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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第10章 【強欲】悪魔マモン討伐編/【嫉妬】悪魔レヴィアタン討伐編

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16  強欲の狂詩曲

「出たね、【悪魔】っ……!」


 天井付近を浮遊する黒い影――それを睨み据え、ティーナは歯をぐっと噛み締める。

 胸に込み上げてくる得体の知れない恐怖感に、全身を這い上がる怖気。

 彼女は腰から抜き放った杖剣じょうけんを思いっきり横に振り、叫ぶことでその怯みを心から追い出す。


「【束縛魔法リストリクト】!」


 呪文を唱えると同時に硬質な糸が射出され、空中の【悪魔】へと襲いかかる。

 しかし【悪魔】マモンはそれを受けるつもりなどさらさらなかった。

 手品師のように指を鳴らした彼はティーナの前から姿を消し、直後――。


「ぐあっ!?」


 彼女の背後で、ルプスが倒れ伏していた。獣人の背中はざっくりと切り裂かれ、鮮血が乾いた石の床を濡らす。

 手傷を負わせた相手を見下ろしたマモンは、くつくつと笑いながら言った。


『少しでも恐れを抱けば、このざま。でも君は幸運だよ、獣人くん。僕は魔導士にしか興味がない』


 マントの下から覗く手の指の先にあるのは、長く鋭利な爪。それが黒い液体に光っているのを視認して、ティーナは唇を噛んだ。

 マモンは【悪魔】の癖に、魔法とは関係ない毒を使ったのだ。

 近づけばあれにやられる。であるなら、遠距離からの攻撃で仕留める!


「ルプっち……!」

『ふふっ、これで一対一だね』


 道端の石ころにするようにルプスを蹴飛ばし、マモンは笑みを深める。

 この状況を楽しんでいるかのような彼の態度に、ティーナは無性に腹が立った。

 人を傷つけて笑うな。こんな戦いを楽しむな。欲望のためだけに人を殺すな――。


「知り合ったばかりの人だけど、ルプっちは私の友達だ。友達を傷つけるやつは、私絶対に許さないから!」


 憤怒が恐怖を上書きし、ティーナの体に力を与える。床を蹴って飛び出した彼女は、杖剣に魔力を込めながらそれを後ろへ引き絞る。

 電気が杖先の刃に蓄積され、青白く輝きを帯びた。ティーナはフェンサーさながらの動きで杖剣を突き出し、雷の一撃を放つ。


『まずは、お手並み拝見といこうか』


 仮面の嘴の下でくぐもった声でマモンは言った。腕を横に振り、無詠唱で【防衛魔法】を展開する。

 バチバチバチッ!! と迸った電流が黒い防壁に激突――そして、それを伝って地面へ放散されていく。

 敵に雷属性の魔法は効かない。だが、ティーナの魔法はそれで終わりではない。

 小さく呪文を呟いて生み出した水属性の『魔素』――魔法を構成する元になる魔力の集まりのことだ――を杖を持たない左手に保持し、彼女は次の詠唱に移行した。


「【魔導の真理を究めし者よ。我は知識を希求し、魔導を愛す者なり。その叡智と栄光の一片をどうか、この卑小な身に授けんことを】」


 ティーナ・ルシッカという少女が持つ、全世界の魔導士が垂涎する魔法。

 その魔法は彼女の二つ名を体現したものであった。

『無限の魔法使い』。彼女が持つ世界で唯一の魔法は、ヘルガ・ルシッカが作成した『記録装置』という魔道具に脳内でアクセスできる秘術だ。判明している全ての魔法の術式が『記録装置』には刻まれており、ティーナはそこから魔導の真理を掴むことが可能なのだ。


「【停滞と虚無が支配する、絶対零度の世界。そこに凛と咲く一輪の氷花ひょうかよ。我は知識を希求し、魔導を愛す者なり。さぁ――咲き誇れ】!」


 先ほど発現させた水の『魔素』へ、詠唱と同時に魔力を注ぐ。

 サファイアのごとく輝く『魔素』は膨れ上がり、やがて限界を迎えて爆発――究極の冷気がこの場を支配した。


「【絶氷の白百合リリー・スノウストーム】!」


 今、ティーナは雪原に咲くはなとなった。

 そこに毅然と立ち、高く掲げた杖剣から魔力を放ち続ける。

 乱射される白い光線に撃たれた箇所からみるみるうちに凍てついていき、周囲の家々から『魔力灯』、番地の看板まで何もかもが氷に覆われていった。

 そしてそれは黒い影も例外ではない。彼が発動した【防衛魔法】の円形のバリアごと、ティーナは凍らせてみせた。マモンは魔法を解かねばそこから動くことも出来ず、それをすればすかさずティーナの攻撃を食らうことになった。

 自分たちが立つ場所以外、放射状に氷が広がった周囲一帯。

 ティーナはそれを見渡し、内心で街の住人たちに謝りながらルプスに訊ねた。当然、視線はマモンへ照準したまま。


「ルプっち、自力で『回復薬ポーション』飲める?」

「あ、ああ……ざっくりやられたが、致命傷は避けられたようだ……」


 うつ伏せに倒れていた獣人の男は顔を上げ、かすれ声で答える。

 口元を微かに緩め、ティーナは腰のホルスターをまさぐって小瓶を足元へ落とした。

 割れることなく転がってきた瓶に手を伸ばし、ルプスはそれを開封して溶液を口に含む。


 ――やった、か……?


 ティーナは目を眇めてマモンの様子を観察する。

 白銀の世界の中で、黒いバリアは氷像と化して動かない。恐らく防壁内で向こうも機を窺っているだろうが……この魔法は、ただ凍らせるだけの技ではなかった。

 マモンを覆い尽くす氷に咲く、一輪の百合の花――攻撃対象の魔力をじわじわと吸収する特性を持ったそれが、【悪魔】を時間の経過と共に弱めていくのだ。

「守っているだけでは確実に負ける」という状況を、ティーナは敵に強いている。

 勝利は自分の手の中だ、そう彼女の思考が傾いた時だった。


『素晴らしいものを見せてもらったよ。どうやら君は、魔導士の中でも格別の才能を持っているようだね。――名を、聞かせてはくれないか?』


 マモンの声音には余裕があった。それを怪訝に感じながらも、ティーナは正直に名を答えた。

 これから倒す相手なのだから、名を知られたところで痛くもないだろう。そう、思ってしまった。


「私はティーナ。ティーナ・ルシッカ。フィルン第二位の天才魔導士にして、『無限の魔法使い』!」

『へぇ。ははっ、そりゃあ面白い! その家名……君はヘルガの娘なのかい?』


 少女の名乗りに【悪魔】は声を上げて笑った。かつて自分が『声』を奪った女の娘が、今、目の前にいる。しかも、あの女の力に匹敵する大魔法を引っ提げて。


『あはっ、ははっ……あはははははっ!』


 【悪魔】は嗤う。彼の黒い両目に、どす黒い欲望の光がまとわりつく。

 穢してしまいたい。奪ってしまいたい。自己同一性アイデンティティを失った後の空虚なその顔を愛でてやりたい。

 マモンを動かしているのは、リリスの願いを叶えるという使命。そして、自らの根源にある深い欲望。

 その欲はいつだって変わらない。彼は常に飢えていた。飢えているから、奪う。それだけのことだった。

 その過程で獲物に恐怖を植え付ける。彼は人を愛さないが、ただ一つ他人の『恐怖』には魅せられていた。


「な、何がおかしいの」


 ティーナの声は無意識のうちに震えていた。

 理解できないものを前にした、困惑、狼狽、恐怖。

 実に甘美だ、とマモンは思う。仮面の下で舌なめずりした【悪魔】は、ティーナの問いにまともに答えはしなかった。


『君に一番効く「恐怖」といったら、やはりこれかな』


 どこからか荘厳なクラシックが鳴り出して、ティーナとルプスは慌てて辺りを見回した。

 音の出所は分からない。だが、確かに彼女らの耳には聞こえているのだ。

 そしてそのトランペットの音が一際高く響いた瞬間――マモンの防壁を包んでいた氷が、パリンッ! とひび割れて砕け散る。

 防壁を解除してすぐさま、【悪魔】は滑るような動きでティーナへと肉薄した。


「っ、【灼熱に咲き誇るは薔薇、青薔薇の炎】!」


 おののいてまともに動けなくなるティーナではない。

 彼女は杖剣を迫り来る黒い影へ向け、息継ぎなしに呪文を詠唱する。

 杖先から湧き出る青い炎が薔薇の花弁のように咲き、【悪魔】のローブを消し炭へと変えた。


『くっ、あはははっ!』


 防具の外套が塵と化して剥がれ落ちていくが、マモンはそれでも止まらない。

 酷く痩せこけた体を際立たせる、ぴったりとしたインナー。炎に焼かれ、その下の肌までも焦げているにも関わらず、【悪魔】は笑いながら指を打ち鳴らす。

 眼前からその姿が掻き消えた途端――ティーナの背後に回ったマモンは、彼女の襟首を掴んでいとも簡単に持ち上げてみせた。

 細腕のどこにそんな力があったのだと思えるほどの、膂力。

 足が地面から離れてぶらついているのを見下ろし、ティーナは現在の状況が自らの致命的な隙になってしまっているのだと理解する。


「…………っ」


 彼女は全ての言葉を失った。魔導士の決闘で追い詰められた際、いつもなら負け惜しみの一つくらい吐くもののそれすらできない。

 自分はこの【悪魔】のスピードに勝てないのだ。【悪魔】が指を鳴らした瞬間、彼の動きを目で追うことは不可能になる。

 そう――ティーナの弱点は「速さ」だった。

 あらゆる魔法を使うことができる彼女だが、万能ではない。あらゆる魔法を扱えるが故に、一つに突出した才能がないのだ。悪く言えば器用貧乏、それがティーナ・ルシッカという少女の実力。

 一瞬だが飛び抜けた速さを実現するマモンの魔法に、彼女は対抗する術を持たなかった。――いや、持ってはいたが、それを『記録装置』から引き出して発動するのが間に合わなかったというべきか。


『ティーナ・ルシッカ。君はよくやったよ。この僕とここまで戦えたのは、君が初めてかもしれない』


 相変わらず鳴り続ける場違いなクラシックを背景に、【悪魔】はそう口にした。


「ティーナ!!」

『おっと、獣人くん。君は黙っててくれるかな』


 少女に手を下そうとしているマモンを止めるべく、ルプスが叫んで足を踏み出す。

 しかし、彼の足は【悪魔】の一言で固まった。全身が金縛りにあったかのように、彼は一切の動きを封じられて石像と化す。

 マモンが手を離し、ティーナの体は床に崩れ落ちた。だが、それでも彼女は起き上がれなかった。

 自分は彼に勝てない――その現実を叩き込まれ、ティーナは人生で初めて覚える絶望感を味わっていた。

 瞳を閉じ、唇を噛む。心中で母とアレクシル王に謝りながら、彼女は悪魔の魔手が自分を殺す一瞬を待った。


『いいよぉ、その顔。もっと見せておくれ……』


 彼女の前まで回り込み、マモンは体を屈めて顔を覗こうと手を伸ばした。

 少女の細い顎を無理矢理に上向かせ、その表情を堪能する。


『んー、ちょっと目を開けてくれるかな? 僕は君の目が見たい。美しいレディの瞳を見ないなんて、損だからね』


 不自然だ、とティーナは思った。自分はレディと呼ばれるほど大人ではないし、この変態【悪魔】が自分を女性として見ているとは考えられなかった。

 諦念の中でいやに冷静になっていた彼女は、マモンの声に応えない。瞼にぎゅっと力を入れ、断固として拒否する。


『強情だなぁ。僕は本当に君の顔が見たいだけなんだよ。そんな綺麗な目をしているのに、閉じてるんじゃ勿体無いよ』


 まるで意中の人を口説こうとしているような言い分である。

 だったら、なおさら嫌だ。こんな男となんか絶対に付き合えない。

 ティーナは意思を強く持って体の硬直を解き、首を激しく振ってマモンの手から逃れる。床に蹲った彼女は頭を抱え、悪魔に顔を見られないようにガードした。


『はぁ……随分と嫌われちゃったなぁ。しょうがない、名残惜しいけど……処理するしかないね』


 腕組みしてティーナを見下ろすマモンは、溜め息を吐いて本音を漏らす。

 生きた相手の目を一定時間見ないと『奪う』ことは叶わない。欲した力の簒奪が不可能と分かると、彼はさっさと諦めて後始末にかかった。

 乱雑に少女の体に蹴りを入れてひっくり返し、ろくな抵抗もできない彼女の首元を毒の爪で引っ掻く。

 そして、いつものように獲物の顔を鷲掴みにする。仮面の奥の暗い瞳が、生気を帯びて輝きを放った。


 ――終わった。


 ティーナは内心で一言、呟く。

 パルメ氏やベントソン隊長のように、自分は【悪魔】の未知の魔法で殺されるのだ。しかし、それでもいいのかもしれない。あの二人とは違って自分の死に様はルプスが見ている。謎だった【悪魔】の殺人のからくりが判明するならば、それで十分だ。

 あとは、英雄たちが何とかしてくれる。

 と、全てを投げ出した時だった。


『……君は誰だい?』


 悪魔が、ティーナの顔から手を離した。

 彼女でもルプスでもない何者かに、彼は訊ねている。

 うっすらと目を開いてティーナが見たのは――民家の屋根上からこちらを睥睨する、黒髪の少年だった。


「僕はトーヤ、神オーディンとテュールから力を授かりし、【神器使い】! お前の悪行もここで終わりだ、【悪魔】ッ!」

「私もいるよ、マモン君。私たち二人が来たからには、絶対に逃しはしない。覚悟しておくことだね」


 少年の背後から顔を出したのは、緑髪の少女。

 漆黒の剣と銀色の杖剣を携えた二人は、全身から白い闘気にも似た魔力を立ち上らせながら堂々たる名乗りを上げた。

 ティーナは彼らの姿を確かめ、自然と目に涙を浮かべていた。

 英雄ヒーロー)が来てくれたのだ。悪を討ち、正義を助ける戦士が――。


「【強欲の悪魔】、マモン……君には僕の相手をしてもらうよ。――【グリッド・ケージ】!」


 少年が魔法名を発声した途端、半径30メートルほどの範囲が格子状の光の檻に囲まれた。

 彼を倒さない限り、自分はこの檻から脱出できない。そう理解したマモンは虚ろな目を興味深げに細めた。

 ――【神器使い】として彼がどれほど強くなったのか、確かめてみるのも悪くない。


『これが即席のリングってわけか。ふふっ……この娘の味を楽しむのは後回しだ。さぁ、【神器使い】のトーヤ! 一対一の決闘といこうじゃないか!』


 エルを戦闘に介入させる気はマモンにはなかった。どうせ彼女はティーナとルプスの介抱に向かうのだ、トーヤ側としても文句はつけないはず。

 何故だかこの少年とは正々堂々と戦いたいと、マモンは思っていた。いや――彼の「宿主」がそうさせた。


「……分かった。僕は君と一騎打ちして、倒す」


 エルの肩を軽く叩き、彼はティーナらを視線で示す。

 頷いたエルは魔導士らしからぬ素早い動作で屋根から下り、ティーナらの方へ向かった。

 マモンは仮面の底で笑みを浮かべ、一歩前へ踏み出す。屋根上に立つ少年を見上げ、【悪魔】は軽やかに指を鳴らした。

 先ほどのクラシックから一転、バラードがどこからか流れ出し、悪魔はそのメロディーを鼻歌で歌いながら笑った。


『~~♪ ……ふふ、人を殺しただとか、今更そんなことを思っても仕方ないけれど』


 感傷に浸るのも一瞬のことだった。

 マモンは杖を持たない両手に魔力を溜めはじめ、少年の一撃を迎え撃つ構えを取る。

 漆黒の剣を振りかぶり、少年が吠え――その戦闘の火蓋は切られた。


「行くぞッ、マモン!!」

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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