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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

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16  ダークエルフの事情

「わ、私は、世界の異変の原因を、エルフの族長へ伝えるために来たの。……嘘じゃ、ないわ」

 

 少年のいまいち思考が読み取りづらい目に、とりあえず念押しする。

 ダークエルフの男の子は、シルを見上げたまま動こうとしなかった。大きなブラックダイヤモンドのような瞳が魔女を捉え、離さない。

 彼はシルの顔を見ているわけではなかった。シルから見た少年の目は、どこかここではない場所へ向けられている。ひたすらに真っ直ぐ、眼球の表面に涙の膜が浮くほど長く、彼は瞬きもせずに何かを見ていた。

 

「き、君……何を見ているの? 私の顔にゴミでもついてた?」


 自分の胸中のざわめきを悟られたくなくて、シルは精一杯の誤魔化し笑いを作った。

 それでも少年はシルには見えない何かに吸い寄せられていて、彼女はもう困惑するしかなかった。

 

「ね、ねえ、君! 話しかけてきたのはそっちじゃない、返事くらいしたらどうなの!?」

「あ、あぁ――ご、ごめん。いつもの悪いやつが出ちまったみたいだ。それで……お姉さんは世界の異変について、エルフ族長に伝えるんだったよな。そのことなんだけど、止めた方がいいよ」


 ぼうっとしていたようで話はきちんと聞いていたらしい。シルが語気を強めて言うと、少年は短く頭を下げて謝った。

 顔を上げた彼は、薄い唇に細い指を添えながら神妙な口調で告げてくる。

 

「どうして? エルフ族にも不作の影響は出ているはずよ。このままではまず地方が飢え、やがては王都も……。エルフの族長は、この危機に対処する気はないってこと?」

「そうなるね。あの傲慢な女は、自分たちだけがこの中層で生き残れればいいと思っているんだ。あいつは本当に独裁的な、クソババァだよ」


 ――ク、クソババァ?

 シルは少年の物言いと、感情が無いものかと思っていた彼自身の口からその言葉が出てきたことの二つに驚きを露にした。

 少年はそんな彼女を意に介さず、エルフ女王への不満をぶちまけていく。


「奴らは俺たちダークエルフや、『ニダヴェリール』に住む小人族を下等な民族だと見下してる。エルフ全員がそうだってわけじゃないけど、女王ティターニアをはじめとする大多数はそうだ。奴らはこの食料危機にあっても、俺たちから搾取して生き延びようと目論んでるんだ。俺たちはそうされて当然の民族だからって、こっちの意見も聞こうとせずに」


 エルフ族の王が五年前に代替わりしていたことは知っている。しかし、そのような実情は初めて聞いた。

 それも当然かもしれない。以前シルが『アルフヘイム』を訪れた時、彼女は他の亜人たちについて特に訊ねることもなかったのだ。そしてエルフたちも、わざわざ自分たちのそういう部分を表に出そうとはしなかった。客人相手なら、なおさらそうだろう。


「エルフ族はダークエルフと小人族を差別し、彼らの人権を無視するような圧政を敷いている。その上、そういった行為を私たち上層の人間たちには隠蔽していたのね。――これが真実なのだとしたら、とんでもないことよ」

「それが本当だから問題なんだ。お姉さん、あんた俺たちのこと全然知らないだろ? 平和ボケしたその頭に、俺が実情を叩き込んでやる」


 激烈な炎のごとき怒りが彼の小さな身体から沸き上がり、その声はシルとの間の空気をびりびりと震わせた。

 頬の刺青を歪める少年は、魔女の腕をやや強引に取って引っ張る。


「っ、ど、どこに行くの!?」

「『アリア』に俺の知り合いがいる。エルフにしてはまともな奴らだ。とりあえず、ついてきなよ」

 

 ――それは君の個人的な用事でしょう! 

 シルは心中でそう叫ぶが、女王ティターニアが本当に融通の利かない人物なのだとしたら、いきなり会っても追い返されるだけだろう。彼についていって、これからどうするか策を練るのもいいかもしれない。

 見晴台から街へ続く階段へ足早に進む少年に、ふと思い出してシルは訊ねた。


「ちょっと待って、君、名前はなんていうの? 素性もよく分からない子についていくのは、流石に不安なんだけど」


 少年は立ち止まって振り向き、色のない瞳を細く歪めた。


「俺はエストラス。平民だから名字はない。俺が『アリア』に来てるのは、商売のためさ。俺たちの国『シュヴァルツアルフヘイム』にしかない薬草が幾つかあって、闇市でそこそこの値で売れる。それに……この身体だって立派な商売道具だ」


 エストラスの着ている装備は確かに高級品ではなく、そこらにあるような簡素な防具や剣であり、彼の身分を証明するのには十分だった。平民というが武器を揃えられ、それをきちんと整備できる余裕もあるようで、シルが以前会ったあの少女よりもマシな暮らしはできている。

 と、そこで一つ引っかかったことがあってシルは聞いた。 


「身体が商売道具って、どういうこと?」

「あー、上層の人間様にはわかんないことかな。見たところ、あんたは富裕層だろうし」


 エストラスは「参ったな」と黒髪を掻き回しながらため息を吐いた。


「俺たちみたいな貧民は、稼ぐためなら手段を選ばない。意地でもプライドを曲げない奴もいるけど、俺はそんなもんとっくに捨てたよ。エルフは高潔とかいうけど、そんな中にも物好きはいる。生き遅れのババアとか糞みたいなジジイやら……そんな連中と性交渉をして金を貰ってるんだ。軽蔑するか?」


 シルは何も言えなかった。少年の目の中にある闇がどこからもたらされたものなのかを知り、また言われなくては理解できなかった自分の無知さにも気づかされた。どう声をかけたらよいのか、彼女は言葉に迷う。無知な自身を恥じながら、シルは手探りで少年に近づこうとするが――。


「別に、そこまで深刻なことでもないよ。嫌でもないし、メインの稼ぎは薬草売りだし。こっちの仕事は、薬草が不作の時くらいしかしない。そんで――この話はやめにして、そろそろあんたの名前も聞きたい」

「わ、私は――シルよ。シル・ヴァルキュリア。アスガルドの王城の、【豊穣神】のもとで働いているの」

「え、じゃあ、めちゃくちゃ偉い人ってこと? 普通の金持ちよりも、大金持ってんだろ!? いいなあ、羨ましいや」


 飄々としている少年の、羨望の目にシルは身じろぎする。

 そうだ――これまでずっとアスガルドで暮らしてきたから意識することは少なかったが、こんな格差も世界にはあるのだ。

 不作どうこう以前にこうした現状も変えていかないと、人々の争いはなくならない。

 一官僚でしかない自分がやるべきことではないかもしれないが、やはりエルフやダークエルフたちの長たちと接触して、何か変えられないか挑戦してみた方がいいだろう。


「エストラス君、私、今日はあなたと一緒に行動するわ。今の『アリア』とあなたを見て、それから女王ティターニアに会ってみる」


 エストラスは漆黒の瞳を(みは)った。彼は一度深く頷き、その端正な顔に笑みを作った。


「わかった。けれど、くれぐれも問題は起こさないでくれよ。この街での居場所を失いたくはないからな」

「私は学園時代は優等生だったのよ。ご心配なく」


 そんなことをのたまいつつ、シルは前を歩く少年の頭を軽く撫でた。

 一瞬ぴくりとする彼ににやっとしながら、内心で呟く。


 ――今日は朝から色々あったけど、これは夜まで油断できない時間が続きそうね。


 もしかしたら、自分史上もっとも密度のある一日になる可能性もある。

 楽しみだわ――澄んだ青の『アルフヘイム』の空を見上げ、シルはそう期待に胸を躍らせた。



 エルフたちの街、『アリア』。

 周囲を森に縁取られた中にある彼らの首都は、大雑把に見れば円錐形の丘の上に作られている。麓は庶民の暮らす市街地、中腹は市場や娯楽施設の立ち並ぶエリアになっており、女王や貴族の住まいは頂きに位置していた。

『ユグドラシル』出口側の見晴台から下り、街の南の森を抜けたシルたちは、いよいよ『アリア』の門を潜るところである。


「一年ぶりね……あの頃から何か変わっているのかしら」

「『アリア』の街自体は一年前とほぼ同じさ。ただ、そこにいる人はちょっと違ってきてるかな」


 眉を上げ、どういうこと? とシルはエストラスに答えを求めた。

 森の樹で作られたアーチを背後にして、エストラスは目前の広場を見渡す。旅人をまず迎えるこの場所にあるのは、魔法で勝手に水が湧き出す噴水や、色とりどりの花が咲き乱れる花壇。背の低い植木も円形の広場の縁に等間隔で並べられており、まさに『緑と共にある街』を体現していた。

 グレーの石敷きの上を歩くのは、やはり多くがエルフ族である。シルやエストラスのような外部から入ってきた者は僅かで、二、三人見かけたその誰もが肩身狭そうに俯きがちだった。

 

「今までは……前の王が生きていた五年前までは、この街を訪れる他種族も多かったんだ。ダークエルフや小人族とエルフ族の関係も、そこまで悪くはなかった。今みたいに差別的な奴らはもちろん全くいないわけじゃなかったけど、大っぴらに言う奴は少数派で、何か言っては『ヘイトスピーチ』だって問題になってた。

 でも……今は違う。昔ヘイトスピーチとされていた発言は、もう何の問題にもならない。『当たり前』になってるんだよ。俺たちが止める間もなく、エルフたちの世論はそう傾いていったんだ。奴らの新聞を後で見せてやるよ。連日俺たちへのヘイト記事ばっかりだ。鬱憤や不満の捌け口にちょうどいいから、記者たちも喜んで書きやがる。それを書けば新聞の売れ行きも上がる。一つの新聞社が売れれば、負けじと別のところも過激な記事を書く。人々はそれを読む。すると――世の中には、そういった意見が浸透していくんだ。

 馬鹿な奴らだよな。新聞に書かれてることが全てだと思って、俺たちを差別するエルフがほとんどなんだぜ。10年前、共同で開いたスポーツ大会の時は、共に手を取り合って行こうとか言ってた癖に。あーもう、話してたらマジでムカついてきた!」


 エストラスはそう捲し立てると、艶やかな黒髪をグシャグシャとかきむしった。

 地面を蹴りつけついでに唾を吐いた少年は、シルの視線を受けてやや恥じ入ったように目を逸らす。


「つまらない話を聞かせたな。気分悪くしたか」

「そんなことはないわ。むしろ、ありのままを語ってくれて助かってる。嘘でこんな怒りのこもった言葉を連ねるなんて、できっこないと思うし。不満ならいくらでも聞くわ」


 目を背けておける問題ではなかった。平和を願うシルには、決して避けて通れない道。

 シルはこれまで『中層』の実情をこれっぽっちも知らなかった。自分の住む『アスガルド』だけが彼女の世界で、『下層』のことも、同じ上層でも『ヴァナヘイム』や『ミッドガルド』のことすらも、詳しくは知らない。

『無知』から脱さないと何も変えられない。何も理解せずに口だけ出しても、物事の深層までは辿り着けないのだ。学園時代に教師が言っていたこと――当時は殆ど聞き流していたが――を、シルはこの時になって思い出した。

 

「そうか。ならありがたいが……残念ながら俺の苛つきはまだ収まってない。シル、あんた魔導士だろ? 一発付き合え」


 エストラスの瞳に宿っている瞋意の炎を見て、シルは彼の言葉の意味をすぐに察した。

 腰の剣を抜く少年に対し、彼女も自らの杖を構える。


「ほんとに一発だけにしてよね。あんまりやると騒ぎになるから」

「わかってる。――じゃあ、いくぜっ!!」


 鋭い犬歯を剥き出しにし、ダークエルフの少年は雄叫びを上げた。

 彼の上段に構えられた剣は水色の魔力の光を宿し、白い冷気を辺りに放散していく。

 一瞬にして氷を刀身に纏わせると、エストラスは地面を蹴飛ばして怒りのままシルへ突撃した。


「氷の剣……! なら、これよ――【絶対障壁】!!」


 シルの銀色の長杖が閃く。彼女が唱えたのは、エルと共同で組み上げた何をも『守る』魔法の呪文。

 エルの光の防壁と対を成す、黒い魔力が生み出す鋼鉄の防御だ。

 六角形の漆黒の板が瞬時に空中に現れ、幾つも組み合わさって一つの巨大な盾を作り上げる。


「このっ、くそったれどもがぁあああああッッ!!!」

「――っ!? なんて力なの――」


 ガキ――ン!! と剣と盾の激突する大音声が広場に響き渡った。

 特に小細工しているようにも見えない氷の剣にも関わらず、それはシルさえも驚かせる強烈な威力を有していた。

 黒き盾がみるみるうちに冷気に侵食され、凍てついていく。少年の叫びに、荒れ狂う感情に呼応して、彼の剣は力を増す。


「やっ……!? ちょっとやりすぎよ、あんた……!」


 踏ん張ろうとした足元が凍りついているのを一瞥して、シルは歯を食い縛った。

 とんでもない出力の魔法だ。単純だが、怒りに燃える者が使うならその方が強い。深く考えずとも、激情に任せて強引に火力を増幅させられるためだ。

 魔法と魔法のぶつかり合い――こんなのは初めてだ、とシルは笑う。学園では魔法を用いた決闘じみたものもしたが、どれもシルを満足させる結果は生まなかった。誰もが次なる【神】候補のシルに遠慮したり、恐れるあまり全力で挑んで来なかったのだ。

 しかし、今回は異なる。相手は今日出会ったばかりのダークエルフの少年で、シルへ遠慮など一切しない。それどころか上から目線で話してくるような男の子だ。


「面白いじゃない! 素直に認めるわ、あんたは強い! けれど……私はさらにその上をいくわ!」


 強い相手がいるなら乗り越えたい。それが魔導士の、いや勝負師の性だ。

 魔法の戦いこそが、シルをこの世で最も興奮させる娯楽。一旦夢中になってしまえば、もう彼女は止まることを知らない。


「今、解き放つ――【漆黒十字掌】!!」


 この魔法を使うのには杖すらいらない。

 武器を捨てて両手を自由にしたシルは、盾が魔法完成までの一秒を耐え抜くことを信じて拳を握り込んだ。

 その手に闇の魔力を集束させ、右腕は横、左腕は縦と、十字に組み合わせる。

 最後に握り拳をほどき、練り上げた魔力の全てを解放すれば――黒い十字架の形を成したエネルギーの塊が、一直線に目の前のものを吹き飛ばす砲撃と化す。


「ぐはっ――!!?」


 瞬間、墨で塗りつぶされたように少年の視界は失われた。その直後、彼の身体は見えざる手によって前から突き飛ばされる。

 背中から地面に叩きつけられ、二、三度転がって止まったエストラスに、シルは「やりすぎたかしら」と冷や汗を垂らした。

 彼女は蹲ったまま微動だにしなくなった少年へと駆け寄り、慌てて拾い上げた杖を彼に向け、治癒魔法を発動した。

 彼に魔法をかけながら、吹っ飛ばされた少年が削った地面を見つめる。五メートルに渡って少年の横幅の分えぐれてしまった石畳に、自制が効かなかったことを反省した。


「うっ……くそぉっ。あんた、遠慮なさすぎ……」

「エストラス君――ごめんなさい! 私、戦闘になると加減できなくて」

「変なとこで謙遜しなくていいよ……あんた、俺を殺さないように手加減してた」


 少年にそう見抜かれ、シルはこの状況にありながら舌を巻いていた。

 一般人に魔導士が全力を出しているのかなど、普通は判別できない。相手の魔力量や、魔導の力量をしっかりと見極められるのは、実力のある魔導士である証だ。従ってこの少年は、やはり相当な力の持ち主ということになる。


「君こそ、魔導士としての才能は十分あるわ。誰かに教わったの?」


 擦りむいた腕の傷や全身の痛みがすっと引いていくのに目を丸くしながら、エストラスは頭を振った。

 

「さっきも言ったけど、俺に家庭教師を頼めるだけの財産はないよ。こいつは独学だ」

「へえ……独学であそこまで高威力の魔法を使える人、私が見た中では君しかいないわ。これは磨きがいのある原石を見つけたかも……」


 パールに頼んでこの子を『聖魔導学園』に入れてもらえたら、きっと偉大な魔導士に育つはず。

 そんな展望を頭に描きつつ、シルはエストラスの手を引いて起こしてやる。

 

「【修復魔法(リペア)】!」


 その一声で壊れた石畳を完璧に直してみせ、またも少年の感嘆の視線を受けるシルは、杖を腰に差すと彼に向き直った。


「どう? イライラは収まったかしら」

「あ、ああ……もう大丈夫だ。――っと、いけねっ! 約束の時間に遅れちまう! 急ぐぞ、シル!」


 ――全く、どうやらこの子は私を振り回さないと気が済まないらしい。 

 シルは内心で苦笑するも表情には出さず、ただ頷くに留めると、手を引っ張ってくる彼に身を任せた。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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