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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

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45  脱出・登場・謀反

 独房の扉を解錠しながら、その女は名乗った。


わたくしはクィリナ。この国の最高裁判所で長官を務めている者です」


 部屋に立ち入ってきて自分を見下ろしてくる彼女に、シルはしばらく言葉を返せなかった。

 状況がいまいち判然としない。あのフレイヤがこれほどまで早く囚人の釈放を決定づけるなど、現実的ではない。女神がシルたちを解放するメリットはさしてなく、あるとすればシルたちを敵国の誰かと交換する形で、ということになるが……。


「クィリナ、さん。私たちはどうして、今になってここから出られるようになったのですか……?」

「私が出してやりたいと考えたからです。貴女の活躍は聞き及んでいました故、こんな場所で腐らせておくのも勿体ないと感じました。貴女たちがいるべきは戦場――そうでしょう?」


 ベッドの側に腰を落としつつ、クィリナという女性は告げた。

 彼女の台詞にシルは瞠目する。――この人は、フレイヤの意思に縛られていない。

 シルの内心の驚きを察したのか、クィリナは苦笑して話を続ける。


「私の肩書きを聞いたでしょう? 他人の意思に簡単に踊らされるような小物が、ここまでのし上がれると思えますか」

「いえ、失礼しました。クィリナさん……本当に、ありがとうございます。どんな思惑があれど、牢から解放してくれるのなら、あなたは私たちの恩人です」


 当然ながら若干の警戒を残したシルの言葉に、最高裁長官の女は腰のポーチから取り出した小瓶を返礼とした。

 それをシルの手に握らせて、クィリナは早口に説明する。


「それを飲めば、貴女の体から失われていた魔力は復活します。フレイヤ様が私に預けていた、彼女の魔法の解除薬になります」


 万一間違った魔法の使い方をした時に止められるように、フレイヤが予め彼女に近しい者に渡していた魔法薬。

 それを使う時は今だとクィリナは判断し、限りのある薬を惜しまずシルへ譲った。

 礼を口にしてから小瓶の蓋を開けるシルを横目に、グリームニルの牢へと足を運ぶ女は、現在の状況を二人に知らせる。


「ヴァナヘイムとアースガルズとの戦争は、開戦から二週間が経った現在も未だに続いています。戦況は我が国の軍が圧倒的に優位で運んでいましたが、どうやら敵軍に【神】の増援があったようで……勝負の行方がどうなるのか分からないのが現状です」

「【神】が、戦に!? それは法で禁じられていたはずなのに――まさか、あのオーディン様が許可を下したというの……?」


 病み上がりにも関わらずがばっと上体を起こし、浅く息を吐くシル。

 そんな彼女にグリームニルは頭を振って答えた。


「あり得ない。規律が人の皮を被って歩いているような【神】がオーディン様なのだから。……それが事実だとしたら、おそらくはその神の独断によるものだろう。誰かは不明だが、その神は国を守るために命を賭したのだ」


 金髪の魔女は息を呑み、それから安堵した。イヴ女王が敷いた絶対の法――それを正義のために破れた神がいた事実は、彼女にとって非常に心強いものだった。

 戦場に戻ったらその神に協力を持ち掛けてみよう、と彼女が決めるなか、クィリナはやや切迫した口調で言った。


「女神フレイヤはその【神】の出現を受けて戦場へ飛びました。この宮殿にあの方がいない今しか、脱出の好機はありません。お二人の回復が済み次第、私が案内しますので外へ向かいましょう。脱出ルートは確保してあります」


 裁判官の長に迷いはないように見えた。だが年若いシルとは異なり、グリームニルは彼女を完全には信用していない。

 けれど、彼女から渡された薬により彼の魔力が急速に回復してきているのも明らかである。自分達に敵対する相手がこちらを利する行為をするのは、不自然ではないかとも思える。

 この者を信じて良いものか、とグリームニルは逡巡していたが――ややあって、決断した。


「クィリナ殿。あなたに我々の命運を預けるぞ」


 少年の青みがかった翠の瞳が、女をまっすぐ見つめる。

 クィリナは力強く頷いた。――彼女は女神フレイヤに起こった異変に早いうちに気付いた者の一人であり、グリームニルが地下牢に送りとなった理由にも感づいていた。彼女も少年と同じく、フレイヤには以前のような穏やかな人物に戻って欲しいと願っている。だからこそ、歯痒かった。クィリナも魔導士の端くれだが【神】たちのいる領域には未だ達していない。せめてグリームニルたちを解放してやることで、悪魔を払う一助としよう――それがクィリナがこうして行動に出た動機だった。


「そろそろ魔法薬の効果もだいぶ出た頃かと思います。……では、行きましょうか」


 二人が回復したのを確認して、クィリナは廊下へ出て彼らに手招きした。

 彼女が向かった先は上階に繋がる階段ではなく、むしろその反対の突き当たり側であった。それをシルたちは怪訝に思いながらもついていく。


「…………シル」


 重く冷たい空気が充満する廊下を進む最中、シルは無意識のうちにグリームニルの手を握っていた。

 長らく触れていなかった人の温もりに、グリームニルはこんな状況にあっても僅かに心地よさを抱いてしまう。

 ――彼女は若い故に無我夢中で危地に飛び込んでしまう面もあるが、その優しさや人類を愛する気持ちは本物なのだ。この手の温度をいつまでも共有していられたら……と願うのは、私に許されることなのだろうか。


「シル。私は……お前に憧れていたのかもしれない。自分の正義のために戦う、そんな単純なことさえも、長い時の中で忘れてしまっていた。お前は私にないものを持っていて、私はそれが欲しかったのだ」


 孤独だった少年は、躊躇なく己の内面を吐露する。

 自分を見上げてくる彼をシルはしばらく見つめていたが……やがて、彼女は少年の柔らかい髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱した。

 いきなりのことにグリームニルは頬を微かに赤くし、吃りながら言う。


「なっ、なっ何を……!?」

「あなたはもう、その心を持ってるわ。そうでしょ?」


 凪いだ瞳で視線を返すシルは少年に微笑みかけた。

 その表情と言葉に胸が締め付けられるような切なさを覚え、どうしようもなく目頭が熱くなったグリームニルは、照れ隠しに見せ掛けてわざとらしく俯く。


「お二人とも。ここからは少々狭いですが、ご容赦ください」


 廊下の突き当たりで立ち止まったクィリナが二人を振り返る。

 これ以上進める道がないということは、隠し通路か――二人が思い至ったのを察して、彼女は特に解説することなく携帯端末を操作し出した。

 間を置かず、何もないはずだった壁が丁度ドア一つ分ほどの大きさの長方形に窪み、次には左右に開くようにスライドする。その先は真っ暗闇であるが、恐らくは宮殿外に直結している隠し通路に違いない。


「あぁ、この通路については口外禁止でお願いします。それと私が手引きしたということも、決して漏らさないように。いいですか、例え女神フレイヤに訊かれたとしても、絶対に言ってはいけませんからね」


 強い言葉で念押ししてくるクィリナに、二人は首を縦に振る。彼女は女神から首を跳ねられるのも覚悟で立ち上がったのだ。その意思を無下にすることなど、できはしない。

 杖先に光を灯して狭い道を足早に行くクィリナの後に、シルたちも続いた。

 三十分ばかりかけて長い廊下を歩き、それから短い螺旋階段を上っていく。

 その間、三人は無言であった。知る者が少ない隠し通路とはいえ、何者かが潜んでいないとも限らない。クィリナのみならずシルたちも杖を構えて警戒し、彼女らはしばし見えざる恐怖と戦うことになった。


 階段を上がりきったクィリナは、梯子を足掛かりに天井の出口に手を伸ばす。

 彼女がその蓋を裏側から押し上げると、外の鬱蒼とした木々が視界に映った。ざわざわとした葉擦れの音や、冷たく抜けていく風の音が耳に入り込んでくる。

 先を行ったクィリナの手を借りて外へ出たシルとグリームニルは、隠し通路の出口周辺をぐるりと見渡してみた。


「……森、のようだな。ここは宮殿の裏なのか?」

「はい。宮殿の各階にはこのような隠し通路が幾つか存在しており、その全てがこの森に通じるようになっているのです。歴史上でも使われたことはかなり稀ですが」


 宮殿に約二年勤めてきたグリームニルは、出口が何処なのかすぐに悟った。

 クィリナは静かな声音でそれを肯定する。


「クィリナさん。ここまで導いてくださったこと、感謝いたします。私たちはここからアースガルズまで飛んでいきますので、どうか急いでお戻りください」

「はい。では、お気をつけて。夜間でも軍は哨戒を欠かさず行っています、捕まらないように」


 短く言葉を交わし、クィリナは最後に二人と握手した。

 一礼してから素早く通路出口に引っ込んでいった彼女を見届けた後、シルたちは手を繋ぎ、魔力を共鳴させていく。

 二人以上で魔法を同時使用する際、互いの呼吸や精神がある程度同調できていれば、通常よりも優れた効果を発揮できるためだ。


「女神フレイヤから悪魔を払えれば、この戦に決着の目処が立つかもしれない。あなた一人では出来なかったことでも、私や他の【神】たちと力を合わせればきっと成し遂げられるはずよ」

「ああ。――さぁ、飛ぼう」

「ちょっと待って、その前に……」


 浮遊魔法によって浮き上がる前に、シルは光属性の【透明化魔法】を用いて自分たちの姿を外から見えないようにした。


「これでよし、と。じゃあ行くわよ……3、2、1――go!!」


 合図と共に呼吸をシンクロさせ、二人は一糸違わぬタイミングで上空へ飛び上がった。

 月明かりのない曇天の下。眼下の街の明かりを頼りに、彼女らはアースガルズを目指して東へ急行していく。



 炎上する街々、夜間になっても絶えず続く戦士たちの叫び。

 アースガルズに近づくにつれて、それらは鮮明にシルたちの目や耳で捉えられるようになっていった。

 その様子に感じたことを、シルは隣で手を繋いだ少年へ耳打ちする。


「最前線はもう少し先のはずよね? ここの街があんなに激しく燃えているなんて、どういうわけかしら?」

「もしかしたら、後方にいた兵どもが暴徒化しているのかもしれないな。フレイヤ様が統率する軍に限ってそれはないと思いたいが、彼女が後方まで気を配れない状況に置かれている可能性も捨てられない。ただそうなると、前線がどうなっているかも気がかりだな……」

「ちょっとグリームニル、今のあなたはもう私たち側の人間なんだから、心配するならアースガルズ軍にしなさいよ」


 シルの指摘に少年はハッとして謝る。だが無理もない話だった。彼は二年もの間、ヴァナヘイムでフレイヤの従者として二重スパイとして活動してきたのだから。自身がフレイヤに親愛の情を抱いていたのも相まって、無自覚のうちに彼はヴァナヘイム軍に肩入れしてしまっていたのだ。


「現在の戦場はイザヴェル平原か……思えば、130年前の大戦もそこが舞台になったのだったな。神々にとっての因縁の地で再び戦が起こったとは、これも因果なのか」


 かつて神オーディンらの軍に所属していたグリームニルは、当時の惨禍を脳裏に過ぎらせて口元を歪める。

 その光景を少年は一度たりとも忘れたことはない。緑に満ちた平原は余すところなく血の赤色に染まり、兵の死体が至る所に転がっていた。死者の総数は当時のユグドラシル全人口の三割にも上り、300名ほどいた神々も半数が命を落とした。

 あの焦土からここまで立て直してきたのに――人はなぜ、歴史を繰り返してしまうのか。


「悪魔だけが戦の起こった要因なのだろうかと、私は牢に入れられてからずっと考えてきた。これは推測に過ぎないのだが……イヴ女王もおそらく、同じことを思っていたのかもしれない」

「……戦争がなくならず、本当の意味での平和が訪れないのなら、いっそ世界を壊してしまおう――そういうわけなの? 一度失われた命は戻らないのよ。あの人が生み育ててきた【神】の系譜も、全てなくなってしまう。子供を深く愛していた(イヴ)が、そこまで破滅的なことをするものかしら……?」

「……ノアという女は、イヴは人間らしい心を捨てたのだと言ったそうだな。つまるところ、理由はそこにあるのだろう」


 それきりシルもグリームニルも、戦場に着くまで一切言葉を発することはなかった。

 無情な審判者、もしくは真の意味で【神】となったイヴは、この世界を歪なものと捉えてリセットしようとしている。だがそれは、ユグドラシルに生きる者の誰ひとりとして望んではいない。

 女王一人の意思と、全ての民の意思――優先されるべきはどちらか、そんなことは考えるまでもない。

 世界に終末が訪れる前に、何としてもイヴの過ちを正さなくては。

 シルが改めて覚悟を固め、目前となった戦場を見渡した、その直後だった。



「何、あの光……?」



 王都アスガルドの50メートルの城壁を超えて、天にそびえる紫の光の柱。

 その光はアスガルド中央、王城の辺りから立ち上がっているようであった。

 そして、光の出現から僅かに遅れて轟音が響き渡ってくる。巨大な石の建造物が一挙に崩れ去る爆音。加えて、空中に居る彼女らには分かり辛かったが、大地を震撼させる衝撃波もそこから放たれていた。

 光の柱は一分間にも渡って輝き続け、ぷつりと途絶える。

 シルやグリームニル、戦場の両軍にも今何が起こっているのか把握できておらず、ただ不気味さだけが募っていくのみであったが――次に聞こえてきた『鳴き声』に、神トールは現れたそれの正体を悟った。


 地の底からマグマが沸々と湧き上がってくるような、ごぼごぼッ、という唸り声。

 続いて、ユグドラシル中に響いたのではと聞く者に思わせるほど莫大な音量をもって発された、雄叫び。



『――ぎゅるるるりあぁああああッッ!!』



「世界蛇・ヨルムンガンド――なぜ、アスガルドに!? あの怪物は下層にいるのではなかったのか!?」


 トールは先の大戦時に、かの大蛇と戦闘したことがある。その際は仕留める直前まで追い詰めたものの、一歩及ばずに逃げられてしまった。

 ヨルムンガンドがヘルのもとで下層を制圧するための「生きた兵器」として使われていることは、周知の事実である。だから彼には解せない――あれだけ巨大な怪物を一瞬で転移させられる魔導士が、ニブルヘイムにいるはずがないのに。

 ヘルという神を、トールのみならず上層の神々は侮っていたのだ。所詮は下層で死者と怪物どもを従えているだけの、穢れた存在なのだと。

 イヴ女王にしか扱えないと思い込まれていた【転移魔法】を冥界の主たる彼女は究めていた。だが、それだけでは上層にヨルムンガンドを送り込むまでには至れない。転移対象が全長100メートルを超す巨体な上、転移元からの距離も二層上の階層なのだ。それほどの規模になるとヘル一人の力では足りない。転移先でもう一人の協力者が【転送魔法陣】を展開し、魔力を注ぎ込まねば世界蛇を上層まで引き上げることは叶わないのだ。


「……イヴ女王がヘルに手を貸したのか? いや、だとしても、ここ最近衰え始めているあの方にあれだけの大魔法を使う余力があるとは考えにくい。くそっ……全く状況が読めん」


 当惑するトールが舌打ちする中、ヴァナヘイムの陣地では、ミーミルが王都での出来事をほぼ完璧に推測していた。

 かつてはアースガルズに所属していた彼も、今では立派なヴァナヘイムの一員である。だから彼は、トールが味方の神にかけているフィルターを外して物事を捉えられた。


「ふむ……だいぶ悪趣味なことをするものだな、あの女は。そして……哀れなものよ、アースガルズの女王リューズ。これは飼い犬の手綱を握れなかったお前の失態だ」

「アースガルズ側に裏切り者が出た、そういうことなのか?」


 オーズに問われ、知恵の神は苦々しい面持ちで頷いた。その表情にオーズは首を傾げる。敵側に謀反者がいるのなら、そこから敵軍が瓦解していく可能性が生まれたのではないのか、と。


「少し考えれば分かることよ。敵軍にニブルヘイムと繋がっている者がいるということは、つまり私たちの前に第二の敵が現れたわけなんだから」


 と、二人の神の前に黒衣の女神が姿を現す。

 フレイヤは苦渋に顔を歪め、旧知の神へ怨嗟の声を吐き出した。


「やってくれたじゃない、ロキ……! あなたはあのまま、大人しく女王のいぬでいればよかったものを」

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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