6 解放
奴隷商人に剣を向けた僕を静止させたのは、白い髪で赤い目の眼鏡をかけた若い男の人だった。
ノエル・リューズと呼ばれた彼は僕に歩み寄ると、僕の【グラム】に手を触れた。
「ほう……【神器】か」
ノエルという男の人は丸眼鏡を押し上げ、興味深そうに【グラム】を見ている。
この人は、見ただけで僕のこの武器が【神器】だって見抜いた――一体、何者なんだ!?
「あの……あなたは、誰なんですか?」
気になって訊くと、奴隷商人がノエルを指差し、わなわなと震える声で言った。
「お、お前のようなガキにはわからないと思うがな……。この方は、この方は……ミトガルド商会連合総帥であり、リューズ商会会長、ノエル・リューズ様だ! ちなみにミトガルドの金貨、『リュー』はこの方の家名から取られている!」
「そんなどうでもいいことまで言わなくていいのに……。そう、私がノエル・リューズだ。始めまして、少年。君の名は?」
ノエルさんはにこやかな笑みを浮かべ、手を差し出してくる。
僕は握手に応じ、自分の名を名乗った。
「僕は、トーヤといいます」
ノエルさんは僕の名を聞くと、はっと気付いたように言った。
「君はもしかして、鬼蛇国の出身かい?」
「ええ、そうですけど……」
鬼蛇国は極東の海に浮かぶ島国だ。そこには古来からたった一つの民族が暮らしており、【神の力】を継承する王によって統治され、長年の平和を築いていた。
「僕の母さんが鬼蛇人です。でも、僕自身は幼い頃にこの国に連れられてきたので……鬼蛇についてそれほど詳しいわけではありません」
僕は何か訊こうとしていたノエルさんに、きっぱりと言った。
「そうか。知り合いに似ていたものでね、つい。あまり言いたくないことだったかな、ごめんね」
この人、本当に何者なんだろう? わからないことだらけだったが、これだけはわかる。
この人は、本心を口にしない。大嘘つきだ。
「……トーヤくん。君は奴隷を解放しろ、そう奴隷商人に言ったね?」
僕は頷いて答える。
「馬鹿なことを言うな! 奴隷は誰にもやらんぞ!」
奴隷商人の男は喚いたが、ノエルさんが彼の口を押さえると、ぐっと押し黙った。
そしてノエルさんは僕を振り返り、言う。
「だが、君にはその手段が無い。そうだね?」
「……はい」
怒りと勢いに任せて叫んでしまったが、この人の言う通り、僕にはそれを実現させるための手段も力も無かった。
でも、そう言わずにはいられなかった。
「そして、私にはその手段がある。そうだろう?」
僕は一瞬彼の言葉を理解しかねた。
するとノエルさんは、にやっと口の端を上げる。
その笑みが意味することに気付くと、僕は驚きのあまり目を見開き口を小さく開けていた。
奴隷商人もその部下の男もすぐに気付き、小声で「ありえない」と口走る。
「私が君の代わりに奴隷たちを買い取って、解放してやろう」
ノエルさんは青い顔になっている奴隷商人の手を握り、彼と目を合わせた。
ニコリと笑い、確認の意味で訊ねる。
「いいですよね?」
奴隷商人は「どうかしてる」と吐き捨てるように呟くと、取り繕ったような引きつり気味の笑顔で応えた。
「い、いくら払ってくださるのですかな?」
ノエルさんは奴隷商人の耳元に顔を近づけ、なにやら囁く。
「価格の、倍で買取りましょう」
僕にはその言葉は聞こえなかったけど、奴隷商人の意地汚い笑みから察するにノエルさんは相当な額を提示したようだ。
「……で、では、それで」
「ええ。いい買い物をさせてもらいました」
二人の商人は互いに表面だけの笑みを顔に貼り付け、握手をした。
「ああそうだ、現金払いでいいですか?」
ノエルさんが懐から取り出したのは金貨のぎっきり詰まった巾着袋だった。
奴隷商人はそれをさっと受け取り、自らの懐にそそくさと突っ込む。彼はノエルさんに奴隷たちの手錠と足枷の鍵を押し付けると、部下の男を連れてこの場を去った。
「ふぅ。やっぱり金を使うことは楽しいな」
ノエルさんはどこか嬉しそうに呟く。
見ず知らずの人間のためにここまでしてくれた感謝の気持ちを込め、僕は彼に頭を下げて礼を言った。
「――ノエルさん。本当に、ありがとうございます」
ノエルさんは笑って胸の前で手を振った。
「別にいいよ、このくらい。金は余るほどある。いくら使っても減らないんだ」
「そういうことではなくて……普通の人は、そんなことしないでしょう」
僕が言うと、ノエルさんはふと真剣な顔になる。
「それは君も同じだろう? 私は、君のような価値観の『人間』を初めて見た。そのせいかな、なんだか君を助けたくなってしまったんだよ」
奴隷にされていた獣人や巨人たちは、僕とノエルさんを心から感謝している目で見ていた。
「トーヤくん、君が彼らの鎖を解き放ってやるんだ」
ノエルさんが僕に奴隷たちの手錠と足枷の鍵を渡す。
僕は、奴隷たちの体を縛るものを一人ひとり外していった。
「ありがとうございます……本当に、こんな私たちを解放してくださって……」
あの時目が合った獣人の少女が僕の前に跪き、頭を下げた。
僕は彼女の手を取り、微笑みを向ける。
「いいよ、そんなことをしなくても……顔を上げて」
少女は上を見上げる。その時の彼女の表情は、とても輝いて見えた。
僕はこの場の元奴隷たちを見渡した。
そして、自分の気持ちを静かに言葉にしていく。
「僕は、皆さんみたいに種族の違いから奴隷にされ、苦しんでいる人を初めて見て……許せなかった。どうしてこんな酷いことができるのって、訊きたかった。
でも、この世界ではそれが当たり前のことで、僕の言うことは『普通』から離れているのかもしれません。それでも、それでも……助けたかった。放っておけなかった。それが、僕の思ったことです。
だけど、僕は人を動かす力なんて持ってません。あなたたちを解放してくれたのは、ノエルさんです。感謝するなら、僕なんかじゃなくてノエルさんにして欲しい」
一人の巨人の女性が、首を横に振った。
「いいえ。あなたがそれを最初に言ってくださったから、こうして私たちは自由を手に入れられた。私たちは、あなたにも心からの感謝をしていますよ」
僕が行動に出て、変わった運命。
永遠の檻の中に閉じ込められていた彼らは、この運命をどう思うのだろうか。




