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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第10章 【強欲】悪魔マモン討伐編/【嫉妬】悪魔レヴィアタン討伐編

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26  撒かれた種子

「あなたは、一体……!?」


 エインは不敵に笑む男を睨み据え、問うた。

 カツカツと靴音を鳴らして少年との距離を縮めてくる男は、口を開かない。

 答えずとも察しているだろう、とでも言うように。


「ちっ……!」


 この男が組織の者だとしたら、躊躇なく返り討ちにできる。

 だが、相手は役人の制服を着ている。男が役人に変装していたのではなく、本物の役人が操られていただけだった可能性を考慮すると、エインに下手な手は打てない。

 男もそれを分かっているが故の余裕さを見せていた。

 自分はこの少年に殺されはしない。彼が正体を明かさない限り、少年は憂慮に縛られ続ける。


「はぁ、はぁ……っ!」


 床を蹴り飛ばし、必死に走るエイン。

 突き当りの階段を駆け下り、彼は止まることなく一階まで急いだ。

 客人が主に泊まる『紫玉塔』を出れば、誰かしら武官か文官が歩いているはず。誰でもいい、助けを求められれば――。


「侵入者――いえ、不審者が出ました! 誰か、兵を呼んではくれませんか!?」


 塔の門を抜け、王城の中庭に出たエインは声を振り絞って叫んだ。

 ちらり、と近くにいた文官の若者が彼の方を向き、一瞬足を止めたが――すぐに再び歩きだしてしまう。

 ――あの男は罠だと言った。それは恐らく人の心に働きかける類の魔法。


「くっ……。あいつの魔法の範囲は、どこまで……」

「気になるのか? まぁ、教えるつもりは一切ないが」


 と、エインに答えたのはあの男ではなかった。

 今、通り過ぎようとしていた若い文官が立ち止まり、振り向いて言ったのだ。


「お前、さっきの……!?」

「ご明察。こういう魔法には君も覚えがあるだろう? 悪魔の技の定石だ」


 汗ばんだ拳を固く握り込み、エインは唇を噛んだ。

 対象の思考を制限するのみならず、遠距離から乗っ取ることを可能としている敵の魔法は厄介極まりない。

 ――精神系の魔法を解除するには対象に働きかけて目を覚まさせるか、術者を倒す以外に方法はない。術の餌食になった一人ひとりの心を揺さぶり、正気を取り戻させるのは実質的に不可能だ。そんなことを丁寧にやっている時間はない。


「で、あるならば……!」


 エインは迷いを捨てた。

 そして、敵の魔法ができるだけ広範囲に及んでいることを期待した。

 要はあの金の長髪の男を始末する光景を「正気である」者に見られなければいいのだ。見られた際の対処は後で考えればいい。


「ベルゼブブ、君はもういないけれど……。ぼくは、ぼくという一個人として戦うよ」


 杖剣を鞘に収めた少年は腰から漆黒の二刀を抜き、覚悟を決めた。

 よく馴染んだ装備をもって、彼は新たな敵へ抗おうとする。

 鋭く息を吸い込み、そして吐き出す。そうして緊張を取り払った彼は、目尻を吊り上げると地面を蹴って勢いよく飛び出した。

 先程走った道を戻り、男のもとへと急ぐ。


「燃えよ、【紅蓮(グレン)】ッ!」


 階段を駆け上がる少年の鼓動の高まりに呼応して、彼の二刀が包含する魔力も増幅していた。

 二刀の刃に刻まれた紋章が赤く輝き、火の粉にも似た光を散らす。

 フロッティにオーダーメイドしたエインの武器、【紅蓮】。かつて彼が使っていた【ベルゼブブの双刀】に限りなく近い形を再現した、この世に一つしかない対の刀だ。

 

「ふっ、来たか! そうでなくては!」


 息も切らさずに目の前に舞い戻ってきた少年を迎え、金髪の男は歓喜の声を上げる。

 廊下には彼と少年以外の誰もいない。20メートルほどの間合いを置いて相対する二人は、瞳に赤い炎を宿して見つめ合った。


「その声音と口調で、ようやく思い出せました。あなたは『組織』の人間だ。名前は確か……ラファエル、といいましたか」

「私のような脇役の名を、よく覚えていてくれたね。驚いたよ」

「……そうですか? 天使の名を授かりながら悪魔に与する組織にいたり、そもそも異邦人だったり、かなり目立ってましたよ、あなたは」


『組織』にいた頃の癖が戻って敬語になってしまう自分に内心で舌打ちしながらも、エインは毅然とラファエルという男を見上げた。

 ラファエルは組織の諜報部隊に属していた人間だ。元は海外から『スカナディア半島』にやって来たジャーナリストであった彼だが、『組織』の存在を知って調査していくうちに、その理念に共感して加入したという経緯を持っている。

 エインは彼について、『組織』入りした経緯(いきさつ)くらいしか知らない。男の性格も、信念も、何も知らない。


「『組織』は私に力を与えてくれた。人の心を操る魔法をね。それがあったからこそ、私はマスコミを影から操作して『リューズ』を支えられたのだよ」


 リューズが密かに犯していた悪事をもみ消してきたのは自分であると、ラファエルは豪語する。

 彼が自慢げにそれを明かせているのも、その力があるからだ。物的証拠はどこにもない。今のエインは録音の魔道具も魔法も用意していないため、音声の証拠もない。

『もみ消した事実』をもみ消す力がラファエルにはある。そのため、彼が今の発言を否定してしまえば、それまでなのだ。


「余裕、ですね」

「君にはもう悪魔の加護がない。対して、私はノエル様から力を頂いている。どちらが勝つか……明白だろう?」


 エインが見極めなければならないのは、ラファエルの魔法の発動条件だ。

 この塔にいる者たち、そして中庭にいた者たちに効果が及んだことははっきりしている。だが、エイン自身もその効果範囲内にいたのだ。にも関わらず、なぜ彼だけが魔法に支配されなかったのか。

 ――効果を大きく広げたことで、魔法の威力自体は薄まった? だから心の弱い者だけが操られ、ぼくはあいつの魔法にやられなかった……?


「……ラファエルさん。なんであなたは今、ぼくのもとに現れたんですか?」

「わかりきったことを……。神器使いどもがいないこのタイミングこそ、君を捕らえるのに最適だからだ」


 喋りながらエインは思考を進める。

 敵がエインを操るためには、その魔法の範囲を狭めなければならない。しかし、それをすればこの塔と中庭にいる者たちにかかっていた魔法は解除されるはずだ。

 わざわざ広範囲に魔法をかけたのにも、わけがあるのだろう。理由は定かでないが、敵にとってそうしなくては都合が悪いのだ。

 ラファエルはエインを悪魔の魔法で洗脳することなく、自力で拘束しなくてはならない。それが彼の勝利条件だ。


「――!」


 無言の宣戦布告。

 二刀を構えて駆ける少年は、その黒き刃に己の全霊を込めて魔力を解放する。


「燃え上がれ、【紅蓮】!」


 男の目の前で、少年の両腕がぼやけた。

 揺らぐ空気。放散される、圧倒的な熱。

 少年の全身がほの暗い赤の光を帯び、白い髪や衣服とのコントラストを際立たせる。

 しなやかに躍動する脚、小刀を突き出す右腕、男の蹴りを躱す際に捻られる腰の動き――そのどれもが優美で、ラファエルは思わず見惚れてしまった。


「っ! なかなかにやるようだ!」


 だが、それでも男は笑う。

 帝国に支配されてから何の刺激もなくなってしまった故郷にいた頃では考えられなかった、闘争への悦び。

 役人の制服姿でいてもなお、鍛え上げられた元軍人の動作は精彩を欠かなかった。

 最低限の動きで少年の刃を避け、手刀でその柄を叩き、弾き落とす。けれども、続けざまに放たれた刃の二撃目までも完璧に対応し切るのは不可能であった。


「はあああああああああッ!!」


 少女じみた外見からは想像しがたい雄叫びを上げ、エイン・リューズは残された刃に全ての魔力を注ぎ込む。

 ラファエルが現役の軍人であったなら、少年のその攻撃を防ぐことも出来ただろう。だが悲しいかな、現在のラファエルは退役してから5年は経つ、三十半ばの男だ。『勇者の魂(エインヘリャル)』として育てられ幾度の戦いを乗り越えてきた伸び盛りの少年を、上回れるはずもない。


「ちぃッ!?」


 腕から肩へと走る激痛に、ラファエルは舌打ち混じりの呻きを漏らした。

 黒いスーツが切り裂かれ、その下の肌や肉までも刃に抉られると同時に焼け焦げている。

 苦痛に顔を半分歪めながら、一方でラファエルは笑うのを止めなかった。


「ははははっ!? 素晴らしいぞ、少年! やはり君は優秀だ! 君のような戦士がいれば……我が国は再び立ち上がれるものを!」

「……っ、何を言って――」


 エインは男の台詞に瞠目する。

 ラファエルの根幹にあったものは、つまるところ祖国への妄執だった。大国に飲み込まれる前の栄光を夢見る、最後の軍人――それこそが彼の正体だったのだ。


「私はね、君が欲しいのだよ。『組織』で君を一目見て、『これだ』と思った。君のような戦士がいれば、【神】の――【神器使い】の支配する帝国を潰すことも不可能ではない! どうだ、少年? 私と手を組まないか!?」


 その言葉に、エインはラファエルが組織に加入した真の狙いを理解した。

 全ては【神】を、『魔導帝国マギア』の【神器使い】を倒すため。目的を果たすべく男が求めた力こそが、【悪魔】及び【悪器】だったのだ。

 失われた祖国のために――その願いは、シルの記憶の中のリリスの姿と重なる。

 この人も悪魔を利用し、世界を変えようとしているのならば、止めなくてはならない。悪魔の力は多過ぎる人を不幸にする。死という永遠の別れを、彼らは罪もない者たちに強制する。そんな悲劇は断じて起こしてはならないのだ。それが、シル・ヴァルキュリアの本当の願いなのだから――。


「あなたのやり方は間違いです、ラファエルさん! 国のためを思う気持ちは分かる、でも悪魔に魂を売っちゃいけない!」

「ほぅ、私に説教をするか、エイン君。悪魔に心の芯までズブズブに依存していた君が?」


 語気を強めて訴えるエインに、ラファエルは皮肉めいた笑みを浮かべる。

 すかさずエインは反駁した。彼は自分がトーヤのおかげで悪魔への依存から脱せたのだと、声高に主張する。


「ぼくはもう、悪魔になんか頼っちゃいない! トーヤ君がぼくを負かしてくれたから、自分が間違っていたって気づくことが出来たんだ! 悪魔の力は、宿主の精神をすり減らす。憑いている時間が長ければ長いほど、心は蝕まれていってしまうんだ。

 ――ラファエルさん、あなたはそれでいいんですか!? 悪魔の力を使い続ければ、あなたが目的を果たしたその時には、あなた自身の魂は摩耗しきって潰れるかもしれないのに……!」


 エインは自覚していなかったが、こうして叫んでいる姿はトーヤのそれと瓜二つであった。

 自分がトーヤに救われたように、悪魔に憑かれた人を解放してやりたい――そんな望みが、彼を憧憬の少年へ近づけていた。


「…………」


 切り裂かれた肩を抑えながら、浅い呼吸のラファエルはエインをまっすぐ見つめた。

 上腕動脈を抉られたために、彼の出血量は多い。このままでは長く持たないだろう。

 死なせられない――目の前で人が死ぬ光景を見たくなかったエインは、咄嗟に一歩踏み出した。

 が、


「悪魔に魂を売ってでも、心を磨り潰してでも成さねばならない使命があるのだよ! ……私に情けはいらない。君と戦えたこと、君の意思を確かめられたこと、それだけで充分だ。……私はね、一人の戦士として君と一対一で戦いたかった。魔法で周囲の者どもの邪魔をさせないようにしたのは、そのためだ」


 一軍人としての矜持が、エインの救いの手を拒んだ。

 若い魔法剣士に負け、戦士としてのラファエルは死んだも同然。あとはこれまで通り、ジャーナリスト兼『組織』人員として活動を続けるほかない。

 床に膝を突き、ラファエルは全てを諦めたかのように項垂れた。


「ラファエルさん……」


 垂れた長い金髪を見下ろしながら、エインは動けずにいた。

 ラファエルが動いたのは、恐らく独断。エインに執着し、手に入れようと目論んでいただけで『組織』上層部からの指令とは無関係――そうエインは判断した。

 男がこのまま死ねば、この件は終わりだ。それは少年も分かっている。

 だが……少年は、命に敏感になりすぎていた。悪魔に憑かれて命じられるままに人を殺めた過去の反動か、今のエインは「人を殺す」ことに過度の恐怖を感じるようになっていたのだ。無論、それは人として間違ってはいない感覚なのだが――この場合、確実に彼の足を引っ張ることになる。


「ぼくは……ぼくはッ……!」


 滴り落ちて床に水溜まりを作る血液。視界に映る赤と、むせ返る鉄の匂い。

 ――モンスターを殺した時は、こんな感情を抱くことはなかったのに。何故……人の血に触れただけで、これほど身体が震えているのだろう。

 小刻みに震える手は刃を持ち続けられずに、足元へ落としてしまう。少年はそれに気づきもせず、「助ける」と「見過ごす」という選択に葛藤していた。

 生まれた時からシルによってベルゼブブの【悪器使い】として育ててられてきたエインは、悪魔から解放されて初めて普通の人間らしい倫理観を手にした。だからこの迷いは、彼が悪魔から人に変わった確証であるのだ。


「『組織』の人を助けるなんて、どうかしてるとは思うよ。でも……ぼくには、どうしても……!」


 エインは手を伸ばす。眼前の男の上腕に手のひらをかざし、彼は早口に治癒魔法の呪文を唱えた。

 暖かい緑の光が傷を癒し、流血を止めていく。


「……どうしようもない、お人好しだな。君は……」


 治っていく傷を見つめながら、ラファエルは呟いた。

 呆れと感嘆が半々といった口調で言う彼に、エインはか細い声で答える。


「好きに罵ってください。ぼくは……そういう人間になってしまったんです」

「罵る? 馬鹿を言え。君は甘いが、その優しさは確かな美徳だよ」


 立ち上がったラファエルは、俯いているエインを率直に賞賛した。

 敵への接し方としては愚かでしかないが、嫌いではない。やはり私は彼が欲しい――と、男は内心で意思を固める。

 近くの窓を一瞥したラファエルは、身を翻すとそちらへ歩み寄っていった。


「君は私を拘束するか?」


 窓枠に足をかけながら、男は背後の少年に訊ねた。

 無言で首を横に振る気配。それに苦笑を漏らすラファエルだったが、次いで発せられたエインの言葉に大笑した。


「見逃す代わりに、今後ぼくに協力することを約束してください。あなたの力は『組織』を内から食い破る可能性を秘めています」

「なるほど……ははっ、ははははっ! そりゃあ面白い! 君は私に『組織』を裏切れと言うのか!」

「できないとは言わせません。これは命令です」


 男が振り返ると、視界に飛び込んできたのは少年の真紅の瞳だった。

 逆らえば今度こそ手を下す――少年が直接やらずとも彼の意思によってラファエルは始末されるのだと、紅玉のような眼は語っていた。


「ふっ……恐ろしいね。リューズの血を引いているだけある。――分かったよ、君のために私はスパイとなろう。それで満足か?」


 やや投げやりな口調で答えるラファエルに、エインは頷く。

 男が放ってよこした水晶玉のような魔具に目を留め、彼は確認した。


「えっと、連絡用の魔具?」

「そうだ。高級品だ、丁寧に扱いたまえ」


 それだけ言い残してラファエルは窓から身を投げ――次には蝙蝠のように青い空へ飛び去っていった。

 予期せぬ出来事で自身の弱さも露呈してしまったが、この収穫は大きいとエインは感じた。

 ――あの男は必ずぼくの役に立ってくれる。

 ラファエルはエインの力を買っていて、始末を見逃してもらえたという恩もある。少なくとも恩に報いるまではエインの狗になってくれるはずだ。


「エイン君!? どうなさいました!?」


 と、そこで女性の金切り声が響いてエインはびくんと肩を跳ね上げた。

 駆け寄ってくるメイドにしどろもどろになる彼だったが、彼女の慌てようが床に溜まった血だと思い至る。

 ――どう言い訳しよう。

 思考を巡らせて咄嗟に彼が出した答えは、


「お姉さんがあまりにセクシーで、興奮して鼻血を噴き出してしまったんです。だから心配いりませんよー」

「そ、そんなセクシーだなんて……じゃなくて! 嘘に決まってるじゃないですか!? 鼻血じゃそんな量出ませんっ!」

「う、嘘じゃないもん! ぼくの言うことがそんなに信じられませんか?」


 苦しい言い訳だったが、目を潤ませて上目遣いで訴えるとメイドもそれ以上の追及はしなかった。


「仕方ありませんね。じゃあ処理は私がやっておきますから、エイン君は『王の間』へ向かったらどうでしょう? 王様たちはそろそろお帰りになると思いますよ」

「ありがとうございます。じゃあぼく行きますね!」


 踊る心を鎮めきれず、弾んだ声音でエインは礼を言い、それから足早に『王の間』のある『紅玉塔』へと急いだ。

 そこに着いた時には既に家臣の多くが参じており、エインは食客として彼らの隅に待機する。

 それから五分と経たず、『王の間』の中央に大きな魔法陣が浮かび上がり、【転送魔法】によって王たちが帰還してきた。

 アレクシル陛下にエミリア、エンシオ両殿下、トーヤやエル、ティーナとヘルガ……ルノウェルスに発っていた全員が無事にまた王城の床を踏んでいる。

 我慢しきれずに少年たちのもとへ飛び出したエインは、彼らにまず労いの言葉をかけた。


「おかえり、皆! 皆の活躍は聞いたよ。お疲れ様!」

「た、ただいま。エイン、なんかだいぶ元気だね?」

「だって待ってる間ずっと退屈――でもなかったけど、トーヤ君たちが無事に帰ってきてくれて嬉しいんだもん。あとでゆっくり、お土産話でも聞かせてね」


 若干疲れ気味のトーヤたちに笑みを向け、エインは言った。

 黒髪の少年も微笑み、エインの頭をぽんと叩くと頷く。


「お風呂で汗を流した後、皆でお昼にしようか。王様から午後は自由にしていいって言われてるし」

「分かった。じゃあ、ぼくは皆がお風呂に行ってる間、王様とお話してくるね。大事な報告があるんだ、君たちにも後で話すことだけど」

「了解。王様と一対一は大変だろうけど、頑張って」


 ラファエルとの件は隠さずに王に伝えようとエインは決めていた。

 もちろん、組織の者と繋がるリスクやそれによって疑いをかけられる可能性もあるが、きっとアレクシル王は理解してくれるはずだ。

 トーヤたちと別れ、家臣たちと話しながら廊下を歩いているアレクシル王へと駆け寄ったエインは、緊張しながらも彼に声をかけた。


「む、なんだいエイン君?」

「陛下やトーヤ君たちが留守にしている間、こちらであったことを報せようと思いまして。――『組織』に関わる大事な話です」


『組織』という単語に、アレクシルのにこやかな表情が一転して剣呑さを帯びる。

 周囲の家臣たちに暇を与えると、王は少年の手を引いて手近な小部屋に入った。


「では、聞かせてくれるね?」


 王の目は誤魔化せない。ごくりと生唾を飲んだエインは、一度咳払いをすると乾いた口で語り始めた。



 スウェルダ首都、ストルムのリューズ邸にて。

 銀の月に見下ろされるテラスで豪奢な椅子に掛けるノエル・リューズは、傍らに佇む男へ小言を吐いた。

  

「最近、独断行動が多いように見受けられるが……少しは謹んだらどうだ?」

「あなた様を思ってのことでございます、閣下。近頃、リューズを脅かさんとする勢力が力を増しているものですから」


 嘘ではない。経済界の最大勢力であるリューズ商会に追い縋ろうという他商会は多くある。そういった対抗勢力への妨害を行っていたのだと、ラファエルはのたまった。

 気だるげに椅子の肘掛けに頬杖をつくノエルは、ラファエルを見もせずに溜め息を漏らす。


「私は君を信用している。信頼はしていないがね。……分かっていると思うが、私の意にそぐわぬ行動を取った暁には、お前の首は落ちている」


 ノエル・リューズはいらついていた。

 計画の尽くが狂っている。アマンダが死に、マモンは勝手な行動の末に敗北し、ルーカスはあのメイドとの色情に耽溺し。自分の手の内にあったはずのものが、自分の意思とは異なる方へ向かっている。

 ――俺に王者としての資格がないから、こうも上手くいかないのか?

 舌打ちし、ワイングラスを傾けたノエルは一気に酒を喉に流した。


「いいな、ラファエル。お前は最後まで私の狗であれ。失望させるなよ」

「仰せのままに、閣下。このラファエル、どこまでもあなた様に付き従いましょう」


 グレーのビジネススーツを纏ったラファエルは、仰々しく腰を折ってそう述べた。

 ノエルは協力者の返事に満足げに頷き、頭上の月を眺めた。


 ――私はあの月と同じだ。闇の中でしか輝けない。光があれば、それにかき消されていくだけの存在……。


 憐れだな、とノエルは自嘲した。

 最初から歯車は狂っていた。既に軌道修正は叶わない。もはや、この覇道を進む以外に道はないのだ。止める選択肢は有り得ない。

 

「ラファエル、ドリスを呼んで来い。意思統一する必要がある」


 ノエル・リューズは命じた。

 これ以上の失態は許されない。許してはおけない。

 悪魔単体では神に勝つことは出来ないのだと、これまでの戦いが証明している。やり方を変えねば勝機は見えないのだ。悪魔側にある利点、これを最大限に活用しなくては。


「……で、どうなさいます? ()()


 メイドがノエルの前に出てくるのは早かった。まるで呼ばれるのを分かっていたかのように、彼女はこのテラスの側で待機していたのだ。

 不敵に笑みを浮かべるノエルはラファエルを退席させ、ドリスに間近まで来るように言った。そうして彼女の耳元で囁くと、ドリスは小さく笑い声を漏らした。


「……良いのですか、そんなことをして? 閣下を『人々の暮らしの味方』とはもう呼べませんね」

「その点に関しては問題ない。わざわざリューズの名を喧伝する理由もないからな。ドリス、【憤怒】を目覚めさせろ。神々への鉄槌を下す時が来た」


 憤怒の悪魔、サタン。

 かつてエルフ族の娘・カルに憑依してトーヤと戦ったかの悪魔は、今は力を潜めたままだ。

 リリスの憎悪を一身に背負って生まれた彼女が燃やす炎は、どの悪魔よりも激しく熱い。

 

「うふふ……あの『種』を発芽させますか。退屈しのぎにはなりそうですね」

   

 計画は、始動する。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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