8 潮騒の家
おじさんたちのご厚意で、僕らはノエルさんの馬車がこちらに来るまで、仕事を手伝う代わりにタダで宿に泊めて貰えることとなった。
しばらく家からは離れるので、エルはスレイプニルを宿の厩に移動させるため一旦村へ戻っていった。
元奴隷の獣人の若者たちは、せっせと慣れない接客の仕事に応じていた。
僕は、彼らと共に働きながら、なんだか幸せな気分になっていた。
「はぁ、疲れたね」
僕は、茶色い髪に黒い瞳の犬耳が可愛らしい女の子、シアンに話し掛けた。
僕らは階段の隅にちょこっと腰掛け、顔を見合わせて笑う。
「そうですね。私は、このような仕事をしたことが無かったので、少し戸惑っている部分もありますが……あなたと一緒なら頑張れます」
シアンは頬をピンク色に染め、恥ずかしそうに言った。
僕は、シアンを始めとする元奴隷たちの僕に対する敬語が気になっていた。
「そんなに堅い口調じゃなくてもいいのに……」
「いえ、トーヤさんと、ノエル様は私たちの恩人ですので……そんな、慣れ慣れしく話すのは、少し、抵抗がありまして……」
「そっか。気持ちは嬉しいんだけどなぁ。いつか、敬語無しで君と話できたらいいね」
シアンは更に顔を赤くさせ、熟れたリンゴのようだった。
そんなに、僕と話すのが恥ずかしいのかな?
僕が困惑していると、サーナさんが僕の頭を箒で叩いた。
「……こら、サボっちゃ駄目。……そんな所で話してたらお客様の迷惑になる」
僕は「すみません」と潔く謝り、階段を降りて厨房へと向かっていった。
後ろで、サーナさんとシアンが何やら話しているようだったが切り換えて仕事に専念する。
「トーヤは、言われないと私の気持ちに気付けない。そういうとこ、あるから……」
「そ、そうなんですか?」
「うん……。だから、あんたには無理だね……。あんた、自分の本心からの気持ちを相手に伝えるの、苦手でしょ?」
「…………」
「いい働きっぷりね、皆。この調子で頑張ってちょうだいな!」
おばさんが、食堂から大量の食器を持ってきて豪快に笑う。
僕と一緒に流しで皿を洗っているのは猫耳がとても可愛らしい双子の女の子、プレーナとフローラ、そして犬の獣人の少年、ジェードだ。
「なあ、トーヤ。俺、疲れた。もう、休んでいいか?」
「もう少し頑張ろうよ。まだお皿は沢山残ってるよ」
ジェードは僕が言うと敬語をすぐに直してくれていた。彼はもともと、敬語が苦手だったという。
対する双子のプレーナとフローラは、シアンと同じく敬語で僕に話しかける。
別にそれでもいいのだけど、「さん」付けで呼ばれるのはなんかむず痒かった。
「ジェードは怠け者ですねー。トーヤさんを見習って、もっとしっかり働いてください。私たちはトーヤさんに救われた。だからその恩返しをしなくてはならないのです」
青っぽい黒のショートヘアのプレーナが言うと、ロングヘアのフローラがこくこくと頷く。
プレーナはおしゃべりで、僕によく話しかけてくる。一方フローラは無口で、何を考えているかは分かりにくいけど、数日間過ごすうちに尻尾と耳の動きでなんとなく気持ちが察せられるようになった。
獣人の尻尾は嘘をつかないということも、僕は突き止めた。嬉しい時は尻尾をブンブン振り、嫌な気持ちの時は股の間にきゅっと尾を挟むのだ。あれどうやってんだろう。人と動物が混じってるのはなんだか不思議な感じだ。
「さあ頑張りましょう! フローラ、ジェード!」
「わかったよ、プレーナ」
ようやく皿洗いが片付いてきた頃、エルが戻ってきた。
「ただいま……」
エルは、とても疲れたような表情をしている。
「遅かったね、何かあった?」
僕は気になって訊ねた。
エルはテーブルの上の水差しから水を勢いよくあおり、ぷはっと息をついた。
「それがね……ほら、スレイプニルは珍しい見た目をしてるだろ? 物好きなおじいさんに捕まっちゃって。しつこくスレイプニルを欲しがって……撒くのに結構時間がかかったんだ」
「ははは……ご苦労様」
僕は苦笑した。三角巾を口に当てたサーナさんが、箒と塵取りを持って階段から降りてくる。どうやら上の掃除は終わったようだ。
「エル、よく帰ってきたね」
「ただいま、サーナさん」
二人の間にバチバチッと電流が走る。
エルは、サーナさんが僕に好意を抱いていると知ってからずっとこの調子だった。サーナさんも、エルと接する時だけ、敵対心を剥き出しにしていた。
「私がいない間に、トーヤくんに何か変な事してないよな?」
「どうかな? 何かあったとしてもあんたには言わないけど」
「そ、それはどういうことだい!?」
サーナさんはエルを挑発する。一触即発の雰囲気になったので、僕は間に割って入った。
「まあまあ、落ち着いて。二人共大好きだから、僕のことでいがみ合うのはやめてよ!」
僕が言うと、二人は顔を輝かせた。特にサーナさんの笑顔が眩しい。
あ、言うんじゃなかったな……。これじゃ変な誤解を招きそうだ。
「トーヤ、大好き……」
「ちょっと待てよ、トーヤくんは私だけのものだーっ!」
僕は引きつった笑みを浮かべ、そーっとこの場から退却した。
エルがサーナさんに食ってかかってるけど、僕が何か言うとサーナさんが過剰に反応してしまう気がしてこれ以上口出しするのはやめた。
廊下に出ると、ドアのそばで聞いていたのか、シアンがビクッと可愛らしく飛び上がった。
「ト、トーヤさん……あの、あのお二人とはどんな関係なんですか?」
「えっ……それは」
僕は言葉に詰まってしまった。
気まずい沈黙が二人の間に流れる。
その空気を壊したのは、おばさんの怒鳴る声だった。
「こら! なにやってんの!」
エルたちが何かやらかしたようだ。
僕とシアンは、思わず顔を見合わせ、苦笑した。




