表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

261/400

17  森の神、ヴィーザル

 それからシルは、エストラスについてエルフの市場を見て回った。

 丘の上にある首都『アリア』の中腹に位置する、商店や娯楽施設の立ち並ぶエリアは人通りが都市一多い。

 魔法種族(マジックユーザー)であるエルフたちは皆、人間の魔導士たちのようにローブと三角帽という格好であった。すれ違う彼らを横目に、シルは率直な感想を口にする。


「……人間みたいな服装の人たちが多いわね。前に来た時は民族衣装を着ている人もちらほら見たのに」

「エルフが俺らを差別するときの文句の一つに、『ダークエルフは人間とは異なり色黒である』ってのがあるんだ。自分たちは肌が白くて人間に近しいから優れてるんだってさ。俺は、別に人間が一番ってわけでもないし、肌の色で優劣をつけるのもどうかと思ってるけど」

「それが正しい認識よ。どの種族が一番だとか、そんなことでいがみ合うなんて間違ってるわ」


 隣で揺れる三日月型の耳飾りに、シルは頷く。

 エストラスはそこで立ち止まり、一歩先に出たシルの背中に言った。


「あんた、いい人だな。世の中があんたみたいな人ばかりになれば、この世界はもっといい所になるのかな」

  

 シルは微笑み、彼を振り向くと首を横に振った。


「私みたいなのが世界に溢れかえったら、それはそれで困るわよ。人の性格や見た目が様々なのは、何か意味があってのことなんじゃないかって、私は思う」

「ふーん。ま、意見も人それぞれってことだね」


 言いながら、エストラスの瞳はどこかここではない別世界に向けられている。

 シルと最初に話した時と同じだ。瞬きもせず、彼の色のない目は何かを注視している。

 ――この子は何を見つめているのだろう。

 自分たちの「現在」だろうか。「過去」だろうか。それとも「未来」だろうか。あるいは、シルには及びも付かない、彼にしか見えない世界の景色だろうか?



 エルフの市場は坂道にあり、そこを上ったり横道に逸れたりしながらシルたちは目的の場所に急いだ。

 緩やかな坂に見えて、距離があるため案外疲れる。うっすらと汗ばんできた額をハンカチで拭い、シルは立ち止まってエストラスに声をかけた。


「ねえ、まだ着かないの? 私、そろそろ休憩したいんだけど」

「体力ないなぁ。普段運動とかしてないだろ」


 図星なので、それ以上の文句も口に出しづらい。シルは観念して先を行く彼に続き、足を進めた。

 最初の広場と同じく石畳の坂道や、そこに立つこじんまりとした服屋や土産屋を眺め、彼女は呟く。

 沢山の観光客でごった返す中、ダークエルフの優れた聴覚は彼女の言葉を丁寧に拾ってくれた。


「ほんとに観光地って感じね。エルフだけじゃなくて人間もそこそこいるし……ダークエルフや小人族はあんまり見ないけど、全くいないわけでもない。色んな人がいて、栄えていて……この街の雰囲気が私は好き」

「都会暮らしには適度な田舎加減だよな。ビルもないし、移動手段は『魔力車』じゃなくて箒だ。たまに来る分にはよくても、毎日はしんどいと思うぞ」

「……確かに。あ、そういえば『シュヴァルツアルフヘイム』の首都はどんな所なの?」


 シルはその街を教科書でしか見たことがない。だから興味本位で訊ねたのだが――エストラスの表情は、そこで明らかに硬くなった。

 黒い目が、何を言うべきかとシルの前で彷徨う。


「――わ、わからないなら、別にいいのよ。ダークエルフでも、皆が首都に行ったことがあるとは限らないものね」

「あ、ああ。俺、田舎者だからさ。ごめんね、話せることとかなくて」


 エストラスの笑みが無理して作っているものであることは、知らないことだらけのシルにだって気づけた。

 しかし彼女は、彼の領域に無為に踏み込みはしなかった。そこはエストラスにとっての聖域だから。他者に語りたくない心の問題は、知り合ったばかりの自分が触れていいものでは決してない。

 

「もうすぐ目的地に着くよ。そしたら休憩だ」


 エストラスはシルの腕を引き、人通りの少ない細い脇道へ連れて行く。

 建物と建物の間で陰る通路はひんやりとしていて、シルの落ち着かない心臓をどうにか静めてくれた。

 自分は今、この街のどのあたりにいるのだろう。地図でも持って来ればよかった――彼女はそんな取り留めのないことを考えて、覗きかけた暗闇から意識を逸らそうとする。


 通路はどんどん入り組んでいく。何度も曲がり角を過ぎ、坂を上がったり横道を行ったり……まるで迷路のような道を抜けた先に、その闇市はあった。



「ダークエルフの少年よ、また来てくれたか。……その女性は?」

 

 嗄れた男性の声がエストラスを迎え、その視線はシルに向けられた。

 彼の鈍色の瞳には見覚えはない。だが、そこにある夜空の星のような輝きに、不思議とシルは懐かしさを感じた。

 灰色の髪はボサボサと長く、顔色も青白い。ぼろ切れといって間違いないローブを着るこの男が何者なのか、シルにはどうにも判断がつかない。一見こじきの類いにも見えなくはないが、彼女の勘は「それは違う」と告げている。


「この人は、シル・ヴァルキュリア。アスガルドの役人だ」

「何……アスガルドから来ただと?」

 

 見た目は青年と壮年の中間といった男は、エストラスからシルの身分を聞くと露骨に顔をしかめた。

 嫌悪感を一切隠そうともしない灰髪の彼は、近くの壁に寄り掛かると言った。


「私はヴィーザル。この『アリア』に長らく住み着いている、物好きな神よ。シル・ヴァルキュリア……お前はまさか、ただの観光のためにこの闇市に来たのではあるまい?」


 ――神、この人が……。

 シルは、彼の目に覚えた懐かしさはそれだったかと気づいた。

 神ヴィーザルの言葉に頷き、彼女は自らの目的を口にする。


「この世界に今、大きな異変が起こりつつあるのは、貴方もご存じでしょう。私はその原因を調査し、知り得た真実を女王ティターニアに献上すべく『アリア』の地を踏んだのです」

「そうか。――シル・ヴァルキュリア、この闇市を見渡してみて、お前は何を思った?」


 脈絡もなく問われ、シルはやや狼狽えたが、改めてこの場を観察してみた。

 狭い路地に敷き詰められた、商売人たちの広げる物品の数々。その商品を吟味する、決して富裕層とは言えない身分の亜人たち。薄汚れた服しか着られない者たちのための、裏の市場だ。

 表通りの商店街にあるような活気は、ここにはない。代わりにあるのは、生きるために必死になる人たちの眼のぎらつきである。


「何と言うか、息苦しいです。ここにいる人たちは心にある種の『重石』を抱えているような……。安らげる環境にいられない人たちのように見えます」

「『重石』か。的を射た例えだ。だが、その重石は彼らが勝手に抱え始めたものではない。それは分かっているな?」


 シルは首を縦に振った。目を伏せた彼女は、掠れた声で男神に答える。


「社会に……この国そのものに、追い詰められた人々。彼らはそんな存在なのですよね。私たち人間の中に、どれだけこの事を知っている者がいるか――。私も、知らなかったのです。自分の無知が、無性に悔しい」


 目の前に苦境に立たされている人達がいれば、助けずにはいられない。かつて孤高だった女は、恋人パールと関わってからそう変わった。

 歯を食い縛ったシルはエストラスへ視線を移す。彼はさっそく自分の商売に取り組み、鞄から故郷の薬草を幾つも広げて売り込んでいた。『シュヴァルツアルフヘイム』の薬草は本当に貴重らしく、開始から五分も経たないうちに数人の客が彼の前に集まってきていた。

 

「お兄さん、お久しぶりです! 今日は特別安いですよ、こいつら全部まとめて、なんと――」


 ダークエルフの青年に笑顔を向けるエストラスを見て、シルは目を細めた。

 

「彼、とっても生き生きしてる。最初は感情の読めない子だと思ったけど……あの笑顔、素敵ね」

「あれが素敵に見えるか? おめでたい奴だな」


 舌打ちし、ヴィーザルはシルを睨み付ける。彼の歪められた口許に、シルは自分が少年の表面的な部分しか見ていないことに気づかされた。

 彼を助けたいと思っても、彼というダークエルフの本質を知らねば、それは余計なお節介になるだけかもしれない。

 

「彼の笑顔は……どれも無理して作っているものなのですか」

「どれも、とは言わん。あの子が心から笑顔になれる相手は何人かいる」

「へえ……あ、もしかしてその人たちが、さっきエストラス君の言ってた『エルフにしてはましな奴』かしら」

「シル・ヴァルキュリア……お前は何故あの子にそう関わろうとする? 闇市にわざわざ訪れ、そこにいる者たちについて話そうというお前は何者なのだ?」


 ヴィーザルの鈍色の眼が、シルの心を穿とうとする。

 自分は何者か――これまで生きてきて初めての問いだったが、シルは逡巡することなく答えられた。


「私は【永久とわの魔導士】。世界に平和が永久にもたらされる、そのために戦う存在です。私は、エストラス君たちが本心から笑えるような環境を作ってあげたいのです」

「……お前がどういう人間かは、理解できた。私がとうの昔に捨てた博愛の心を、お前は持っているのだな。では、その上で忠告しよう。女王ティターニアは、お前とは正反対の人種だ。話し合っても分かり合えるとは思わん。いくら主張しようが、あの女は自らの意思を曲げることはなかろうな」


 ヴィーザルの心に深く巣くうのは、何よりも強い諦念だ。

 彼はエルフたち『中層』の情勢を長い間見守ってきた。変わることのない彼らの国や社会に、ティターニアが現れるより前から見られた差別や格差に悲嘆してきた。

 

「そうですか? 私はあのイヴ女王とも会談したことのある魔導士ですよ。エルフの女王だって、きっと動かせます。――いいえ、動かすわ」


 諦めに支配された男神にとって、シルの言葉は酔狂にしか見えなかった。

 溜め息を吐きながら彼は苦笑を浮かべ、言った。


「自信があるのはいいことだな。まぁ、頑張りたまえ」

「はい。私は必ず、この国を変えてみせます」


 強い言葉をあえて口に出すのは、ある種の暗示のようなものだ。正直にいうとシルは、完璧に目的を成せるとは思えない。けれど、成さなくてはならないのだ。エストラスたちの安寧のためには、誰かが立ち上がらなければ何も動かせない。


「よーし、完売だ! シル、今日はさっさと切り上げるぞ」


 エストラスの弾んだ声に呼ばれ、彼女は「今行くわ!」と声を返す。

 片付けを始める少年を尻目に振り返ったシルは、最後にヴィーザルへ頭を下げた。


「短い間でしたけど、お話ありがとうございました。私、まだまだ貴方のこと知りませんから、できればまた会いたいです」

「私は常にここにいる。だから、暇を作ってアルフヘイムまで降りてくればいい」


 ヴィーザルが素っ気ない口調で言う。世界を諦めた神に興味を持ってもらえたことが嬉しくて、シルは小さく笑みを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ