10 アマンダとルーカス
スウェルダ王国首都、ストルム。
高い石の市壁に囲まれたこの街は、王宮を始め、学院やユダグル教の大聖堂など様々な施設が立ち並んでいる。
街は東西南北四つのエリアに分けられ、東部には学院や聖堂、南部は貴族の館が殆どの住宅地、西部には貧民街がある。
そして北部には王宮が位置しており、そこは一般民は立ち入りを禁じられていた。
僕らは、街の南側の門から市壁の中に入った。
「綺麗な街ですね」
シアンが窓から街を見回し、言った。
「ほんとだ……汚れ一つ無い。この街の人は皆きれい好きなのかな」
石畳の道路は広く、大きな馬車も楽々通れる。建物や地面はピカピカで、ゴミすら落ちていなかった。
「……………………」
プレーナとフローラは、黙って自らの生まれた街を眺めていた。
「ここが、プレーナとフローラの生まれた場所なのか……」
僕は小さく呟く。
街の人は皆、豪華な衣服を見に纏い、優雅に道を歩き、礼儀良く通りすがりの人に挨拶をしている。
悪い人達じゃなさそうだけど……。
「リューズ邸はどこだい?」
エルが運転手さんに訊く。年配の運転手さんは、僕らから見て左手を指差した。
「あちらに見える大きなお屋敷が、リューズ様のお宅でございます。もうしばらくしたら着くので、それまでもう少しお待ちを」
運転手さんは丁寧に教えてくれた。
ここからでも見えるリューズ邸は、この街の中でも一際存在感を放っている。なんとその邸には屋根の上に尖塔まであった。
僕は感嘆した。こんな大きな邸が建てられるなんて、やっぱりノエルさんは物凄い商人なんだなぁ。
「あれが、リューズ邸……」
シアンの言葉に僕は頷く。
「うん。あそこから、僕たちの新たな生活が始まるんだ」
と、エルが大声を上げた。
「気合いは入っているかい、皆! リューズ邸ではきっと雑用ばっかやらされるぜ? それをやり遂げる覚悟は出来ているか!?」
これは、エルなりの鼓舞なのだろう。
僕はエルを煽り返す。仕事は嫌いだが、負けず嫌いな一面もある彼女なら、乗ってくる筈だ。
「ああ……エル、君こそ途中で泣き言を言ったりしないでよ? 僕を神殿まで導いてくれたエルが、たかだか仕事で音を上げたりしないよね」
「ははっ、トーヤくん、私を甘く見てもらっちゃあ困るなぁ。そんなの、当たり前のことじゃないか」
「言ったね? エル……」
「な、何だいその顔は……」
エルは引きつった笑いを浮かべる。この笑みから予測される展開はもう見えていた。
「着いたようですね。……リューズ邸に」
シアンが言い、僕が先に馬車を降りた。後からシアン達が続き、最後にエルが降りる。
馬車の運転主は、僕らを降ろすとスレイプニルを置いてどこかへ馬ごといなくなっていた。
僕はスレイプニルを引き、門の前に堂々と立つ門衛に声をかける。
「すみません、僕はツッキ村のトーヤという者です。ノエル・リューズ様はいらっしゃいますか?」
若い門衛は怪訝そうな顔で僕らを一瞥した。
「ノエル様なら、只今出払っておりますが……もしかして、新しくここで働く予定の方ですか?」
「はい、そうです」
僕が答えると、ふっと門衛の表情が柔らかいものになった。
「それなら、いいでしょう。お通し致します」
二人の門衛は、重い鉄の門を押し開けてくれた。
僕らは彼らに礼を言い、中へ入る。
門を潜ると、見えて来たのは美しい芝が敷かれた中庭だった。異国風の低い木で造られた世界は、そこだけ森があるような錯覚を僕らに植え付けた。
「なんか、嫌な臭いがしないか」
ジェードが鼻を掻きながら言う。見ると、シアンもむず痒そうにしていた。
嗅覚に優れる犬の獣人には何か感じられるのだろう。人間と精霊の血を引く僕にはわからなかったけど。
「ジェード、シアン。何かあるの?」
僕は訊いた。この庭園にあるのは異国風の植物。普通の植物とそんなに変わらない気がするけど……。
「アハハ、それはニヴの木よ。ちょっとした魔除けに使えるの」
木の陰から女性のはつらつとした声がした。
「貴方が、トーヤくんかしら?」
そう言って優美な微笑みを浮かべたのは、白い髪に赤い目、豊満な胸のとても美しいお姉さんだった。髪の色が同じだし、ノエルさんの兄妹かな?
「あの、こんにちは。僕がトーヤです」
「そう、それじゃ貴方の後ろでうろうろしている緑髪の子がエルさんで、あとは、父が買い取って解放した元奴隷たちね」
ん? 父……?
「あの……失礼ですけど、父って、どういうことですか?」
僕が訊くと、突然お姉さんは口に手を当て、笑いだした。
「アハハ! ごめんなさい、言ってなかったわね。私はアマンダ・リューズ。ノエル・リューズは私の父よ」
嘘だ。とてもそんな風には見えなかった。
ノエルさん、一体何歳なんだ……?
僕が驚いた顔をしてるのを見て、アマンダさんは言った。
「よく驚かれるわ。父は、見た目がものすごく若いから……本当はもう50なのにね。いつまで若作りするつもりなんだか」
アマンダさんは僕の肩にポンと右手を置き、耳元に顔を近づけた。
そして、ふっ、と僕の耳に色っぽい息が吐きだされる。
「ふわわっ……!?」
僕はびっくりして変な声を出してしまった。
エルがすごい顔でアマンダさんを睨んでいる。そしてもう一人、誰かの冷たい怒りの視線を感じたんだけど、誰だったんだろう……。
「アハハッ! 可愛いわね」
僕は頬を紅潮させた。この人、ヤバイ。
普通の人には無い、何かがある。
僕が確信すると、横からエルが僕の赤く染まった頬をつねった。
……ああ、危ない危ない。エルのお陰で、僕は正気に戻った。
「あらあら。……じゃあ、行きましょうか」
アマンダさんは何事もなかったかのように仕切り直し、僕らを先導するように歩き出した。
歩き方も一々なまめかしい。ずっと見ていたらその毒に犯されてしまいそうだ。
「トーヤ、あの姉ちゃん、ヤバいな」
ジェードが今にも鼻血を噴き出しそうな、魅了され恍惚とした表情をしていた。彼は魔除けの植物の臭いはすっかり忘れてしまっているようだった。
「リューズ家の人達は、何か特別な種族の『亜人』なのかも。あの変な魅力も、多分そういう能力があるのかもしれない」
「そうだといいんですけどね……」
鼻をつまみ、苦しそうに言うのはシアンだ。
「いや、それでも許せない……トーヤくんを誘惑するなんて、あの女……」
エルはギリギリと歯ぎしりしている。エメラルドの瞳がこの時ばかりは紅く燃えていた。
「さあ、着いたわよ。どうぞ、お入りなさい」
ドアを開けると、玄関があり、そこを通るとまず大きなホールがあった。
ホールはとても広く、【神殿】の大広間を思い起こさせた。
ホールには、じっと天井を見つめている、白い短髪のお兄さんがいた。
彼は、上を見上げたまま動かない。よほど集中して見ているのか、僕らのことなんてまるで気にしていないようだった。
見てみると、天井には美しい聖母の絵が描かれていた。
「ルーカス、例の少年たちよ」
「……ん? ああ、すまない、姉さん。ようやく連れて来てくれたか」
白い髪のお兄さん、ルーカスさんは、僕らに気づくと白い歯を見せてニッと笑った。
その目は、欲しかったものをやっと手に入れることが出来た収集家の目だった。
「ようこそ、リューズ邸へ……」




