15 無知蒙昧
会談最終日の幕が上がる中、王たちを支える裏方の彼女らも迅速に動き出していた。
イルヴァたちミラ王女の親衛隊は、それぞれ二人組を作ってスオロの住民へ聞き込みを始めていく。
探すのは『魔導士』。今回の事件の標的になる可能性がある彼らをなるべく多く見つけ出し、安全な場所に匿うのがイルヴァたちの役割だ。
しかし、すぐに見つかるだろうとタカをくくっていたイルヴァは、それから一時間も経たないうちに音を上げたくなってしまった。
何しろ、道行く人の誰ひとりとして魔導士に心当たりがないというのだ。
「どういうわけでありますか、これは……。フィルンには魔導士専門の学校もあるくらいでありますし、もっと簡単に見つかるものかと思ったのでありますが……」
「そりゃあ、魔導士ってのはマイノリティな存在ですからね。魔法は昔から気味悪がられていたので、そういう偏見が根強く残ってる地域も多い。魔導士が市民権を得ている街の方が珍しいんですよ」
つい愚痴をこぼすイルヴァに、彼女とペアを組んでいた副官の男性兵士が答える。
「解説ご苦労であります」とイルヴァは彼の肩をぽんと叩き、晴れ渡った空を仰いだ。
現在、彼女らは都市東部の繁華街で聞き込みを行っている。スオロで情報を集めるならここだろうと考えてやって来たのだが、別の区画を当たっている仲間からも情報を入手したとの連絡はなかった。
「しかし、諦めるわけにはいかないでありますよ。犠牲者をこれ以上出すな、というのが王女殿下からの命令でありますからな」
諦念に蝕まれ始めていた自分に発破をかけて、イルヴァは眉を吊り上げる。
その様子に副官の青年も気力を取り戻す中、道路に佇む彼女らに声をかける者がいた。
「あれっ、スウェルダの軍人さん? やっぱりそっちも見つからなかった?」
路地裏から顔を出したのは、黒い魔導士のローブを纏った小柄な少女。
イルヴァはその姿に飛びつき、膝を曲げて少女と視線を合わせると食い気味に訊ねる。
「き、貴殿はこの街に住む魔導士でありますか!? そうであったなら、他に同胞がいないか教えて頂きたいのであります!」
「ちょ、ちょっと待ってよお姉さん。私、フィンドラの魔導士だよ。ヘルガ・ルシッカの娘でティーナっていうの!」
自分が知られていなかったことにご立腹なのか、頬を膨らせてティーナは名乗った。
「そ、そうでありましたか! 小官はイルヴァ大尉であります。貴殿の正体に気づかなかったこと、本当に申し訳ないであります。それで、ティーナ殿……その口ぶりだと、貴殿も魔導士を探していたのでありますか?」
「うん、アレクシル陛下に頼まれてね。都市の東と西、それぞれ探ってるんだ。私の方も全然見つからなくてね……繁華街って色んな人が集まるじゃん? それこそ路地裏を覗けばワケありな人だっているはずだし、情報屋だっているでしょ? ――なのに、全然教えてくれないんだよ。あのおっさん、絶対何か知ってると思うんだけどなぁ」
よく見ると、ティーナのローブは埃や泥で汚れていた。おそらく彼女はイルヴァたちが出動するよりも前から都市を奔走していたに違いない。
額の汗を拭う少女にタオルを差し出しながら、イルヴァは申し出た。
「ティーナ殿、ここは共同戦線を組むのはどうでありますか? 闇雲に探し回ってもらちがあかない、情報提供していただけるとありがたいのでありますが」
「ああ、いいよー。私が調べたのは地図のこの辺ね」
「ふむふむ……繁華街の半分近く、でありますか。随分と頑張られたでありますな」
「えへへー、私こう見えて努力家なの! でさ、やっぱ繁華街をいくら探してもダメなんじゃないかなって思うんだよね」
イルヴァが握る地図に指をさし、ティーナは言った。
彼女の考えにはイルヴァも同意だ。都市東側の住宅街まで赴き、住民に地道な聞き込み調査を行う。それしかないのだろう。
「しかし、気乗りしませんね……」
と、イルヴァの副官の青年が本音をつい吐露してしまう。
半眼を作って彼の頭を引っぱたくイルヴァだったが――ふとそこに、少し嗄れた男の声がかけられた。
「何だ、あんたら……人探しでもしているのか?」
灰色の毛並みをした、狼の獣人。鋭い眼に細かい傷が目立つ顔は近寄りがたい雰囲気を醸していたが、当人の瞳は至って柔らかだった。
彼がカイ・ルノウェルスの部下であることをティーナは覚えていた。ルプス、という遠い異国で狼を意味する名を持つ男である。
「ルノウェルス軍のルプスさん、だよね? 私たち今、この都市にいる魔導士を探してるの。あなたは何か知らない?」
「この街の魔導士、ね……あんたらはこの繁華街でそれを探してたってわけか? そりゃ見つからないだろうな」
「おっ、何か手がかりがあるの!? 教えてよ、ルプっち!」
ぼりぼりと後ろ髪を掻きながら言うルプスに、ティーナは礼儀知らずにもいきなり渾名をつけてせがむ。
「ル、ルプっち……?」と困惑する獣人だったが、少女に催促されると素直に答えた。
「そういうきな臭い情報を探るなら、地下街へ行くんだな。あそこは薬物中毒の奴らの隔離所としての役割もあるが、目立ちたくない連中の隠れ蓑としても機能している。いわば、日陰者のセーフティネットってやつだ」
「ち、地下街……マジかーっ! そんなのがあったなんて、知らなかったー! 陛下もなんで教えてくれなかったのー!?」
頭を抱えて大袈裟に叫ぶティーナ。
地下街はゴロツキの巣窟だ、アレクシル王がこの少女を近寄らせたくないと思うのも無理はない。
路地裏へ踵を返したルプスはティーナとイルヴァらを振り向き、そして聞いた。
「【怠惰】が死んで逆に活気づいたやつらがうじゃうじゃいるが、それでもいいなら付いてこい。俺が案内してやる」
路地裏へと消えていくルプスを、ティーナとイルヴァらは慌てて追いかける。
無言で早足に進んでいく獣人の男に、イルヴァ大尉は訊ねた。
「貴殿も、小官どもと同じく被害者候補を探していたのでありますか?」
「いいや……俺は都市の警備を任じられている。警察と協力して、人々に不安がられないように私服で見回りを行っていたんだ」
二人の不審死は公にされていない。情報が広まって起こる混乱――それは【悪魔】の最も欲するものであるからだ。
アレクシル王もミラ王女も、犯人は【悪魔】であるのだろうと推察している。普通の魔法では不可能な殺人を為せるのは【神】か【悪魔】の二択であり、【神器使い】が悪事を働くとは考えにくいため、【悪魔】が殺害を行ったと言えるのは必然だった。
「さぁ、こっちだ」
ルプスが足を止めたのは、乱雑に木箱や樽が置かれた空き地。
彼は放置されている木箱の一つを引っくり返し、その下にあった隠し扉を開けた。梯子を伝って地下へ降りていくルプスの後にティーナらも続き、彼女らは地下街へと踏み込んだ。
短い縦穴の通路を抜けると、魔道具のランプで照らされた街が見えてくる。
日中にも関わらず「夜の街」の様相を呈している地下街は、画一なデザインの木製の民家が整然と並んだ作りになっていた。地上と等しい面積であるが、そこに暮らす住民の数は2000にも満たない。かつての人口増に対応するべく先代の王アーサー七世が建造した地下街は、【怠惰】に犯された者の隔離所と化してから寂れる一途を辿っていた。
「何だか……居心地の悪い場所でありますな。空気が淀んでいるような……」
「そりゃそうでしょ、イルっち。だって地下だし、見たところ換気もちゃんとしてないみたいだし。ルプっち、そのへん直した方がいいよ。これだけのスペースを腐らせるのは勿体無い。私らの『換気装置』、試作品なら余ってるから貸してあげようか?」
腕を抱えて顔をしかめるイルヴァと、ルプスへ真面目にアドバイスを送るティーナ。
そんな彼女らを横目に、ルプスはイルヴァの副官へ耳打ちする。
「地上の仲間へ連絡して、そいつらもこっちへ呼べ。人口が少ないとはいえ、ここは広いんでな」
「は、はい!」
冴えない青年が魔道具で『言霊』を飛ばすのを確かめ、獣人の男は彼らを率いて「ある場所」へと向かった。
到着したのは、西へ十数分かけて歩いた先にあった一つの民家。一見、他の家々と何ら変わらないように見えるが――そのドアをノックし、合言葉を呟いた後に通されたのは、洒落た内装のバーのような空間であった。
「おう、ルプスか。……その連中は?」
黒いサングラスに禿頭が特徴の店主が、ルプスたちを迎える。
怪訝そうに訊いてくる彼にルプスが説明しようとすると、ティーナはさっそく前に出て自己紹介という名の自己主張を始めた。
「はいはーい! 私、フィンドラ王の側近にしてフィルン第二位の天才魔導士、ティーナちゃんです! おじさん便利屋なんでしょー? これからこき使ってあげるからよろしくね、報酬は弾むよー!」
「俺はロイってもんだ。嬢ちゃん、報酬は弾むと言うが俺ははした金で動くほど単純な男じゃねえ。具体的にどれだけ出すか教えてもらわんことには、契約も受けられねえな」
「んー、じゃあフィンドラの国庫にある魔道具一つでどう? 私が陛下に頼めば、一個くらいは出してくれると思うんだよね」
金にがめつい商人と、王の知らないところで彼の所有物をダシに使っている少女。
二人を眺めるイルヴァは突発的な頭痛に襲われ、額に手を当て溜め息を吐く。
「ほぉ……で、欲しいのは何だ?」
「話が分かるじゃん! じゃあ、この地下街にいる魔導士の情報を教えて。今、【悪魔】が暗躍していて、魔導士は奴の獲物になる可能性が高いんだ。知ってる限り、魔導士の名前と住所を出してくれればいい」
地下街の戸籍謄本は作られていない。いや、作られていたとしても進んで魔導士だと名乗る者はいないだろう。
だが長年この地下街に住み着き、誰よりも把握しているロイならば――その情報を手にしているだろうと、ルプスは期待していた。
【悪魔】と聞いて表情を真剣なものに改めたロイは、「ちょっと待ってろ」と告げて店の奥に引っ込んでいく。
ややあって戻ってきた彼が脇に抱えていたのは、黒い表紙の冊子だった。見たところ比較的新しく、薄い。
「オリビエが集めたこの地下街の魔導士のデータが、この中に全て纏められている。あいつが定めた一定の基準値以上の魔力を有する人物しか載っちゃいねぇが……」
「それで十分でありますよ。【悪魔】はどうやら強い魔導士しか狙わないので」
申し訳なさそうに言うロイに、イルヴァは首を横に振る。
バーのカウンター上で広げた冊子を覗き込む一同は、ざっと魔導士たちの住所を確認してからそれぞれの役割分担を決めた。
「オリビエが確認した魔導士の数は42……思っていたより多いな」
「小官らの部隊は全部で20名であります。全員で手を尽くせば、そこまで時間はかからないかと」
「どうする、イルっちの部隊が揃うまで待つ? 正直、一刻も惜しい感じなんだけど」
ルプスが眉に皺を寄せ、イルヴァはあくまで軍人として冷静に振る舞い、ティーナは焦りを滲ませていた。
現在の時刻は10時過ぎ。会談が始まってから一時間が経過している。
これまで【悪魔】が会談中に動き出すことはなかったが、今回もそうであるとは限らない。何より――ティーナには嫌な予感がしていた。理屈では説明できない本能的な胸騒ぎが。
「軍人に求められるのは『大木の心』。大樹のようにどっしりと構え、民を安心させるのが小官らの役目なのであります。ティーナ殿、焦りは禁物でありますよ」
今にも外へ飛び出そうとしているティーナをイルヴァが諌める。
と、彼女の懐で魔道具が熱を発し、イルヴァは取り出した水晶玉を覗いた。
スウェルダ軍が独自に開発した連絡用の魔道具である。イルヴァはそれを用いて部下たちと連絡を済ませ――合間にルプスから集合場所の確認も取った――ティーナらに向き直った。
「皆が地下街に到着したであります。集合場所は都市中央。カイ陛下が革命前に演説を行ったという広場であります」
「広場に着きしだい情報の共有、それからペアを組んで迅速に任務を開始する。いいな」
絶対に一人では行動するな、とルプスはイルヴァらに言い聞かせる。
あのヘルガ・ルシッカでも一人で【大罪の悪魔】を倒すことは出来なかったのだ。もし悪魔に遭遇したとしても、二人ならば一人が逃げて危険を周囲に知らせられる。
「ロイ、ありがとうな。助かった」
「ああ。俺としてもこの街に【悪魔】がのさばるのは許容できない。頼んだぞ」
この街を愛する男からの信頼に応えたい。
ルプスは頷き、イルヴァらと共に中央広場へと駆け出した。
一通りのまばらな通りを走り抜ける彼らだったが、そこで。
「……今の音は……?」
ルプスは、頭上の天井がみしりと軋んだのを逃さず聞き取った。
しかし足は止めない。獣人の脚力にも負けずに並走するイルヴァに、彼は目配せする。
続いて響いてきたのは、激しい振動と人々の狂騒。埃が雪のようにパラパラと舞い落ちてくる中、ティーナは嫌な予感が現実になってしまったのだと悟った。
「地上で何か起こっている、と考えるのが妥当でありましょうな。どうします、戻りますか?」
「いや、ダメだよ! 私たちがここを離れたら、魔導士たちを誰が守るの? 地上のことはルノウェルス軍にでも対処してもらえばいい!」
イルヴァの問いに、彼女らから一歩遅れてついて来ているティーナが間髪入れず答える。
それで迷いを振り切ったイルヴァは、今はただ任務に集中するのだと覚悟を固めた。
「イルヴァ大尉殿!」
広場に到着し、イルヴァらが息つく間もなく彼女の部下たちが指示を仰いでくる。
周囲の住民らが不安げな表情で部隊の様子を窺うそばで、大尉はロイから受け取った冊子を開き、手早く二人組を作らせて命じた。
「地上のことは気にするな、今は魔導士たちの避難が最優先だ! この魔導士たちはオリビエ氏が認めた実力ある者たちであり、ルノウェルス側の貴重な戦力になる。何としてでも守れッ!」
「はっ!!」
これから同盟を組む以上は、互いに守り合うのが道理。
ルノウェルス人を守護せよとの命令にも躊躇なく応じた兵士たちは、散開して各々の担当箇所へ当たっていく。
「小官らも急ぐでありますよ! さぁ、行きましょう!」
副官を率いて自分も動き出そうとしていたイルヴァだったが、こちらを見つめるティーナの視線に足を止めた。
「何でありますか、ティーナ殿。貴殿はルプス殿と共に、24番地のハータイネンさんの家に向かうでありますよ」
「いやー、イルっち、なんか凄く格好良いなって思って」
ピンク髪のエルフは尊敬の眼差しをイルヴァに送る。
それをややむず痒く思いながらも、大尉は微笑んで敬礼した。
「ありがとう、であります。では――ご武運を!」
駆け出した後ろ姿はすぐに路地裏へと消えていった。
地下街は統一されたデザインの建物が並んでいるが、等間隔で番地の看板が立てられている。よって、その番地さえ覚えておけば地図がなくとも目的地へと辿り着けるのだ。
「俺たちも行くぞッ!」
「うん!」
ルプスに手を引かれ、早朝からの仕事で疲労を色濃く滲ませるティーナも気力を振り絞った。
大きな声でルプスに応え、固い石の地面を蹴る。
――【悪魔】がどうとか、正直私にはどうだっていい。過去に【悪魔】が何をしたとか、そんなの知ったことじゃない。でも……【悪魔】が人を殺すなら、私はそれを止める。誰かが涙を流すところなんて、見たくないから!
ティーナは心の叫びを覆面の悪魔へとぶつけた。
その心情を感じ取ったのだろうか――彼女の視界の上端で黒いマントがはためく。
「……え?」
走りながら、天井を振り仰ぐ。
すれ違いざまに見下ろしてきた眼は、漆黒。虚ろな眼窩から粘着くような視線がティーナを絡めとり、彼女を確かに見定めた。
「おい、どうした――」
少女の異変にすぐ気づいたルプスも、彼女の視線の先を追う。
そこにいた異質な黒い影に、獣人の男は走行速度を緩めて背後を振り向いた。
夜から闇をそのまま切り取ったかのようなマントに、鳥を象った仮面。頭部から生えているのは一対の山羊の角で、その者が【悪魔】であることを如実に表している。
『無知蒙昧な君たちに、僕は恐怖を授けよう。人の心に住まう「罪」、それを余すことなく刻み込もう。勇者気取りの愚者には、容赦のない現実を叩き込んであげよう』
中性的な少年のような声で、【悪魔】はのたまった。
立ち尽くすティーナとルプスに仮面の下で微笑んだ黒い影は、両腕を広げて尊大に名乗りを上げる。
『僕はマモン、【強欲】を司る【大罪の悪魔】の一人さ。さぁ、エルフの君……最上の恐怖を僕に味わわせておくれよ』




