43 神々の黄昏
大理石の床を割って出現したのは、太く長大な鞭のようなものだった。
同時に何本も登場したそれらは、襲い来るシルの七つの弾丸を激しくうねりながら弾こうとしてくる。
その物体の正体は、植物の蔓だ。フレイヤの魔法により異常なまでに肥大化した、王宮地下に彼女が仕込んでいた特別な蔓植物。これはフレイヤが品種改良を繰り返して開発した、魔力に反応する性質を持った種である。女神の魔法を受けて一度目覚めれば、どんな魔法でも食い荒らしてしまう悪魔の植物だ。
「っ、あれは……!?」
シルが放ったのは、単純ながらも高威力な魔力の弾丸たち。
それらがフレイヤの巨大蔓に受け止められ、その瞬間に上がったジュワッ、という水分を含んだものが熱される音に、彼女は思わず耳を塞いだ。
それから一秒と経たずに水蒸気が発生し、シルの視界を真っ白く満たしていく。
「…………」
魔力と魔力がぶつかり合う衝撃波。
怪物のごとく巨大化した蔓にも勿論、フレイヤにより多大な魔力が付与されている。なのだから、蔓とシルの【時幻展開】が衝突すればそこで反応が起きるのは当然のことだ。
足を踏ん張り、フレイヤは二つの魔法が激突した結末をその場で見届けようとした。それはシルも同じで、彼女も無言のまま杖を握り締めて視界が晴れるのを待った。
そして数十秒を経て、彼女らはその結末を知ることになる。
「ふ、ふ……ふふふふふっ……! よくやったわ、私の可愛い僕たち!」
水蒸気が収まり、最初に声を上げたのはフレイヤだった。
植物たちは床に残骸を無惨に晒す結果となってしまったが、魔法を用いた当人のフレイヤにはシルの攻撃は届いていない。敵の全力の攻撃を受け止めて果てた――それは結果としては十分すぎるくらいだ。おそらくシル・ヴァルキュリアの最大威力である技を防ぎきれたのだから、魔力面でも精神面でも彼女へ大いにダメージを与えられたに違いない。
つまるところ、フレイヤの目論みは完璧な形で現実となったのだ。大技を撃った直後の魔導士には必ず隙が生じる。フレイヤはそこを狙い、シルを完全に無力にしてしまおうと考えていた。
「【緊縛の棘鞭】!」
【時幻領域】、そして【時幻展開】と大魔法を発動し、激しく消耗したシルにその攻撃を避けろというのは、あまりに無茶な話だった。
毒々しい赤色の鞭がしなり、床面を蠕動しながらシルへ肉薄しようとする。その魔法の軌道は見えているのに、魔女には身体が思ったように動かせない。
――回避は無理。ならば……!
「これで止めるわ! 【破邪の防壁】!」
シルの体の四方を純白の魔力の壁が覆い隠す。先ほどとは異なり、壁の完成は間に合った。
が、しかし――それは始めから、間に合ったところでどうにもならない問題だったのだ。
「っ、そんなっ――!?」
ガラス細工が砕け散る時のような、鋭くも儚い音を立ててシルの防壁は崩壊した。真紅の鞭が上部から叩きつけられ、一撃で。
巨像が蟻を踏み潰すかの如き、何とも呆気ないやられ方に彼女は絶句することしか出来ない。
今のフレイヤの魔法は明らかに本命ではなかった。先に撃った【豊穣神の天恵】こそが、おそらくは彼女の切り札だったはずだ。フレイヤのたかがサブウエポンに、シルの全霊を注いだ防御が打ち砕かれた――その事実は彼女の心を激しく揺さぶり、かき乱す。
シルの最大の攻撃は、フレイヤの最大の防御によって相殺された。そして女神の軽い攻撃を、魔女は全力の防御で止めることが出来なかった。それが意味するものは何なのか……そんなことは、深く考えずともはっきりしている。
――私は、この女神に敗北した。
認めざるを得なかった。勝てなくても負けてはいない、などと強がれる理由も最早ない。フレイヤの放つ鞭が、使役する怪物の触手が、シルの防御を容易く破れる以上、持久戦にはそもそも持ち込めないのだ。
上位の神であるフレイヤと長期戦をすることを当初から選択肢として見ていなかったからこそ、シルは女神の提案を呑んで魔法の一騎打ちで決めようとした。それならば一撃で勝敗が決する。フレイヤが搦手を好む女神と聞いていたシルは、単純な攻撃力で自分は劣らないと確信していた。
搦手に持ち込ませる前に、吹き飛ばしてやる――そんな彼女の覚悟は、しかし水泡に帰してしまった。
「がっ……!?」
ルビーの輝きを帯びた鞭がシルの胴体を打ち、衝撃に彼女は息を詰まらせた。
立っていることすらままならない。肉体に走る激痛、神経を苛む急激な痺れ――ただの鞭ではなく、魔法により毒を宿した凶悪なる武器が、シル・ヴァルキュリアという一人の女から戦意を根こそぎ奪い去っていく。
「うふっ、ふふっ、ふふふふふっ……! 反抗するなら罰を下す――それが私の『支配』よ。ねぇ、シル・ヴァルキュリア。私に恭順なさい。そうしたら全てを許し、栄誉ある使命を与えてやるわ」
シルを痛めつける鞭を辿っていけば、フレイヤの握る杖まで辿り着く。得物を両手で持つ女神は口元に薄く笑みを貼り付けたまま、悠々とした歩調でシルへ近づいていった。
魔女の返答を待たずして、フレイヤは彼女を再び鞭打った。その悲鳴を雑音として聞き流し、悪意に染まった女神は腕を振り上げる。――次には、三度の絶叫。
「フレ、イヤ……! それが、あなたの、やり方、です、か……!?」
「まだ口答えする余力があるなんて、頑丈な女だこと。その減らず口、二度と利けなくしてあげてもよくってよ」
口調は上品さを保っているが、それに反して彼女の執行する『罰』は極限の苛烈さを有している。
女神に見下されたシルは、彼女を睨み返すことも既に叶わなくなっていた。激痛に朦朧となる意識の中、シルはうわ言のようにフレイヤの手口を否定する言葉を吐き出し続ける。
「うるさいッ!! これが私の、女王フレイヤのやり方なのよ! 誰にも否定させやしない――例え暴君と呼ばれようとも、私な私の求めるものを手に入れるの!」
そんなシルの訴えを聞くほどに、フレイヤの激情は際限なく高まっていく。
彼女は怒りに任せて鞭を振るった。そこに理性はなく、荒れ狂った感情の渦が暴力として形を成していた。
――あぁ……届かなかった。私の、思いは……この人には、無価値な雑音でしかなかった。
その呟きを最後に、シルは意識を手放す。
糸の切れた人形のように崩れ落ちた彼女を見下ろし、フレイヤは息を吐き出して――それから長い間、無言のままその場に立ち尽くしていた。
◆
コツ、コツ、コツ、コツ。
一定のリズムを刻んで響く音が、近づいてくる。
――いやだよ。来ないでくれ。
頭を抱えてうずくまり、少年は心中で軋むような叫びを上げた。その音は彼の記憶の傷を掘り起こす。自分に罰を与えた、無情な黒い影が脳裏にちらつき、ぎゅっと目を瞑って恐怖に耐える。
やがて足音は遠ざかり、少年の呼吸は落ち着きを取り戻した。
粗末なベッドで上体を起こし、目にかかった浅葱色の髪を掻き上げながら、彼は溜め息を吐く。
「……弱いな、全く……。いつまでも過去に縛られていては、いけないのに」
そう低く声に出し、少年は視線を左横に移した。
隣の牢に運ばれてきた女性を思い、いてもたってもいられなくなるが、全ての武器を奪われた少年にはどうすることも出来ない。
「シル……」
女神フレイヤの手により昏倒させられたシル・ヴァルキュリアが地下牢に収容されてから、この朝でちょうど二週間が経っていた。
◆
世界にもたらされた混沌は、留まるところを知らなかった。
アースガルズに侵攻していたヴァナヘイム軍は国境鎮台を突発、その勢いのままアースガルズ東部の大型軍事基地を二つ制圧。基地周辺の都市も彼らの手によって破壊の限りを尽くされ、アースガルズの軍事力の四割が失われた。
ヴァナヘイム軍は敵兵のみならず、あらゆる敵国人を攻撃の対象と定めていた。それに加え、悪魔の影響のため彼らの狂暴性は大幅に跳ね上がっており、一般市民の虐殺に歯止めがかからない現状を生んだ。
アースガルズ人は一人たりとも逃すな――血に浮かされた兵士たちは一切の躊躇なく武器を持たない市民を殺戮した。戦争開始から二週間が経った今、その犠牲者の数は50万人を超えようとしている。そのうち軍人ではない者は20万と、半数に迫る数であった。
「アースガルズの奴らも大したことないな! お前たち、一気に攻めるぞ! ――【女神の司令】!」
ヴァナヘイム軍が侵攻する最前線、王都アスガルドを目前としたイザヴェル平原にて、指揮官の命令が高らかに下された。
800名の一個大隊全ての人員に彼は魔法を掛ける。それは女神フレイヤの【神器】を持つ者が使用可能な『付与魔法』であり、配下の兵士たちの身体能力、そして戦意を激しく高揚させる効果があった。
「うおおおおおおおッ――――!!!」
兵たちの雄叫びと、大地を踏み鳴らし駆ける音が戦場に轟いた。
『魔剣』を携えて突撃する彼らは、敵兵が向けてくる銃口にも怯まない。前の者が撃たれようが刃に倒れようが、構わず屍を乗り越えて猛進する。
「おらおらおらおらッ!! 雑魚どもはどいてなァ!!」
敵兵の隊列が崩れたのを見て取って、指揮官は騎兵部隊を投入した。
従来の馬を品種改良して生まれた魔導生物、『ダーインスレイヴ』。強靭な足腰と無尽蔵のスタミナを誇るこの黒馬は、魔力を用いて加速したり、数メートルに及ぶ跳躍を可能にしたりと、とにかく戦争に特化した性質を持っていた。
豪快に槍を繰り出しながら疾駆する一騎は、狂戦士の軍勢の中でもとりわけ『暴れ馬』であった。
歩兵どもを抜き去って最前線に到達し、自ら血路を切り開いていくその男の顔には、怒号の飛び交う戦場に相応しくない笑みが浮かんでいる。
「フレイヤ――アスガルドを終わらせたいってあんたの願いは、叶えてやるさ。だが……俺はどうしようもなく戦争を楽しんでやがる。終わらせるのが勿体無い、許されるなら永遠にでも戦っていたい――それが罪深い願いだと分かっていながら、止められねえ。
そのせいであんたに見放されたにも関わらず、だ。こりゃあ一生治らねえ性質なんだろうなぁ」
フレイヤは兄フレイを異性として最も愛していたが、かつて彼女には配偶者として宛てがわれた男がいた。
彼は現在、独白したように女神との繋がりをなくしてしまっている。だがそれでも、彼を駆り立てる戦への衝動は収まることを知らなかった。
ヴァナヘイム軍の少佐である彼は、その戦争狂いの性格から将校には不向きと判断されてこの地位に甘んじているが、本来ならばヘーニルやミーミルと肩を並べるほどの実力者である。
その名をオーズといい、彼はこの戦争においてヴァナヘイム軍最強の騎兵として歴史に記録される人物となった。
「ヴァナヘイム軍のアースガルズ侵攻はさらに激化、アースガルズに甚大な被害……死傷者数は50万人を超えた、と。女神フレイヤも思ったより暴れていますね」
携帯情報端末の画面を眺め、ヘルは上層の情勢を確認していた。
浮遊船ナグルファルの甲板上に立つ彼女は、総舵輪を操る巨人のスリュムへ訊ねる。
「私たちは下層を完全に手中に収めた。そうでしょう?」
「はい。この下層は紛れもなく、あなた様のものであります」
「そうですよね。ですが……不安の種はまだ残っています。力で押さえつけた巨人どもが反乱を起こしはしないか、この時勢に乗じて中層からエルフどもが攻めてきやしないか……上層からイヴの軍隊がやって来る可能性だってあります。先日も、世界樹の手によるものと見られる怪物の軍勢が押し寄せてきました。私の支配はいつまで持つのか……それが、不安でならない」
ヘルは下層の三国の頂点に立ち、名実ともに支配者となった。
求めたものを全て手に入れ、彼女は満たされているはずなのに――その胸にこみ上げてくる不安は、解消されるどころか増えてきている。
民たちはヘルという女を恐れはすれど、敬ってはいない。完全な恐怖による支配――それが長続きしないことも、歴史が証明している。
――だけど、あなたは特別。そうでしょ? あなたは他の誰にも成し遂げられなかった偉業を達成した。それを誇らずしてどうするの?
彼女の言葉に答えたのはスリュムではなく、彼女の心に宿った「もう一人」の人格であった。
【嫉妬の悪魔】、レヴィアタン。その正体にヘルは薄々感づいているものの、悪魔に深く追求したことはなかった。悪魔自身も己について話すわけでもなく、二人の関係はフレイヤとアスモデウスほど密着したものではない。
――あなたは偉大な人間なんだから、もっと目標を高く持ちなさいよ。上層の神々に見下されたままでいいの? あなたは、巨人どもを従えただけで満足する器じゃないわ。
囁いてくる女の声に、ヘルは俯いたまま口を噤む。
これから自分は何をすれば良いのか――死の国の女王は、自らの手で破壊した大地を見下ろしてしばし黙考するのであった。
アースガルズ王国首都・アスガルドの王宮にて。
主会議場の円卓に集った神々は、この戦争の現状についての合議を開始していた。
「状況は悪化していくばかりだ。軍部にこのまま任せておいては、敗戦もやむなくなるだろう。我々【神】も戦場に向かうべきではないのか?」
一人の男神が意見を述べる。現在、アースガルズ側からは【神】を戦場に送り出していない。今回の惨状はそれが原因であるのだと、その神は主張していた。
「――否。其れは断じてならない」
しかし、彼の提案をオーディンが否定する。アスガルドの神々のトップに立ち、軍と政の両方を統べる白髪の老賢人は、この場の全員を見渡しながら厳然たる口調で言った。
「【神】は戦に参じてはならない。其れが、かつての大戦の後に定められた法である。然らば、貴君の案は受諾できぬもの也」
130年前の戦争の終戦時、女王イヴは自らその法を提議してその法を成立させた。
『二度とこのような戦を起こさないように。もし再び【神】が戦争をしたのなら、私はその【神】の『不老不死の術式』を解除するわ』――それが、その時のイヴの言葉だ。
イヴ女王が表向きには病に倒れ、代理の女王を立てた今もその法の効力は続いている。女王の代行者リューズの能力は未知数だが、彼女がイヴから魔術を継承していた場合、イヴの言葉通り【神】の特権を剥奪される恐れもあるのだ。
円卓に着いた全ての【神】が既に100歳を超えている現状、その『不老不死』の力が消えれば彼らは急速に老いていき、死ぬだろう。そうなればアスガルドの中枢を担う者たちは全滅し、国家として頭脳を失う致命的なダメージを受けてしまう。
それだけはさせられないというオーディンの意思を、他の神々は黙して受け入れるしかなった。
だが、そんな中でも図々しく発言する者もいる。
「でもさぁ、じゃあこの危機をどう乗り越えるわけ? このままだと本当に、アースガルズは近いうちに滅ぶよ。誰かが動かないと戦況は変えられないのは、事実だと思うけど」
朱色の髪に同色のローブが目印の神、ロキだ。普段は軽薄な態度の彼も、今ばかりは真顔で最高神に現実を突きつける。
円卓の向かいに座す彼を正面から見つめ、オーディンは首を横に振った。
無言で否定してくる彼に、やりきれなさを滲ませた表情でロキは告げる。
「君が何を言っても法や女王を無視できないのは分かってるよ。でも、その上で言わせてくれ。――国を守るため、時には犠牲を呑むことを覚悟しなければならない局面もある。それが今だ」
誰かが禁忌を犯さなくては、この窮状をひっくり返せない。誰もが思ってやまないことをロキは口にした。
それからやや間を置いて、一人の神が彼に同調した。燃えるような目と赤髪を持つ、赤髭の男神、雷神トールである。
「……神ロキの言葉に同意する。【神】一人の命と二千万の国民の命を天秤にかけるなら、優先されるべきは民の命だ」
「いや、私は反対だ! 一人でも女王陛下の命に背く者が出れば、陛下は私たちにまで謀反の疑いの目を向けるかもしれん。【神】は民の手本だ、法を絶対遵守するのが我々に求められる姿だろう」
「だとしても、そのために負けゆく軍を見過ごすわけにはいかない! 彼らもアースガルズの国民なのだ、死者がこれ以上増える前に一石投じるべきではないのか?」
「そうするとして、一体誰を戦場に向かわせるというのだね? 私は行かんぞ、『背信者』の汚名を着せられて死ぬことなどまっぴらだ」
トールの発言を皮切りに、多くの神が各々の意見を表明する。
円卓がにわかに騒がしくなる中、日頃ならそれを静めるオーディンも今回ばかりは口を真一文字に引き結んだままだった。
矛盾に葛藤する盟友を横目に、覚悟を決したトールは起立する。
その立ち姿を見上げた神々が口を閉ざすまで待ち、やがて場が静寂に満たされると、雷神は揺るぎない声音で言った。
「――俺が行こう」
それを止める者も、肯定する者もこの場にはいなかった。
長らく付き合ってきた面々の顔を一人ひとり見ていきながら、トールは言葉を続ける。
「最強の雷神と民は俺を呼ぶが……悲しいかな、逆に言えば俺にはそれくらいしか取り柄がない。オーディンのように知恵に優れるわけでもなく、ロキのような賢しさもない。この命が最後に輝けるのが戦場だと、この世の誰が否定できようか?
――フレイ。ユグドラシルにもたらされた運命は、お前の副官が変えた。彼女と共に、今後のユグドラシルに再び豊穣を取り戻させてくれ。食糧の奪い合いによる戦は、これ以上起こってほしくない」
「……当たり前だ。この世界の平和を恒久的に保つ、それが【神】の務めなのだから」
泣き笑いを浮かべてフレイは友に頷きを返した。
信頼する友人が、国の命運を一身に背負って戦場へ立とうというのだ。それをどうして止められるというのだろう。
「オーディン……すまないな。こんな別れ方はしたくなかったが、どうか呑んでくれ」
自分に頭を下げてくる赤髪の神に、オーディンはそれでも声をかけられなかった。
老賢人は強い光を灯した瞳でトールを見返す。立場上、トールの行動を明確に肯定することはできない彼だったが、内心では感謝していた。そして、その役目を押し付けなくてはならない負い目と、アースガルズが苦境に追い込まれるのを未然に防げなかった後悔も同時に抱く。
「トール! 私も同行させてくれないか」
「ロキ――その申し出は有り難いが、お前はまだアスガルドに必要な人材だ。気持ちだけ受け取っておく。お前と過ごした時間は悪くないものだった。フレイヤともまた会えたら良かったが……それはついに叶わなかったな」
無二の友を一人で逝かせたくない――ロキが彼らしくもなく本心を露に訴えるが、やはりトールは拒絶する。
かつて過ごした日々はもう、決して戻らないものだ。だが、あの頃のような平穏な時代が、この世に再びもたらされるというのなら――トールは命を捨てることさえ惜しくない。
長い、長い時間をかけてこの日の会議が終了した後。旧知の友たちに見送られながら、男は円卓を去った。
その翌朝、トール率いる一個師団はアスガルドを出征。
イザヴェル平原にて継続中のヴァナヘイム軍との戦闘は、彼らの参戦によって流れを大きく変えることとなる。




