5 怒る者
「奴隷か……あまり見ていて気持ちの良いものじゃないな」
宿のおじさんが顔をしかめて呟く。
「ひどい話よね……」
いつもは眠そうな半眼のサーナさんは目を開き、鋭い視線を『奴隷商人』の男に注いだ。
この地方ではまだそれほどではないけれど、海を渡った先の国々には奴隷にされる人々が多いと聞く。
僕はそのことにやりきれない怒りを感じた。
奴隷にされているのは獣人や、巨人、小人など、『亜人』と呼ばれる人達だ。他と見た目が違うだけで、どうしてこんな扱いを受けなければならないのか?
人間は物ではない。意思がある。けれど、人間は亜人を奴隷として物のように扱い、劣悪な環境での労働を強要して自由を奪っている。
それが、許せなかった。
次の瞬間には、僕の体は衝動的に動き出していた。
僕は【グラム】を引っ掴んで部屋を飛び出し、階段を一気に駆け下りる。
後ろから「どうするつもりなんだ、トーヤくん!」とエルが叫んだけど、この時ばかりは無視した。
外に出て、奴隷たちの列をざっと見る。二十人くらいだ。奴隷たちを連れているのはあの奴隷商人の男と、その部下に見える若い男一人。二人はどちらも異国風の服を着ていた。
「ホラホラ、さっさと動かんか! この能なしどもが!」
奴隷商人が先頭の女性の頭を蹴った。それも、一度だけではない。二回、三回……何度も、何度も女性に暴力を振るう。
部下の男はそれを見て下卑た笑みを浮かべている。
そして、周りの人たちは見て見ぬふりをしていた。誰ひとり、男を止めようとしない。
――なんで、誰も止めないんだ。
彼らが奴隷だから? 亜人だから? 人とは違うからって、誰も手を差し伸べることはしないのか?
「おじさん、やめてよ」
僕は奴隷商人の前に立ち、静かに言った。
「はぁ? 何だね君は」
奴隷商人は心底面倒くさそうに訊く。彼の背後では部下の男が腰の剣に手を添えていた。
「その人に、暴力を振るうのはやめてください」
エルたちが店から出て来ていた。彼女らは僕の言葉を聞き、息を呑んだ。
奴隷商人は幼い子供に言い聞かせるようなゆっくりとした口調で、言う。
「奴隷はね、『人』ではないんだよ。見ろ、こいつらの異形の姿を……。こいつらは人とは違う。物のように使うことは、悪いことではないんだよ」
僕は拳を握り締め、わなわなと声を震わせた。
「そんなの、おかしいよ! この人たちにだって、自由に話したり、好きなことをする権利はあるはずだ!」
「バカバカしい! 見たところ君は東洋の人間だろうから奴隷をよく知らないのだろうが、奴隷は『ビジネス』だ! 私が奴隷を売り、こいつらを使うことで楽になる者がいる。それの何が悪い? むしろ、それが我々にとっても良いことだろうが!」
奴隷商人は怒りの形相で口角泡を飛ばした。
部下の男がふんぞり返り、下品な笑みを浮かべる。
「ビンズ様のおっしゃる通りだ。奴隷は人々の暮らしを支える存在だ。お前は何も分かっていない!」
確かに、奴隷を使う立場の人間にとってはそうかもしれない。でも、そのために自由を奪われている人たちの気持ちも考えるべきだ。
「誰かのためなら、それで虐げられる立場の人間がいてもいいと、あなたは言うんですか!? それは間違っている!!」
僕は叫んだ。
誰が望んで理不尽な仕打ちを受けたいと思って生きるのか。誰かのために誰かが不幸になる、そんな歪んだあり方なんて大嫌いだ。
誰かが気持ちよく生きるために他の誰かが虐げられるなんて、そんなの、そんなの……!
「フン、絵空事を言うな。いいか!? お前はそう思っていても、他人はそんなこと、これっぽっちも考えちゃいないんだよ!!」
怒りに任せて男は拳を振るってきた。
僕は真正面から飛ばされたそれを受け止め、流す。
頭に血が上った奴隷商人は、血走った目でこちらを睨みつけてきた。
僕は【神器】を持つ手に力を込めていた。
黒の剣は、紫紺のオーラを纏う。男たちが恐れたように少し身を引いた。
「それでも、僕は僕の考えを通す! 僕は、立場が下の、少数の声に耳を傾けずにいることなんて出来ない!」
叫び、【グラム】を二人の男に向ける。
「な、何をするつもりだ!?」
奴隷商人は怯えた声を上げた。この男は剣を持っていない。彼は部下の男の背中を押し、吐き出すように言った。
「おい、お前! このガキを始末しろ!!」
部下の男が剣を構え、僕と対峙する。
「ガキが……調子に乗りすぎた」
若い男が僕を見下ろし、ニヤリと意地汚く笑う。
二人の間に一瞬の緊張が走り、そして。
男が先に素早く剣を薙ぐ。僕は【神器】でそれを受け止めた。
「なっ……馬鹿なッ!? 刃がッ……!」
男の剣は僕の剣とぶつかり、銀の刃が粉々に砕け散った。
「あ、ありえねえ……」
男は恐怖の表情を浮かべ、よろよろと後ずさりした。
「何をやっているんだ! 役立たずが!!」
奴隷商人がヒステリックな声を上げ罵倒する。
僕は、【グラム】の切っ先を奴隷商人の男へ突き付けた。
「ひぃッ」
男は恐怖に縮み上がった。
僕は剣を引き、彼らに言い放った。
「奴隷たちを、解放してください」
僕の言葉を聞くと、奴隷たちの目が変わった。彼らの視線は、一斉に僕に注がれた。
男は逡巡の後、恐ろしい形相で怒鳴りつけてくる。
「そんな馬鹿な事が出来るか!! 貴様、一体何なんだ!? ガキの癖に、妙な力を持って……この私に、指図しやがって!」
僕は【神器】に更に力を込めた。冷静さを失い、怒りに支配された僕は、男へ【神器】を振りかざそうとした。
と、そこに。
「そこまでにしておきなさい」
よく通る男性の声が、僕の動きを止めた。
振り向くと、眼鏡をかけた白い髪の若い男の人がいた。
「ノ、ノエル……ノエル・リューズ」
奴隷商人が、今度こそ腰を抜かした。
ノエル・リューズと呼ばれた男の人は、こっちを向いてニコリと笑みを浮かべる。
僕は突然現れたこの人を、立ち尽くしたまま見つめていた。




