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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第10章 【強欲】悪魔マモン討伐編/【嫉妬】悪魔レヴィアタン討伐編

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19  反逆の異端者

 石の体を持つ魔獣、ガーゴイル。

 翼の生えた醜悪な悪魔の像が、魔導士によって生命を宿した怪物である。

 体高二メートルを越す体躯の異形は大通り上空を滑るように飛行し、その口から水流を吐き出して眼下の人々を襲撃していた。


「きゃああああああッ!?」

「何だあれは!? 飛んでる……!」

「逃げろ、逃げろーッ!! うわっ――!?」


 怪物の出現に混乱へと叩き落とされる市民たち。

 無我夢中で逃げ惑う彼らを睨み据え、ガーゴイルは低空飛行に切り替えた。長い尾を振り回してすれ違いざまに建物の屋根を破壊し、その瓦礫を通りの人々へ浴びせかける。


 ――この襲撃に何の意味があるというのだ? 我々が悪魔に従うことで、何が得られる?


 理知を備えた怪物【異端者ハイレシス)】の一体であるガーゴイルは、そんな疑問を拭えない。

 同じ【異端者】で寄り集まって、長い時間をかけて共同体を結成した。『スカナディア山脈』の奥地に拠点を設け、ひっそりと暮らしてきた。

 知性を持ってしまったが故に、同じ種の馬鹿どもと共にいることが苦痛だった。だから、群れを飛び出して彷徨っていた。『共同体』に辿りつけたのは幸運以外の何でもなく、その偶然には感謝しきれない。

 だが、それで充分だったのだ。悪魔に与し、人々を襲撃することなど、ガーゴイルは望んでなどいない。

 心優しい性格の彼は、自分たち『怪物』と『人間』が等しく一個の命の集合であることを知っていて、優劣などつけていなかった。自然発生した怪物ではなく、子種を残せない身である彼だからこそ、子をなせる『人間』たちの命を尊いものだと思っていた。

 しかし――『共同体』の頭目である『エキドナ』という女は、人間について彼とは真逆の思想を掲げていた。


 人間が地上に跋扈しているせいで、自分たち怪物は思うように生きられない。同胞たちは人間の繁栄に比例するように数を減らし、住処を奪われている。それ以前に、人間に等しい知能を持っていながら何故、自分たちはこんなにも卑屈に生きなければならないのか? 自分たちにも権利はある。太陽の下に出て、笑顔で暮らせる権利が――。


 それが、エキドナの主張だった。彼女の思いにガーゴイルも共感していた。それは他の怪物らも同じで、だからこそここまで一途に彼女についてきたのだ。

 だが、その主張をもとに人々を襲撃するなど間違っている。【異端者】の中でも賢くない方のガーゴイルには上手く言語化できないが、とにかく殺戮によって願いを叶えるのだけは違うと思うのだ。

 

『……許せ、人々よ。ワタシは愚か者だ。「共同体」から追放されるのを恐れ、エキドナに逆らえなかった愚か者なのだ……!』


 出力を弱めた水の攻撃と、周りの怪物に訝しまれないように申し訳程度の建物の破壊を行ってはいるが、ガーゴイルはこの場から逃げ出したくてたまらなかった。

 彼は大通りから脇道に逸れ、なるべく人のいない城壁寄りの南区画へと向かっていく。

 けれども、彼を追いかける戦士はそんな内心を窺い知るわけもなく。

 翡翠の瞳の獣人の少年は、対ミノタウロス戦での雪辱を払拭しようと怪物を猛追していた。


「地下街への行き方が分かるやつは仲間を連れてそっちへ逃げるんだ! 怪物の図体じゃ地下街には入れない、あそこが安全地帯だ! みんな、地下街へ逃げるんだ!」


 薄汚れた白い服を着たスラムの住人たちを避けながら、疾駆するジェードは彼らへ避難を呼びかける。

 喉がひりつくのも構わず、少年は幾度も叫びを上げていく。

 その姿をちらりと振り返り、ガーゴイルはぎりりと歯を食いしばる。


 ――人々の命を守るために、あの獣人の少年は戦っているのだ。ワタシたちという脅威を退けるために、走っているのだ。


 何と言われようと、この作戦への参加を断ればよかった。そうすればこんなにも悔やむこともなかったのに。

 しかし、全ては遅すぎた。賽は投げられ、殲滅という名の勝利と、死という敗北以外に道はない。

 人々にとって怪物は絶対悪。悪魔と同様に、滅ぼすべき脅威なのだ。そこに理知があろうが、善なる心があろうが、関係ない。醜悪で巨大な体躯を持っていれば、無条件に排除の対象になるのだから。


「ベルザンディ様、力を借ります!」


 ガーゴイルである彼はもちろん、人間の神話など知る由もない。だから彼は、少年が仲間の名でも呼んだのだろうとしか思わなかった。

 それは幸運であったかもしれない。知っていたなら、今から自分が受ける魔法に絶望を植えつけられていただろうから。

 

「【背負うは過去、見据えるは未来。我は現在いま)に生き、今を統べる者。一瞬を切り取り永遠へと変える、時の女神の代行者。さぁ、共に立とう。悠久の今の中で】――【時女神の託宣】!」


『現在』を限りなく引き伸ばす、ベルザンディの魔法。

 それは傍から見れば、時を止めることに等しかった。

 時間の経過を極限まで遅らせるこの神の技には、誰ひとりとして抗う術を持たない。


「お前たちの暴虐は、ここで止めるッ!」


 視界の上端で停止しているように見えるガーゴイルへ、ジェードは狙いを定めた。

 彼以外の者が時間に取り残された空間で、少年は建物の屋根まで跳躍し――獣人の優れた身体能力で低空飛行していた怪物へと飛び移る。

 ガーゴイルの背を踏みしめたジェードは、杖の石突をそこに突き付けて詠唱を開始した。

 淀みなく唱えられた呪文により、魔法が発動する。雷属性の攻撃魔法が炸裂し、石像の怪物の肉体を震わせる。


「クソッ、無駄に頑丈だな……!」


 ジェードは舌打ちする。

 ベルザンディの能力は二つ――自分以外にとっての『現在』を引き伸ばす力と、特定の他者にその影響を受けないようにする力。逆に言えば、それ以外の特殊能力は何も持たないのだ。

 今、彼は己自身の魔法でガーゴイルを倒そうとしている。だが、彼の『魔導士』として鍛錬を積んだ期間はあまりに短く、エルなどの一流の魔導士ほどの大魔法を使えるわけもなかった。

 結果、敵の動きは止めたが撃破まではいかないという、歯がゆい状況に至ってしまうことになった。


「はぁ、はぁ……! 意地張って一人で来たけど、認めざるを得ない、みたいだな……。俺は一人じゃ戦えない。トーヤを手助けしたシアンみたいに、誰かのサポート役にしかなれない、ってことかよ……」


 ジェードは、ずっとトーヤに憧れていた。シアンと同じく、彼もトーヤと肩を並べられる戦士になりたかった。いや――シアン以上に彼は、心の奥底では黒髪の少年に対抗意識を燃やしていたのだ。

 自分も【神器】を得た。トーヤと同じ土俵に立てた。『ヴァンヘイム高原』で【異端者】含む怪物の群れを単騎で蹴散らした彼のように、強大な戦士になれると信じていた。


「まぁ……それでも、いいか。今回はしくじったけど、次からは、攻撃特化の【神器使い】や魔導士と協力して、戦えば……」


 ベルザンディをはじめとする『ノルン』の女神の魔法は、一発あたりに尋常でない量の魔力を消費してしまう。

 魔法の効果が切れれば、体内の魔力を最大まで溜めないと再度の使用はできないのだ。だからこそ、この魔法は他の何よりも使用者の判断力に左右される。


「悔しいけど……これも経験だ。余計なプライドは捨て去ること、それをまず第一にやるべきだったんだ」


 ぐらり、と足元が揺らぐのをジェードは感じた。【時女神の託宣】の効果が切れたのだ。

 時を取り戻したガーゴイルは先ほどのように飛行を再開する。といっても、彼自身は自分の時が止まっていたことを自覚はしていなかったが。

 少年が一瞬にして背中に乗り移っている――それを知覚しながらも、ガーゴイルは彼を振り落とそうとはしなかった。

 獣人のちっぽけな体では、落下の衝撃に耐えられない。ジェードの鍛え上げられた身体能力を知らないガーゴイルは、そこらの人間と同一視してそう判断した。


「ちくしょう、刃が通らない……!」


 ベルザンディの魔法の使い方を誤ったジェードだったが、そのために勝負を投げ出してはいない。

 彼は不壊属性を持つ【神器】をガーゴイルの石の体に打ち付けるが、彼の全体重を乗せた一撃でも傷一つつけることすらままならなかった。

 ガーゴイルは周囲に視線を巡らせる。そうして近辺に同胞がいないのを確かめると、彼は人気のない路地裏の空き地へと着陸した。

 振り落とされぬようしがみついている少年に、怪物は低めた声で言う。


『ワタシは……オマエを殺さない。この殺戮が我々にとって何の意味もないと、知っているからだ』


 ガーゴイルの背の突起を掴んでいた少年の手が、汗でずり落ちる。ゴツゴツした怪物の肌に擦られながら地面に落下してしまった少年は、痛みに喘ぎつつも怪物を見上げた。


「えっ……!? 何で……というか、お前……」

『ああ。ワタシは人の命が尊いものであると理解している。が……ワタシの同胞はそうではない。人を殺め、地上から殲滅することで怪物の世界が作れるのだと信じているのだ。ワタシは、それを正しいことだとは思わない』


 人間に何を言おうが、彼は怪物だ。話など聞き入れてはもらえないだろう。

 それでもガーゴイルが少年に自分の真意を明かそうと思ったのは、少年が人を守る『正義』という強い信念を持っていると感じたから。命を大切に思う心が同じなら、分かってもらえるかもしれない――そんな淡い希望から、彼は口を開いたのだ。


「お前……【異端者】なのか……!?」

『知っているのか。【異端者】を――』


 ガーゴイルは驚愕した。瞼のない目をあらん限りに見開いて、彼は獣人の少年を凝視する。

 地面にへたり込んで怪物を見上げるジェードは、目の前の相手に殺意がないことを察すると、乾いた舌を動かして答えた。


「知ってる。俺たちを殺そうと襲ってきたやつも、逆に俺たちを悪魔から守ってくれたやつも。人と変わらない知性を持つ怪物が、ごく稀に生まれてくるのだと……俺たちは知ってるよ」


 少年は「俺たち」と言った。つまり、この街には【異端者】を知る人間が複数人いる可能性が高いということだ。

 しかし、ガーゴイルは自分のことを分かってもらおうとは思わない。願うのは、この殺戮を止めることだけだ。

 ――自分は愚かにも『エキドナ』に逆らえなかった。だが、もし許されるならば、あの女に反旗を翻す選択をさせてほしい。間違った殺しを行って悪魔に与した先に、自分たちの本当の幸せが待っているとはどうしても思えないのだ。


『少年よ……ワタシは同胞を止める。怪物と人は交わるべきではない……この戦闘を終わらせ、ここから退くことが正しい道なのだ』

 

 ガーゴイルは覚悟した。たとえ『エキドナ』に殺されようが、『共同体』を追放されようが、構いはしない。

 悪を悪のままのさばらせることに何の意義がある? 正しいことを正しいと言わずして、何が得られる?

 飛び立とうと翼を羽ばたかせたガーゴイルに、立ち上がった少年は声を投じた。


「待ってくれ! 俺はジェードっていうんだ、お前の名は!?」

『名前などない。ワタシはただのガーゴイルだ』


 それきり、ガーゴイルはジェードから視線を切って飛翔した。

 その場に取り残された獣人の少年は、長杖を握り締めて立ち尽くす。

 

「あいつ、怪物だけど……間違いを間違いと認めて、正そうとしている。すごい、やつだ」


 人間が怪物にこんな情を抱いてしまって良いのか、ジェードには分からない。

 分からないまま、彼は再び走り出した。今度は一人でなく、仲間と共に戦うために。



 白銀のレイピアから放たれた光条が、目玉の怪物の眼球を穿つ。

 目を見れば呪われる怪物に対しても、敵の魔法範囲外からの正確無比な攻撃ならば反撃を受ける心配もない。


「ミウ王女、敵の動きが止まったわ! 結界を!」

「了解!」


 すかさずミウが宝玉に触れ、自身の魔力を【結界魔法】として転換した。

 虹色の光が迸った、次の瞬間――疾駆するミラとゲイザーを同色のドーム状の結界が取り囲む。

 ゲイザーの呪いの特性上、この周囲にいた者は例外なく死んでいる。その屍の数々を目に焼き付け、ミラは胸の奥から瞋恚の炎が燃え上がってくるのを感じた。

 絶対に許してはならない、悪。存在するだけで呪詛を撒き散らすゲイザーなどは、特に駆除すべき害獣だ。

 

「観念なさい! あなたたちにどんな目的があろうとも、人々を殺戮した罪は消えない! その罪――万死に値する!」


 敵の眼は文字通り潰れた。あとは、射殺すのみ。

【穿光剣】の二撃目をミラは渾身の力を乗せて放った。

 白い長髪が舞い、細剣が星の光のごとく煌く。神の化身による一条の光が、怪物という罪人へと裁きの鉄槌を下した。

 圧倒的な光と熱により、その怪物は痕跡すら残さずに焼失する。

 スウェルダの王女が挙げた戦果に、ミウは気持ちの高ぶりを抑えきれずにガッツポーズを作った。


「よし……! これで、二体目ね。順調に運べばエミリア王女たちが今頃他の怪物を倒しているでしょうから、放たれた十数体のうち、三、四体ほどは倒されていると見ていいのかしら?」

「前向きに捉えれば、ね。確か、目撃された怪物にはセイレーンやガーゴイルといった飛行できる種もいたわぁ。そいつらに苦戦している可能性も十分にある」


【神化】を維持したまま、ミラは腰にレイピアを収めてミウの言葉に答える。

 それからミウに歩み寄った彼女は、手を繋いで魔力の受け渡しを行った。

 触れたそばから暖かな光の魔力が流れ込んできて、ミウは心身の疲労が薄らぐのを感じた。

 魔力の補充を終え、今日限りのパートナーに礼を言われたミラははにかむ。


「どういたしまして。さ、次の敵を片付けにいきましょう」


 そう促して地面を蹴り、人間離れした脚力で疾駆していくミラ。

 ミウは宝玉の付与魔法を脚にかけ、どうにか加速して彼女に追随していった。



『お前、【神器使い】か。動きが違うな』


 エミリア・フィンドラは、全身鎧を身に纏った人物と交戦していた。

 戦場となったのは都市西部の大通りから逸れた、路地の一角。

 彼女が敵とみなして追跡した先で、鎧の人物は逃げるのを止めて剣で斬りかかってきた。

 血に濡れた漆黒の大剣――装飾のない無骨な得物が、エミリアの黄金の剣を弾き上げる。


「くっ……!」


 飛び退り、崩した体勢を即座に立て直す。

 その身のこなしに兜の奥で目を細めた敵は、エミリアの動きをそう評した。


『ここでは三国会談が開かれていたのだったな。王族の誰か、か?』


 背丈は170センチほどでそれほど高くなく、声も中性的。鎧の上からでは体格がどうにも判断つかず、性別もはっきりとしない。

 この者は何者なのか――エミリアは内心で怪訝に思いながらも、攻撃の手を緩めはしなかった。

 剣を構え、フィンドラの王宮剣術の特徴である大上段からの振り下ろしを放つ。

 それと並行し、無詠唱で【神器】の魔法を発動する。目を合わせた者を問答無用で魅了し、傀儡と化させるフレイヤの愛の魔法だ。

 しかし、それも――この鎧の人物には通用しなかった。


『見栄えばかりの剣術に、魔法。その剣に多くの者が息を呑み、その目に多くの者が虜になったのだろうが……誰もに効くものと思い上がるなよ』


 確かに目は合っていた。この人物の琥珀色の瞳と、エミリアの青い眼は視線を交えていたのだ。

 それなのに、この者は全く速度を緩めることなく剣を切り結んできた。

 細身の腕には似つかわしくない膂力でエミリアの刃を押し戻し、長い脚を振り払って彼女の足元をすくう。


「エミリア様ッ!」

『動くな! 貴様らの主がどうなってもいいのか!?』


 と、そこに王女直属の兵士たちが追いついてきた。

 助けに入ろうとする彼らに、鎧の人物は鋭く脅し文句を飛ばす。

 エミリアに心酔し、絶対の忠誠を誓っている兵士たちはその脅しに抗えない。


『【神器使い】と戦ってみたいと、以前から思っていた。もう少し楽しませてくれよ、エミリアとやら』


 地面に手をついたエミリアへ、鎧の戦士は容赦なく剣撃を叩き込もうとした。

 黒い刃が視界の中で面積を増し、一瞬のうちに迫ってくるのを知覚しながら――それでも、立ち上がって回避するには時間が足りないとエミリアは悟ってしまっていた。

 そんな彼女が決めた選択は、一つ。

 躱さずに攻撃を受けることだ。


「――【神恵】」


 彼女のその一言は、種を生んだ。

 足元から芽吹く植物。刹那の間に成長を遂げた茨が彼女の体を覆い隠し、天然の鎧となって斬撃を軽減する。

 鋼のように硬い茨は、まさに防壁であった。

 敵の刃を受け止め、絡めとり――得物を無力化する。


「フレイヤの魔法は、【魅了】だけじゃないんです!」

『ちぃッ! こんな小技を隠し持っていたとは……!』


 剣が奪われたと見ると、鎧の人物は早々に奪還を諦めて後退した。

 兜の面の下から琥珀の双眸でエミリアを睨み、忌々しそうに吐き捨てる。


『やはり、私一人で倒すのは困難か。お前、わざと私に斬らせたな』


 エミリアはその言葉に何も返さない。咄嗟の判断で、最初から狙ってやったことではなかったが……敵が自分のことを買ってくれたのなら、それでいいと思った。


『まぁ、いい。元々私は悪魔の企みなどに興味はない』


 鎧の人物は王女に背を向け、人外じみた跳躍力で近くの屋根上まで飛び上がる。

 去り際、その者はエミリアへ一つ、問いを投げかけた。


『私は「宝玉」を探している。虹色の「宝玉」だ。心当たりはないか?』

「……ない、です」


 エミリアは最初、何のことを指しているのかと首を傾げたが――少しの間を置いて、その答えに辿りついた。

 彼女が知っている限りで敵が求める価値のありそうな「宝玉」は、ミウ・ルノウェルスの魔道具だろう。どのような理由で彼らがそれを欲しているのかは不明だが、とにかくミウに知らせなければ。

 押し殺した声音で答えるエミリアに、鎧の者は怪しむ視線を向けていたが、彼女が何も語らないとみるとすぐにそこから姿を消した。

 茨の防壁を解除したエミリアは、剣を鞘に収めると部下たちへ指示を出した。


「ミウ王女に今の出来事を伝えなさい。私は大通りに戻って、残りの怪物の相手をします」

「え、エミリア殿下……良いのですか? あの者を追わなくて……」

「あの者は怪しいですが、怪物らと違って殺戮を目的としていないようです。あれに構うよりも先に、目の前の脅威である怪物の駆除に回るべきでしょう」


 とはいえ、放置できない相手でもある。「宝玉」を求めている以外の目的やその動機、鎧の下の正体も一切が不明。それでいて、目的を果たすためには剣を振るうことも厭わない人間だ。

 父や兄以外に【魅了】が通じない相手が現れるとは、エミリアも思ってはいなかった。

 心のほつれに付け込んで相手に自分を心酔させる魔法――これが効かなかったということは、あの鎧の人物は「弱さ」を抱いていない人間であると言える。


 ――いずれもう一度、戦うことになりそうですね。


 エミリアにはそんな予感があった。

 いや、彼女がそれを望んでいた。素性の知れないあの人物の「強さ」から学び、自身の魔法の弱点を克服しようとしていた。

 

 ――傲慢ですね、私は。今以上の【魅了】の力を求めるなんて。


 自嘲の笑みを浮かべるエミリアだったが、それでもいいと思った。

 強くなれば国を守れる。アレクシル王の願う平和へと、自分が活躍すればするほど近づくのだ。

 虚ろな心を満たすのは、使命だけ。それだけを拠り所に彼女はこれまで突き進んできた。



 エミリア王女を見つめる影が、一人。

 彼は口元を不快そうに曲げ、小さく吐き捨てた。


「器になみなみと注がれた、赤い毒酒……。あぁ、不味そうだ。あれは手を出したくないね」


 自分の信念を強く持った者の魂こそが、彼にとっては甘美となる。

 弱い人間など乗っ取っても面白くない。次なる器に、あの王女は不向きだろう。

 入り組んだ路地裏を縫うように進んでいた強欲の悪魔は、地下に向かわせていた分身体コピー)から意識を切り離した後、新しい器を探していた。

 オリビエという男がマモンに憑かれていることは、いずれ明るみになるだろう。そうなる前に、最適な強者を見つけ出さねばならない。


 マモンは、マモンだけは死ぬわけにはいかないのだ。

 彼にはこれまで『奪って』きた数多の魔法が秘められている。それを失うのは『組織』にとって何よりも痛手だ。だからこそ、レヴィアタンもわざわざ怪物を扇動して都市の襲撃に協力した。

 スオロで事件を起こし、民衆の死と混沌を演出する。それによって生まれる黒い念――すなわち負の感情に堕ちた精霊を供物とし、【悪魔の心臓】を現世に復活させる。

 それがマモンの目論見であった。事は順調に進みつつあったが……まだ、足りない。

 

 ――当初は不審死による人々の不安を最大限まで引き上げてから、「死の使者」として僕が登場するはずだったんだけどなぁ。


 三人目の犠牲者を出し終え、撤退する最中でティーナという少女を見つけたのが不運だった。

 彼はティーナを極上の素材と見極め、力を奪うために食らいついたのだ。彼女を追い詰めるまでは首尾よく進んだが、後一歩のところでトーヤに邪魔をされて計画が狂ってしまった。

 

 人気のない路地の一角で足を止め、側にあった木箱に腰を下ろす。

 額に浮いた汗を袖で拭い、彼が建物の隙間から見える空を仰いだ、その時だった。


「あんた、こんな所で何をしてるんだ?」


 張り詰めた青年の声が、男の耳朶を打った。

 立ち上がり、慌てて辺りを見回した彼の前に姿を現したのは、茶髪に青い目をした美青年。

 黄金の剣の柄に手をかけ、今にも抜き放とうとしているエンシオ・フィンドラがそこにいた。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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