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白髪赤目の悪魔の写し身は嗤う。
階段を駆け上がってくる少年らを見下ろしたノエルは、懐から抜いた短杖を鋭く振るった。
「来たまえトーヤ君! 誰の邪魔も許すことなく、一対一の真剣勝負といこうではないか!」
ノエルは、トーヤが先陣を切ってこちらに猛進してくるのだと確信していた。だから、罠を張る。逃げることも隠れることも叶わない殺し合いのステージに、彼は少年を招待した。
「ッ、これは……!?」
トーヤが階段を上りきり、ノエルの居室がある4階の床を踏んだ瞬間――彼の身体は奇妙な浮遊感に包まれた。
その感覚には覚えがある。【神殿】の光の門やエルが扱う【転送魔法陣】の転移時に受けるそれと同じだ。
「ノエル様……やってくれましたね」
「あれはただの転送魔法じゃない! モーガン・ルノウェルスが使ったのと同種の、異空間を生み出し引きずり込む秘術。まさか、この時代に他にも使える者がいたなんて――」
エインが舌打ちし、エルは驚愕を露に立ち止まる。
トーヤがその魔法の発動地点に一歩触れたのと同時に彼の転移は終わり、エルたちの前から姿を消した。
「君たちの相手をするのは、我が兵どもだ」
黒いマントを翻すノエルはそう言い残し、自らも少年の後を追って異界へと飛んだ。
僅かに遅れてエルは先程まで男が立っていた場所に辿り着き、そこで魔法の解除を試みるが、結果は失敗だった。
魔法は、その元となっている【魔素】――魔力の最小単位――の構成さえ完璧に理解できれば、解除魔法を導くことが可能なのだ。しかし、エルにはノエルの技のそれが見えなかった。
『魔法の情報を暴く魔法』の対策魔法が、既に掛けられている。やられた、とエルは素直に認めざるを得なかった。
「トーヤ君の所へ行くには、この妨害魔法を解除しなくちゃならない。皆――」
そこで一度言葉を切り、エルは振り返って眼下の階段を睨み据えた。
間を置かず現れた二十を超える兵士の集団を指差し、彼女は高らかに指揮を執る。
「トーヤ君に代わって私が命じる! この者たちを無力化せよ! 出来る限り殺さず、生け捕りにするんだ!」
「「「了解!!」」」
ケルベロスやエイン、三名の傭兵団員は一丸となって迫りくる敵を迎え撃った。
しかし彼らが噴射した催涙スプレーに対し、リューズの私兵たちが身に着けていたのは、フルプレートの鎧と顔を覆い隠すマスクにバイザーであった。
「貴様らの手口はもう割れている! 卑怯にも奇襲をかけおって……成敗してくれよう!」
「ちっ、悪魔の手先がそんなこと言っちゃうんですかー? 随分とおかしな話ですこと!」
兵士たちの先頭にいるリーダー格の男は憤激に駆られていた。ケルベロスは彼の発言に顔をしかめ、舌打ちしながら【魔獣化】を発動する。
覆面を脱ぎ捨てた彼女の相貌は、その一瞬にして獣耳と鋭い牙を生やした獣人のものに変化していた。
「これってもう、生け捕りは無理ですよねー? 本気、出しちゃいますよ♡」
ケルベロスが見切りをつけるのは、酷く早かった。こういった場面で全く葛藤を起こさないのは良心が欠落しているからだ――などとヴァルグは言いそうだが、今はその性質が最適な方向へ働く。
「さ、凍てついちゃいなさい♡」
相手がどんな剣の使い手だろうが、どれほど魔力耐性のある防具を装着していようが、関係ない。
ケルベロスが生み出すのは、絶対零度の壁だ。彼女の体内の魔力の半数を消費して吐き出した、氷という『物質』の障壁。
階段の最上部まで上り詰めようとしていた男たちの足下は、瞬く間に凍り付く。階段から手すりへ、壁へ、天井の照明器具へ――氷の津波は魔力が許す限りの驀進を続け、階段の一階までとそれぞれ繋がる廊下の端までもを白銀に染めた。
「はい、おっしまーい♡」
冷気に支配された空間の中で、笑っていられたのはケルベロスのみであった。
エインや傭兵団の面々が衝撃に立ち尽くす中、エルはケルベロスの隣に寄り添って彼女の横顔を見つめた。
「助かったよ。これで、ノエルさんの魔法の解除に集中できる」
「どういたしまして。この貸しは高いですわよ」
ふふんと胸を張って言う怪物の少女。
エルは彼女に「分かってるさ」と短く返し、ノエルが魔法を発動した地点を向くと、杖を前方に突き出した姿勢で瞼を閉じた。
魔術に全精神を注ぎ込むエルの周囲を、ケルベロスたちは万が一に備えて護衛する。
かつて同じ『組織』に所属していた女の隣で魔剣【紅蓮】を構えるエインは、内心で呟いた。
――エルさんがノエル様の魔法を突破するのに、短く見積もって五分。その間、誰の干渉もなければ、この氷は溶けたり砕けたりしないだろうけど……。
白髪の少年は懐から通信機を取り出し、その水晶玉を口に近づけて囁く。
「ラファエルさん、こちらに新手の兵は来ていますか?」
『ノエルの指示でそちらには向かっているようだが……一階の階段の辺りで立ち往生しているな。君たちで何か仕掛けたのか?』
「ええ。では、切ります」
状況の確認は取れた。ケルベロスの氷は、充分な効果を発揮している。急いで階下の兵どもを相手取る必要もなさそうか。
「トーヤ君……」
エインにとって気掛かりなのは、やはりトーヤのことだ。
彼に限って悪魔などに負けるとは思えないが、戦闘に絶対はない。運命の女神に僅か数パーセントの外れくじを引かされる可能性だって、ゼロではないのだ。
トーヤは自分を悪魔から解放してくれた。組織での人生を捨てたエインに、新しい道を教えてくれた恩人だ。そんな彼がいなくなるなど耐えられない。エインはまだ、彼にたくさん恩返しをしたい。
「負けないで、トーヤ君。エルさんも、頑張れ。ぼくは信じてるからね」
「へぇ、あなたもそんな風に言えるようになったのですね。ふふっ、素敵な忠義ね。それとも単純な好意かしら?」
エインの独り言に、感心したようにケルベロスは目を細めた。
「興味本位の発言は止めてください。ぼくの想いはぼくだけのものなんですから」
何故だかぶっきらぼうな口調になってしまうエイン。
両手に握る刃が仄かに赤く輝きを宿す中、そこで思考を打ち切った彼は視線を氷漬けの兵士たちへ戻した。
*
リューズの絹のようなそれとは異なる、くすんだ白髪を伸ばした白衣の男。
口許に歪んだ笑みを浮かべる彼は、フェンリルらに手を差し伸べて言った。
「君たちは私の作った子供だ。私の研究成果の結晶と呼ぶべき、最高傑作の生物兵器。君らもそれは理解しているのだろう?」
男の暗く赤い眼が、怪物の子らを無遠慮に観察する。
フェンリルとヨルムンガンドの反応は、分かりやすく彼らの顔に出ていた。フェンリルの方は敵意を剥き出しに『蛇』を睨み付け、ヨルムンガンドは決して『蛇』と目を合わせようとしない。
少女を守るようにその前へ出た少年の姿に、科学者は心からの喝采を送った。
「ほぅ、よく出来てるじゃないか。人格面のケアを怠っていたと私は反省しているが、君らの方で勝手に人らしく成長してくれていたのか。惜しいな……実に惜しい。その成長過程のデータがあれば、次の実験体に活かせたものを」
「アズダハーク様、私のデータでは満足頂けませんでしたか? 私だって、だいぶ変わったと思いますが」
爪を噛むアズダハークに、ヘルの【悪器使い】ヴァニタス・メメント=モリが不満そうに訊いた。
傍らの彼女を一瞥したアズダハークは、徐に首を横に振った。
ジェードは俯いたヨルの肩をぐっと掴み、耳打ちする。
「あの人が、あんたの生みの親なんだろ? 刃向かう覚悟はあるんだな」
それは確認という形を取った強制だった。
この作戦に参加した以上、敵に情けをかけるなど断じて許されない。
ヨルは顔を上げ、眼前でニヤリと笑むアズダハークと視線を交わした。
「『蛇』様……私はもう、あなたの子ではありません。私は私という一人の人間です。何をするかも自分で決める」
「嗚呼、愚かだ、愚かすぎるなヨルムンガンド。君は何を勘違いしている? 一時の感情が埋め込まれた本能に抗えると、そう言うのか?」
心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃が、ヨルとリルを襲った。
彼の発言の真意に彼女らは気づいてしまっている。人としての道を選択しても、怪物の遺伝子を組み込まれた彼女らには、『怪物』の暴虐性が永遠に付き纏うのだ。理性で抑えているそれが、もし暴走してしまったら――と、アズダハークは彼女らに揺さぶりをかけている。
「おい、科学者! こっちにはベルザンディとウルズの神器があるんだ。お前たちに勝ち目はない!」
「はぁ……じゃあ殺せばいいじゃないか。だが、分かっているのか? 怪物の子について世界で最も理解しているのは、この私だ。彼らが常々苦しんでいる『怪物の本能』を理性に頼らずともセーブできる道具の設計図は、私の頭の中にあるというのに」
その瞬間、縋るような二対の眼が確かにアズダハークを捉えた。
リルとヨルはアズダハークの未完成の発明品を求めている。それを材料に、アズダハークは自分の命を守ろうとしていた。
「くくっ、殺せないだろう? そして殺せないと言うことは、本気を出せないということだ。したがって、フルパワーを出せるヘルが君たちに勝る、というわけだ」
「うふふっ……我が力、存分に見せてやりますわ」
灰髪のハーフエルフは不敵に笑い、腰のレイピアを抜き放つ。
言うが否や床を蹴って突きかかった彼女に対し、リルとヨルはそれぞれの得物で応戦した。
刃と刃が激突し、甲高い金属音と火花を散らす。細腕に似合わない膂力で攻めてくるヴァニタスの圧力に、押し込まれないよう踏ん張るリルはユーミらへ叫んだ。
「こいつらの狙いは俺たちだ! あんたらはルーカスを連れて脱出しろ!」
「え、ええ! 必ず、戻ってくるのよ!」
ユーミたちが脇を走り抜けても、アズダハークは無視して怪物の子らを観察し続ける。
リルは巨人の女性の背中に「当たり前だ」と内心で返しながら、鎬を削り合うヴァニタスへ問うた。
「お前は何故、アズダハークに従う!? こいつは俺たちをただの作品だとしか思ってないんだぞ! 人としての尊厳なんて一切認められない環境が本当にいいって、マジで考えてんのか!?」
瞬間、レイピアが纏うのは漆黒の魔力。
出力を一気に増したヘルの付与魔法がヴァニタスの力に飛躍的な強化をもたらし、リルを突き飛ばす。
「だったら、どうだというの? 私のことなんて何も知らない癖に、そんな口を利かないで!」
廊下の突き当りまで少年を吹き飛ばした、埒外な力。ヴァニタスの感情の高まりに呼応して、彼女の【悪器】が蓄えていた魔力を解放した結果だ。
それだけでなく――。
「私にとっては力こそが全てなの! それさえあれば、他に何もいらない! 人に絆されて腑抜けたあなたたちとは違う――何もかもを喰らい、何もかもを見下せる力が、私にはあるの!!」
リルの視界からヴァニタスの姿が掻き消え、直後、喉元に感じたのは刃先を突きつけられる鋭く冷たい感触。
少年が視線を上げると、そこには憐れむような目でこちらを見る女の嘲笑があった。
「ルノウェルスの戦いの後、私たちが何もせず潜伏していたとでも? うふふっ……私は単純なスペックであなたを圧倒できるのよ。アズダハーク様の元に戻れば、あなたも同じだけの強化を受けられる。それに、怪物の獣性も鎮められるのよ」
差し伸べられたヴァニタスの手を、リルは忌々しげに睨んだ。
これは力だけに溺れた汚れた手だ。愛も絆も知らず、覇道しか選べなかった者の手。そんなものは断じて取るものか、とリルは彼女の手をパシンと叩き払った。
「バーカ! 誰がお前らの下につくもんか! 俺たちは俺たちの生きたいように生きる!」
「あはっ、やっぱりそう言うと思ったわ。んふふ、粋がっていられるのも今のうちよ。見なさい、あれを」
打ち払われた手のひらを擦りながら、ヴァニタスは顎で背後を示す。
そこには、アズダハークの足元で倒れ伏すヨルの姿があった。
――ありえない。魔導士でもない生身の人間が、怪物の子に勝てるわけが……。
床を掻きむしって立ち上がろうとするリルのだったが、彼の頭はヴァニタスに踏みつけられてそれも出来なくなってしまう。
「リ、リル……ごめん、なさい……」
か細いヨルの謝罪は、少年へ届くことはない。
白衣を脱ぎ捨てたアズダハークの肉体は、実に奇妙なものであった。
全身が黒いぴったりとしたスーツに包まれ、その上に鎧のような赤い装甲を纏っている。さらには背中に黒い六角形の物体を嵌め込んだ機構を取り付け、そこから伸びた6本のチューブは男の肩や脚、腹部にそれぞれ一対ずつ接続されていた。右腕の外側にはレイピアにも似た鋭利な刃が装着されており、その先端は赤く血に濡れている。加えて、顔全体を半透明の仮面で覆っていた。
「非魔導士だからといって、舐めてもらっては困るというものだ。私の科学に不可能はない。【ニーズヘッグの鱗】から得られる魔力を動力源とする、最高の発明――それが私の【超兵装機構】! これを装備した人間は、超人的な身体能力を獲得できるのだ! どうだ、素晴らしいだろう!?」
ヨルはフェンリルがヴァニタスを相手取っている間、真っ先にアズダハークを討つべく行動を起こした。
科学者の男に急迫したヨルは、毒液を包含した魔力の弾丸を撃ち放ったが――敵は全身を【超兵装機構】で覆っていたため、世界蛇の毒が体内を侵すことは叶わなかった。
強い酸性のヨルムンガンドの毒液を浴びても、全く溶ける様子を見せないアズダハークのスーツに、ヨルは敗けを認めるしかなかった。敵の装備が自分の技を上回っていた、これは戦術で覆せるものではない。
【魔獣化】しなければ毒以外の攻撃手段を持たないヨルは、あまりに無力。だが、【魔獣化】を使ってしまえば最後、ルノウェルスの戦いの時のように暴虐の限りを尽くす獣と化してしまう。まだリューズ邸内に仲間たちがいる現状、彼らを巻き込んでしまうリスクを考慮すると、ヨルにはその力を解放する選択が出来なかった。
――馬鹿な子供だ。力を持ちながら使わないなど……根底から叩き直してやらねばならないな。
アズダハークは気づいている。目の前の少女が、仲間を慮って【魔獣化】しなかったことに。
ただ観察や研究の対象として人を捉える彼には、これまで人の情というものを理解できなかった。しかし――彼は変わってしまった。ヴァニタス・メメント=モリという一人の少女が、彼に人間らしい親愛の情を確かに抱かせたのだ。
だが、アズダハークはそれを知った上で、否定した。
生き残るには戦うしかない。そして戦いには、そのような愛情は不必要なのだ。愛は時に人に力を与えるが、時に足かせとなりうる。足を引っ張る可能性がある以上、そんなものは切り捨てる。実に合理的ではないか、それがアズダハークの主張だった。
「さあ、ヨルムンガンド……私のもとへ戻るのだ。共に家族になろうではないか」
腰をかがめたアズダハークは、力なく自分を見上げる少女へ手を伸ばした。
と、その直後。
「ちょっと待ちなさいよぉ! 家族、ですって……よくその口から、そんな言葉が吐けるわねぇ!」
強い語気で浴びせかけられる、女性の声。アズダハークが振り向いた先にいたのは、自分と同じく【超兵装機構】を身に纏った一人の人物だった。
「アナスタシア、か? 君もそれを完成させていたとはね」
声で相手が旧知の科学者だと悟ったアズダハークは、彼女の格好を差して感心したように手を叩いた。
アナスタシアはヘルメットに似た仮面の下で顔をしかめ、舌打ちする。
「その台詞、そっくりあんたに返すわぁ。新作を出すタイミング、いっつも被るのよね、あたしたち」
「そのようだな。だが……そういう話はいい。戦場に足を運んだんだ、それなりの覚悟は出来ているのだろう?」
アズダハークはアナスタシアと同じく、現在は『魔導帝国マギア』に属する南方の国の生まれだ。彼もまた、魔導士による迫害の被害者であった。そのために魔導士を憎み、見返すべく『科学』で魔法にも劣らない発明品を生み出してきた。その最たるものが【怪物の子】と【超兵装機構】であったが――皮肉にも、その作品は【魔力】なくして働かないものだった。
「私は私にしか出来ないアプローチで戦場を変える。利用できる全てを利用し、のし上がってみせる。そして……『科学』を以て、この腐った世界に革命を起こすのだ!」
アズダハークは両手を広げ、床を踏み鳴らし、高らかに己の意思を表明した。
腰の剣の柄に手を添えながらも、アナスタシアは旧友の言葉に息を呑む。――初めてだったのだ。彼が、こんなにも激しい口調でアナスタシアに何かを言ったのは。
「それが、あんたの理想なのね? そう……そう、面白いじゃないの」
科学者アナスタシアは、研究に没頭できればそれで良かった。崇高な使命など掲げず、ただ科学を探求し、知的好奇心を満たせれば充分だった。
彼女にとって、今のアズダハークの発言はまさしく衝撃だった。
「あんたのこと、少し見直したわぁ。ねぇ、その野望、あたしと一緒に叶える気はない? 『組織』なんかじゃなくて、あたしたちと協力する――相応のメリットはあると思うけど」
トーヤの作戦を無視して戦場を直に見に来た彼女は、そもそも常識を知らない。だから、敵である男の考えに共感し、あまつさえ彼を引き入れようとした。
その振る舞いにアズダハークは内心で思わず苦笑する。――君は昔から変わらないな、と。そんな自身の心情に彼は驚いた。自分は非情な科学者、『蛇』であったはずなのに……捨て去ったはずの感情が胸のうちに戻って来ているのを痛感してしまう。
「一つ、言っておこう。私は、あの首領に【怪物の子】らを奪われて以来、『組織』を信じるのを止めた。今はどこにも所属していない」
「なら丁度いいじゃない。【神器使い】のトーヤたちには、組織との戦いで【怪物の子】を殺させないよう約束させて、彼らを捕らえたらあんたに引き渡させる。その代わり、あんたはトーヤたちに手を貸す。これでウィンウィンでしょ?」
アズダハークはアナスタシアの提案に、即座に首を縦に振りはしなかった。
トーヤらはフィンドラ王やルノウェルス王と繋がっている。王たちが【怪物の子】の処分を命じたら、それまでなのだ。ならば最初から自分だけで行動した方が、その危険性もない。
「私の性格を知っていて、そんなことを持ちかけているのか?」
「えぇ、もちろん。乗ってくれてもそうじゃなくても、あたしにはどっちでもいいの。人の選択を縛る趣味はないし」
自分は自由にやる、だから他人にも同様に求める。それがアナスタシアのスタンスであった。
アズダハークが答えに迷っている、その最中――頭上から何かが落下したかのような激しい衝突音と、僅かに遅れて揺れが走った。
「っ!? 何なのよ――!?」
「ヴァニタスッ!!」
天井を仰いで鋭く驚愕の声を放つアナスタシアに、愛する子の名を呼ぶアズダハーク。
揺れは一度で収まらなかった。不規則に、何度も、何度も邸を軋ませる。
「魔力の乱れを感じます! ただの地震ではないようです……!」
駆け寄ってきたアズダハークの腕に抱かれながら、ヴァニタスは叫んだ。
リルもヨルもその場で固まったまま、明らかな異常事態に生唾を呑む。
この上階にいる者――作戦上ではトーヤやエル、エインの部隊だ。ノエル・リューズとの交戦で、何かが起こったのだろうか。
「アズダハーク! さっきの話は置いといて、今は停戦するわよ! 何があるか分かったもんじゃない!」
「あ、ああ! ひとまずは【怪物の子】らの回収をせねばならん」
この時、彼らは知らなかった。
ノエル・リューズの発動した魔法の真実を。彼が仕掛けた罠の、その規模に。




