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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

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19  傲慢の女王

「アスガルドの【豊穣神】の使いですって? 一体、わたくしに何の用なのかしら」


 階段を上った先の玉座から見下ろして来る女を、シルは毅然と見上げた。

 場所は『アリア』中央部のエルフ王城。円形の広い『大女王の間』は、アスガルドのイヴの執務室と似ている。全国の実権をイヴが握っていた頃、彼女自身がいつでもそこに座れるように各国に同じ『女王の間』を設置したためだ。

 しかし今のその部屋は、所々がエルフ女王の手によって改造されてしまっていた。

 柱に巻き付くのは青々とした茨で、鮮血の色をした花を満開に咲かせる。床を彩るのも植物であり、柔らかい下草と小さな花々が全体に敷き詰められていた。女王が座る玉座も巨大な花弁のようなデザインをしており、広がった六つの花弁のうち後ろの一つが背もたれになって、寝そべる女王の身体を受け止めていた。花弁を支える茎も魔法で自在に動かすことができ、女王の気分で高さや向きを変えられる。

 

「ま、言いたいことは大方分かっているけどね。各所で起きている不作、それによる飢餓……このまま進めば、民たちは大いなる苦しみにさらされるわ」

 

 エルフ族の長、ティターニア。

 赤みがかった金髪を背中まで流した、漆黒のドレスを身に纏う美女はシルの答えを先回りして言った。

 手に持った短いステッキを軽く振って花弁の玉座を横向きにしたティターニアは、赤のアイシャドウが特徴的な切れ長の目でシルを睥睨する。

 ――この人が、傲慢にもエルフの社会を塗り替えた張本人。

 生唾を飲んだシルは、竦んでしまいそうになった背筋を無理やり伸ばして女王を見つめ返した。

  

「はぁ……シル・ヴァルキュリアだったかしら? お話する前に一つ言いたいことがあるの」


 大きなため息。来訪者に不機嫌さを隠そうともしない女は、短く息を吸ってから声を張り上げて言った。


「あなた、自分の立場をわかっているのかしら? あなたは私に迎えてもらっている側の人間なのよ。ここでは私が頂点で、敬われるべき存在なの! ならば、あなたは私の前に跪き、頭を垂れるのが筋じゃなくて!?」


 女王の憤激に彼女の背後に控えた側近たちが怯む気配を、シルは感じた。

 シルは【神】たる資格を手に入れはしたが、正式に【神】としての名前を手にしたわけではない。女王ティターニアに対し、位としては明らかに格下である。

 ――ティターニアがどんなエルフであるかは、大体はわかった。この人を説得するのは一筋縄でいかないのは、確実かしら……。

 シルの内心に暗雲が立ち込める。彼女は「申し訳ございません」と、女王の言う通りに膝を床について頭を下げた。


「無礼を致したこと、どうかお許し下さい。本日は、豊穣神フレイ様の意思――ひいては【神の母】イヴ様の勅命を受けて参りました。ティターニア陛下のみならず、中層の他の国主にも等しく伝える話ですので、拒絶なさらず聞いていただきたいのです」

「……拒絶なんかしないわよ。アスガルドに楯突く気は、私にはないから」


 シルは顔をわずかに上げ、前髪の隙間からティターニアの表情を窺った。

 先ほどの怒りは既に収まり、女の目は退屈そうにシルを観察している。

 神ではないただの「亜人」にありながら、女王ティターニアの放つ威圧感はびりびりと空気をも震わせるように激しく、重かった。彼女と長時間相対していたらその圧に押しつぶされてしまう気がして、シルは早口に告げる。


「では、お知らせいたします。――現在起きている不作の原因は、『世界樹』にあるのです。女神ノート様によると、『世界樹』は我々人間や亜人と同様に知能を持ち、その意思が世界に異変をもたらしているとのことでした。これは天災のようなものです。我々に、阻む手段」

「――人間って思ったより愚図なのね? そんなの、私はとっくに知っていたわよ」


 ティターニアの超然とした微笑みにシルは息を呑み、言葉を失った。

『上層』の神々の殆どが知り得なかった真実を、どうしてこの女は掴めたのだろうか。ノートのような特別な知識人と接触していたのか、あるいは彼女もシルと同じく答えを求めて調査に出ていたのか。

 真実を得た女王が出した結論こそが、隣国のダークエルフ族と小人族からの不当な搾取だというのなら――この女は、世界樹がもたらした運命に抗う選択を早々に捨てたということになる。

 

「異変の原因を知りながら、あなたは何も起こそうとせず、他から搾取――いえ、奪取することで賄おうというのですか。……この街で出会ったダークエルフの少年が言っていましたよ、あなたは最悪の女だと。エルフ族の世論を反ダークエルフに傾けさせ、彼らの迫害を主導しているのはあなただと――。世界樹の真実を知り得ているならそれでいい、ですが、私はあなたの他種族への傲慢な振る舞いは許しておけません! 【神の母】が唱えるユグドラシルの平和の理念に反したことだと、あなたは考えなかったのですか!?」


 言ってしまった。もう後には引けない。

 この国で知った現状への思いを発露し、女王へぶつけたシルは女王を見上げる眼に力を込めた。怯んでは負けだ――このエルフの女王を何としてでも動かさなければ、シルはエストラスたちとの誓いを果たせない。

 女王の放散する苛烈な怒りの感情は、真紅のオーラとなってシルへ迫っていた。このオーラはその魔導士の感情の昂ぶりが引き起こした、制御が効かなくなって発散し始めた魔力。

 これを直接浴びればシルの肌は焼け、髪や服は消し炭にされかねない。

 咄嗟に立ち上がって防御魔法【絶対障壁】を展開したシルに、防壁の向こうの女王は声を上げて笑った。


「うふふっ……おかしなことを言うのね、シル・ヴァルキュリア! イヴ女王の平和の理念なんて、私には知ったこっちゃないのよ。この世界は私とエルフ族のためにあればいい! 人間もダークエルフも小人も巨人も、みーんな私たちのためだけにあればいいの! だからね、シル・ヴァルキュリア。あなたのお説教はただ耳障りなだけ。他に言うことがなければ、私の目の前から失せなさい。今なら命は見逃してあげるから」


 シルの錯覚かもしれないが、この時の女王の瞳は鮮血の色に輝いているように見えた。

 これは人間のする目ではない。怪物のものだ。凶暴な怪物がティターニアの中に巣食い、彼女の力を増幅させている。

 まさに悪魔――そこまで考えて、シルは「まさか」と声を漏らした。


「女王ティターニア……! あなたは一体……っ!?」


 赤い魔力が女王を中心として渦を巻き、その外側にいる者を根こそぎ吹き飛ばそうとする。女王の側近数名が抵抗も叶わず倒れ伏す中、シルはただ一人この場に踏みとどまっていた。


 ――どうする。戦うか。それとも逃げるか。


 黒の防壁で自身を完璧に守りながら、彼女は選択を迫られる。

 ティターニアの発言が彼女の本心であるならば、説得して意見を変えさせるのは不可能かもしれない。方向性がどうであれ、あの信念の強さは本物だ。その意思と感情の大きさは、今彼女を包む赤い渦にはっきりと表れている。

 女王が玉座を退かないと、エルフの社会は変わらない。エストラスたちのために、ここで「抗う」べきなのか――。

 

「立派な防壁……しぶといのね、シル・ヴァルキュリア! ただの人間にしてはやるじゃない!」

「ただの人間――? 国民には人間を崇拝させるくせに、自分は違うと? 随分と都合のいい女なのね」


 ティターニアは楽しげに嗤う。今やどういうわけか彼女の見た目は変貌しており、髪は絹のような白に染まり、上体を起こした背には一対の漆黒の翼が形を成していた。

 この時シルは知る由もなかったが、ティターニアが発動したのは「神化」である。傲慢の大罪を司る大悪魔、ルシファー――彼はイヴの支配に加担していたベルフェゴールと同様に、何者かの手によって古代の封印から解き放たれていたのだ。


 悪魔がティターニアに取り憑いている可能性をシルは考え付いたが、単なる思い付きだと自分で本気にしていなかった。

 彼女が葛藤する理由は一つ――ここで杖を抜けば、これまで自分が積み上げてきたものが全て崩れ去るため。大多数の民の同意も得ず、エルフの政府にも軍にも味方がいないシルが女王と戦えば、結果どうなろうが反逆者として処刑される。万が一にも処刑されなかったとしても、表舞台に生きることは叶わないだろう。

 だが、シルは――。

 

「いいえ……迷うこと自体が、私の正義への冒涜よ。私は戦うわ! 理不尽に逆らわずして何が神よ、何が【永久の魔導士】よッ……!」


 ティターニアの深紅に塗り替えられた瞳を睨み据えながら、叫んだ。

 自分の立場が失われようが関係ない。ここで自分の正義を貫かなくては、これまでパールやエルたちと蓄積してきたものは何だったのかという話になる。

 魔女は銀色の長杖を両手に構え、唇に歌を乗せる。氷と炎の二極の魔法――彼女が過去にエルに披露した、二体の龍を象った大技だ。

 

「【大地の底より湧き上がれ、絶対零度よ。天空を裂いて降臨せん、絶対の炎熱よ!】


 青き光が彼女の足元から立ち上り、同時に頭上から赤いオーラが迸った。蛇のごとくとぐろを巻いた相反する二体の龍は、生命を持ったかのように猛り、吼える。

 

「さぁ、行きなさい! 【氷炎龍ひょうえんりゅう】!!」


 シルの呼び掛けに応え、ドラゴンたちがその口から巨大な魔力の砲撃を解き放った。その後を追って、龍たち自身もティターニアへ一直線に猛進していく。

 地面の下草を巻き上げ、燃やし尽くしながら突き進む龍の魔法に、しかしティターニアは一切臆する様子を見せなかった。


「うふふっ……うふ、あははっ……! 何て綺麗なの、何て雄々しいの、あなたの魔法! 素敵よ……どんな宝石よりも美しいわ! こんな魔法なら壊し甲斐があるってものよ!」


 身を捩り、花弁に座す女は天を仰いで哄笑する。

 そして口許に杖を運び、その先端に口づけをしたかと思えば彼女は詠唱を開始していた。


「【漆黒に堕ちし熾天使よ、汝を呼び覚まし、汝に願う。我は世界にたゆたい、世界を統べるもの。選ばれし血統の王】」


 魔法の詠唱文には魔導士当人の願望や欲望が現れるという。ティターニアの支配欲の強さは並みの為政者を超えるものなのだと、この瞬間にシルは改めて認識させられた。

 妖精の女王の背に生えた黒き翼が輝き、その光より生まれた影が実体となって地面を這い進む。

 床から躍り上がった幾つもの漆黒の影たちは大きな手のひらの形に変化し、シルの龍たちのエネルギー弾を握り潰さんとした。


「負けないで……っ!」

「人間風情が、私に勝てると思わないことね」


 ばしゅっ!! と激しい音を立ててドラゴンの砲撃は消し飛ばされる。突進していた対の龍の首も暗黒の手に掴まれ、そのまま抵抗もあえなくへし折られてしまった。

 

「――――そんな」


 シルは天才魔導士を自負していた。これまでの人生で彼女を魔法の勝負で打ち負かした者はいなかったし、彼女以上に魔術の才を示した者も学園の同輩にも職場の同僚にもいやしなかった。

 シルの視野は、とにかく狭かったのだ。自分の周りには強者は他にいなかった。しかし、世界は広い。彼女を遥かに超えるような魔導士は少なからず存在する。


「神だけが強者じゃないわ。覚えておきなさい、シル・ヴァルキュリア!」


 初めて自身の魔法を完璧に防がれたシルは、ただそこに立ち尽くすしかなかった。

 無力感が彼女の胸を穿ち、鮮血の染みをどんどん広げていく。

 自分の最強の攻撃技が、止められた。これ以上のものはない。シルの攻撃があの女に届くことは、決してあり得ない。

 

「終わらせるわ……【影の(うた)】」


 ティターニアが先程の魔法の正式名を呟き、同様の攻撃をシルへ飛ばした。

 地面を這い寄り、迫る影の腕――それをシルは見ていることしかできなかった。

 いくら防御をしようと無駄だ。負けなかったとしても、シルは勝てないのだから。ティターニアはシルの守りが少しでも崩れたら勝利し、ろくな傷も負わずして戦いを終えられるのだから。抵抗など、時間の無駄に過ぎない。

 最後に足掻くことさえ諦めた、その時だった。



「――女王陛下!! 東辺境『フィライト』にて、ダークエルフ族の侵攻があったとの報が――」



 決闘場と化した『女王の間』に、男性の声が響き渡った。

 同時に、シルへと迫っていた影の攻撃は一切の気配も残さず消え失せる。花弁の玉座を飛び降りた女王は、悪魔との《神化》を解除するとドレスの裾を持ち上げながら伝令の男へ駆け寄っていった。

 

「それは事実なの!? いつから!? 昨日、今日!? 侵攻の度合いは――今、あの地はどうなっているの!?」

「陛下、落ち着いてください! 侵攻は本日四時頃、日の出前から始まり、現在は駐屯軍が市街地での交戦を行っているとのことですが――敵が市民に紛れており、またゲリラ戦術を用いているため苦戦していると……」


 女王の杖が赤い魔力の鞭となり、怒りに任せて伝令兵を打ち倒したことも、今のシルには見えていない。

 彼女の中では男が口にした一つの単語――『ダークエルフ族』が壊れたラジオのように何度も鳴り響いていた。

  

 ――私はダークエルフや小人族のために、ティターニアに戦いを挑んだ。私が行動を起こして何か変えられないか、そう思って杖を抜いた。けれど……彼らはもう、種族間の戦争という最悪の手段を選択し、実行に移してしまっていた。

 遅すぎたのだ。シルがこのアルフヘイムに訪れるよりずっと前から、彼らの我慢は限界を超えてしまっていたのだ。


「劣等種がっ……! ペリドット、アゲート、早急に私の飛行船を準備なさい! あの蛮族どもは私が直に打倒してやるわ!」


 ティターニアが側近たちの名を呼ぶも、彼らは先の彼女が放った魔力により気絶してしまっているため返事はない。

 舌打ちする女は、黒のドレスの裾をたくし上げながら一人走り出す。


「お待ちください女王陛下! 現在は混乱の真っ只中です、味方の統率もばらけてきている現状で陛下が出てきても危険なだけです! まだ陛下はここで様子を見ているべきでは――」


 怒りと焦燥に駆り立てられる女王の背中に伝令の兵士が声を投じるが、彼女はその声に耳を貸すことはなかった。

 赤みがかった金髪がドアの向こうに翻るのを見届けるしかない兵士は、がくりとその場にうなだれる。

 防壁魔法を解除し、ややあって動揺から復帰したシルは伝令兵に駆け寄った。


「私も、戦場へ向かうわ。世界を変えるのに戦争なんて手段は使わせたくない。両陣営の死者が増える前に早めに調停しないと……『中層』の平和が、完全に崩れてしまう」


 敵わない相手がいることを知らしめられたシルだったが、いつまでも無力感に打ちひしがれているわけにはいかなかった。

 自分たちがなくそうと誓った戦争が起こっている。それならば、真っ先に動く必要があるのは自分たちだ。その使命を背負った以上、自身の心情がどうであれ飛んでいかねばならない。

 

「あなた地図は持ってる? 持ってたら貸して。持ってないのなら『フィライト』がここから東にどれくらいの距離にあるのか言って」


 詰め寄ったシルを見上げ、男は懐から折りたたまれた地図を引っ張り出して渡した。

 それを掴んだシルは、一番近くの開かれた窓まで向かうとその縁に足をかけ、身を乗り出す。

 背後に伝令兵の驚愕の声が響くが、今の彼女には全く届いていない。窓から身体を投げ出した魔女は、両手を大きく広げながら魔術の呪文を唱えた。


「【天よ、我に翼を与えよ】」


 城の五階の高さから落下していく体が、地面に着く寸前にぴたりと止まる。

 見えざる羽で自身を空中へ留めたシルは、そのまま一気に重力に逆らって上昇していった。

 鳥となった彼女はアルフヘイムを一望できるほどの高度まで舞い上がり、兵士から受け取った地図を開いて見る。『フィライト』の位置と距離を即、頭に叩き込んだと思えばシルはもうそこから飛び出していた。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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