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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

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46  次代の英雄へと

「ねぇ、女王様。私はずうっと、あなたに心酔していたんだ」


 男は独白する。

 自らの根元的なルーツである女性に。かつて世界を統べ、人の心を捨ててからは代行者リューズに役目を譲渡した彼女に。


「あなたが作った世界が好きだった。そこで生の営みを繰り返す人間や亜人たちが、いとおしくて仕方なかった。国を管理、運営する仕事も……退屈ではあったけれど、嫌いではなかった」


 彼は高層ビルの屋上から、瓦礫の山となった王城を見下ろしていた。

 男の顔には、ある種の不気味ささえ感じさせる微笑みが浮かんでいる。もたらされた災厄を映し出す瞳は、血のように赤くたぎり暗い。


「イヴ様。あなたはこの世界を壊し、新しい世界へとリセットしようというのでしょう。私もそれには反対だった――だけどね、気づいてしまったんだ。この苦難を乗り越えた先には、次代の英雄が作り上げるより良い世界が待っているのではないかと」


 アースガルズの神として国を守り、戦う――それこそが正道だ。彼も一度は戦場へ赴くトールに同行しようとした。しかし、結局は優しい雷神に止められ、オーディンの意思もあってそれは叶わなかった。

 

「正道なんて面白くない、私は邪道を歩む。なぜなら私は【トリックスター】だから――歴史という物語の歯車を回す存在でありたいから、世界に試練をもたらすのさ」


 ロキは英雄を欲していた。女王イヴの支配に先がないことを察していた彼は、次なる時代を切り開くリーダーを求めていた。

 そのためだけに、彼は【ユグドラシル】全体に試練を下す。襲い、壊し、滅びの寸前にまで追い詰め――そこで立ち上がった素質ある者を集め、新しい国を生み出すために。

 イヴとは異なり、彼は世界を完全に破壊しようとはしていない。あくまで「壊滅寸前」まで負荷をかけることが、彼の目的であった。


「『アースガルズ』の神たちは特権を貪り、怠惰になりすぎた。あの会議でそれがよく解ったよ。トールや私のように立ち上がろうとした神は、そのうちの半数にも満たなかった。口だけで命を捨てる気が更々なかった者も、どれだけいたか。元々長くないと思っていたけど、この一幕で決心がついたよ」


 世界蛇ヨルムンガンドは王城の地下に設置されていたロキの『転送魔法陣』から出現し、床を突き破って地上まで進出していた。

 毒々しい紫の光を纏って躍り上がった怪物は、その一瞬で何百といた王城の役人や使用人たちを吹き飛ばした。建物の崩落に巻き込まれ、咄嗟のことに防壁魔法の展開が間に合わずに落命した【神】も、少なくなかった。死んだ神の殆どは、もう長いこと戦闘を行っていない者であった。


「さぁ行こう、ヨルムンガンド。私の可愛い息子よ。共に世界を破壊へ導き、新たな国を創造しよう」


 毒の呼気と体から滴る毒液を撒き散らし、車を曳き潰しながら大通りをばく進するヨルムンガンド。

 その蛇にロキは呼び掛け、ビルのフェンスを飛び越えると空中へ身を投げ出した。

 狂ったように笑い声を上げ、ロキは両腕を広げて落下していくが――すぐさま世界蛇はそれを感知し、落下地点を予測してそこで待機した。

 蛇の背面から伸びてきた触手が朱髪の神を絡め取り、鈍く輝く光沢のある頭部へ載せる。

 怪物の頭上から眼下の狂乱を眺め、ロキは囁いた。


「じゃあ、まずは『聖魔導学園』へ向かおうか。流れる血は清ければ清いほどいい」



「おい、お前! こっちは味方だぞ!」

「止めろ、来るなッ! 剣を収めろ! 俺たちは敵じゃな――」


 夜の戦場を彩る狂騒はアースガルズ軍から上がっていた。

 目の前を走っていた兵士が突然背後を向き、抜き放った剣で味方に斬りかかる――そのような同士討ちが突如として発生していた。それも一件のみならず、同時に何十件も。

 戦場はたちまち混乱の渦に呑まれた。それを満足げに見渡しているのは、ヴァナヘイム軍のミーミル大将である。


「ふむ、滞りなく魔法が発動したようだな」

「いつ見ても気味の悪い魔法だな、それは。そいつを十八番にしてるこの男は、もっと気色が悪い奴だ」

「何とでも言え。我が軍が手を下すことなく敵が消耗するのだから、これが最も利にかなったやり方なのだ。非は、精神錯乱系の魔法の対策を怠った敵にある。と言っても……私の魔術の侵攻を止められる魔導士が敵側にいるとは考えられないがね」


 なじってくるオーズに、ミーミルは一切悪びれる様子もなく言い返した。

 敵軍にいる【神】はトールだけだ。他の神が合流したのなら、その瞬間の僅かな魔力の高まりを感知することで気づける。体内の魔力量が多い高位の魔導士は、常に微量の魔力を体から放散しているため、それを捉えることさえ出来れば接近を知ることは容易いのだ。普通なら見逃してしまうであろうそれも、ミーミルの慧眼は決して見逃さない。


「敵の意識は、少なからずアスガルドで目覚めた怪物へと引き付けられた。兵どもには不安が付きまとい、その正体を知っているトールなどは気が気でないだろうよ。対してこちらには何を懸念する必要もないのだ――というと語弊があるが、まぁとにかく、今のうちに攻めてしまえということだ」


 この平原の戦場において、地形を利用した奇策といったものは演出しづらい。戦局を左右するのは、何より魔法である。

 そしてその魔法において、ミーミルはトールに負けるなどとは一切思っていなかった。

 正面衝突したらもちろん力負けしてしまう。だが、今のような搦手なら――【神】随一の火力を誇るトールをも陥れるのも不可能ではない。


「フレイヤ閣下、ここは私にお任せあれ。日が昇る前に片をつけて見せますよ」


 揺るがぬ自信をもって、彼は主君に宣言する。

 その言葉を無言の微笑みで受け止めたフレイヤは、戦場に用意された玉座に腰を下ろし、そこから光魔法で照らし出された敵軍を睥睨するのだった。




 それから少し後。アースガルズ側の戦場上空にたどり着いたシルとグリームニルは、透明化の魔法を保ったまま混乱の最中にある軍隊に目を走らせ、指揮官の【神】を探していた。

 赤髪赤髭の大柄な男――すぐにトールの姿を視界の隅に捉えたシルは、グリームニルの手を引いて雷神のもとまで急降下していく。


「トール様! シル・ヴァルキュリアです、援護に参りました!」


 彼女はそう声を張り上げながら、透明化魔法を解除した。

 いきなり現れた二人に驚愕しつつも、トールは眼前の女が本物のシル・ヴァルキュリアだと認める。彼はシルと面識があり、声や仕草に覚えがあった。

 万が一、彼女が偽物であった場合のことは考慮に入れていなかった。それが戦場で指揮を執る者として失格の行動だと、本来の彼ならば分かっているはずだった。だが、ヨルムンガンドが出現し、自軍が敵の魔法により滅茶苦茶に乱されてしまっている今――トールには全く余裕がない。

 希望はこれしかない、そう彼はシルにすがってしまった。


「シル・ヴァルキュリアか――ロキから話は聞いていたが、ヴァナヘイムから脱出できたのだな。何があったかは後で訊こう、今はまず目先の問題を処理するのが最優先だ」


 早口に捲し立てるトールに、シルは頷いた。

 細かく追求されなかった幸運に感謝しつつ、金髪の魔女はトールへグリームニルを紹介する。


「この子はグリームニル。とても信頼できる、私の同志です」

「会うのは初めてですね、トール様。貴方のことはオーディン様からよく聞いています」

「ほぅ、お前がグリームニルか。オーディンは生意気なガキだと言っていたが、思ったより大人しいな」


 爽やかに微笑んでお辞儀した少年に、血と泥にまみれた男は率直な印象を述べた。

 グリームニルが顔を赤くして俯いている間、シルはトールへ状況の確認を行う。

 ヴァナヘイム軍との戦闘は、トールが参戦してから敵の神の魔法が発動するまで互角であったこと。だが現在は自軍に同士討ちが発生してしまっていること。そして、その魔法を解除できる魔導士がこちらにいないこと。

 そこまで飲み込んだシルは、最初に自分がやるべきことを見出だした。


「私が敵の錯乱魔法を解除します。これでも、ユグドラシルでイヴ女王の防壁を打ち破った経験がありますから。大船に乗ったつもりでいてください」

「ああ、任せた。だが気をつけろ――敵軍にいるのは恐らくミーミルだ。あの賢者から一本取るのは相当に厳しいぞ」

「強敵なら、それだけ燃えます。やってみせますよ」


 確かな実績が彼女の自負となり、背中を押す。

 羞恥に悶えていたグリームニルも復帰して、トールに質問を投げ掛けた。


「トール様。アスガルドでは何が……?」


 雷神は唇を引き結んだまま、しばらく声を発しなかったが……ややあって、苦渋に顔を歪めて答えた。


「ヨルムンガンド――あの毒蛇が、下層から転送されて王都に出現したのだ。どういう仕掛けで登場したのかは、俺にも分からないが……」

「いえ、それが分かれば十分です。――シル」


 浅葱あさぎ色の髪をした少年はシルを見上げ、シルは彼の瞳からその意思を察した。

 

「グリームニル……ミーミル様の魔法を解除でき次第、すぐに追い付くわ。だから、急いで!」

「ああ――信じているぞ」


 そう言い残して再び飛び立つグリームニル。

 二人の信頼関係を頼もしく感じるトールは、周囲の魔法に犯されていない兵士たちへ指示を出した。

 ミーミルの錯乱魔法を受けているのは前線の兵士に限られ、後方の司令部に被害はない。温存されて余力を大いに残している兵士たちは、雷神の命でシルを守るための陣形を組んだ。彼らの大半は魔導士であり、彼らが作り出した結界により外部からの魔法の干渉はある程度シャットアウトされる。


「【万象を映し出す、真実の鏡】!」


 前方広範囲に発動中のミーミルの秘術。まずはその特性や【魔法式】を暴き出し、対策魔法を練るのだ。

【時幻領域】を編み出して以後のシルは、魔導士として至高の領域に昇華していた。即興で新たな魔法を生み出し、どんな敵にも対応できる柔軟性――それは、他の神々と比較して特定の属性のエキスパートではない彼女が持つ、最大の強みである。


「ミーミル様――あなたの魔法、見えました!」


 シルの眼前に浮かび上がった円形の鏡は、その銀面に彼女の顔ではなく長大な【魔法式】を映している。

 敵の魔法は広範囲に及んでいる分、端の方などに綻びが生じるリスクがどうしてもあった。シルはそこを突いて、鏡から発した光で敵の魔法をスキャンし、その情報を手に入れたのだ。

 後は適切な解除魔法を紡ぎ、発動するだけ。

 迅速な【永久の魔導士】の手際に周囲の兵士たちが称賛の声を送る中、彼女は小さく微笑んで彼らに応じた。


 ――何十行に渡って式は続いていた。これだけの長さなら、魔法の再発動にはかなりの時間と魔力が必要なはず。恐らくこれが切り札……ならば、ここを崩せば敵に後はない!




「……! 何者かが私の魔法を読み取ったようだ」


 ミーミルはシルの行為にすぐさま感づいていた。

 だがしかし、彼の横顔に焦りは見られない。どこまでも冷静沈着な知恵の神、それがミーミルという男なのだ。


「アースガルズ側も流石に次の【神】を送り込んできた、ってとこか。【神】には【神】を――昔の戦争の再来じゃねぇか、こりゃあ」

「ふふっ、それも一興。あの大戦はイヴ女王が調停に入ったことで、決着がつかぬまま終わったのだ。ここであの時の勝敗を決めるのも良かろう」


 舌打ちしながら敵陣を睨むオーズに、なおもミーミルは笑って声を返した。

 彼にとっての戦争は遊戯。戦場という盤の上で駒をぶつけ合う――戦闘そのものに酔いしれたオーズとは別の方向で、彼もまた戦争を楽しめる人種だった。もちろん、それを大っぴらに部下たちに言うことはないが。

 と、そこで金髪の巨漢の神ヘーニルが、知恵の神にひとこと忠言する。


「ミーミル、油断はするな。現場ではそれ一つが命取りになる」

「……持つべきものは良き戦友だな。ヘーニル、お前の【神器】を歩兵どもに持たせておけ。あれをやるぞ」


 最も長い付き合いの神に感謝し、ミーミルは改めて気を引き締める。

 眼鏡の奥の眼光が見据えるのは、敵の盲点となる新兵器の存在だ。眠れる虎を目覚めさせる時が来たのだと、賢者は相棒の神に告げる。


「……本当に、使うのか。あれは一度『解放』すれば二度と元に戻らない代物だぞ」

「何のためにわざわざお前に【神器】を作らせたと思っている? 半端者のお前に眠れる能力を見いだし、伸ばしてやったのに……活かさないなど宝の持ち腐れでしかあるまい」


 ヘーニルの躊躇をミーミルは一蹴した。

 戦場で油断をしてはならずと相棒は言うが、兵器を出し渋るのはそれ以前の問題だ。

 だからお前はいつまで経っても私を越えられないのだ――そう賢者は毒づき、ヘーニルの背中を遠慮ない力で叩く。


「言われずとも理解しているはずだ。どんなに非人道的な手段であっても、やらねばならぬ時もある。それが今なのだ」


 彼の言葉を受けてもヘーニルはしばしの間逡巡しているようだったが、やがて意を決したのか深く息を吸い、そして吐き出した。

 フレイヤがいる背後の天幕を一瞥し、そこから彼女が戦場を観察しているのだと強く意識する。ヘーニルにはもう、迷う理由はなくなっていた。

 金髪の神が何名かの士官を呼び、渡した【神器】――それは長さ15センチメートルほどのピックのような形をしていた。特殊な金属で製造されたそれは羽根のように軽く、色は墨色。

 手に取ったそれを怪訝そうに見つめる部下たちに、ヘーニルは硬い口調で言い含めた。


「前線に出たら、敵の射程範囲ぎりぎりまで近づき、これを己の腕に刺せ。間違っても我が軍の兵士たちの側では使わないこと。お前たちが出撃するタイミングで、こちらの兵たちは一旦後退させる」

「へ、ヘーニル様。これは一体……?」

「質問はなしだ。――俺が育てた精鋭として、お前たちのことは誇りに思っている。国のために飛び立ち、英雄となれ、偉大なる戦士たちよ」


 最悪だ、とヘーニルは内心で自身を罵倒せずにはいられなかった。

 それでも彼は、有無を言わせず部下の士官たちを戦場へ送り出す。彼らの大半は未来ある尉官たちだ。少佐へ出世間際の者も、中にはいた。


「そう待たずして、私の錯乱魔法は解除されてしまうだろう。すぐに彼らを投入できるよう、至急準備を進めるように」


 敵軍に合流した第二の神の実力を、ミーミルは高く見積もっていた。相手はイヴ女王による絶対の法を破ってここまで来たのだから、それだけの覚悟を持っているはず。強い覚悟は大きな【心意の力】を生み出す――従って、敵が予想外の大技を繰り出してくる可能性は少なくないのだ。

 

「気がかりは、アスガルドに出現した世界蛇だが……これについては都市のスパイからの連絡を待つ他にない。

 さて……アースガルズ軍には、しばらく我々のショーに付き合ってもらおう。狂乱と殺戮のパレードだ、きっと楽しくなるだろうよ」


 そう呟きを落としたミーミルの顔に、既に笑みはなかった。



 これはどういうことなのか――誰でもいいから答えを教えてほしいと、ノアは切に願っていた。

 だが彼女の望みに反して、誰もがその問いに応じる余裕がなく、またその答えを知らなかった。

 ヨルムンガンドが出現した瞬間、彼女はアスガルド王城内にいた。防衛魔法を用いて崩落から身を守り、降りかかった瓦礫を無理やり吹き飛ばして脱出することは叶ったが――それから視界を埋め尽くした惨状に、言葉を失うしかなかった。


 かつての栄華の跡形もなく、瓦礫の山と化した王城。その煉瓦の下で潰れ、はみ出している人の腕。

 予告もなく登場した怪物に街の人々は逃げ惑い、王城周りの通りは世紀末のごとき狂騒で満ちている。

 無秩序にサイレンを鳴らす警察も消防も、事態の解決には全く役に立たなかった。魔導士でも軍人でもない彼らが世界蛇を食い止めることなど、決して有り得る訳がないのだから。今の彼らには、ただ民たちに危険を知らせることくらいしか許されていない。


「……っ、戦うしか、ない!」


 今夜も神々は円卓で会議を行っていた。つまり主要な神は皆、王城内にいたのだ。

 そのうちの何名が生き残れたのか――残酷な現実を直視するのが恐ろしくて、ノアは思考を「戦い」のみに向ける。

 ヨルムンガンドを倒し、それを操っている黒幕も討つ。ノアにやれることはそれしかなかった。


 瓦礫の散らばった地面を蹴り、常人離れした速度で飛ぶように駆け、女は南の通りへ移動している大蛇を追う。

 付与魔法で自身の身体能力を大幅に強化している彼女は、軒を連ねる店の屋根上を猛進した。

 

「まだ、遠い……!」


 ヨルムンガンドの速度は図体に似合わずかなり速いようで、ノアが全速力で走ってもなかなか互いの距離が縮まらなかった。

 そうしている間に、ノアは蛇の進行方向に何があるのか思い出して表情を歪める。

 このまま行けば、ヨルムンガンドは『聖魔導学園』に直撃する。そうなれば、抵抗する間もなく生徒たちは毒牙の餌食となってしまうだろう。それだけはさせられない。あそこには、この国の未来のリーダーとなる子供たちが沢山いるのだ。


「エル、ハルマ、パール――あんたたちを死なせはしない! 私が、何としてもあいつを食い止めなきゃ……」


 通りを一本まっすぐ進めば、突き当たりはもう魔導学園だ。その通りに辿り着いたノアは、学園の城壁まで迫ろうとしている大蛇の背中を照準し――氷魔法の攻撃を放つ。


「【氷晶の剣】!」


 女傑が抜き放った『白銀剣』から打ち出される、氷の魔力を纏わせた突き攻撃。剣から光線のように伸びた絶対零度の純白が、世界蛇の背面の鱗の一部を穿った。

 鎌首をもたげていた蛇が、その衝撃に大きく仰け反る。痛みにもがき、振り払われた尻尾が辺りの建造物を薙ぎ倒した。

 コンクリートとガラスの雨が地面を打つ中、防衛魔法で身を守るノアは世界蛇の頭部に立つ何者かの姿を捉える。


「……あれは……?」


 遠目にも分かる朱色のローブに同色の髪。【トリックスター】、ロキだ。

 彼はこちらを振り向き、道化のような笑みを浮かべながら悠々と手を振っている。

 その態度の意味するところが判然とせず、ノアは無言でその神を見つめることしかできない。

 彼女が黙っているのも意に介さず、ロキはよく通る玲瓏な声で名乗り上げた。


「レディース&ジェントルメン! 私はロキ! ユグドラシルに恐怖と破壊をもたらす者だ! これから私の演出する怪物たちの舞台が幕を開ける! どうか楽しんでくれたまえ! 物語の結末を選ぶのは、あなたたちなのだ!」


 握った杖でぐるりと周囲で逃げ惑う者たちを指し示し、ロキは高らかに笑う。

 新しい英雄を生むために、神は民たちに試練を課す。自らが悪役を演じ、物語の道筋を提示しながら、彼はイヴの後継者となりうる英雄を求めていた。

 その真意を知らないノアは、ただただ困惑するしかなかった。いや、知っていたとしてもロキのやり方を理解はしなかっただろう。破壊から新たな英雄を導き出す――その手口はイヴのそれと酷似している。


「ノア……前時代の【女王の影】よ。君もこれからの世界の礎となれ。君は世界の記憶を継承している貴重な人材だから、私にとって何より必要なんだ。共に来ないかい……君も、イヴ女王の世界に先がないことは気づいていたはずだ。私の手を取るのも、悪い選択ではないと思う。どうかな?」


【ユグドラシル・システム】に干渉し、その意思を変えてのけた稀代の英傑ノア。

 彼女こそが、シル・ヴァルキュリアと並んで次の時代のリーダーになりうる人物だとロキは見ていた。

 怪物の進路を反転させ、ノアとの距離を詰めた彼は、彼女を見下ろして手を差し伸べる。


「あんたの目的は何……? 舞台だの、物語だの、演出家気取りで何をしようとしているんだ?」

「おっと、ネタバレは禁物さ。真相は全てが終われば自ずと明らかになるよ」


 はぐらかすロキ。彼は自分の真意を他者と共有しようとは微塵も思っていなかった。

 世界の破壊を企む悪神――ロキの思惑通りに彼を捉えたノアは、差し伸べられた手を叩き払う。


「あんたに協力なんてしない。破壊は何ももたらさない――私はそう信じている」

「そうかい。では、戦う他になさそうだ」


 ロキの意思に呼応して世界蛇が咆哮を上げる。大地を揺るがすような大音声にもノアは怯まず、毅然とその怪物を見上げた。

 全長100メートルを超す巨大な怪物。これを一人で相手取るなど、果たして可能なのだろうか? 

 ――いや、何も考える必要はない。できるかできないかではなく、やるか、やらないかだ。そしてその答えは決定している。


「【風よ――舞い上がれ】!」


 ノアはその起句から魔法の詠唱に突入する。

 夜の都市というフィールドを舞台に、この時代における女傑の最終戦が幕を開けた。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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