3 ギルド×クエスト
フロッティさんの武具屋を訪れた翌日、僕たちは朝から『ギルド』の本部まで足を運んでいた。
王都フィルンの中央、王城からほど近い所にある白い外装の石造りの建物。その雰囲気は、巨人族の谷で見た神殿に少し似ていた。
門を潜り、広々としたエントランスホールに入る。沢山の剣士や魔法使いたちの間を縫って、僕たちは壁際の大きな掲示板まで近寄った。
「ふむ……意外と依頼の数は多いのじゃな。怪物退治など、軍でやっているものかと思っていたのじゃが」
隙間が見えないほどびっしりと貼られた依頼書を眺めながら、リオが呟く。
鍛冶師のおじさんから聞いていた通り、依頼は郊外での怪物退治と商人や貴族の護衛任務が大半だった。中には洞穴での鉱石採掘や森での薬草集めなど、地道に成果を挙げられそうなものもある。
さて、どれを選ぼうか……と視線を移ろわせていると、その中に見覚えのある名前を見つけた。
「ねえ、あれ……『リューズ商会フィルン支部』って書いてあるよ」
「あ、ほんとですね。地方一の商会でも、こういう所に依頼を出すんですねー。内容は……」
僕が指さした紙面にシアンも目を向け、意外そうに言う。
掲示板の高い位置に貼られた紙に手を伸ばす僕だったが、小柄な体格が災いして届かない。
あーもう、僕の背は何で全然伸びてくれないんだ。そんな風に内心で毒づいていると――不意に、足が床から離れて視点が高くなった。
「う、うわっ!?」
「ふふっ、これで届くでしょ?」
慌てて視線を下にやると、ユーミが僕の太ももの間から顔を上向けてにやっと笑っていた。つまるところ僕は彼女に肩車をされているわけだけど……周囲の人たちの注目を集めているのが少し恥ずかしい。
「ゆ、ユーミ……恥ずかしいよ」
「いいじゃない、巨人族の図体が生きる場面なんて日常生活じゃ少ないんだし。たまには役に立たせてよね」
そう言われると拒めない。赤面しつつ僕が掲示板から依頼書を剥がし取っている中、アリスたちは人ごとのようにお喋りしている。
「ユーミ殿、何だか母性がすごいですね。将来はいいママになりそうです」
「確かに、この面子の中だとエルを除いて一番年上だしな。そういやトーヤはユーミのおっぱいに顔をうずめて『よしよし』されてたらしいじゃないか。実にけしからん、もとい羨ましい!」
「ちょっとジェード、本音ダダ漏れじゃないですか! いい加減自重というものを覚えてほしいですね!」
「まあまあシアンちゃん。これくらい可愛いもんだよ、ジェード君にとってはきみが一番なんだから、どっしりと構えてればいいのさ」
鼻息荒く言うジェードの頭をシアンが軽く叩き、それをヒューゴさんが宥める。ちなみにジェードはユーミが一番年上と言ったけど、実際はヒューゴさんが最年長の19歳だ。小人族特有の幼い見た目のせいで誤解されがちだけど、彼はもう立派な大人である。
「ほら、みんな見てよ。『怪物ミノタウロス討伐任務』……結構いい条件だと思う」
ユーミの肩から降りた僕は、皆の前に依頼書を広げて見せた。
依頼の内容は、フィルンから西の街道沿いに出没するミノタウロスを討て、というものだった。どうやら最近になって出没するようになった怪物は、街道を通る人を頻繁に襲っているらしい。人肉の味を覚え、それ目当てに人を待ち伏せているのだろう、というのがリューズ商会の見解のようだ。
「積極的に人を襲うってんなら、急いで退治しないと不味いですよね……」
「うむ。それに、見るのじゃ。懸賞金の欄、何度か書き換えられた跡がある。いつまで経っても討伐されないから、金を積みまくって人手を募っているのじゃろう」
「ってことは、かなりの強敵ってことよね。――面白いじゃない」
魔道具で消された魔力の残滓を目ざとく見つけ、リオがうーんと唸る。
その隣でユーミは血の気たっぷりの笑みを浮かべた。腕まくりまでしてやる気満々な彼女は、僕に負けじと戦闘好きなきらいがある。
ジェードもユーミに同調する中、どちらかといえば保守派のアリスやシアンは眉間を寄せる。悪魔との戦いならまだしも、それ以外のことで危険に首を突っ込まなくてもいいのではないか――彼女らのその主張には一理あった。
「でも……この依頼を持ちかけてるのが『リューズ商会』っていうのが気にかかるんだ。ミノタウロスの件で依頼を出してるのは、『リューズ商会』だけ。それにこんな喫緊の問題にも関わらず、依頼書は大して目立たない掲示板の上端に貼られていた。……何か、不自然な感じがする」
「言われてみれば、そうですが……それはこの任務を受ける理由にはなりえないでしょう。貼られていた位置については、他の依頼者が移したのではないですか? 金にがめつい商人ならやりかねませんよ」
不自然。違和感。……何だか、嫌な予感がする。
不穏な予感に関してはアリスも確かに感じ取っているようだったが、彼女はわざわざ自分たちが動くほどでもないだろうと思っている。
危険は危険だし、身を案じる彼女らの考えも分かる。否定はできない。
でも――この胸騒ぎを放置することは、僕にはもう出来なかった。
リューズ商会の頂点に立つ男、ノエル・リューズ――悪魔の半数が消滅した今、彼がいつ牙を剥いてもおかしくはないのだ。僕の思い違いや杞憂だったらいいけど、そうじゃない可能性が一ミリでもある以上は無視することは許せなかった。
「ごめん、アリス。リューズ商会の人と接触できる機会なら、これを活かさない手はないって思うんだ。もしかしたら、ノエルさんやルーカスさんについての情報なんかも得られるかもしれないし。討伐任務が大事というより、リューズ商会に近づくためにこの依頼を受けたい。討伐は遠距離から【神器】を使って速やかに終える――これなら、許容範囲じゃないかい?」
ミノタウロスという怪物はそこらの森に生息しているわけじゃない。僕がそいつを目にしたのはたった一度きり、『神殿オーディン』の中だった。入り組んだ洞窟など、ダンジョンのような所に住み着くと言われるミノタウロスが、人里近くにまで下りてくること自体がそもそもおかしいのだ。
何者かの手引きがないと有り得ない。それを行ったのがリューズ商会か『組織』だったら何としてでも止めないといけないし、奴ら以外の何者かでも危険分子には変わりない。
「まぁ、それならいいですけど……本当に、無茶をしませんか? 私、本気であなたの身を案じているのですよ。あなたは修羅の道を進みたがるような人だから……私たちが制さなかったら無我夢中で突っ走ってしまうから、こうして念を押しているのです」
小さな手で僕の手を包み込み、アリスは訴えた。
同じような事を、『ルノウェルス革命』が終わった後にカイにも言われた。自分の身を顧みずに戦いへ飛び込んでいく危うさが僕にはあるのだと、彼は指摘していた。
……戒めないと、いけない。僕を想う大切な人たちのためにも。
「大丈夫、無茶はしないよ。危ないと思ったらすぐに戦線を離脱する。君たちに心配はかけさせない」
確固な意思を込めてそう伝えると、アリスの顔に安堵の微笑みが浮かぶ。
彼女の頭をそっと撫で、それから僕は依頼書を持ってギルドの窓口へ向かった。
依頼を受けるに当たって必要な手続きを済ませ、十分とかからずに皆のもとに戻ってくる。
「手続きは済ませたから、後は準備するだけだね。王城に戻ったら武器や防具の点検をして、明日にでもミノタウロス狩りだ」
皆の顔を順に見て、僕は言う。
これまで共に戦ってくれた、かけがえのない仲間たち。それぞれの瞳に宿る感情を見て取り、僕はそれを尊重する意を彼女らに告げる。
「この任務で相手取るのは、沢山の戦士が挑んでも倒せなかった人食いモンスターだ。恐ろしいと感じるのは当然だし、戦いたくないのならついて来いと強制はしない。
――いいかい、『僕がやるというから付いていく』って考えだけはやめること。僕の決断を信頼して支えてくれるのはありがたいけど、何も考えずに盲信するのは間違いだよ。戦うなら、きちんとした『意志』がないといけない。意志のない人間は、戦場には連れていけないんだ」
今一度、確認する。盲目な信頼は危険を生む――一昨日のエミリアさんとの会話で僕は彼女へそう言ったが、こうして彼女らに直接伝えるのは初めてだった。
彼女らの信頼を心地よく享受できた時代は、終わらせるべきだ。考えの一致なんかなくていい。僕はそれぞれの意思を敬い、大切にしていきたい。
「トーヤ殿……」
アリスやシアンの瞳が一瞬揺らいだのを、僕は見逃さなかった。
僕にどこまでも付いていくと決意してきたのだろう彼女らには、逆に言えばそれ以外の強い意志がない。例えば彼女らと出会ったのが僕でなかったとして、その人次第で彼女らの道は簡単に別のものになってしまうのだ。
突き放すような言い方になってしまったのは、申し訳なく思う。でも、僕は彼女らに信念というものを持って欲しい。特にシアンは【神器使い】になったのだ、いつまでも僕のおんぶにだっこじゃダメだ。
「僕はこれからエインと一緒に武具屋に行く。君たちも明日に備えて必要な準備を進めておいてね」
それでこの場は解散となった。
ユーミやリオが談笑しながら門から通りに出て行く中、二人の少女は俯いて何か考え込んでいる様子だった。
心配そうに彼女らを見つめるジェードに、僕は声をかける。
「シアンたちの側にいてあげて、ジェード。今日はいい天気だから、彼女たちと一緒に街を散歩でもするといい。たまにはふらっと歩くのも、いい事だよ」
「おう、そうする。……それにしても、トーヤ」
ギルド本部の門に背中を預け、雲一つない青空をジェードは仰ぐ。白い日差しに目を細める獣人の少年は、少し掠れた声で答えた。
頷く彼が最後に付け足した台詞に、僕は首を傾げて続きを促す。
「お前、老けたよな」
「……そこは、大人びたって言ってよ」
思ってもみなかった発言に苦笑しつつ突っ込むと、ジェードはからからと笑った。
「ははっ、悪い。――でも、事実だからな。出会った頃と比べて、お前は大きくなった。痛みを知って、それと戦って、ここまで来たんだ。お前は否定するだろうけど、トーヤは強い人間だ。尊敬するよ」
「あ、ありがとう。……にしても珍しいね、君が改まってこんな話するなんて」
「気まぐれだよ。もう一度言えって頼まれても、言わないからな」
僅かに頬を赤くして、目を逸らすジェード。彼の照れる表情は、シアンのそれとよく似ている。
「いいよ、別に。一度だけでも十分すぎるくらい嬉しいからさ」
視線を空から僕へと移しても、彼の目は眩しそうに細められたままだった。
口元を綻ばせるジェードは、芯の通った強い声音で言う。
「明日のミノタウロス狩りに、お前の出番はやらない。俺の【神器】の技のお披露目、期待しとけ」
「うん。どんな技か楽しみだよ」
自信満々に宣言するジェードに頷き、僕はエルとエインの元まで戻った。
現在を司る女神・ベルザンディ様の魔法……一体どんなものなのか、想像もつかない。過去や未来に比べると、「現在」に関わる魔法はいまいちイメージしづらかった。
「さ、行こうトーヤくん! エインくんの新しい武器だけじゃなくて、私もちゃんとした杖を用意したいし、人数分の『魔力回復薬』も補充しないといけないし……買いたいものでいっぱいだよー」
「そういえば、『精霊樹の杖』が折れてからは市販の安物を使ってたんだよね。悪魔の器にされていたとはいえ、壊したのは本当に申し訳ない……」
「ううん、トーヤくんが謝ることじゃないよ。……『精霊樹の杖』の後釜になる杖だから、とびっきりの凄いやつを作って貰おうと思ってね」
「オーダーメイドの杖か。確かこの街には、魔導士専門の店も何軒かあるんだよね」
「ああ。魔導学院のヘルガ学長に教えてもらった彼女行きつけの店が、学園のすぐ近くにあるんだって。魔導士垂涎のアイテムが山のようにあるらしいよ。思い浮かべるだけでワクワクする!」
店に向かう前から既にはしゃぐ彼女の気持ちは、僕も大いに理解できた。その道を極めし者が懇意にしている店ならば、誰もが息を呑む最高級品が並んでいるのだろう。ストルムの武具店のショーウィンドウを食い入るように眺めたことを思い出し――そこまで考えて、僕は顔の筋肉を引きつらせた。
「ヘルガさんの杖とか、マントとかめちゃめちゃ高そうなやつだったけど。まさか必要な装備全部をそこで揃えるつもりじゃあないよね?」
「え……ダメ、かな?」
小首を傾げ、上目遣いに訊ねてくるエル。
透き通った翠の瞳に見つめられ、僕は「ダメだ」と言おうとした口を閉ざしてしまう。
最初にエルの目を見た時から、僕はその瞳の美しさに惹かれてきたのだ。こういう上目遣いには、どうしても弱い。
その弱点を分かっていてあざとい仕草を仕掛けてくる彼女が憎らしい。それと同時に、堪らない愛おしさがこみ上げてくる。彼女が僕以外の他人にそんな顔を見せることは、決してないのだ。
「……しょうがないなあ、もう。今日の出費は明日の『ミノタウロス狩り』で必ず取り返すからね!」
「ありがとー、トーヤくん! 大好き! 愛してる!」
ぎゅっとハグしてくる彼女の愛情表現は、いつだってダイレクトだ。
人前ということで流石に恥ずかしかったけど、胸の奥がじんわりと熱くなる。
彼女の頭を優しく撫でていると――前を歩くエインが、振り返ってこちらを見つめていることに気がついた。
その少し寂しそうな視線を受けて、僕の手と、それからエルの手は同時に動いていた。
「ほら――これで、君もあったかいよ」
「エインくん、これが『愛』さ! ふふっ、素敵だろう?」
エインの右手は僕が、左手はエルが。それぞれ手を繋ぎ、互いの温度を共有する。
僕たちよりも少し年下の少年は、目を見張って驚いた様子だったが……やがて、くしゃっと破顔する。
「温かい……本当に、温かいね……」
例えその手が義手だったとしても、この温度は変わらない。
この気持ちを忘れずに抱いていてほしい――彼の手を慈しむように握りながら、僕たちはそう願うのだった。




