40 『デウス・エクス・マキナ』
「おい、何だあれ!? ドラゴン……なのか!?」
「逃げろ、逃げろーッ!! あんな化け物が暴れりゃ、俺たちゃ木っ端微塵だぞ!!」
フィンドラの首都、フィルンはにわかに狂騒の様相を呈していた。
王城の南門前に突如出現した巨大な龍――都市のどこからでも目視できるその魁偉の躰に、住民や観光客、商人までも店を畳んで都市から脱出すべく都市の関門まで殺到する。
「あぁ、よりにもよって王様が不在の時に……! 外交に積極的なのが逆に仇になったってわけ!?」
ティーナ・ルシッカは王城の執務室の窓から騒ぎを確認し、頭痛を堪えるように額を押さえた。
現在、この街に残された【神器使い】はエミリア王女ただ一人。アレクシルはエンシオを伴って南方のマギア帝国との会談のために発っており、戻れる状況ではなかった。
「――っ、行かなきゃ!」
こんな小娘でも王の臣下なのだ。彼に一生付き従うと誓ったからには、彼の国を全身全霊で守りきらねばならない。それは、ティーナ・ルシッカの存在理由にも等しいのだから。
ピンク髮のハーフエルフの少女は卓上から杖をひったくるように取り、駆け出した。
エミリア・フィンドラもまた、窓の外から届く民の逃げ惑う悲鳴を耳にしていた。
「手の空いている者は住民の避難誘導に当たりなさい! あの龍は兵たちが束になっても倒せはしない――【神器】級の魔法を用いなければならないでしょう」
鷹の羽衣を黄金の鎧の上に羽織り、剣を携えて会議場を後にするエミリア。
廊下を早足に進む彼女に部下たちが続く中、王女は冷静に敵の力量を推測し、彼らへ指示を飛ばす。
迅速に行動を開始した兵たちに内心で感謝の言葉を述べながら、エミリアは荒ぶる鼓動を静めようと胸に手を当てた。
――何なのですか、この胸騒ぎは。この緊張は、慄きは、やはりあの龍のせいだというのですか。
誰にも分からないほど微小な――だが確かな笑みが、エミリアの口元に浮かぶ。
【神器使い】としてのエミリアは、常に人を相手にその力を使ってきた。魅了の魔法――その存在もあって、彼女の敵は存在しなくなった。誰からも愛される王女となった彼女のおかげで、アレクシルの支配はさらに盤石になった。今や彼女の魔法は王家に必要不可欠なものとなり、エミリア自身もそれを受け入れていたが……心の片隅では、どこか虚しさのようなものも感じてはいた。
人の愛が分からない。誰からも愛されるが故に、本当の愛を見失ってしまいそうになる。だからエミリアは、この能力を人に使うのが心底嫌いだった。
だが、今は――今だけは、この力を怪物を討つためだけに使える。悪を討つ、そんな単純な正義のために腕を奮える。父や兄のような真っ当な武者として、義のために戦える。こんな状況下にあるとはいえ、エミリアはそれらのことが嬉しくて仕方なかった。
「私は私を切り拓くために、戦うのです」
エミリアはそう自分に言い聞かせるように呟く。
覚悟を胸に毅然と前を見据える彼女の背中に、部下たちも全幅の信頼を寄せていた。
王女と臣下が王城を出、それぞれの任務を開始する。
嫉妬の悪魔レヴィアタンと対峙するトーヤたちに合流したエミリアは、その偉躯を見上げて啞然とした。
「なんと……巨大な」
全長50メートルは下らないであろう細長い胴。口元から覗く鋭利な刃のごとき、牙。鼻から噴き出す灼熱の炎に、全身の鱗から放散される蒼い水の魔力。
そのどれもが見る者を圧倒する。全身が震え、動悸に襲われ、胃が収縮する、原初的な恐怖がそこにはあった。
『オオオオオオオオオオオオッ!!』
破鐘のような怪物の砲声が打ち上がる。
単純な音、だが馬鹿には出来ない。脆弱な木製の建物はそれだけで激しく軋み、常人はその恐怖に耐えきれず失神する。
王女として、神器使いとしての矜持にかけて目を背けるわけにはいくまいと足を踏み縛ったエミリアは、同じく怪物の威圧に屈していない少年らに声を投げかけた。
「この龍に魅了の魔法を試します! 君たちは龍の動きをなるべくこの場に留めるよう立ち回って!」
「わ、わかりました!」
白髪に黒衣という【神化】の姿となっているトーヤは、頷くと即座にレヴィアタンの背後に回り込んだ。
彼の視線を受けてエルたちも一斉に動き出す。彼女らはレヴィアタンを閉じ込める包囲網を敷き、その仕上げとしてエルが高らかに結界の魔法を発動した。
「【グリッド・ケージ】!」
格子状に走る何条もの光が立方体を描き出し、広範囲に及ぶ魔力の檻を生み出す。
そして同時に攻撃準備を整えていたリオたちが魔法を放ち、回避を許さない集中砲火を浴びせかけた。
風が、雷が、炎が迸り、水龍を襲う。頑強な龍の鱗はたちまちひび割れ、全身に走る痛みに彼は悲痛な叫びを上げた。
『アアアアアアアアアアアアアアッ!?』
「早く逃げるのです! この龍は必ず私たちが討ちます、だから安心して、走って!」
のたうち回るレヴィアタン。滅茶苦茶に振り回された尾が周囲の建造物をなぎ倒す中、エミリアはまだ逃げきれていない住民たちに声を張り上げて避難を促した。
恐怖に腰を抜かしていた一人の男は王女の言葉と励ましに意志を取り戻し、隣で呆然としていた妻の手を引いて逃げていく。
エミリアの存在には、それだけで民を勇気づける力がある。だからこそ、彼女が前線に出て戦うことに価値が生まれるのだ。
――しかし、それすらも父上の支配の礎を強固にするだけの材料に過ぎない。
予期せぬ怪物の出現だが、これはパフォーマンスになりうるのだとエミリアは自嘲的に笑った。
「――【女神の魅了】」
少年たちの魔法がレヴィアタンの反抗を止めている。あの龍は痛みに悶え、満足に攻勢に移れる状況にない。
トーヤらがエミリアのために作ってくれた好機だ、無駄にはしまい――そんな覚悟で女神フレイヤの十八番を解放したエミリアであったが、
『ア、アア、アッ……ド、リ…………ッ』
龍の喉が震え、そこから発せられた人の言語らしき音声に、彼女は瞠目した。
魅了の魔法をかけるには相手と目を合わせるか、身体の接触が不可欠である。龍の眼前にまで躍り出てその瞳を捉えようとしたエミリアは、直後、視線を交わしたにも関わらず龍に何の反応も見られないことに驚愕した。
「なぜ……私の技が、通用しないなんて……!?」
フレイヤの魅了は絶対のものだったはずだ。相手の性別や性的指向、果ては種族間の壁まで取り払って虜にしてしまう女神のウィンク。それが通じないことが、果たしてあり得るのだろうか。
「いいえ――魅了が効かなくとも、手が尽きたわけではありません!」
それでも毅然と魔力を込めた籠手を龍へ向け、彼女は間を置かず次なる呪文の詠唱を始める。
動揺を無理矢理に抑え込んだエミリアを横目に、トーヤは【神槍グングニル】をぐぐっと後ろへ引き絞り、投擲の構えに入った。
ルーカスはなるべく殺したくない。だが、それはこれ以上の罪を背負いたくない自分のエゴでしかない。冷然たる理性で現状を眺めれば、レヴィアタンを始末してルーカスの命を断つ以外の選択肢が残されていないのは明白だった。
――ルーカスさん。僕はあなたを助けたかった。僕らがリューズの真実を知る前の、あの日常……あの時のあなたやアマンダさんの笑顔に嘘はなかった。
彼は戦い方を教えてくれた。共に【神殿テュール】で戦ってくれた。マーデル王子のミラ王女誘拐事件では、王城の兵士との戦闘に尽力してくれた。廊下ですれ違った時に交わした何気ない会話も、剣の特訓の後に二人で見上げた星空の美しさも、トーヤは鮮明に思い起こせる。
ルーカスは善良な青年なはずだった。そんな彼がなぜ歪んでしまったのか――その原因の一端を自分が担ってしまったというのなら、トーヤには彼と向き合う責任がある。彼と対話し、その暴走を止める責務が――。
「……っ」
少年の心情を反映したように、槍に宿る紫紺の炎が揺らいだ。
理性と感情との葛藤。逡巡できる猶予などもはやないのだということは分かっていても、それでも迷わずにはいられなかった。
『ドリ、ス……ドリスッ……オ、レは……キ、ミ……ニ……!』
のたうつ龍がひたすらに求めるのは、愛した女性、ただそれだけであった。それだけが怪物と化した彼の人間としての心を引き留めていた。
呼吸するように吐き出される龍の水流に、押し流される瓦礫の数々。鼻から噴き上がる炎は何者をも寄せ付けず、全ての近接攻撃を拒絶している。
「ちっ、なかなかしぶといのぅ……!」
「攻撃は届いてるのに、削りきれない! っ、また来た――!」
撃ち出される鉄砲水に、顔を歪めながら【浮遊魔法】を使うユーミやリオ。こうも水を放たれては地上戦も満足に行えない。そのため常に【浮遊魔法】を発動していなければならないのだが、その分の魔力消費は馬鹿にならなかった。休む間もなく魔力を削り続けている状況――戦闘が長引けば長引くほどこちらが不利になるのは、はっきりしている。
レヴィアタンを中心として湧き出す激流は、エルの【グリッド・ケージ】をもすり抜けて大通りを侵食していた。龍が破壊した建物の瓦礫を押し流し、その勢いでさらに他の建造物をも巻き込んでいく。
「……これ以上は看過できない」
小規模な津波にも等しい水の脅威を目にし、葛藤していた少年は思考を切り上げた。
それと同時、エミリアの詠唱が完了し、フレイヤの切り札が金色の光の中から芽吹いた。
「その暴威、その暴虐、許しはしません! ――【天恵】!」
瞬間、屹立する巨大な影。それは龍の身体の下――石畳を突き破って地面より出現した、槍のごとき大樹の幹だ。
轟音を幾重にも奏でて顔を出し、奇跡にも値する速度で伸び上がった黒い幹の数々は、槍衾と化してレヴィアタンの肉体を穿っていく。
『アアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!?』
鈍重な破砕音が鳴り響く。既にシアンらの魔法で傷ついていたこともあって、龍の鱗はフレイヤの豊穣の大魔法によって敢え無く散った。
血潮が降り注ぎ、辛苦に張り裂けんばかりの悲鳴が迸る。目障りな少年らを排除するべく口から放たれようとしていた水の魔力弾は暴発し、その強大なエネルギーによって怪物の顎は跡形もなく吹き飛んだ。
「…………」
その凄惨な光景を眼下に、ドリスは唇を引き結ぶ。
彼女が抱く感情は失望、これに尽きた。
彼に近づいて恋人を演じたのも、全ては【嫉妬】の器として彼を利用するためだった。あれだけ手塩にかけて育てたのに。わざわざしたくもない情交に及んだのに。どうして、そうも期待を損なうような結果を出してしまうのか。
「所詮は二流だったってことかしら。あぁ……ヘル、なかなかアンタみたいに使える人材って見つからないものねぇ」
嫉妬の悪魔はかつての宿主へ呟き、溜め息を吐いた。
と――視界の下から迫る黒い何かを捉えた彼女は、腕のひと振りで防御魔法を展開する。
ドッガアアアン!! と打ち鳴らされる激突音。彼女の蒼の防壁が受け止めたのは、漆黒の長槍だ。
「もう……不意打ちなんて、ずるいじゃないですか」
それを見下ろして、ドリスの口調に戻った彼女はくすりと笑った。
防壁には傷一つ付いておらず――それは、少年の全霊を賭した一撃をもってしても彼女を屈服させるに至らないことの証明だった。
「嘘だ……グングニルは、必殺必中の槍である、はずなのに……!?」
「あら、そうだったのですか。ごめんなさいね、そんなこと知らなかったものですから」
くすくすくすくす。
目を見開き、声を震わせるトーヤへ、ドリスはそのようなことをのたまった。
それから落下していく【グングニル】を見据え、掌をそちらへ向ける。彼女が何もない空中を掴む動作をした、直後――【グングニル】は見えない手に掴まれたかのようにぴたりと上空で静止した。
「一撃必殺を前提にした投擲。それが通用しなかったということは、換えのきかない武器を敵に手渡したも同然です。とはいえ、あなたの作戦に不足はありませんでした。持てる最高の力を用いて敵を討つ――戦場の最前線において、それは何より優先されるべきことですからね。
ただ一つ、あなたの罪を挙げるならば。それは、実力が足りなかった――それ以外ないでしょうね」
女の口から事実だけが厳然と告げられる。
今、少年の目に映っているのは、圧倒的な絶望の権化だった。
これまでの戦いでグングニルの投擲が防がれたことはなかった。マーデルへ向かう船上でクラーケンを倒した時も、神殿ノルンで氷の異形を討伐した時も、ルノウェルスでリューズを撃破した時も、そんなことは決してなかったのだ。
認められない。認めたくない。こんな敵がいるなんて……聞いてない。
テュールの剣を抜く少年の手は震えていた。恐怖を人に植え付けようとしていたマモンとの戦いですら、完璧な演技で乗り切った彼が――この女の単純な「力」に畏怖してしまっている。
「そんな……トーヤ……っ」
そして、その恐れは周囲に伝播していた。
蝕むその感情は人の士気を凍らせる。とめどない無力感を押し付ける。
少年の名を呼んだ掠れた声は、一体誰のものだったか。当のトーヤにはそれを考える余力もなくなっていた。
「エルさん! あの女は!?」
「以前会ったときと服装や雰囲気が違いますが、リューズ商会のドリス・ベンディクスさんだと思います。今の蒼い防壁、そしてルーカスさんを水龍に変えた力、間違いなく悪魔レヴィアタンを宿してます」
水龍が動かなくなったのを確認し、エミリアはエルへと駆け寄った。
水浸しの地面に立つエルは、王女の問いに早口に答える。
緑髪の少女からしても、ドリスがあれほどの力を有しているのは想定外のことだった。だが、悪魔が人の心に長く居着き、宿主の身体と悪魔の魂がよく同調すれば、宿主本来の実力を超越した力を発揮することはあり得る。
「さぁ、面倒な人たちは始末してしまいましょうか」
眼下の少年たちが何を思っているのか、ドリスには全く興味も湧かなかった。
彼女は手に取った【魔剣グラム】――神化が解除され元の姿に戻っている――の切っ先を少年らへ向け、口元に凄絶な笑みを刻む。
「うふふっ……消し炭にしてあげます」
女が剣の柄を握る手に力を込め、そう哄笑すると――【魔剣グラム】は彼女の意のままに紫紺の雷を降り注がせた。
視界を塗り潰す光、耳をつんざく轟音。
「みんなこっちに集まって!!」
杖を掲げ、防衛魔法を発動するエルの絶叫に、トーヤやエミリア、シアンらは反射的に応じる。
そして次の瞬間には――先程まで彼らが立っていた場所は、文字通りの蜂の巣と化していた。
雷の槍に穿たれ、破砕した石畳。水龍によって水浸しとなっているはずの建物は炎上、または落ちた魔力の衝撃に耐えきれず崩れ落ちる。
たった二秒ほどの攻撃だったにも関わらず、齎された惨状は非常に大規模なものであった。
王城から南の城門にようやく辿り着いたティーナは、胸壁の影から戦場となった広場を覗き込む。
彼女の位置からは何が起こったのか一目瞭然だった。
「何、今の……? 嘘でしょ、こんな出力」
広場だけでなく南西から南東までの大通りをも巻き込んだ広範囲攻撃。詠唱も溜めの時間も皆無。その上で放たれた、殺戮の一撃。
通りに無数に転がる黒い人型のモノを遠目に、ティーナは奥歯が嫌な音を鳴らすのを止められなかった。
防衛魔法のある魔導士ならば、死なずに済んだ。だが、そうでない者はどうなのか。水龍の出現により避難を始め、激流に巻き込まれた彼らは、何の抵抗も叶わずに雷に撃たれ――即死は、免れなかっただろう。
「……………………」
ティーナは何も言えなかった。普段の桁外れの明るさも忘れ去り、理性的な思考すら放棄しかけていた。
こんなものは知識にない。このような苛烈な殺戮をたった一人で行う存在など、ティーナはどう対処すれば良いのか分からない。
ただ思ったのは――今の魔法がアレクシル王のそれに似ている、ということ。そしてそこから、ドリスに自分が敵うことはないと悟ってしまった。
ティーナ・ルシッカは動けない。悪魔マモンへの敗北に続いて己の無力を味わう少女は、乾いた自嘲の笑みを浮かべるほかなかった。
「許せない……絶対に、許してはおけません! 民を殺め、都市を破壊し、悪魔に心を明け渡したあなたを、断じて許容はしない!」
エミリアは吠えた。トーヤたちが恐怖で硬直する中、彼女だけが毅然と顔を上げてドリスへと自らの意思を突きつけた。
曇天の下、そんな王女の声にドリスは興味深げに目を細める。
トーヤという少年は、彼らにとっての精神的支柱と聞いていた。だからこそ彼の攻撃を完璧に受け切ってみせ、彼らの闘士をへし折ろうとした。しかしそれにも関わらず、抗うのを諦めない少女がいた。
「エミリア・フィンドラ。先程の魔法はフレイヤのとっておきで、撃てば体内の魔力の殆どを消費してしまう。そうなのでしょう?」
「だったら何だというのです。そんなこと、関係ない――私は王女として、あなたという存在を裁かねばならないのです!」
上空から【拡声魔法】を用いて声を届けてくるドリスに、エミリアは己の意思を繰り返し告げた。
その返答に、ドリスは途端にエミリアへの興味が失せてくるのを感じた。
彼女は肩書きに縛られた使命感によって動かなければ、自分を保てない――だから、王女として『恐怖』という感情を捨てたのだ。恐怖を抱いた上で超えたわけではない。最初から「克服」している者にドリスは関心を持たない。成長や変化のない人間を見ていたって、面白くなどないのだ。
自信のないルーカスに言葉をかけ、前を向かせようと努力していたのも、彼女のそういった性質があってのことだった。
「ある意味では歪んでいるのですね、あなたは。王に作られし支配のための機構のパーツ……それがあなた。そう捉えてみると、少し親近感が湧かない気がしないこともないですね」
ドリスは余裕さを誇示するように話を継続する。
いつかかってこられても構わない。どんな技だろうが迎撃する。振る舞いでそう語ってくるドリスに、エミリアは唇を噛んだ。
――どうすれば、あの女を倒せる?
【天恵】は撃てない。魅了が効くかも不明瞭。単純な攻撃では先のグングニルのように防がれる。
ドリスの弱点は何なのか、考えてもエミリアはそれに思い至れなかった。
その強さの源泉も、余裕と傲慢の根源も、彼女の信条も、過去も、何一つ導き出せない。
「まさしく『デウス・エクス・マキナ』……と言えるでしょうか」
「あらあら、随分と高く買ってくれるのですね。私はそんなメタ的な存在ではありませんよ。とはいえ……そうなりたい、という欲望はありますが」
にこり、とドリスは一笑した。
これで与太話はお終い、とでも言うように。
彼女は再び【魔剣グラム】に魔力を蓄積する。溜めの時間は先程よりも長い。刃が紫紺の輝きを帯び、その明滅が魔力の高まりを無言で告げてくる。
「ドリス……ドリス・ベンディクス……」
そんな中、敵の魔法に備えて防壁を再展開するエルの隣でトーヤが呟いた。
エミリアの姿に、彼はもう怯えるのを止めていた。例え力で敵に敵わなくても、いま自分に出来ることをやる――そう決意して、トーヤは懸命に頭を働かせていた。
と、そこで。
彼の脇に白髪の少年がぴたりと寄り添い、耳打ちしてきた。
「――それは、本当なの?」
「うん。ラファエルさんに調べて貰ったことなんだけど、ここで彼女を見て確信が持てた。ごめんね、情報が届いたのが昨晩だったから伝えるのが遅れちゃって」
「気にしないで。遅れた分は――」
「行動で、取り返す! だよね」
トーヤの言葉を継ぎ、エインは親指を上げて頷いてみせる。彼の表情は笑顔だった。決して楽観的になれない状況の中、敢えて明るく振る舞ってトーヤたちの恐れを掻き消そうとする。
走り出したエインは新型【超兵装機構】、【ヴァルキリー】による加速で目的の場所へ突風の如く突き進んでいった。
「英雄を散らす者もまた英雄。ここで貴方たちを屈服させられれば、私は真の英雄になれるのです」
ドリスが語ると同時に、刃に纏っていた紫紺の光が蒼く転じた。
途端に高まる水の魔力。産み落とされようとしているのは、レヴィアタンが秘める彼女だけの大魔法。
そして、彼女は命じる。
「うふふ……さぁ、呑み込まれてください」




