4 ミノタウロス・リターンズ
武器も防具も、その他の必要な装備も全部、完璧に揃えた。
あとは、戦いに臨む心構えを整えるだけ。
「……よし」
鏡に映る茶色味がかった黒の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめ返す。
濡れた前髪の下の目は、冷水で顔を洗ってすっかり冴えた。
――大丈夫。いつもどおりやれば、必ず結果はついてくる。
大きな戦いを前にしたあの緊張感が、飽きずに湧き上がる。僕は胸に手を当てて何度か深呼吸し、不規則な鼓動を静めた。
「きっとうまくいく。いや――うまくいかせる。僕自身に誓って」
誓約の言葉を、心に刻み込む。戦いの場で覚悟を忘れないように、鏡の中の自分を睨み据えて。
そうやって僕が戦いの前の儀式を行っていると、引き戸を挟んだ向こうからゴソゴソ音がしだした。エルが起きたのだ。
タオルで顔を拭い、熱魔法と風魔法の複合技でさっと髪を乾かす。手早く身支度を終えた僕は、寝ぼすけのエルのもとまで戻った。
「おはよう、エル」
「トーヤくん、おふぁよぉ……」
あくび混じりの挨拶を返してくるエルは、まだ布団の中だった。目を擦りながら上体を起こした彼女は、ぶるりと体を震わせる。今のエルは、生まれたままの一糸まとわぬ姿であった。
陶器のように白く瑞々しい肌を露にしている彼女は、姉に似て豊満な乳房を細い腕で覆い隠す。
腰まで流れる翠の髪も、恥じ入るように伏せられた目も、その全てが透明で美しくて、僕は言葉を吐くことも忘れて見とれていた。
触れようとすれば霧散する幻なんじゃないか、それともファンタジー世界の妖精か。そう思える程の彼女だったが――次の台詞一つで、一気にその輪郭は現実味を増した。
「トーヤくん、パンツとって」
いやいや、その台詞はないよ! これじゃ妖精感なんてゼロだよ! ……と内心で盛大に突っ込みを入れつつも、僕は鞄から白いパンツを引き出してエルへ放った。
「うぅ、寒い……。初夏といえども朝は冷えるね。寝る前にちゃんと服を着ておくんだったなー。トーヤくんはもうバッチリ着込んでるんだね。私も君の裸身を眺めたかった……君だけが私の裸をじっくり堪能できたなんて、不公平じゃないか。あんまりじゃないか」
朝から饒舌である。彼女は寝ぼすけではあるが、寝覚めはいつも良かった。
ぶーたれるエルに苦笑しながら、僕はベッドの端に腰を下ろす。
「君の望み通りにしていたら、僕は服も着ずに部屋中を歩き回った上に二時間近くそうしていたヤバイ奴になっちゃうよ」
「む……言われてみれば、そうだね」
普通は言われる前におかしいって気づくところだ。でも、そんな風にズレてるっていうか天然な一面も、やっぱり可愛い。
「今日の髪型、どうしようかな。そのまま流すか、ポニーテールか。たまにはツインテールとか、三つ編みにしてみるのもいいかな?」
「珍しいね、いつもはお洒落に気を使わないのに。もしかしてデートに行くって勘違いしてる?」
「精霊は気まぐれなのさ。……よし、今日はポニーテールでいこう! トーヤくん、君とお揃いだ」
「ん……そう。お揃い、ね」
フィルンに着く前に僕は髪を切ろうと思っていたのだが、アマンダさんに再会したこととか色々あって忘れていた。それから何だかんだでそのままだった、というわけだ。今は長くなった髪の毛を一まとめに結んでいて、これはこれで気に入っている。
「まぁ、でも……トーヤくんも少しすっきりした方がいいかもね。ちょっとマジック見せてあげる」
話しながら服を着替え終わったエルは立ち上がると、昨日買ったミスリル製の短杖を手に取った。
彼女の杖は『フィルン魔導学院』のヘルガ・ルシッカ学長が使用しているのと同型のもので、僕が悪魔討伐でカイやアレクシル王から貰った報奨金の残りを根こそぎ持っていった超高級品である。手型を取ってまで彼女の手にフィットするように作られた杖は、ひと目でエルのものだと分かるエメラルドグリーンに塗装されている。しかもただの杖ではなく、先端に刃物を着脱できるようになっている。いわば『杖剣』と表現するべき新しい武具だ。魔導士の多くは刃で肉弾戦を行わないが、かつて悪魔との戦いで魔法を封じられたヘルガさんの提言で、フィルンで生産される杖は徐々に『杖剣』へと移行しつつあるらしい。
「そーれ!」
何とも気の抜けた掛け声と同時に、自分の頭の周りで魔力が働いたのを僕は感じた。
今何が起こったのか――咄嗟に理解できなかった僕だが、はらりと太ももに落ちた黒髪を見て遅ればせながら気づく。
「若干もっさりしてたから、軽くしてみたよ。鏡で確かめてごらん」
満更でもない顔つきで言うエルから手鏡を受け取り、それを覗く。長さはそこまで変わらないまま少しボリュームを減らした髪が、鏡の中で艶めいている。
「髪を梳いただけじゃなくて、艶出しに何かやったんだね。すごいな、一瞬でこれだけやれるなんて……エル、美容師になったらだいぶ荒稼ぎできるんじゃない?」
「えへへ、天才魔導士の私にかかれば、こんなの朝飯前さ! 初めて使った『見えざる刃』だけど、うまくいって良かったよ」
「『見えざる刃』って……シルさんの『ユグドラシル』の記憶の中で、セトが使ってたあれ? じゃあエルは、見ただけであれを完璧に会得したってこと?」
「ああ。出力はだいぶ落としてるけどね。この技は、今日の戦闘でも確実に役に立つはずだよ」
僕の驚嘆をエルは心地よさげに浴びる。魔導士であることに誇りを抱いている彼女にとって、魔法を褒められることは何にも代え難い幸せだ。
エルの才能への尊敬をまた高めた僕は、髪をゴムで纏めて短めのポニーテールを作る。
それから、ベッドから降りて洗面所へと向かうエルの背中に声を掛けた。
「エル――今日も頑張ろうね」
「うん、もちろんさ! 私はいつだって全力投球でいくからね!」
振り返った彼女は白い歯を見せてにかっと笑い、親指をぐっと立てる。
何事も楽しんだもの勝ちだよ――そんな風に背中を叩かれた気がして、僕も微笑んだ。
*
そよ風が吹き抜け、道沿いの畑ではまだ青い麦が揺れる。澄み渡った青空を見上げれば、鳥たちが悠々と歌を口ずさんで飛んでいる。
フィルン西側の郊外の街道は、一見すれば平和そのものだ。だが――普段ならば王都入りのために沢山の馬車や観光客が行き交っているというのに、今はその喧騒が一切ない。
人の手で敷かれた石畳の道を歩きながら、膨れ上がる違和感にトーヤはつい顔をしかめた。
「ここをもう少し進んだ辺り、木立がいくつもある所でミノタウロスは出没しているらしい。近くには洞穴もあって、そこを住処にしているんじゃないかって言われてるけど……」
「けど……何だよ、トーヤ? やっぱり怪物の出処が気になるか?」
顎に手を当てて考え込むトーヤに、ジェードが訊ねる。
昨日、少年は仲間たちに選択を委ねた。それから一夜を置いて、シアンら全員がこの場に集っている。
ジェードがシアンやアリスと何を話したか、トーヤも詳しくは知らない。だが彼女らの顔を見れば、覚悟の上で今日に臨んでいることがよく分かった。
「うん……。そもそも、怪物っていうのは基本的に人が多い場所に現れないものなんだよ。彼らは人を襲うけど、それは縄張りを踏み荒らされて怒っているから。わざわざ元々の縄張りから飛び出して人間を襲いに行くケースは稀って言われてる」
「確かに、『神殿』や『迷宮』以外でモンスターを見る機会は殆どなかったですからね。これまでの旅の中でも時折怪物と遭遇しましたが、それはだいたい森の側でした。こんな街道で出現するなど、聞いたこともありません」
重苦しい声音で言うアリスに、皆が頷きを返す。
モンスターの生態については、未だに分かっていないことばかりだ。モンスターを調べる学者は少なく、彼らの情報は討伐した剣士や魔法使いからの証言から得られたものが殆どで、細かい生態は憶測するしかない部分も多々あるのだ。
――僕たちのような戦える者が、学者と協力してモンスターを調査することも必要になってくる。怪物に襲われて誰かが命を落とす悲劇を減らすためにも、今日の戦いでそれなりの成果を挙げられたらいい。
少年がそんなことを考えていると、そこで。
「……む」
リオがエルフ族特有の長い耳をピクリと動かし、小さく声を漏らした。
彼女からのアイコンタクトを受け、トーヤは右腕を横に出して皆を制した。
パーティは立ち止まり、近づいてきている気配に対して得物を構え、備える。
トーヤにも聞こえた。地面を揺らす重低音と、荒い鼻息、そして唸り声。まだ目視できる位置にはいないようだけど、そう遠くはない。
ズシン、ズシン、ズシン。……左斜め前方、畑の対岸の崖の方からその足音は迫ってきていた。
「――上だ! アリス、シアン、弓を!」
「了解です!」「分かりました!」
敵の位置に見当を付け、すかさず少年は命じる。パーティのリーダーとして最高の指揮を――その覚悟を胸に、彼は切り立った崖上を睨み据えた。
黒い影がそこに牛の角を覗かせた瞬間、少女たちの引き絞られた弓がしなり、矢が撃ち放たれる。
が――怪物はその丸太のような腕を薙ぎ、飛んできた矢を叩き落とした。
『ヴオオオオオオオオオオオオッッ!!』
鼓膜が破れるのではと思える程のそれは、まさしく砲声だった。
咄嗟に耳を押さえ、目を眇めながらトーヤは『テュールの剣』に魔力を溜め始める。
巨体にそぐわない敏捷さで崖から飛び出した牛頭人体の怪物は、少年たち目掛けて降下しつつ腕を後ろへ振り絞る。それから握られた拳を突き出し――何もない空を殴った。
――何だ、あいつ。
その奇妙なモーションにジェードらは疑念を抱くが、直後。
目の前の石畳に巨大なクレーターが穿たれ、その疑問は戦慄へと変わる。
あの怪物は拳風だけでこれだけの威力の一撃を放ってみせたのだ。もしくは、トーヤの『テュールの剣』と同類の力魔法か。どちらにせよ、怪物が強力な飛び道具を有していることに変わりはない。
エルの防衛魔法によって飛散した石の破片を浴びることはなかったが、想像以上の初撃にシアンたちの動揺は大きかった。
「敵の能力はかなり高いみたいだけど、焦る必要はないよ! シアン、ジェード、ユーミ――君たちの得物が飾りじゃなければ、敵は恐るるに足らない!」
しかし、トーヤは堂々とそう言ってのけた。彼もあのミノタウロスの力に驚いてはいたが、皆を率いる身としてそれを一切表情にしていない。
これまでの戦いの中で着実にリーダーとしての成長を遂げてきた少年の鼓舞に、シアンたちも俯きかけた顔を上げる。
着地の衝撃で石畳に亀裂を刻みつけ、ミノタウロスは少年たちを睥睨した。
黒い体躯は筋骨隆々。体高は巨人族のそれを超す4メートル程度で、剥き出しの上半身には無数の傷跡があった。ひと目で見て分かる――この怪物は、場数を踏んでいるのだ。
かつてトーヤが神殿で戦ったミノタウロスは突進や殴打など単純な攻撃のみを仕掛けてきたが、この個体は異なる。まだ一撃しか見ていないが、トーヤはそう確信していた。
「ひとまず距離を取る! 攻撃を食らえばひとたまりもない、安全圏から確実に体力を削ぐんだ!」
少年の指示で皆は飛び退り、その間にも武器に魔力を込めていく。
リオの木刀やアリスの番える矢が風を纏い、シアンやジェード、ユーミの【神器】の杖も純白の光を宿し始めた。
『オオオオオオオオッ!!』
怪物の二度目の咆哮。大地を踏み鳴らしながら放たれるそれは、聞いた者の心に恐怖を植え付ける。
開かれた口から覗く牛らしからぬ牙や、闘争に滾る真っ赤な瞳も相まって、その威圧感は圧倒的だ。
――それでも、目を背けちゃいけない! 私は戦う、そして彼と肩を並べられるように、もっと強くなる! 私は彼を、超えたい!
怯えずに前を向いたまま、シアンは心中で誓いを叫ぶ。魔力を杖に込める方法は、エミリア王女に教わって理解している。まだ完全に掴めたわけではないが、戦えるだけの十分な形にはなったはずだ。
足元に拳を打ち付けた怪物は、破砕した石片を鷲掴みにすると容赦なく目の前の獲物に投げつけた。
弾丸が頭上から雨のように降り注ぐが――シアンは魔力を溜めるための精神統一を止めない。意識は目の前の怪物と、魔力を練る己にのみ向ける。自分の魔法が怪物へ炸裂するイメージを、強烈に思い描いていく。
身の危険は顧みない。なぜなら、少女は信じているから。魔法を編み上げる自分たちを、剣士たちは守ってくれる。
そしてその信頼に応えるように、トーヤは高らかに新たな魔法名を口にした。
「【グリッド・レイ】!!」
ミノタウロスは拳による打撃を「飛ばす」攻撃を連続で行いつつ、散開する少年たちを追っていく。畑の麦も構わず薙ぎ払う怪物は、標的を一人の獣人の少女に定めるが――拳に力を込めた瞬間、視界に格子状の白い光のラインが走り、思わず脚を止めてしまう。
『ッ……!?』
自分が四方から光の檻に閉じ込められてしまったのだと、怪物はすぐに悟った。
この魔法は彼にとって未知のもので、迂闊に動くことに危険を感じはしたが、それでも怪物は前進を選択した。ここで止まってしまえば獲物の思うつぼだと、彼も察している。
強行突破だ――!
その目に青い炎を宿すミノタウロスは、一声吠えて一気に突進した。
「ふふ、かかったね」
『――……?』
怪物は光の格子に触れた瞬間、激しい熱が体を焼き切るのだろうと予感していた。が、そうはならなかった。
そのまますり抜けるだけの光に違和感を覚えながらも、怪物は眼前の獲物へと急迫する。
そして、口を開いて再びその牙をシアンに覗かせる。
杖を構えて詠唱しながら怪物を見上げる少女は、来るであろう咆哮に怯まぬよう眦を吊り上げるが――しかし、次に彼女が聞いたのは低い掠れ声であった。
『――【物質よ、変化せよ】』
え、とシアンは思わず声を漏らした。そのせいで詠唱が中断し、実のところ綱渡りに近かった魔力制御が乱れ、頭に鋭い痛みが走る。
喘ぐシアンが見上げると――高く掲げられた怪物の片腕の先、その開いた手のひらに何か灰色のものが集まっていた。
仲間たちの驚愕の声も、既に遠い。あらん限りに目を見張る彼女など意に介さず、怪物は手の中に呼び寄せた石の破片を融合させていた。魔力によって即座に変わったその形状は、巨大な斧。
ニヤリ、と笑みを深く刻んだその顔に――怪物の暴虐性とは異なる人間らしい悪意に、シアンの背筋は凍りついた。
『オマエたちだけ武器を使えるなど、フェアじゃない。コレで相手してやろう』
やや片言で発されたのは、紛れもない人間の言葉だった。
今、目の前にいるのは人間と変わらない知能を有するモンスター、【異端者】なのだ。人間より遥かに大きい体躯と頑強な肉体を持ちながら、魔法まで操る高い知性。
道理で多くの戦士が負けたわけだ、と、シアンは動揺の裏の理性で納得してしまう。
「シアン、下がれッ!!」
ジェードの絶叫に、シアンは怯む己に鞭打って地面を蹴った。
が――背の高い麦に足を絡め取られ、数歩走らないうちに転んでしまう。敵に背中を向け、地面に倒れたこの状況は間違いなく危地だ。もう、逃げおおせることも不可能だろう。
「――【風穹砲】!」
死を覚悟したシアンだったが、そこでエルフの玲瓏な詠唱が響き渡る。
怪物の真横から撃ち出された、巨大な空気の砲弾。かつてルノウェルスで王宮の兵士たちを相手に戦った際、カイの命を救ったリオの切り札だ。
「穿てよ、その体躯!」
怪物の無防備な横っ腹に着弾した砲弾は、リオのその言葉によって爆発する。
周辺の麦ごと吹き飛ばす暴風が巻き起こり、シアンは地面に伏せたまま首を回して怪物を見上げていたが――。
『チッ、邪魔をしやがって。エルフのガキ……まずはオマエから潰してやる』
その爆発を身に受けてもなお、怪物の体躯には傷一つ付いていなかった。
不快感を露に舌打ちするミノタウロスは、魔力の蓄積に失敗したシアンを見向きもせず、標的をリオへと定める。
フゥ、と深く息を吐き出した怪物は地を蹴り――これまでの動きとは比にもならない速度で、リオへと猛進していく。
一歩、二歩と地面を抉りながら突き進むミノタウロス。一秒に満たない間に十メートルの間合いを一気に詰め、彼はその拳をエルフの少女の腹に叩き込んだ。
「がはっ!?」
体をくの字に折ってピンボールの球のごとく弾き飛ばされたリオの姿は、麦の海の中に飲み込まれて見えなくなる。
彼女の無事も確かめられないまま、トーヤは隣で補佐を頼んでいたエインに詰問した。
「エイン――あの異端者について何か知っていることはないかい?」
「ごめん、トーヤ君。ぼくは何も知らない」
【怪物の子】の存在が示すように、『組織』が未知の怪物の情報を掴んでいることは明らかだ。
それを踏まえて訊ねるトーヤに、エインはどう答えることもできない。
エインが『戦士』として所属していた部隊は、怪物に関しては完全に管轄外だった。『組織』の中でも怪物を扱っていたのは『蛇』を含む少数の科学者のみ。シルやリリスといったトップに立つ人物以外に、怪物の詳細が知らされることはなかったのだ。
エインの言葉に嘘はない。トーヤも彼を疑うことはせず、怪物を睨んだままエインへ呟く。
「……あのミノタウロスは殺さない。然るべき情報を引き出して、どういう経緯でここで人を襲うようになったのか明るみにする必要がある。それでもし、その影に『組織』がいたのだとしたら……」
――必ず尻尾を掴み、その陰謀を阻む。
続いたトーヤの台詞に、エインも緊張の面持ちで頷いた。
昨日購入した短剣型のふた振りの『魔剣』を構える白髪の少年は、トーヤを横目で見やりながら思う。
――リオさんが倒されたのに、どうしてそうも冷静でいられるんだ。一緒に街を歩いた時と、別人みたい……ぼくと戦った時のあの熱とは違う。今の彼はとにかく、冷たい……。
「…………」
トーヤは腰の剣をいつでも抜けるように待機してはいるが、落ち着き払って戦況を見ているだけだった。
シアンたちに適宜指示を飛ばしながらも、戦闘に直接介入したのは先程の【グリッド・レイ】を発動したあの一度のみ。その魔法もどうやら遅効性のようで、まだ効果が発揮されていない。
――あの光魔法が発動すれば勝負が決する、ってこと?
「エイン、あいつを倒すには君のスピードが必要だ。接近してうなじを斬れ。僕がかつてミノタウロスを討った時はそうやった」
早口に告げられた指示に「わかったよ」とエインは腰を軽く落とし、両足に力を込めた。
今の彼にはベルゼブブの【神化】による身体能力の強化はない。だが、身体は当時の動きを覚えていて、それを再現できる自信があった。
仲間に、トーヤに信頼されている――それを意識するだけで、何故だか力が湧いてくるのだ。
「さぁ、行くよ!!」
エインは腹の底から声を張り上げ、ミノタウロスの注意を自分に向けさせる。
こちらを睥睨した赤い瞳に、同色の瞳をぶつけ、威圧に負けない戦意を敵に表明した。
そうして駆け出す。仲間たちをこれ以上傷つけはさせない――そう勇敢に抗う小柄な少年に、【異端者】のミノタウロスは笑みを深めた。
『――フッ、面白い』




