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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第10章 【強欲】悪魔マモン討伐編/【嫉妬】悪魔レヴィアタン討伐編

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17  奪い、欺き、殺し合い

「――いくよ」


 黒のインナーに同色のパンツといった、一切の防具を失った軽装。その衣装の表面は焦げており、既に炎魔法を浴びた後なのだということが分かった。

 敵の姿を睨み据えながら、民家の屋根上に立つトーヤは携えていた『グラム』を『黄金の剣』へ持ち替え、空振りした。

 細い腕をしなやかに振り上げ、振り下ろす。型も何もない、乱雑な剣筋。


『ぐあっ――とでも言うと思ったかな?』


 だが、マモンは少年の技を知っていた。

「斬撃を飛ばす」少年の剣を見切り、相手の動きからどこに攻撃がぶつかるか予測する。

【悪魔】は軽やかな動作で後退しつつ、縦長の板状に生成した黒い魔力の盾で避けきれない分の刃を防いでいく。

 ドガガガッ……!! と連続で放たれる剣撃を全て受けきった盾は、すぐに限界を迎えて砕け散った。黒結晶の破片越しに少年を見つめるマモンは、仮面の奥の目をすっと細める。 


『ふぅん……やるじゃないか。でも、そんな単純な攻撃じゃ僕は倒せないよ』


 指をパチンと鳴らしたマモンの眼前には、闇属性の魔力が塊となって渦巻いていた。

 息つく間もなく彼はそれに更なる魔力を加える。

 黒い光に混ざるのは、紅と蒼の結晶だ。

 少年が『テュールの剣』に黄金の光を纏わせる中、彼の魔法の完成を待たずしてマモンの秘術は発動した。

 

「――っ!?」


 熱と水、相反する二属性の魔力が化学反応し、さらに闇属性の魔力の後押しも加わって大爆発を引き起こす。

 途端に視界を覆い尽くした水蒸気と、高熱を孕んだ爆風。

 屋根上から吹き飛ばされた少年は、抵抗も叶わず近くの壁に背中を思い切り打ち付けた。


「がはっ……!?」


 全身に伝播した衝撃に、まともに言葉を発することもできない。

 肺から呼気と血液を吐き出すトーヤは、だがそれでも神器を手放すことはなかった。

 ――この低度の痛みなんて、どうってことない。僕は神器使いのトーヤだ。負けるわけには、いかない……!

 ティーナが苦しめられたマモンの奇術に、少年も対応が間に合わなかった。指を鳴らしたかと思えば既に敵の行動は終わっているという、未知の魔法。

 ただ超高速で動いているだけなのか、それとも時間そのものに干渉できる能力なのかは定かではない。

 そのからくりを見破って、対応策を編み出さなければ勝てない――水蒸気に紛れて見えない敵に対し、トーヤはそう確信した。


「……どうする」


 周囲一帯、広範囲に渡って凍りつかせたティーナの大魔法でさえ、【悪魔】を仕留めるには至らなかった。魔法でまともにやり合って勝てる相手ではないと、考えるしかないか。

 魔法を用いて瞬時に体の痛みを和らげ、トーヤは黙考する。

 立ち上がった彼は神器をまた交換し、【神化しんか)】を発動すべく魔力を溜め始めた。

 それからほどなくして、水蒸気が晴れ渡った。どこからか流れてきているバラードも、気づけば悲痛な響きを帯びたオペラへと変わっている。


『トーヤ君、遠慮せずにかかってくるがいいさ。僕は君の技を全て受け止められるからね』


 少年のように無邪気な声で【悪魔】は笑った。

 辺りを銀色に染めていた氷が完全に溶けてなくなり、雨が一過した後のように石の床は色を濃くしている。

 トーヤは民家に挟まれた通りのど真ん中に佇むマモンを睨んだ。


「ふん、そうかい。それなら――容赦はしない!」


 そして、そう宣言して地面を蹴る。彼は鍛え上げた瞬発力で敵との距離を刹那のうちに詰め、その間にも【神化】を完成させた。

 白い長髪が風になびき、黒い鎧が鈍く光を放つ。神オーディンと一体化した神々しい少年の姿に、【悪魔】は目を細めた。

 魔剣『グラム』が形を変えた、神槍『グングニル』。

 槍のリーチから逃れようとマモンは飛び退り、防衛魔法を再度展開する。


『【絶対障壁】!』


 六角形の黒い魔力の板がいくつも隙間なく並べられ、人ひとり覆い隠すほどの盾となった。

 トーヤが繰り出す槍の連続技――それを逐一防いでみせながら、【悪魔】は少年を煽っていく。


『ほらほら、威力が足りないよ! もっと必死にかかってきなよ、物足りないからさぁ!』


 引き出せるだけ力を引き出し、そして最上の頃合を見て「奪う」。

 ヘルガ・ルシッカの『声』を簒奪した時は、その力の全能感に酔いしれてしまった。あの女でそうならば、この少年の場合はどうなってしまうだろう。

 快感の絶頂に立っていることも出来ず、果ては気絶してしまうかもしれない。自分の頭が真っ白になっていく瞬間を思い浮かべ、マモンは漏れる笑みを堪えられなかった。


『ふふっ、ふふふふっ……! 君の力も食らってやるよ、トーヤ!』


 マモンの全身を守る球状の防壁をトーヤは力任せに槍で突き、打撃を与えていく。

 紫紺の炎を得物に宿らせ、彼は鋼のような壁を徐々にだが傷付けることに成功していた。


「ちっ……これだから魔導士の相手はしたくないんだ。いちいち面倒な防壁とか出してきちゃってさぁ」


 彼らしくなく悪態を吐きながら、神器使いの少年は呪文を唱え出す。

 思い浮かべるのは、かつて【神殿】でミノタウロスを破った己の姿。

 非力だった少年が炎の刃で硬質な怪物の皮膚を裂き、肉を断って、骨さえも粉砕してみせた『英雄譚』――今、目の前にある壁はあの時のミノタウロスと同じだ。

 これを超えなければ自分たちに先はない。【悪魔】を討ち、また一つ偉業を積み重ねる。それがトーヤという男に課された使命なのだ。


「【絶氷ぜっひょう)と炎熱の精霊に告ぐ。我は神オーディンに選ばれし【神器使い】、破邪と断罪の信念。)の身を縛りしは凍てつく鎖、其の身を)きしは血河けつが)の炎】」


 先のルノウェルス革命の際もそうだったが、この都市では自然界ほどではないが『精霊』が見られる。その訳はおそらく、初代国王が精霊を救った伝説にあるとトーヤは推理しているが――今はそんな細かいことはどうでもいい。

 とにかく目の前の敵を討つ。【悪器】を破壊して、マモンから宿主を解放する。それがトーヤのやるべきことだ。


「放て、【蒼炎槍そうえんそう)】ッ!」


 漆黒の槍に纏うのは、蒼い氷と炎。

 少年の叫びに呼応して激しさを増す二属性の魔力が、グングニルに更なる力を与える。

 一撃、二撃――槍の穂先が盾に触れ、火花を散らすごとに、その一撃は重くなっていた。

 マモンは瞠目する。彼が持ちうる最大の防御でさえも、今の少年は打ち砕けるのだ。

 ひび割れ始めた黒い盾に目を眇めたマモンは、体をびくんと震わせた。

 黒い防壁越しにこちらを睨み据える少年に、彼は仮面の底から笑みを向ける。


『さぁ……お出ましだ』


 墨を塗りたくったような壁が、その一言で一気に透明に変化する。

 少年の顔を正面から見つめたマモンは、彼の瞳を無遠慮に覗き込んだ。


「しまった――」


 魔法が発生させる現象の「色」は、基本的に変わるものではない。例えば【破邪の防壁】なら純白、神オーズの【大いなる大地の盾スクトゥム・テラ・メエリタ)】なら土色と、その魔法ごとに決まっているのが定説なのだ。

 勤勉な少年はそれをもちろん頭に入れている。だからこそ、常識外のマモンの芸当に彼は隙を見せてしまった。


『戴くよ、トーヤ君』


 虚ろな穴の奥が赤く瞬いたのを見た瞬間、トーヤの槍が帯びていた炎と氷は掻き消えていた。

 自分の頭の中で、何かが消えた――少年はそれを自覚する。


『【絶氷と炎熱の精霊に告ぐ】……』


 一度聞いただけの呪文を、マモンは流麗に詠唱していく。

 それを耳にして、トーヤは確かに『奪われて』しまったのだと理解した。

 だが、これまでの攻撃で敵の防壁はだいぶ弱っている。ごり押せば破れる――魔法も何もない、ただ力だけをぶつける槍術でも、今は効果的なはずだ。


「はああああああああッッッ!!」


 小柄な少年による、全身全霊の猛攻。

 刺突、薙ぎ払い、上段からの振り下ろし。型も何もない、がむしゃらな攻撃をトーヤは敢行する。

 早まる心臓の鼓動。流れる汗に、荒くなる呼吸。

 もう少し、もう少し攻めれば、この壁は壊せる。

 しかし――その「もう少し」があまりに遠かった。

 彼が槍を打ち付けている間にも、【悪魔】の詠唱は途切れることなく進んでいく。


『――【蒼炎爪そうえんそう)】』


 そして、魔法は完成した。

【悪魔】はあろうことかトーヤの魔法を「変形」させ、己の爪に氷と炎を宿す。

 この魔法はもともと、トーヤが『テュールの剣』の付与魔法として編み出したものだ。今回用いたのはそれを改良し、魔法名の【蒼炎】の後の武器名を変えて唱えればどんな武器にも適応できるようになった、第二号。

【悪魔】がその仕組みに気がついたかは定かでない。だが、偶然にも「槍」と「爪」の音が同じだったため、魔法は彼の武器としての爪に対応してしまったのだ。


「うらあああッ!!」

『残念だったね』


 グングニルが【絶対障壁】を突破したのと同時、マモンの長い爪に氷と炎の魔力が煌めいた。

 獣じみた叫びを上げる少年に、【悪魔】は涼しい笑みを投げかけ――振り下ろされた槍を両手で受け止めてみせる。

 細身からは考えられない膂力で槍を掴んだマモンは、全身の筋肉を最大限に使って腕を横に振り払った。


「あッ……!?」


 ハンマー投げの要領で吹き飛ばされたトーヤは民家の壁に体を打ち付け、本日二度目の衝撃に悲鳴を漏らす。受身を取り損なった彼は口から血を吐きながら、地面に落下する。

 それでも自分の手を離れて【悪魔】に握られている『グングニル』を見上げ、彼は無言で唇を噛んだ。

 愉悦に浸った表情で黒い槍を眺めたマモンは、それから失望の視線をトーヤに投げかけた。


『きみの弱点が見えたよ、トーヤ君。きみは常識に囚われすぎる。『未知』をも予測する――どんな不測の事態をも想定してみせる、それが真の英雄に求められる素質さ。覚えておきなさい』


 少年と【悪魔】、二者を隔てる越えられない壁こそが『経験』の差だ。

 神器使いになって一年に満たない彼と、【ユグドラシル】の時代から神々と戦ってきた【悪魔】。どちらが優っているかは一目瞭然だ。

【怠惰】のベルフェゴールが敗北を喫したのは、単純に力が不足していたから。【色欲】のアスモデウスが敗れたのは、宿主が愚かにも油断していたから。そして【暴食】のベルゼブブが散ったのは、少年の力を読み切ることが出来なかったから。

 その過ちの全てをマモンは犯すつもりはない。

 少年のデータは、彼の味方と敵という二つの視点から収集することが出来ている。彼がこれまで使用した魔法ならマモンは完璧に対応してみせるし、未知の魔法を扱われたとしても防ぎきれる自信がある。


 貪欲に『力』のみを希求した結果がここにあった。

 体力、魔力、速度――それら全ての能力で、マモンはトーヤを上回っている。

 戦士としての『器』が違うのだ。


「マモン。……最後に、聞かせてくれないかい? 君の宿主は一体、誰なの……?」


 地面に膝を付き、虫の息のトーヤは顔を上げてマモンに問いかける。

『グングニル』をくるくると弄びながら、マモンは唇を曲げた。


『答えると思うかい? 自分からわざわざ正体を喧伝する馬鹿だと思ったなら、それは僕を見くびってるってもんだよ』


 本当に愚かだ。最初に自分から立場を明かしたことといい、この子供は『情報』を軽く見すぎている。

 ――期待していたのになぁ。

 マモンはそう、内心で吐き捨てる。善人でも悪人でも構わず、彼は強者を求めていた。かつてのロキのように崇高な目的があるわけではなく、ひとえに力を簒奪するために。

 

『はぁ……興味が失せたよ』


 戦場を彩っていたBGMは、オペラからロックに変わっていた。彼の心情に反して激しいその音は、ただ空虚に鳴り響くだけであった。


『【神器】は神が与えただけの偽の力だ。きみのオリジナルの魔法の「最高」を手に入れた今、トーヤ君、もうきみに用はない』


 漆黒の槍を肩に担ぎながら、マモンは建物の壁際にへたり込んでいる少年へと歩み寄っていく。

 彼の頭を掴んで魔力を吸い取れば、ひとまず仕事は終わりだ。あとは地上に放ったレヴィアタンの部隊が何とかしてくれるだろう。


「トーヤくん……!」


 ティーナとルプスに治癒魔法をかけ終わり、彼女らを少年らの戦闘に巻き込まれない地点まで移したエルが、追い詰められるトーヤを目にして悲痛な声を漏らした。

 魔導士の少女は地面を蹴り、少年を助けに向かおうとするが――濡れた足元に掬われて転倒してしまう。


「クソッ、届けぇっ……!」


 だが、彼女は諦めなかった。手のひらを高く上げ、目を眇めて【悪魔】へ魔法の攻撃を照準する。

 射出された光魔法と、マモンが少年の頭に触れようとしたタイミングは全くの同時だった。


『邪魔をしないでくれるかな』


 右手を少年へ伸ばしつつ、【悪魔】は左手を横に突き出す。視線をトーヤに釘付けにしたまま、彼は無詠唱で黒い防壁を展開していた。

 エルの光は完全にシャットアウトされ、【悪魔】と少年の姿は彼女からは捉えられなくなる。

 ――間に合わない。

 起き上がってあの防壁を破壊した頃には、トーヤは敵の魔の手に蝕まれてしまっているだろう。


「トーヤくん――ッ!!」


 それでもエルは叫ばずにはいられなかった。彼がこんなところで負けるはずはない、そう信じて。

 

「エルっ……」


 少年もまた、彼女の名を呼んだ。小さな口から出た声は、己の敗北を告げるかのようにか細く震えている。

 マモンはトーヤの表情を愉しそうに見下ろしていたが、頭の隅で一抹の可能性を考慮することを忘れていなかった。

 だから【悪魔】は、少年が右拳を突き上げて叫んだ瞬間も、すぐさま対応できた。


「飛べ、グングニルッッ!!」


 グングニルは投擲すれば何をも穿つ無敵の槍。その槍は持ち主の命令で自在に飛び、標的を仕留められるのだ。

 手の中で【神器】が暴れだしたのを感じた一瞬、マモンはその手をぱっと離す。そうして引っ張られるのを回避しながら、彼は自分をトーヤごとドーム状の防壁で包んだ。

 グングニルがこちらに飛来してマモンを射止めようというのなら、側にいるトーヤをも巻き込むリスクは避けられない。そして神の意思が込められた【神器】は、例え持ち主の命令だとしてもその者を傷つけることはできない。武器でありながら【神】の人格の影響を受ける――それが【神器】の最大の弱点なのだ。

 マモンの考え通り、グングニルがこちらを襲撃する気配は感じられなかった。

 吹き飛ばされた時に足でも負傷したのだろうか、トーヤは追い込まれても動けない。

 その小動物然とした姿に、【悪魔】の瞳に嗜虐的な色が浮かんだ。


『いいよぉ、恥も外聞もかなぐり捨てて、好きなだけ泣き叫ぶがいいさ。命乞いしたっていい。どうせ死ぬんだ、自分の醜聞なんて気にしてもしょうがないだろう?』


 大きな黒い目に、涙滴が光る。小柄な体が震え、絶望に濡れた声が漏れ出る。


「いやだ、いやだ、来ないで……! やめて、怖いよ、死にたくないよ……!」


 俯いた少年の顎に手をかけ、強引に上向ける。彼の額を鷲掴みにしたマモンは、命乞いする泣き声に脳がスパークを起こしたような熱い快感を感じながら、その魔力をゆっくりと吸い上げていった。


『はぁ、はぁっ……! すごいっ、溢れてくる、満たされてく……!』


 流れ込んでくる少年の魔力の脈動。その熱にこれ以上ない高揚感を覚えながら、【悪魔】は笑った。

 この時、戦況を冷静に俯瞰していた【悪魔】の意思が、一瞬だがタガを外した。若く強い魔力を吸引する快楽に惹かれ、そちらへ一歩踏み込んでしまった。

 もっと欲しい――その欲望から彼が魔力を吸う力を強めた、直後のことだった。

【悪魔】の脳に突然殴りつけられたような衝撃が走ったのは。


『がっ――!?』


 反射的に少年の額から手を離し、マモンは背を仰け反らせる。

 衝撃は一度で終わらなかった。何度も何度も棍棒で打たれるかのごとき痛みに襲われ、彼はまともに立つことも叶わず地面に膝をつく。

 何が起こったのか理解できず混乱するマモンだが、それでも顔を上げて少年を窺った。

 

『……!?』


 そこに先程までの惨めに泣いていた子供の姿はなかった。

 目を赤く腫らしながらもにっこりと笑う少年が、そこにいた。

 痛みに混濁する意識の中で、マモンは喘ぎながら問いを投げかける。それは彼なりの少年への賛辞であった。


『どういう、わけかな……?』

「僕も君の弱点を知り得ていたってことさ。君の最大の隙は、獲物の魔力を喰らう瞬間にある。ベントソン氏の遺体を観察して分かったんだ――君の捕食には、僕なんかには計り知れないくらいの快感が伴うのだろうと」


 トーヤはベントソン氏の遺体に一切の魔力の反応が見られないことを疑問に思い、彼が何者かに魔力を吸われたのだろうと推察した。魔力を吸う際に強烈な快感が走ることは、神殿ノルンでアマンダ・リューズと同行していたベアトリスらに聞いて知っている。

 そして、死体の魔力が空っぽになるまで吸った犯人は強欲な人間なのだろうとも考えた。ヘルガ・ルシッカから聞いた『奪う』力、そして死んだ二人とも魔導士であった事実――確証はなかったが、トーヤはここに来るまでの間に犯人が【強欲】の【悪魔】であると一人で答えにたどり着いていたのだ。


『聞きたいのは、それじゃない……。なぜ、力を吸われながら僕を攻撃できた? なぜ……きみは敗北したはず、確かに涙を流し、恐怖に屈したはずなのに……』

「僕はそんなに正直者じゃないんだ。ごめんね、勘違いさせちゃって」


 舌を小さく出して小悪魔的に笑う少年に、マモンは限界まで目を見開いた。

 まさか、全て演技だったとでもいうのか。ありえない。魔法の一つを奪われ、【神化】していながら素手の相手に無様に吹き飛ばされ、【神器】までも敵の手に渡っていながら、彼は諦めていなかったというのか。誰がどう見ても彼の負けである戦況を、認めてはいなかったというのか――。

 マモンの魔法は獲物から魔力を吸う際、相手が恐怖を感じれば感じるほどに効力を増す。かつてノエル・リューズから魔力を得ていた頃、ノエルが何度吸われても死ななかったのは彼が恐怖を抱いていなかったからだったのだ。

 そして、魔力の『吸引魔法』は吸ったのが微量でも蕩けるような快楽を使用者にもたらす。

 だから、マモンはこうして逆襲されるまで気付けなかった。


「『奪う』力を持つ君に敢えて接近戦を仕掛けたのも、わざと手を抜いて槍を掴んだ君に吹き飛ばされたのも、全てはこの状況を作り出すための布石。君が僕を喰おうとするタイミングしか、付け入る隙がないと思ってたからね」


 この戦闘でのトーヤの目論見は分かった。だが、まだ不明なことは残っている。

 大体、なぜ自分がここに現れたことが見透かされ、こうも早く対応されたのか。犯行現場に手がかりを残し、勘のいい魔導士を釣りだしてあわよくば喰らおうと画策してはいたが――まさかトーヤが出てくるとは思ってもみなかった。

 彼は会談に出席していなくてはならない【神器使い】だ。【悪魔】と【ユグドラシル】の知識をあの場の誰よりも持つトーヤは、対【悪魔】において中枢となる存在。彼抜きで会議を進めるなど考えられない。

 相手が【悪魔】である確証が得られていない以上、様子見として【神器使い】以外の者が出動するものかとマモンは思っていた。


『君は会談の場にいた。どうして、この地下街に僕が登場したことが分かったんだ……? 君はここに来るまでにずっと王たちと話していて、それを確かめる術など持ち得なかった!』

「あぁ、それ? ……これだよ」


【悪魔】は動転していた。だから、ここで致命的なボロを出してしまった。

 推察ではなく断定の口調――それは、あの会談の場を【悪魔】が見ていたという自白にほかならない。

 そんな【悪魔】にトーヤは微笑み、耳から極小のチップのようなものを取り出してみせた。恐らくは、音声をどこかから繋げられる魔道具。そして繋げていた先は、ティーナだ。

 トーヤは会談の場にいながら常にティーナの声を聞き、彼女を通して外の様子を把握していたのだ。


「知らなかったでしょ? 今の魔道具って、本当に何でもあるんだよ。君たちが思ってるよりずっと、ヘルガさんたちは進んでるんだ」


『言霊使い』の功績をトーヤは誇らしげに語る。

 それから彼は立ち上がった。魔力を吸われはしたが致死量には達していない。まだ彼には、戦う力が十分に残っていた。


 マモンは少年を見上げ、ここに来て初めて冷や汗を流した。

 ――不味い。殺される。

 彼のその危機感が現実へと変わったのは、そう内心で呟いた直後であった。


「さっきグングニルを飛ばしたのも、ちゃんと意味があってのことなんだよ。君に防壁を出させ、僕と君がこの空間に閉じ込められるように。魔導士なら知ってるよね、狭い空間に急速に多量の魔力が溜まったらどうなるか」


 マモンの行った魔力の吸引魔法と、少年が使用した敵の脳に直接ダメージを与える魔法。

 それらにより、この場の魔力は許容量を超過している。暴発寸前までに。


『おい、やめろ……ッ!?』

「やめないよ。大丈夫、死ぬとは限らない!」


 少年は儚い笑みを浮かべて、首を横に振った。

 彼が次なる魔法の炎を手のひらに宿した瞬間、オーバーフローした魔力が一挙に爆発――白い光と爆風が巻き起こり、黒い防壁をも破壊しながら彼らを吹き飛ばした。



「トーヤくんっ!!」


 叫んだエルはティーナらを放り出し、愛する少年へと駆け寄る。

 地面に仰向けに転がったトーヤに意識はないように見えた。ぐらりと視界が揺らいだエルだったが、彼の左胸に耳を当てると鼓動の音が確かに聞こえる。

 ――大丈夫、トーヤくんは生きてる!

 杖を握り直した彼女は少年の体へそれをかざし、迅速に治癒魔法をかけ始めた。


「ティーナ、俺たちはあいつだ! トーヤが頑張ったんだ、絶対に逃しちゃならん!」


 エルの魔法で傷を完治させたルプスは、脇目も振らずに倒れた【悪魔】を捕らえにかかった。

 マモンはトーヤとは真逆の50メートルも先の道路上に飛ばされ、動かなくなっている。

 

「この、【悪魔】め……!」


 ルプスは【悪魔】の仮面に手をかけ、それを引っ剥がした。

 衝撃にひび割れた鳥の仮面。その下から姿を見せた彼の顔は、獣人の男もよく知る者のものであった。


「なっ……!? そんな、あり得ない――」


 露になったのは、端正で理知的な青年の顔。

 目を閉じてはいるが、間違いない。


「オリビエ……!」

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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