7 風が運ぶ報せ
「トーヤくん、おかえり」
ツッキ村からフィンドラ王城に帰ってきた僕に、【転送魔法陣】の前で待ってくれていたエルが微笑んだ。
マティマスとの過去に決着がついたとは、正直言えない。彼のしたことで僕や妹が傷ついたことは偽らざる真実だ。でも――彼が心の底では僕に歩み寄りたいと思っていたのは分かった。それだけでも十分だ、と僕はあの精悍な横顔を脳裏に浮かべる。
「ただいま、エル。ごめんね、魔法陣の前で待ちぼうけにさせちゃって」
「ううん。君にとって過去を見つめ直すのがどれだけ大事なのかは、理解してるから。このくらい平気さ」
場所は僕らの泊まっている部屋。ベッドに腰かけたエルの手元には、魔力回復薬の小瓶が握られている。
長時間の魔法の使用で負担をかけさせてしまったのを申し訳なく思いつつ、僕はエルの隣に横になった。
「あ、そうだトーヤくん。久々に膝枕してあげようか? 今の君には休息が必要だろう。私の膝枕なら、多少は寝付きがよくなるかもしれないよ」
「う、うん……じゃあ頼むよ、エル」
薄い下着姿の彼女の側までもぞもぞと移動し、柔らかい剥き出しの腿に頭を預ける。
髪を撫でる温かい感触は心地よい。微笑む彼女の愛情をいっぱいに感じながら、微睡みに意識を溶けさせていく。
「おやすみ、トーヤくん」
額にそっとキスをされたのを最後に、僕は深い眠りへと落ちていった。
*
トーヤが居室で眠りに就いた頃。
夕食を終え、普段ならばシャワーを浴びて寝ている時間帯であったが、ジェードは中庭で一人杖を振っていた。
――もっと、もっと強くならなきゃ。あいつの隣に立つには、今の力じゃダメだ。
あのミノタウロス戦でジェードは何の役にも立てなかった。前日にトーヤに大口を叩いていながら、である。
稚拙な判断で失敗を呼んだ。いや、もう少し速く【ベルザンディ】の魔法を完成させられていたら、そもそもその判断に至る必要もなかった。
全ては己の力不足が生んだ結果。それを痛感する獣人の少年は、持てる時間の全部を特訓に宛てることを決めていた。
「くそっ、くそっ、くそっ!! なんで、形上手くいかない……!?」
杖を握り、魔力をそこに溜める。魔法の完成を頭の中でイメージすることも忘れない。そこまではいいのだ。型通りできている。
だが、遅すぎるのだ。実戦では秒単位で戦況が目まぐるしく変わる。魔法を生み出す過程の一つ一つを一瞬のうちに終わらせなければ付いていけない。
少年が自分の未熟さに打ちひしがれている中――ふと、そこに女性の声がかかった。
「あら、先客がいたのね。頑張ってるじゃない、ジェード」
回廊から下りてきたのは、月明かりの下でも目立つ赤髪の巨人族の女性だった。
共に神器を得た仲間に声をかけられ、ジェードはそちらを振り向く。
「ユーミ……。先客ってことは、お前も?」
「ええ。あたしたちがトーヤと同じ土俵に立つには、ひたすら練習するしかないでしょ? シアンも後から来るわ」
少年にタオルを手渡しながらユーミは言った。
ジェードの汗だくな様子を見るに、食事を終えて即行で練習を始めたのだろう。――負けてられないわね、とユーミも熱く対抗心を燃やす。
「ねぇ、ジェード。あたしの魔法は過去を見たり、過去の敵を狙って攻撃したりできるんだけど、あんたのはどんなやつなの?」
「あぁ、それは――現在を『引き延ばす』魔法だ。簡単に言えば、時間を止める技。極めれば刹那を永遠に変えることもできるって、神様は言ってたな」
「マ、マジですか。改めて思うけど、あたしらの【神器】の能力って色々規格外よね……」
ユーミの感想にジェードもこくこくと頷く。
ノルンの女神たちは彼らに話していないが、その力をそら恐ろしく思えるからこそ彼らは選ばれたのだ。『時』に干渉する能力は悪用すれば歴史さえ変えられる。その力を躊躇いなく使えるような人間を、女神たちは是としない。
「ユーミさーん、王女様連れてきましたよー!」
と、元気な少女の声に名を呼ばれ、ユーミはそちらに首を回した。
今さっき自分が来た方向から、シアンがエミリア王女の手を引いて駆けてきている。
シアンは部屋着だが、王女のほうは金色の甲冑姿だった。彼女が鎧を纏うのは軍事関係の仕事をする時らしい。こう見えてもエミリアは軍人としての才もあり――本人はフレイヤの神器を得てからそれを自覚したという――、軍でも重宝される存在のようだった。
「軍議に出席した後で疲れている、と言ってもまるで聞かないのですから困り者です。ジェード君、彼女とお付き合いしているのなら、その辺もしっかりと言い聞かせるようにお願いします」
普段は整えられた髪も、心なしか若干よれているエミリア。
頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てる彼女に、ジェードはユーミ共々平謝りするしかない。
「遅れるって言ったのは、王女様を連れてくるためだったのね……。ほんとスミマセン、王女様」
「二度と迷惑をかけさせないように、後で説教しときますから」
「い、いえ……この面子なら、目的は神器を使いこなすための修練なのでしょう。それなら私も喜んで力を貸します。――シアンさんも、最初からそう言ってくれれば良かったのに。『とにかく来てください』とだけ言われても困ります」
謝罪してくるジェードたちに首を横に振りながらも、エミリアは言葉不足だったシアンに溜め息を吐く。
気持ちばかり先走ってしまった獣人の少女は、いつもの元気さはどこへやらしょげた様子だった。
「まぁ、頼られることに悪い気はしませんから。策略も下心もない関係なら、なおさら。
では、時間も惜しいです、早速始めましょう。まずはあなた方の魔法を見せてください。それから一人ひとり、私が指導します」
対『組織』においてノルンの【神器使い】たちは替えのきかない戦力になる。
純粋に先達に教えを請おうというジェードたちに対して、自分は打算ありきで付き合おうとしている――エミリアはその事に後ろめたさを感じなくもなかったが、それは表情に出さず三人の特訓を始めていく。
「へぇ……なるほど」
三人の魔法を順に目にしたエミリアは、少しの驚きを顔に浮かべて呟く。
三人とも筋は悪くない。型通りにできている。が、それは裏を返せば「型にはまりすぎている」とも言えた。
「シアンさん、あなたは一番【神器】に適応できています。ただ、全力で臨もうとするあまりに魔力を込めすぎる傾向が見られます。必要以上の魔力消費をしては戦闘では確実に足を引っ張ることになりますから、セーブをかけることを覚えてください。
ジェード君は速度が足りない。詠唱スピードを上げるために、とりあえず早口言葉の練習から始めてください。口だけでも速く動けば、魔力も次第についてきます。
ユーミさんに関しては、【神器】を使うことへの忌避感が技を鈍らせているように見えます。せっかく授かった力なのですから、最大限活かして差し上げるのが道理でしょう。遠慮などせず胸を張って使えば良いのです」
それぞれの欠点を的確に指摘し、克服のためのアドバイスを送る。
厳しめな口調だが、こちらの方が彼女の素に近いのだ。いつものほんわかとした雰囲気は、自分を良く見せようと着飾ったものに過ぎない。
「――はい」
少年たちは前を向き、エミリアの瞳を真っ直ぐ見つめて返事をした。
絶対に強くなり、神器使いとして一人前になる――そんな気概を感じ、エミリアは口許を綻ばせる。
向上心のある子達なら教え甲斐もあるというもの。
必ず彼女らを自分と肩を並べられる【神器使い】にしてみせる。そう決意を改め、エミリアは夜が更けるまで三人への指導を続けるのだった。
*
シアン、ジェード、ユーミの三人は、【神器】を完璧に使えるようになるべく早朝から特訓に励んでいる。
汗を流し全力で己と向き合う彼女らを、僕とエルは中庭のベンチから見守っていた。
「みんな頑張ってるね。僕たちも、負けてられないな」
「うん。『魔導士に限界はない』――イヴ女王の言葉さ。真理を究めれば、私たちはどこまでも飛んでいける。……はむっ」
彼女らの努力する姿に触発される僕に、エルはかつての女王の格言を持ち出して頷いた。
好物のパンケーキを小さな口に運んでいるエルから一口分けてもらい、僕はその苺風味の甘味を楽しみながら追想する。
――あんたに必要なのは新しい【神器】じゃない。
【神殿】ノルンで、ノアさんは僕にそう耳打ちした。
彼女の発言の真意は分からない。三つ目の【神器】を持たない方がいい理由を、僕には思いつけない。
だけど――ノアさんは意味もなくそういうことを言う人物じゃない。彼女の台詞には意味があり、明確な意思がある。彼女が言葉足らずな女性であることは、シルさんの過去を見て僕らは知っている。
「僕の次なる進化の鍵は、ノアさんだ」
それだけは、はっきりしている。
【神殿】ノルン攻略を終えた後、『ギュルヴィ島』で彼女は僕らに「また会おう」とだけ言い残して【転送魔法陣】で去ってしまった。いつ、どこで会うのか指定せず、たった一言のみの台詞には、流石に僕らも困惑するしかなかったけど……必ず彼女は会いに来る。
その時が「転機」だ。今はただ、その時を静かに待つほかにない。
「……ノアさん、私たちがここにいるって知ってるのかな」
「王様のお気に入りの食客ということで、僕らの名前はそこそこ知れ渡ってる。調べればすぐに分かることさ。この王城でアレクシル王の役に立ちながら、ノアさんが来るのを待つ……しばらくはそんな生活になるね」
アレクシル王は何も、僕らにタダ飯を食わせてくれているわけではない。彼は僕らに【神器使い】として、いつ悪魔が現れてもいいように日々の訓練を怠るなと厳命している。そして、悪魔の脅威が去るまでは自分の傘下にいるように、とも。
『組織』側としても、僕ら【神器使い】が一蓮托生となっている状況は喜ばしくはないだろう。常に敵へプレッシャーをかけ続けられるのなら、僕はアレクシル王の犬としての立場にも甘んじる。
そんな風に考えていると――そこに、いささかエネルギッシュな少女の声が殴りつけてくる。
「あっ、トーヤきゅーん! エルたんもおっはよー! 今日もカッコイイ&カワイイ、素敵なお二人に素晴らしいプレゼントがあるよー!」
回廊から僕らに手を振ってくるのは、魔導士の黒ローブを纏った小柄なハーフエルフ。
ド派手なピンク色のショートヘアが目印の彼女は、アレクシル王の側近の一人であるティーナ・ルシッカさんだ。若くして宮廷魔導士となった彼女は、その苗字が示す通り『フィルン魔導学園』の学長ヘルガさんの娘である。
僕らのことを気に入ったらしい彼女は、知り合ってから何度となくこうして声をかけにきていた。
だけど、そのコミュニケーションが少々激しすぎて――。
「ぐふっ!? い、いきなり物凄い勢いでハグするのは勘弁してください……!」
「まーまー、そんくらいいいじゃん! 超絶美少女の私と超絶美少年のトーヤきゅんがくっつくのは誰得? 私得? いやいや全人類得ってもんでしょー!? さあトーヤきゅん、私からの慈愛の抱擁を受けた感想を二十文字以内で答えよ! 二十文字に収められないってんならそれでも可! 思いの丈をぶつけてこぅぶ!?」
立ち上がって即みぞおちにタックルまがいのハグを食らった僕は、悶絶してベンチに崩れ落ちた。
そんな僕にお構いなしに、ティーナさんは弾けんばかりの笑顔で愛情表現の剛速球をぶつけてくる。
エルに襟首を引っ張られて台詞を中断したティーナさんは、恨めしげなジト目を彼女へ送った。
「もー、最後まで言わせてよー」
「言わせませんよ! あぁもう、どうしてあの親からこの子が生まれるんだ……」
「うちのママ、いつも怖い顔で悪魔とにらめっこしてるんだもん。だったら私が笑顔でいるっきゃないじゃん? 辛気臭い魔導士たちにとって、私みたいなハイパー元気少女の存在は何よりも薬なんだぜ!」
ただ、その底抜けの明るさが天然のものじゃないことに僕は気づいてしまっている。だから、強く拒絶できなかった。
「……それで、プレゼントって何ですか?」
突撃されたお腹をさすりながら僕は訊いた。
ティーナさんは実に嬉しそうな表情を浮かべ、懐から一通の封筒を取り出す。
「手紙、ですか」
「そう。差出人は『リューズ商会フィルン支部』。一昨日のミノタウロス討伐の件じゃないかな? 誰も倒せなかったヤバイ怪物をトーヤきゅんたちは倒しちゃったわけでしょー。きっと改めてお礼とか、もしかしたら追加の報酬とか! いいなー、あのリューズ商会に貸しを作れるなんてトーヤきゅんたち凄いなー!」
「な、内容は読まないと分かりませんから。……ちょっと顔が近くないですか」
僕が封を切ろうとしているところを興味津々な様子で覗き込んでくるティーナさん。
この人、距離感が普通以上に近いんだよね。それに、な、なんかフローラルないい匂いがするし……。
僕が懲りずに顔を赤らめていると、エルが隣から頬をぐにっとつねってくる。
「ほらさっさと開けてごらんトーヤくん!」
「う、うん! ……えーと、『明日の夕方に商会のフィルン支部までお越し願います』だって」
冷や汗を流しながら開封した書面を読み上げると、ティーナさんは「ほらね」と得意げに胸を張った。――ちなみに彼女は母親とは異なり貧乳である――。
エルと僕は顔を見合わせた。『リューズ商会』の人と直に関わるのは、ストルムのリューズ邸を出てから初めてになる。前に【神殿】ノルンでベアトリスさんたちに会いはしたけど、『リューズ商会』という立場からのアプローチはなかった。
僕たちは商会と決別した身だ。相手は本部とは遠く離れた支部だし、そのことで何かこちらが不利益を被るようなことはないだろうけど……若干の不安は残った。
「ありゃ、浮かない顔だね?」
「あぁ……僕たち、昔リューズ商会で働いていたんですよ。でも……」
「喧嘩別れ、とか? あー、そりゃ会いにくいねー」
「まぁそんな感じです。けれど心配は要りませんよ。僕には頼もしい仲間たちがいますから」
そう言ってシアンたちを見やる。ティーナさんも彼女らの頑張りを知っているので、納得がいったように目を細めた。
臆面もなく僕の真隣に腰掛けたティーナさんは、それから一転して低い声音で言う。
「――王様のルノウェルス行きが決まったよ。目的はフィンドラ・ルノウェルス・スウェルダの三国同盟、及び平和条約を結ぶこと。日時は一週間後で、会場はルノウェルス首都スオロの議事堂。王様と外交団の移動は、エルたん、君の力を貸してもらう」
いきなりの宣告に、僕もエルも揃って息を呑んだ。
今、この時機での同盟、及び平和条約の締結を目指す――平和のために協調して歩んでいく、それを明確にするための行動と取れば、間違いではないのだろうけど……。
「ルノウェルスはカイくんが君主だから、それには合意してくれるだろうけど……スウェルダ王はどうなんだろう? これまで睨み合っていた関係のフィンドラと仲良くしてくれるのかな」
エルは首を傾げて疑念を口にする。
フィンドラはかつてスウェルダの領地であり、そこから独立して今に至るという経緯がある。そのため、二国間の関係は常に冷え切っていた。戦争こそ起こっていないものの、貿易面などでは友好的とは決して言えない間柄である。
「それはスウェルダ王の匙加減、としか言い様がないね。でも、あの王様は話せば分かる人だ。ミラ王女の一件で彼も悪魔については承知してる。その脅威に立ち向かうためなら、きっと助力してくれるはずだよ」
「へー、何だか詳しそうな口ぶりだけど、トーヤきゅんってもしやスウェルダ王とも知り合いだったり……?」
「は、はい。ミラ王女の一件を解決した後、王宮でのパーティーに誘われて」
「すっごーい! 三国の王とパイプがあるなんて、トーヤきゅん政府要人級の大物じゃん! こんなカワイイ顔して侮れないやつだなー!」
僕の答えを聞いたティーナさんは、目をまん丸くしたと思えば僕の背中をバシバシと叩いてくる。表情の移り変わりがとても忙しい人だ。
「で、エルたん。その辺のサポート、お願いできるよね?」
「はい、大丈夫です。魔法なら何でもお任せ、が私の宣伝文句ですから!」
王の側近からの頼みに、エルはどんと胸を張って応じる。
勢いよく立ち上がったティーナさんは、最後に僕の髪をわしゃわしゃとかき混ぜてから言った。
「よーし決まり! この件に関しては追って連絡するから、よろしく! そんじゃ、今日も一日頑張ろーね!」
駆け足で去っていく小柄な後ろ姿を眺めながら、僕は吐息する。
まるで嵐のような人で、本当に嵐みたいなでっかい報せを運んできたな、彼女……。
「明日はリューズ商会の人と面会して、一週間後は三国会談か。何だか忙しくなってきたね」
ティーナさんが持ってきた次なる予定を、僕は改めて口に出した。
忙しくはなるけど――ルノウェルスに行くのならカイに会える。共に試練を乗り越えた親友と、積もる話をたくさんしたい。
会談が悪魔の脅威に関してをテーマにするなら、僕らも王様に同行することになるのだろう。
そこで再会できる友を思えば、忙しさにげんなりする気持ちも軽く吹き飛んだ。
「さあ、僕らもシアンたちの練習に加わろう! 期限は一週間――それまでに、彼女らを確実に実戦レベルに強くしなくちゃ」
「ああ、その意気だ! 気合入れていこう!」
僕とエルはベンチを立ってシアンたちのもとへ駆け寄っていく。
【神器使い】たちの一週間に渡る猛特訓は、こうして幕を開けるのだった。




