35 手を 取り合って
転移魔法で『審判の間』から脱したトーヤとエルは、すぐに通信の魔具でラファエルと連絡を取った。
自分が不在の間に氷漬けとなった階段の様相に驚きつつも、少年は冷静な声色でラファエルと状況を共有していく。
『シアン隊がアマンダの日記を入手した。証拠になり得る文面もあったそうだ。そしてユーミ隊はルーカスの身柄を確保。本部へと向かっている。そして、その肝心の本部なんだが……』
「アナスタシアさんがどうかしたんですか?」
訊ねた少年にもたらされたのは、自由人な科学者の独断行動というイレギュラーであった。
頭痛を堪えるように額に手を当てたトーヤは、それでも首を横に振ると真剣な口調で続ける。
「彼女の居場所は分かりますか?」
『いや、分からない。作戦が終わったら奴に言っておけ、規律を乱すなと。それから、ユーミ隊の二人。リルとヨルといったかな――彼らが小隊と離れて敵と相対している。科学者の『蛇』及びヴァニタス・メメント=モリと対峙しているそうだ』
ここに来て思わぬ名前が飛び出してきて、トーヤは鋭く息を吸った。
『蛇』。ルノウェルス革命の際、3名の怪物の子を戦場へ投入した科学者にして、彼らの創造主の男だ。そしてヴァニタスは、怪物の子の一人で【ヘル】の力を扱う少女である。
カイから聞いた話によると、『蛇』本人の戦闘能力は高くなく、危険視すべきはヴァニタスのみだと捉えられるが――。
「ノエル・リューズとの交戦は一旦諦めます。アマンダの日記という物的証拠を得た時点で、僕らの勝利です。ここは撤退しましょう。
僕は最後にリルとヨルのもとへ向かいます。彼らを助け、蛇を押さえる。あの科学者も危険分子として、もとより対処すべき人物でしたから」
『承知した。全部隊に通告しよう』
トーヤの発言にラファエルは異論を唱えなかった。たとえ親子ほどに年齢が離れた相手だろうが、作戦上の立場はトーヤが上なのだ。言葉遣いまでへりくだりはしなかったが、元軍人として彼は最低限の規律を守った。
「ありがとうございます。では、また」
『……あぁ、次は改めて顔を合わせよう』
まるで友達への別れの挨拶のような台詞を受け、ラファエルの返答には若干の間が空いた。
やや狼狽えながらも言葉を返してくる男に、トーヤはふふっと笑う。
通信機を懐にしまった彼は、側に控えた面々を見渡して繰り返した。
「僕はこれからリルとヨルを助けに行く。君たちには、エルの転送魔法陣で帰還して貰いたいんだけど――もし、僕と共に戦いたいと思うのなら残ってほしい。怪物の子が一人確認されている以上、戦力は多い方がいいからね」
トーヤの指示にエインやケルベロスは顔を見合わせた。
この場のメンツでは二人は特にトーヤを慕い、また組織とも関わりのあった者だ。【怪物の子】の名が出たこともあり、他人事だとは思えない。
「ぼくも行くよ。リル君は、ぼくをモデルに作られた命――いわば、ぼくの弟みたいな子だから」
「あたしも同行します♡ 馬鹿みたいに過去に囚われてるヴァニタスちゃんの顔、しょっぴいてやらなきゃいけませんしぃ」
エインはリルと、ケルベロスはヴァニタスとそれぞれ関係があるのだ。
トーヤは頷き、最寄りの階段が凍って使い物にならないため、廊下を走って対極にある階段を目指す。エインたちもそれを追う中、エルは他の傭兵団員を連れて【転送魔法】を発動した。
*
「揺れは収まったみたいねぇ。今のは何だったのかしらぁ?」
高い魔力反応が見られた天井を仰ぎ、アナスタシアは目を細める。
戦場にいながら観察者の眼になる女に『蛇』ことアズダハークが嘆息する中、彼の傍らに立つヴァニタスは接近してくる気配を察して主に耳打ちした。
「アズダハーク様、何者かが迫って来ています。それも、かなりの速度で。恐らくは例の少年たちの誰かだと思われますが……迎撃いたしますか?」
「いや、いい。私はアナスタシアと契約を結んだ。我が子達を全て取り戻すまでは、手を組んでやるつもりだよ」
アズダハークの意思は完全に固まっていた。長い共同生活の中で主の性格をよく知っているヴァニタスは、それに異を唱えはしない。
この男は一度決めたら曲げないのだ。良くも悪くも一直線――それ故に人の倫理も踏み越えてしまえる彼には、何を言ったところで無駄であろう。
「生みの親であるのみならず、貴方は瀕死の私を蔑みながらも救ってくださいました。その後も、血の繋がった子のように愛してくださいました。その御恩に報いる忠義は、揺らぐことはありません」
アズダハークの決断に、ヴァニタスは自らの変わらぬ意志を示すことで応じた。
足元に崩れ落ちている血塗れのヨルを痛ましげに見下ろすアズダハークは、ヴァニタスの肩にそっと手を置く。
「了解いたしました」
言葉がなくとも言わんとしていることは分かった。ヴァニタスは屈んで少女の傷口に手をかざし、治癒魔法の呪文を唱える。
と、その時。
「アナスタシアさん! え、えっと、この状況は……?」
背後に二人の少年少女を引き連れ、トーヤがこの場に現れた。
トーヤはアナスタシアとアズダハーク、そしてヨルやリルとの間で視線を移ろわせるが、さしもの彼でも状況を正確に測ることは不可能だったようだ。
「んー? 昔の友達と会ったから、ちょっとお喋りしてたのよぉ」
「そ、そうじゃなくて! どうしてあなたがここにいるのか聞いてるんです。勝手な行動は控えて頂きたいと、あれほど言ったのに」
「【超兵装機構】が実践で通用するか確かめたくてねぇ。あなたたちの誰もこれを使いたがらないのなら、自分で試すしかないじゃなぁい?」
詰問してくるトーヤに、あっけらかんとした口調でアナスタシアは答える。
少年は、この女を型にはめるのは不可能なのだと確信した。きちんと見張らせておくべきだったかと後悔しようが、もう遅い……はずだったが。
「ヴァニタスがヨルを治癒している状況も、いまいちよく分からないんですけど……。まさか、休戦協定でも結んだんですか? どういう訳で?」
「言ったでしょぉ、この男は旧友だって。いざ戦場に乗り込んでみたらたまたま遭遇して、共に組織をぶ潰さないかって誘ったのよぉ。彼――アズダハークも発明品を許可なく持ち去られて、組織を恨んでるみたいだったしね」
アナスタシアから事情を告げられるトーヤは、無言でアズダハークとヴァニタスを見つめる。
トーヤの剣呑な眼差しからアズダハークは目を逸らさなかった。【超兵装機構】の剣を収納し、頭全体を覆うヘルメット型の防具も背中に格納した彼は、少年を正視して手を差し出す。
「敵の敵は味方、ってやつだ。挨拶にはそれで十分だろう?」
トーヤは逡巡した。倫理も道徳もかなぐり捨てた狂気の科学者、それが『蛇』だったはず。それを理解していながら、彼の手を取ってもいいのだろうかと迷っている自分に、トーヤはつくづく「甘いな」と思ってしまう。
そう考える理由も、自分で理解していた。かつて憎んだ青年を刺殺した自分の行為への後悔――改心の余地がある者を容赦なく切り捨てることは、トーヤにはもう出来ない。
「一つ、聞かせてください。あなたは僕にとっての、何になれますか」
受け入れる理由付けを求めて、トーヤはそう口にした。
アズダハークは薄い唇を小さく歪め、赤い目を弓なりに細める。
「面白い質問だな。ふむ……では、『提供者』とでも名乗らせてもらおうか。目的を達するまでの共同戦線だが、それまでの間は『怪物の子』を含む私の発明品を貸してやる。子供らの『怪物の遺伝子』の不活性化を促す薬、というのもあるぞ?」
「その薬があれば、『怪物の子』は怪物じゃない普通の人になれる……ということですか?」
「いかにも。と言っても、まだ未完成の品だがね。なんせ被検体がヴァニタスしかいないのだ、他の子からも改めて遺伝子を採取しなければ、完成品とは呼べん」
トーヤはアズダハークが差し出してきた手を取り、固く握り込んだ。
リルやヨルが怪物の力を手放すかどうかは、当人らの問題だ。トーヤが決めることではない。だが、選択肢の一つとしてその道を提示することくらいなら、焼いてもいいお節介だろう。
それに、単純な戦力として見てもヴァニタスが加わるというのは大きい。ルノウェルス革命でカイに敗れた彼女だが、その戦闘の中で使用した氷の多面攻撃は比類なき強さを有している。そしてトーヤは【ユグドラシル】時代のヘルの強さも知り得ていた。彼女を手放すという選択は、もはや彼にはなかった。
「お久しぶりです、『蛇』様、ヴァニタスちゃん♡」
「あなたとよろしくやれっていうのですか? アズダハーク様の決断は尊重したいのですが……うぅ、しかし……」
銀髪の少女が満面の笑みで片割れの元王女に擦り寄る一方、
「大丈夫、リル君?」
「はっ、その名前で呼んでいいなんて一言も言ってねーぞ」
床に倒れたままの白髪赤目の怪物の子を、瓜二つな少年が引っ張り起こす。
リルはよりによってエインに治癒魔法をかけて貰っている現状を癪に感じながらも、不思議とそれを悪いものだとは思わなかった。
かつて自分と比べ、激しくコンプレックスを湧き上がらせた相手。それなのに、当時の感情は嘘のように消えている。
「……でも、ありがとな、兄貴」
オリジナルとコピー――以前はそのような関係でしかないのだと思い込んでいた。
だが、違ったのだ。リルとエインは見た目こそ似ているが、中身は別人。例えるならば双子の兄弟のようなものだ。リルは傭兵団との旅の中で多くの人と触れ合ううちに、誰もが別人でそれぞれ異なる個性を持っているのだと学んだ。
「えっ――あ、うん、こちらこそありがとう」
「なんでお前が礼を言うんだよ……」
文句をつけながらも満更でもない様子のリル。エインに肩を支えられてトーヤやケルベロスたちのもとへ戻った彼は、『蛇』を睨み据えて言う。
「あんたがあの科学者の女と知り合いで、俺たちに協力してくれるってのは信じてやる。でもな……まずやるべきことがあるだろうが!」
少年の憤慨に、アナスタシアはすぐに彼が言わんとしていることを悟った。同時に、彼が青髪の少女に抱く情の特別さも。
握った拳をわなわなと震わせるリルを前に、アズダハークは静かに頭を下げた。
その光景にリルは息を呑む。リルだけではない――ケルベロスもトーヤも、この場に居合わせた『蛇』という科学者を知る者全てが、驚愕した。
「自分が生み出した子を、力で屈服させようとした……その行為が褒められたものではないことは、自覚している。すまなかったな」
拳の力を抜き、呆然と立つリルの隣で、トーヤはアズダハークという男について考えていた。
彼は人道を無視した研究に傾倒した、危険な人物だと聞いていた。だがその割には、こうして罪を認めて謝罪するようなまともな一面も持ち合わせている。どうやら彼は、【悪魔】のように心から歪んでしまっているわけではなさそうだった。
「私は許すわ。組織を討つために共同で戦う以上、遺恨があっても足を引っ張るだけでしょう」
一歩前に出てアズダハークと正面から相対したのは、ヨルだった。
未だ頭を下げたままの『創造主』に、ヨルはあくまでも理性的に許しを与える。
「いいのかよ、ヨル! こいつは自分のためだけに、お前を痛めつけたんだぞ!」
「あなたが憤る気持ちは嬉しい。けれど……彼と同じ目的のために戦うのなら、いつまでも怒りを持っていても仕方がない。鬱憤は全てが済んでから晴らせばいいわ」
そう冷静に諭されては、リルは何も反駁できなかった。ぼりぼりと頭を掻きながら「しゃーねぇなぁ」と棘のある口調で呟き、それから彼はアズダハークの頭を思いっきり引っぱたく。
突然の衝撃に呻き声を漏らす白髪の科学者に、リルは言ってやった。
「痛かっただろ? ヨルはこの何倍もの痛みを味わわされてたんだ。それを忘れんなよな」
「ああ……忘れないさ」
これで手打ちにしてやる、と言外に告げ、リルはアズダハークに背を向けるとヨルの手を引いて歩き出した。
――気に食わねぇけど呑むしかねぇ。認めたかねぇが、あいつはすげー科学者だ。味方になれば、優秀な戦力になる。
そう言い聞かせることで怒りや苛立ちをどうにか鎮めたリルであったが、
「んー、あんたー、そっちは出口とは正反対よぉー?」
というアナスタシアの間延びした声に、思わずずっこける。
どうにも格好がつかねぇ、とぶつくさ言いながらも、少女の手を握る少年の顔には、彼女を無事に取り戻せた安堵があった。
*
同じ頃。
邸の各所で陽動として戦闘を行う部隊を率いるヴァルグは、中庭で衛兵と切り結んでいる最中に、視界の端で動く影に気づいた。
植木の潅木の脇を走り抜ける、長身の人影。こちらを気にする素振りもなく、ひたすらに何かから逃げているように見える。
「残念だが、てめえとの斬り合いはおしまいだ」
その一言と同時に、刀を握る手に魔力を込める。立ち上った黒いオーラに敵が一瞬ひるんだ隙に、ヴァルグは懐から小銃型の道具を取り出し、そのトリガーを引いた。
途端に噴射される催涙ガス。敵がそれに悶える光景を顧みることなく、ヴァルグは先ほどの影を追って戦線を離れた。
「リリアン! この場の指揮はお前に任せる!」
「は、はい――いいですけど、どうしたんですか団長!」
自分たちを確認して討伐すべく集まってきた衛兵の殆どは、既に無力化、あるいは斬り殺している。
指揮権を副団長に預けても構わないと判断したヴァルグは、自慢の駿足で人影を追跡した。
影が向かっているのは邸の正門の方向だ。たった一人であれほど懸命に逃げているのならば、重大な何かを抱えている可能性が高い。
ヴァルグはその者が行くであろうルートを先回りし、道を阻むように二刀を広げた。
「お前、何者だ!? ……ん?」
覆面の剣士の眼前で足を止めたのは、白髪の青年だった。パジャマ姿で履いているのはスリッパ。どう見ても寝ていたところを飛び出してきた様子だ。
「ルーカス・リューズか。こいつはユーミたちが確保したはずだったが……しくじりやがったか。まぁ、いい。こんな丸腰のガキなんざ、俺の敵じゃ――」
「どけッ!! その剣を、腰に収めろ! お前たちからの拘束なんて、受けてなるものか!!」
精神を病んでいるという青年は、唾を撒き散らしながら破鐘のような声で叫んだ。
彼の目に宿るのは血のような赤い炎。追い詰められた獣の鬼気迫る相貌に、ヴァルグは憐れみの目を向ける。
――こういう野郎を見かけたら、あの王子様は救いたいとか言い出すんだろうな。
気に入らなさそうに口元を曲げたヴァルグは、二刀を構えたままルーカスへ告げた。
「残念だが、これは任務だ。恨むならリューズ家に生まれた不運を恨むんだな」
その言葉を聞いた上でルーカスは一歩、足を前に進めた。
彼の口元は小刻みに引き攣り、肩も震えている。
「くくっ……あはははははっ!!」
いきなり笑い出したルーカスの様子に、ヴァルグは困惑するしかなかったが――次いで発せられた彼の言葉に真意を理解した。
「そ、そんなもの、何度も何度も何度だって恨んださ。で、でもさぁ……恨んだところで変わらなかった、何も。俺には、何の力もなかったからさぁ……」
ルーカス・リューズは無力だった。リューズ家の息子であるという重責も、アマンダの代わりに担う使命も、その無力ゆえに彼は背負わせて貰えなかった。かといって、父という魔王に反逆する気概も彼にはなかった。彼は自分の非力さを知っていたから。否――非力だと思い込まされていたのだから。
「だけど……今の僕は違うんだ。この眼には何もかもをバックさせるパワーが宿っている。もう私は、誰の干渉も受けることはない!」
青年の両の瞳に浮かんでいるのは、竜の鱗を模したかのような光の刻印。
その正体が何なのかヴァルグが悟るよりも前に、ルーカスは覚醒した能力を発動していた。
「人の心なんて……くだらない、しかし面白い!」
青年の眼光を直接見てしまった時点で、ヴァルグの敗北は決定していた。
彼の視界に映るルーカスの姿は、もはやルーカスではない。今、ヴァルグの目の前にいるのは、無二の親友――オリビエであった。
「オリビエ……どうして、ここに……!?」
「ああ、少しやることがある。ここを通せ」
ルーカスはオリビエの性格も口調も知らなかったが、多少の雰囲気の違いを補正する程度の力は持っている。
彼の魔法が対象に見せるのは、自分が最も嫉妬した相手の姿。それは対象の自覚の有無を問わない。
「あ、ああ。何をするつもりなのかは知らねぇが……気をつけていけよ、オリビエ」
そう言ってヴァルグは剣を収め、ルーカスを先へ通した。
無条件の信頼。ヴァルグがオリビエを疑うこともしないのは、彼を自分より優れた人物だと確信しているためだ。どう頑張ろうが超えることの出来ない強者――それを目の前にした時、人は考えることを放棄する。その者に委ねようとしてしまう。そうするのが、最も楽な選択だからだ。
「ドリス……待ってろ、今探しに行くからな」
これまで引きこもって過ごしていたとは思えないほど、現在のルーカスは力を溢れさせていた。
【嫉妬】の眷属としての目覚めを果たした彼を阻める者は、もはやこの場には存在しない。
姿をくらませた愛する女を求め、白髪赤目の青年は誰に止められることなくリューズ邸から脱出するのだった。




