9 ストルムへの旅路
翌日。『潮騒の家』の前にリューズ邸の馬車が到着した。
流石は大商人の馬車で、とても豪華な黄金の装飾がしてある。
「凄いね……。私も行きたかったな」
サーナさんが残念そうに呟く。
彼女は『潮騒の家』の経営が現在厳しい状態にあるので、宿を離れる訳にはいかないのだという。
「それに……私はおじさんたちに恩がある。働いてそれに報いることが、私のするべきこと……」
シアンたちはもう馬車に乗り込んでいる。
おじさんとおばさん、サーナさんは僕らを見送りに出ていた。
「みんな、向こうでも元気でやるのよ!」
「病気には気をつけろよ!」
おじさんたちが僕らに言葉を送る。
サーナさんは馬車に乗り込む僕を見上げ、寂しそうに微笑んだ。
「トーヤ……私、あんたのこと、待ってるから……。いつでも、帰っておいで」
「うん! いつか、また会おうね! じゃあ、行ってきます!」
僕はエルの隣に座り、運転手さんに「お願いします」と出発するよう頼む。
「はぁ……そういう意味で言ったんじゃ、ないのに……」
サーナさんが何か言ったが、強い海風に掻き消されて僕の耳には聞こえなかった。
「うわわっ、凄い風だなっ!」
エルが風で乱れないよう髪を抑え叫ぶ。
「おじさん、おばさん、ありがとー!」
僕達は馬車から身を乗り出して、おじさんたちに礼を言う。
おじさん達も手を大きく振り返してきた。
「いってらっしゃーい! 頑張るのよー!」
ここから、始まるんだ。
僕らの、新しい生活。新しい出会いが――。
馬車が進み出した。馬車を引く馬の中にはスレイプニルも混じっている。
街を過ぎ、馬車は街道をどんどん進んでいく。
移り変わる景色を見るのは楽しかった。見慣れないデコボコした岩の群れや、大きな音を立てて流れ落ちる滝など、豊かな自然の中にある道から見えるものは素晴らしかった。
「綺麗ですね……」
シアンがうっとりと溜め息をつく。
見るとちょうど滝に日が差し、虹がかかっていた。
「うん。綺麗だね……。そういえば、どうして虹ってあんなに綺麗な色に見えるんだろう?」
「虹っていうのは、太陽の光が屈折して出来るんだよ。これは私のにわか知識だけど……トーヤくんたちも、少し学問をやってみてもいいんじゃないかい? トーヤくんならきっと楽しめると思うよ」
学問か。考えたこともなかったけど、面白そうだな。いつかやれたらいいなぁ……。
「トーヤさん。これから行くストルムはスウェルダ王家を始め、沢山の貴族たちが暮らす超セレブの街です! そこの人たちは皆、街の学院というところに通って学問をするのですよ」
プレーナが解説する。
「出た、プレーナの貴族豆知識」
ジェードが茶化すように言った。
プレーナとフローラは幼い頃ストルムの貴族家で奴隷をしていたため、貴族の暮らしを良く知っているらしい。
「へえ、そうなんだ。いいなー、貴族の暮らしって憧れるよね」
僕が思わず本音を言うと、プレーナは苦笑した。
「ストルムの街の全ての人が贅沢な暮らしをしている訳ではありません。ストルムの西地区には、下層民が暮らす貧民街があります。そこにいる人たちは、文字が読めず、一生貧しい暮らしをしていく人が殆どなんです」
フローラも苦い表情になる。
「昔、私たちもあの街で暮らしてた」
僕の前で、フローラが初めて口にした言葉だった。
双子の獣人の少女は複雑な思いを抱え、今に至っている。
僕は彼女たちの過去を深く詮索するようなことはしたくなかったし、するつもりもなかった。
しかし彼女らは、自分から過去に何があったのか打ち明けてくれた。
「私達……実は母親が貴族だったんです。でも、母は獣を愛し、交わって私たちを産みました。産まれた子は人ではなく獣人の双子。私たちは、捨てられました」
涙ぐみ、過去を語るプレーナ。フローラも耳をぺたりと下げ、哀しそうにしていた。
「俺とシアンは……故郷を知らない。だから、故郷があるプレーナたちが羨ましい」
ジェードが呟き、プレーナとフローラはなんともいえない表情を浮かべる。
フローラは首を横に振り、静かに否定した。
「私たちは捨てられた子ども。産まれた時から、故郷に居場所なんて無かった」
自分の故郷が無いなんて、想像したこともなかった。でも、この世界にはプレーナたちのように故郷をなくしてしまった人が多くいるのだろう。
そういう人達のために、僕らが出来ることってなんだろう?
「すみません、なんかしんみりとした空気になってしまいましたね! あ、そうだ! 楽しい話をしましょう!」
プレーナは無理矢理明るく言った。
「あーそうだ! トーヤさん、その剣かっこいいですね! どこで買ったんですか!?」
「えっ? ああ、この剣はね……」
プレーナに合わせ、僕は明るい調子で【神殿】攻略の話を皆に聞かせた。時折エルが補足してくれながら、僕は数ヵ月前に感じたこと、思ったことを語る。
武具屋のおじさんが作ってくれた立派な鞘に収まった大剣は、僕の腰で黒く輝いていた。
「この剣は、【神器】というのですか……。トーヤさん、あなたは本当に凄いことをやり遂げていたのですね」
シアンは僕の話を聞いて、感銘を受けたようだった。
「こんな素晴らしい人と一緒にいられるなんて……とても光栄です」
「そんな、僕は大したことはしてないよ」
僕は気恥ずかしくなって言った。
「あっ、ほら! 街が見えてきたよ!」
「あれは街というより村ですね。トーヤさん、目的地はもっと先ですよ!」
話題をそらそうとしたがプレーナに阻まれた。
こういう時、口下手な僕はどうしたらいいかわからなくなる。これじゃ学問だけじゃなくてコミュニケーションの仕方も勉強した方がいいかもしれないな。
* * *
一日、二日と時間が過ぎ、街はもう目前まで迫っていた。
「うおおっー! 皆見てくれ! でっかい壁が見えてきたぞーっ!!」
エルが興奮して叫んだ。
高くそびえ立つ壁は、ストルムの街を囲む市壁。高さは30メートル以上はあるだろうか。
「ストルムは、壁の中にある街だったのか……」
僕は壁を見上げ、思わずため息をつく。
「――この壁の中に、私たちの新しい居場所があるのですね」
隣で一緒に見上げるシアンの横顔は、希望に満ち溢れたものだった。
「さあ、門が開くぞ――!」
市壁から中へ通じる門が重い音と共に開いていく。
馬車は、いよいよストルム内部へ入っていった。




