をこうも親身になって看護している状況を奇妙に感じてしまった。

 だが、それは決して不快なことではなかった。自分が尽くすことで誰かが救われるのなら、本望だと思った。

 主に忠誠を誓う「騎士」に憧れてきたリオであったが、「こういうのも悪くない」と独りごつ。


「……ううん、身体には、違和感はないかも。でも……これは何?」


 上体を起こした少年は、ベッド脇で椅子に掛けているリオに訊ねる。彼が示しているのは、自分が纏う服の袖であった。

 眼前に腕を突き出されたリオは、何のことだか一瞬わからないでいたが――彼の姉であるというケルベロスも裸を好んでいたことを思い出し、申し訳なさそうに答える。


「すまんな、少年。お主やケルベロスが着衣を好まない質だというのは聞いていたのじゃが……お主らはいかんせん美しい造形をしているものでな。見ているとどうにも平静を保てない者が多くなってしまう故、ここは我慢してくれないか」


「……はぁ? 訳わかんない。というか、ここはどこで、お前は誰だ!? オレは確か、ドリス様のために戦いに出て――」


「ここはフィンドラ王城内の医務室で、私はリオという者じゃ。それからお主には受け入れがたいことじゃろうが、ドリスは死んだよ。本体も分身体も、悪器も、一つ残らず消え去った」


 自分の問いにすかさず返された答えに、オルトロスは言葉を失うしかなかった。

 死んだ。彼女が。オルトロスの全てだった、ドリス・ベンディクスがいなくなった。

 依って立つ地面が崩れ去っていくような錯覚を、少年は覚える。

 彼女がいないのなら自分は何に縋ればいいのだ。何を光明にして生きていけば良いのだ。道標を見失って、どこを目指せばいいのだ。

 ドリスへの強い依存はこれまで彼の思考を縛り続け、戦う機械としての生き方に疑問さえ抱かせなかった。

 リオはそんなオルトロスを澄んだ青の瞳で見つめ、手を差し伸べながら静かに語りかける。自分の憧憬し、思慕する少年――トーヤがエインを導いたように。


「ドリスの後を追いたいのなら追うがいい。じゃが、お主はルノウェルスでダークエルフの族長に追い詰められた時、『生きたい』と確かに言ったのじゃろう? ならば、これからも進み続ける道を選択するが良い。新しい道を拓くことも、なかなか刺激的で面白いものじゃよ」


 快活に笑って、リオは少年の銀髪を優しく撫でる。

 まるで母親が子供にするような愛撫に、オルトロスは胸の奥からじんわりと温まっていくのを感じたが、その気持ちの意味を理解することは出来なかった。だがそれも当然だ――彼のこれまでの人生の中で、慈愛のこもった触れ合いなど一度たりともなかったのだから。


「明日になれば、お主の姉さんも来てくれるぞ。だからまぁ、今後のことは彼女と話しながらゆっくり決めるといい。ああ、あとは、この部屋から勝手に抜け出したりしないことじゃな。身体が本調子に戻るまでは大人しくしておれ」


 しばらくオルトロスの頭を撫でてやった後、リオはそう言い残して部屋を出て行った。

 彼女の手の温もりに覚えた心地よさ――それに不思議なむず痒さを抱きながら、オルトロスは何もない天井を見上げて押し黙るのだった。 

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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