25 王という立場
悪魔マモンと【異端者】の怪物たちを巡る事件が終わった後、三国同盟の結成は正式に全世界に通達された。
同時に平和条約を締結した三国の王は、対『組織』においてこれまで以上の連携であたっていくと決意を改める。
この報せは『組織』のみならず、諸外国の面々も驚かせた。
とりわけ北方への侵略も視野に入れていた『魔導帝国マギア』にとっては、歓迎し難い事態であった。
対して、『スカナディア半島』にほど近い国々からは好意的に受け止められた。現状の脅威が南方からの侵略であるという認識が共通している以上、協力関係になりうると判断されたからだ。
そして、その同盟を結んだ張本人たちは――。
「では、カイ君。名残惜しくはあるが、我々は速やかに国に戻らねばならない。街の復興は大変だろうが、どうか折れずに努力を続けてくれ。私からも援助は行うよ」
「ああ。感謝する、アレクシル陛下。私のことは心配せずとも構わない」
スオロの議事堂にて共同声明を上げた、その日の夕刻。
全ての会合を終えた彼らは会場からの退出際、最後に握手を交わしていた。
あれだけの事件が起こってもなお疲労一つも見せないアレクシルに、眼鏡をかけて為政者の顔になったカイは丁重に礼を言った。
自分の守るべき臣民が殺され、忠臣のオリビエまでも悪魔の傀儡にされてしまった青年王の心労は計り知れない。だが、それでも気丈に彼は会談を乗り切った。
そんな彼へケヴィンはミラと共にねぎらいの言葉をかける。
「悪魔マモンを倒したのは君なのだ、カイ陛下。スオロの民たちは君の姿を、英雄として目に焼き付けただろう。その功績は誇るべきことだ」
「私より年下なのに、本当に凄いわぁ。今はただ、お疲れ様というべきかしらね」
同じ神器使いとして、ミラはカイの勇気ある戦いぶりに感銘を受けていた。
戦いだけでなく、悪魔と対話して事件を終幕まで導いたこと――これはミラには決して出来なかったであろうことだ。
カイ・ルノウェルスは紛う事なき「王の器」。ミラは若き王をそう認めた。
「ありがとう、ケヴィン陛下、ミラ殿下。これはあなた方の活躍があってこその結果。あなた方が精力を尽くしてくれなければ、被害はさらに拡大していただろうから」
心からの感謝を込めて、カイは彼女らの活躍を称えた。
彼からの謝辞に微笑む王と王女は、目礼すると去っていった。
スウェルダの王たちが部屋を出て行く背中を見送りながら、カイはまだ傍らにいるアレクシルを見上げる。
「あなたも帰ったらどうなのだ? エルの魔法陣で一瞬なんだろう?」
「ふふっ、会合はもう終わったんだ。君も肩肘張らなくてもいいと思うがね」
カイの頭をぽんと叩き、父親のような顔で言ってくるアレクシル。
幼くして父を亡くした青年は胸の奥からじわりとこみ上げてくるものを感じたが、それは表に出さずに苦笑を浮かべた。
「思えば……背伸びしてたことも見え見えでしたか」
「晴れ舞台で張り切る子供の姿というものは、いつだって微笑ましいものさ。君も子を持てば分かる話だ」
「子供、ですか? ……お、俺にはまだ早いかも」
「ルノウェルス王族は悪魔ベルウェゴールの暗躍もあって、数を減らしていたね。子作りに励むのを急いでも損はないよ」
当然のことだと真顔でアドバイスするアレクシルに、初心な青年は耳まで真っ赤にする。
途端に年甲斐もなく悪戯っ子の顔になったアレクシルは、ルノウェルス陣営の女性たちを眺めながら言った。
「ふふっ……子供が出来たら私が名付け親になってやってもいい」
「……うちの女性陣を物色するの、止めてもらえますか」
「おっと失礼。カイ君の本命は誰か気になってね」
本命、という単語にカイの肩がぴくりと反応する。
一瞬向いた彼の視線の先にいた女性を確かめ、アレクシルは「やはりか」と頷いた。
「カイ君はお姉ちゃん大好きだからなぁー」
「ちょっ、声が大きいです! ……いいから、もう帰ってください!」
急に声量を大きくした意地悪な王に、鼓動を跳ね上げるカイはその口を塞ぎにかかる。
軽快な動作で青年をかわしたアレクシルは、エミリアら自国の陣営の面々を見渡すと「帰るぞ」と声をかけた。
ようやくいなくなってくれる――とカイが胸をなで下ろしていると、王様に代わって彼のもとに黒髪の少年がやって来た。
「カイ! ……また、お別れだね」
「トーヤ――。あぁ、しばらく会えなくなるな」
ミウやオリビエ、ルプスと並んでカイの精神的支柱となっているのが、トーヤという少年だ。
彼がルノウェルスを発ってしまうのは、もちろん寂しい。だが、カイはそれで凹むほどやわな人間ではない。
場所は違えど、同じ使命の下で戦う同志。その意識があれば、十分だ。
一時の別れくらいでなくなるような絆など、二人は結んでいない。
「次会ったときも、土産話たくさん用意しとくから。楽しみにしててね」
「ああ。俺の方も、王の名に恥じない政を続けていくよ」
今回の悪魔との戦いを経て、青年も少年もまた強くなれた。
握手を交わし、互いに瞳を見つめ合った二人は頷く。
「――じゃあ、またな」
「うん。――また」
別れは笑顔で――。
軽い足取りでアレクシルらのもとへ戻ったトーヤは、エルたちと一緒にカイたちに手を振ってくる。
彼へ同じように応じながら、カイは再会の日までにもっと誇れる自分になろうと決意を固めた。
カイたちが話している間、リトヴァら亜人族の長たちもそれぞれ言葉を交わしていた。
「長いようで短い会談であったな。お主らとももうお別れか」
「……ですね。何だかちょっと寂しいです」
獣人族の青年サクが、ドワーフの娘のリトヴァに曖昧な笑みを向ける。
そんな彼の背中を力強く叩いたのは、ダークエルフのリカールだった。
「背筋を伸ばせ、獣人。これが今生の別れではあるまいし」
「おうよ。お主らとの話はなかなかに面白かった。この出会いに感謝しているぞ」
リカールの台詞にリトヴァはにやりと笑った。
今回の三国会談の中には、「亜人族を不当に差別してはならない」という声明も盛り込まれた。これこそが、彼女らが各国の王及び外交団と対話して掴み取った成果だ。
人々の意識はすぐには変わらないかもしれない。だが、トップに立つ王たちがそういう指針を出したことで、少しずつでも変わっていってくれればそれでいい。
「この会談で手前らが『亜人族』として一歩前進できたと、胸を張って言える。上々の結果だ」
会談を総括するリトヴァに対し、リカールやサク、ウトガルザら各族長が一様に首肯した。
「うむ。王たちが正式に我々の人権を認めた事実は大きい。これまでは考えられなかった話だ」
リトヴァたちの三倍もの時を生きている先達のウトガルザは、感慨深げに口にした。
小人族のワック・ソーリに、エルフ族のリヨスとカルも巨人の長と思いを同じくしていた。
と、そこでリカールが咳払いし、皆に自身の武器について語り始めた。
「私の武器、先祖代々伝わる【魔銃】は、どうやら【神器】の一つであったようだ。女神ネメシスという、アスガルド神話には記されていない神の授けし物だ。あの少年――トーヤといったか――が、教えてくれた」
リカール・チャロアイトが神器使いである事実は、既に三国の政府に伝わっている。
長が神器使いであるということは、今後の人間とのやり取りにも少なくない影響を及ぼすだろう。【神器使い】はその存在一つが大きな交渉のカードになりうるのだ。
「そうだったんですか! 凄いです、リカールさん! 自分もリカールさんのような神器使いにいつかなりたいです!」
「む、それは良いが……。お前、妙に私を慕ってないか? 私はお前に気に入られるようなことをした覚えはないのだが……」
「鈍いのぅ、ダークエルフってやつは。どれ、手前が人間関係の機微というものを教えてやろうか」
「い、要らん。というか、お前もお前だ! なぜそんなにぐいぐい近づいて来るのだ!?」
サクとリトヴァに翻弄されるリカール。
艶めく長髪が心なしかやつれたように見える彼は、はぁ、と溜め息を吐いた。
「若い連中は良いな」
「ええ、全くです」
そんな騒々しい彼らを、年長のウトガルザやリヨスらは温かい眼差しで見守るのであった。
*
その夜、カイはルノウェルス王宮の医務室に足を運んでいた。
マモンが自害し、オリビエの身体は悪魔の支配から解放された。しかしベルフェゴールに憑かれていたモーガン同様、オリビエに掛かっていた負担は大きく、彼は目覚めぬままベッドに横たえられている。
「オリビエ……」
モーガンが意識を取り戻すのには一ヶ月ほどかかった。悪魔に憑依されていた時間の長さから推測すれば、オリビエはもう少し早く覚醒するはずなのだが……カイはどうしても不安を抱いてしまう。
もし、彼が起きなかったら。もし、二度と自分の名を呼んでくれなかったら。
そうなってしまったら、カイは何を拠り所に政治の場に立てば良いのだろう。彼が若いながらも王として戦ってこられたのは、側でオリビエが補佐してくれたおかげだった。その助けがなくなってしまったら……。
「弱いな、俺。……ごめん」
自分たち以外には医師とその助手しかいない医務室の中、ベッド脇に佇むカイは頭を振る。
オリビエがいつから悪魔に憑かれていたのか、カイは何も知らない。いや、カイだけでなくそれを知る者はこの世のどこにもいやしなかった。
気付けなかったのは、カイの失態だ。言い訳など出来ようもない。悪魔に憑かれていた人間を間近で見てきた上に、【強欲】の魔の手が迫ってきていることを知り及んでいながらオリビエがマモンに憑依されていると見抜けなかったのは、彼の慢心にほかならない。
オリビエだけはありえない――その彼への無条件の信頼が、却って仇になる結果を招いてしまった。
「……陛下。少し、休まれては?」
「あ、あぁ……そうするよ」
年配の医師に勧められ、カイは素直に彼に従う。
強がる気力ももはや残ってはいなかった。冷え切ったオリビエの右手を自身の手で包み込み、瞳を伏せたカイは、やがてぎこちない足取りで寝室へと戻っていった。
暗い廊下を、一人歩く。足音だけが、空虚に響く。
窓の外に映る群青の空と、銀色の月を見上げ、青年は自嘲の笑みを口元に貼り付けた。
「……また、犠牲者を出してしまったな」
全ての人を守ろうというのが、叶わない理想なのだとは弁えている。
だが――カイは王になってもなお、その綺麗な理想を捨てきれなかった。そのせいでこんな風に苦しむと分かっていながら。
「カイ……」
自らの名を呼ぶ声に、カイは視線を前方に戻した。
そこにいたのは白いマントを身に纏った女性
――ミウだった。
「姉さん……。こんな時間に、どうしたんだ?」
「その台詞、そっくりあなたに返すわ、カイ」
訊いてくるカイにミウは苦笑した。
彼女は弟の瞳をまっすぐ見つめ、逃げようと視線を逸らす彼に一歩詰め寄る。
「ね、カイ。あなた……本当に大丈夫なの? 無理してるんじゃない?」
「し、してないよ。俺は至って健康だ。何ともない」
強がりだと見透かされると分かっていても、カイはそれしか言えなかった。
王としてのプライドが、彼にそう言わせた。そこには一種の強迫観念のようなものがあった。
「カイ……王って立場は、一人で何もかも背負おうとする人を指すわけじゃないの」
二人以外誰もいない廊下で、ミウはカイをそっと抱き寄せた。
互いの息遣い、匂い、鼓動も感じられるほど密着し、彼女は弟へ囁きかける。
「だから、ね。負担だと感じたら、私たちに肩代わりを頼めばいい。あなたはそんなこと出来ないと思うでしょうけど、負担に潰れそうな若者を見殺しにするほどここの政治家たちは馬鹿じゃないわ」
ミウにとって、この世界で最も大切な存在はカイだ。幼い頃から守り続けてきた弟が戦いの中で磨り減っていく様子を見るのは、彼女には自分を傷つけられるのと同義であった。
切実に訴えてくる姉に、カイは反駁できない。できるはずもなかった。ミウがカイを想っているように、カイもミウに普通の姉弟以上の情を注いでいるのだから。
「ありがとう、姉さん。……ごめんな、心配かけちゃって」
「謝らなくていいわ。実の姉にくらい、心配させて」
カイの言葉に、ミウは首を横に振った。
そして抱きしめていた腕を離し、歩き出す。
前を見つめたまま、ミウは話し始めた。
「オリビエさんのことは、あなただけが責められることじゃない。気付けなかった責任は、私たち全員にある。私たち全員が、この失態から学ばなきゃいけないの」
後悔と戒め。強い口調でそれを改めて刻み込み、それから彼女は声音を一転して微笑む。
「でもね。今回の事件でオリビエさんが生きて悪魔から解放されたのは、幸運だったわ。最悪の場合、悪魔もろとも彼を殺すことも覚悟していたから」
ミウは内心で、「その際は私も死んでいたわ」と付け足した。
彼女が父からその身に受け継いだ、対悪魔の秘術。術者の命と引き換えに悪魔を対象から引き剥がす、一度きりの禁断の技。
それを使う結果にならなくて良かった、とミウもカイも安堵していた。
「これからやるべきことは、オリビエが悪魔に憑かれた原因の究明と他の悪魔への対策だな。――頑張らないと」
「ほどほどに休みながらね」
「分かってるって。トーヤにも口酸っぱく言われてるしな」
姉の忠告にカイは少年の名を持ち出して頷く。
寝室へと戻る青年の姿勢は、憑き物が落ちたようにしゃんとしたものに変わっていた。
*
エイン・リューズは待ち焦がれていた。
居室の窓際で頬杖をつき、よく晴れた外の景色を眺める少年は鼻歌を歌いながら言う。
「トーヤ君たち、そろそろ帰ってくるかな~」
ルノウェルスで三国会談が行われている間、エインはフィルンの王城で留守番させられていた。
自分たちが出払う間も王城の戦力を保つために残って欲しい――アレクシル王にそう頼まれては、さしものエインも断れなかった。
本音を言えば、エインもルノウェルスに行ってトーヤらと共に王様を護衛したかった。悪魔と決別してから常に隣にいてくれた皆の側から離れるのが、少し怖くもあった。
だが、この三日間は何事もなく過ぎていった。スオロでは悪魔による動乱があったそうだが、フィルンは平和そのもので退屈ですらあった。
「……生まれて始めて出来た友達。生まれて始めて見た景色に、誰かを『好き』って思う気持ち……教えてくれてありがとうね」
面と向かって言えない台詞を、独りごちる。
すぐに顔を赤くして手で覆い隠すエインは、しばし頭を振りながら悶絶していたが、ふと聞こえてきたノックの音にはっとした。
「はーい」と返事をしてドアへ駆け寄った彼だったが――ドアノブに手をかけようとする前に、来訪者側が勝手に扉を開いた。
「え……?」
――施錠していたはずなのに、何故?
エインが驚愕に声を上げる中、その来訪者はくすりと笑った。
「やあ、君がエイン・リューズ君だね?」
黒の一張羅を纏い、胸に文官の徽章を付けた男。名前までは分からないが、この王城に務める役人の一人だ。
柔らかく微笑む男は一見して親切そうに思えるが、エインはそんなものに絆されるほど甘くはなかった。
「違います――と言っても、聞かないんでしょうね。何の用ですか?」
少年は冷然とした口調で、言い放つ。
目の前の男の瞳に浮かぶのは、赤い光。もう何度目か知れないほど見てきたその目は、悪魔に支配された者のものだ。
「そんなことは、こちらから言わずとも理解していると思ったが」
喉を鳴らして笑い、直後、男は懐から小刀を抜き出して閃かせる。
――やはり、刺客!
「っ……!」
杖剣の刃で男の刀を受け止め、弾き、エインは体勢を低めた。
最初の一撃を防いだ彼は小柄な体格を活かして男の脇をするりと抜け、部屋の外へと脱出する。
「不審者です!! 誰か、助けを呼んでくれませんか!?」
恥もかなぐり捨ててエインは叫んだ。
大の男が相手でもエインに負ける気は微塵もなかったが、その敵が役人であるのなら話は別だ。
元『組織』所属の彼がここで役人の男を傷つけ、殺しでもしたら余計な疑いをかけられる。他の兵士を呼んで解決に当たらせるのが最善策、とエインは判断した。
「おっと、不審者とは失礼な。私はただ、君とお茶を楽しみたかっただけなのだが」
心にもない台詞を吐き、男は外へ飛び出したエインを追跡――しようとはしなかった。
「えっ……?」
エインは驚くが、走りながら不審者が出たのだと声を上げ続けた。
しかし、彼の大声が廊下中に響き渡っている筈なのに、誰も反応しない。通りかかったメイドが真顔で素通りしていったのを見たエインは、何かがおかしいと気づいた。
「なんで……皆、応えないんだ」
立ち止まり、背後を振り向く。
軽快に靴音を鳴らしてこちらに近づいてくるのは、先程の男だ。
「君は既に罠にかかっているんだよ、エイン・リューズ君」
くすんだ金髪を長く伸ばし、後ろで結んだ鋭角的な顔をした男。
彼はその口元に薄く笑みを浮かべ、少年を指さして告げた。




