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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第9章 『ユグドラシル』編

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14  神と魔女の夜想曲

 ――『グリームニルの歌』第五章一節より――


 この手記に記すべき面白い出来事が、今日また一つ増えた。

 以前から話を聞いていた若者たちの反逆に、この老いぼれが加えてもらえるという。――自分で書いておいてあれだが、老いぼれなのは精神のみで私の肉体は依然若々しい。力に目覚めた十代の頃から、私は美しさを保っているのだ。

 少し脱線したな。シルとパール、それからハルマとエルという四人の若者たちが反逆を企てる相手が、また恐ろしいものだった。


 女王イヴ――私は彼女を知っている。他でもない彼女が私を作ったのだから、忘れようにも忘れられない。


 他の神とは異なり、私はまつりごとには関わらず放浪する道を選んだ。例え『出来損ないの神』と揶揄されようとも、私は傍観者でありたかった。

 臆病だったのだ。【神】は人間だが人間ではない。その力は小さな町なら一瞬で砂塵と変えるほどで、正真正銘の「生ける殺戮兵器」だ。私はその力を使うかもしれないという未来が怖かったのだ。だから、戦争に一切関係しない流浪の旅人となることを望んだ。


 その流浪の存在が、これから自らをデザインした母親に逆らうという。

 まったくおかしな話だ。本当におかしい。

【神】は女王に従う。それがこの世の常識なのにも関わらず、私は最初から彼女の駒として動こうとしなかった。まさしく出来損ないである。

 だが、出来損ないにも出来損ないなりに選択する権利はあるはずだ。

 進歩を望む女王の意思に反して、現状歴史はさして流れることなく停滞している。

 傍観者である私は、ただ観てみたいのだ。女王がいなくなったら世界はどうなるのかを。

 女王の没した先に新たな世界が見えるなら、私はそこへ行ってみたい。


 ハルマ少年と出会った偶然に、私は感謝しなくてはならない。

 あの公園のベンチに腰掛けた私に少年が声をかけてきた偶然に、ありがとうと言わねばならない。

 私は戦わず、普段は神であることも隠して生きている。それでも、彼らの背中を押していけたらと、ただ切に願っているのだ。



「この『ユグドラシル』全体で、穀物の収入がここ数年に渡って減っている……私の力があっても、状況はどうにも好転しない」


 半島の中枢都市、アスガルド。九つの国が属する『ユグドラシル連邦』を統べる脳であり、女王イヴの居城が鎮座する大都市だ。

『ユグドラシル連邦』は巨大な樹によく例えられる。魔導により発展してきたこの国々は、イヴや原初の神が作り出した『幹』と『枝』に支えられた三層の構造となっているのだ。


 シルたちが住まうアスガルドは、ユグドラシルの枝葉の最上層。巨神の一族が支配する『ヴァナヘイム』と、いわゆる人間界たる『ミッドガルド』もそこに並ぶ。

 エルフなど妖精族の棲む『アルフヘイム』、地の精霊が棲む『シュヴァルツアルフヘイム』、小人族の暮らす『ニダヴェリール』は幹の中間辺りの枝の上にそれぞれ位置している。

 そして、この世界の黎明期に栄えていた『霧の巨人』たちの子孫が住む『ヨツンヘイム』、炎の世界『ムスペルヘイム』、永久凍土の世界『ニブルヘイム』――根本にあるのはこの三国だ。

 

「はい……下層の国々はともかく、中層は自然豊かな場所だったはず。まさか、そちらでも異常が起こっているのでしょうか?」


 シル・ヴァルキュリアは机上の『ユグドラシル』の地図を睨みながら、上司たる【神】に訊ねた。

 ここは王城の【豊穣神】の執務室。国内の第一次産業を司る部署であり、現在のシルの勤め先だ。

 部屋には豊穣神の趣味が大いに反映されていた。壁は本棚がぎっしり並べられ、隅の小机には常にティーセットが置かれている。執務机は豪奢ではなく、黒を基調としたシンプルなものだ。調度品の類いもなく、部屋の主の飾らない性格がよく表れている。

 西日が差し込むこの部屋がシルは好きだった。その主たる神、フレイのことも、心から尊敬できる人物だと思っている。


「どうだろう。先月、私が見に行った時は特に異常は見られなかったのだが……。我々の目の届かない所で、何か大きな異変が起きているのかもしれないな」


 神フレイは、見た目はシルと同年代の青年である。

 男性にしては長めの金髪を後ろで括っており、整った顔立ちに切れ長の蒼い目が都市の女性に人気の【神】だ。纏う衣装は魔導士特有のローブで、色は純白。

 日頃から甘い微笑みを絶やさない彼の顔も、しかし今は険しく硬い表情であった。


「それは確実でしょうね。しかし……フレイ様のお力をもってしてもどうにもならないことなど、これまでありませんでした。打開策は、私には思い付きません」

「それを言うにはまだ早い。君は若いながら優秀だ、きっとこの件についても原因を解明できるよ」


 シルがフレイを慕うように、フレイも彼女を深く信頼していた。

 アスガルド政府の『農林水産省』で【豊穣神】の右腕を務める魔女は、神の眼差しに「では」と続ける。


「私に、調査に出向けというのですね」

「ああ。まずは中層の国々を視察し、そこの族長と話してほしい。――管轄する【神】ではなく、エルフや小人の長と話すのだ」


 その地のことを最も理解しているのは、古くからそこに住まう民たちである。だがフレイの台詞の真意は、他の【神】を信用できないというところにあるのではないか――。

 と、シルは考えたが黙って頷くに留めた。

【神】たちの間にはシルも知らない多くのしがらみがある。むやみに触れて、上司フレイの機嫌を損ねてもシルには何のメリットもない。ここは波風たてず大人しく従えばいいのだ。

 

「了解しました。では、明日にでも発ちます」

「済まないね。君には面倒事を押し付けてばかりだ」

「いえ、大丈夫です。このくらいなら簡単なことですので」


 シルはにこっと笑い、彼の喜びそうな言葉を適当に並べた。

 本心では中層の視察に時間を取られたくはなかったが、仕方あるまい。

 ――それに、出先で何か新しい発見があるかもしれない。シルがここを離れてもパールやエルたちはこれまで通りアスガルドにいるし、グリームニルだって『ヴァナヘイム』で己の役割に徹してくれている。シル一人が別件に携わろうが、計画の進行はそこまで滞らないはずだ。

 窓を見ると、そこに映る空は紫に染まろうとしている。

 黄昏にかつての妹との時間を思い出しながら、シルは神に一礼して部屋から退出した。


 シルとパールが学園を卒業してから二年が経った、初秋の頃だった。



『ユグドラシル』。


 一般に『世界樹』と称されるこの大木が生まれたのは、今から約千年前、神々と大罪の悪魔の戦争が終結した直後であった。

 当時、世界は戦乱の果てに荒廃し、文字通り崩壊していた。神と悪魔の魔導の力が暴威を振るい、ある大陸は炎に包まれ、またある大陸は海に沈んだ。

 生き残った人々は新たな安住の地を求めた。しかし、世界にまともに暮らせるような土地は既に残っていない。神々の力で壊れた世界を修復するのも、時間がかかりすぎる。

 そんな時に声を上げたのが、女王の座に就いたばかりのイヴであった。


 ――世界が壊れてしまったのなら、まったく別の新しい世界を創り出せばいいのよ。


 女王の構想は歴史上誰も考え付かなかった、突飛なものだった。

 崩壊した大陸の代わりに幾つもの『空中都市』を作り、それを一つの『幹』で繋ぐ。途方もない時間と労力を捧げなくては完成しないと言われた、無謀な計画だった。

 しかし、女王はそれを実現してみせた。彼女は自身と【神】たちの全ての魔力を注ぎ、空の頂きに届く塔のような『幹』を最初に作り上げた。

 それから段階的に下層、中層、上層と『枝』が張り巡らされ、その上に都市ができた。人々は種族に分かれて各都市に移り住み、九つの国が成立する。

 それまでにかかった時間は、なんと僅か一週間。新世界の創造者――自分達が崇拝されるには十分すぎる功績を神と女王は残し、それは千年にも渡る支配を安定させる礎となった。

 

「まさしく神の創造物……こんなものを生み出してしまうのだから、やっぱりイヴは偉大な王なのかしら」


 中枢国家アスガルドは、その名の通り『ユグドラシル』上層の中央に位置している。

 王城の庭を貫いて生えるのが、漆黒の鋼のごとき大木の幹だ。アスガルドはこの幹をぐるりと囲むドーナツ型の国家で、輪郭を高さ50メートルもの壁に縁取られている。

 この外側の東には神々が住む『ヴァナヘイム』の各都市、西には人間と獣人の居住地たる『ミッドガルド』が広がっていた。

 

 しとしとと雨の降る早朝。

 シルは独り言を呟きながら、目の前の幹を見つめていた。

 といっても、幹の外周が長すぎるため、彼女にはそれが真っ黒い壁にしか見えない。

 傘を片手に青い芝生に落ちる雨のカーテンをぼんやり眺めるシルは、ふと背後に何かの気配を感じて振り向いた。


「……だ、誰……?」

「あ、あの……シル・ヴァルキュリアさんという人を探しているんです。ご存じありませんか?」


 中性的でややハスキーな声に自分の名を告げられ、シルはしばし返答に困った。

 普段ならさっさと名乗る場面だったが、目の前の相手にどうしたものかと戸惑ってしまう。

 彼女に声をかけたのは、どう見ても子供にしか見えない小柄な人物だった。いや、『神物じんぶつ』と呼んだ方がいいかもしれない。

 

 軽くウェーブのかかった、肩に届くかどうかという長さの黒髪。抜けるほど白い肌に、ほんのりと紅の差す頬。細い体躯を魔導士の黒ローブが覆い隠し、露出は殆んどない。

 見た目や声で性別がはっきりしない、ミステリアスな魅力を持つ美しい子だ。そしてこの子の何より特徴的な部分が、常に閉じられた瞼である。

 目の見えないこの子を支えるように、その隣には必ず一人の従者が寄り添っていた。

 王城の近衛騎士の濃紺の制服を着た若い女は、柔和な笑みを浮かべてシルに会釈する。

 

「ヘズ……様。その、シル・ヴァルキュリアには何の用事で?」

「夕べ、変な夢を見たんです。金髪碧眼の若い魔女が、極寒の地『ニブルヘイム』へと降りていく夢を……」


 これから中層へ降りるため『幹』内部へ入ろうとしていたシルは、神ヘズの言葉に思わず息を呑んでいた。

 その様子に怪訝な顔をする女従者にも気づかず、彼女はヘズの台詞を反芻して考える。


 ――私がニブルヘイムに? 何の理由があって、あそこに向かう……?


「ボクは眼が見えないけれど、心の目はしっかりと開いて生きているつもりです。夢の中で見た景色や、そこにいた人々の行動が現実になる――そんなことが、これまで何度かありました」

 

 ヘズは盲目のため政府内でも要職につけず、常に守られている皇子のような存在だった。

 その予知夢について知る者も少なく、知っていても本気にする者は殆んどおらず、ヘズは素性の不明な立場の低い神といえた。


「シル・ヴァルキュリアさんを知っているのでしたら、伝えてほしい。あの地に近づくな、と。貴女にはまだ早いのだと、必ず教えてあげてほしいんです。どうか……お願いします」

「……わかりました。肝に命じるよう、シル・ヴァルキュリアには言い聞かせておきます」


 ヘズの切実な声音に、この人は嘘をつけない人種だとシルは感じた。学生生活を経て、政府に二年身を置いてきた彼女は、世界が善人だけで出来てはいないことを知っている。その世界の中で、この【神】は数少ない「いい人」なのだ。


「ヘズ様。シル・ヴァルキュリアを探すのに、どうしてこの場所まで来たのですか? 私とフレイ様以外、知る人はいなかったはずなのに……」

「そのフレイさん当人から聞いたんです。シル・ヴァルキュリアさんがフレイさんの部下であることは、以前から耳にしていましたから」

「そう、ですか。……では、私はこの辺で失礼させていただきます。仕事があるので」


 フレイと普通に話せる仲だったのか、とシルは内心で呟く。

 あの神の交遊関係はいまいち把握できていない。フレイは仕事外のプライベートな部分は徹底して見せず、シルを完璧に「仕事の同僚」として扱っていた。そのことに関してはシルもありがたく感じている。多くの神はイヴを崇拝しているため、その神々に情を抱かれるようなことがあれば面倒だ。それに、近い未来に裏切る相手と仲良くしても、後々辛くなるだけだとわかっている。


 ヘズには見えていないが、シルは深く頭を下げてからその場を後にしようとした。

 と、そこでヘズに声を投じられ、彼女は振り返った。


「あの――あなたの名前を、聞かせてはもらえないでしょうか?」


 どうして、とシルは一瞬肩をびくつかせた。

 この人はもしや、フレイやシル・ヴァルキュリアに関わっているという女と近づいて、何か企もうとしているのか。

 シルが答えられずにいると、ヘズは言葉を続けた。


「ボクの予知夢を自然に信じ、受け入れてくれる人はあまりいないんです。ボクは多くの人から邪険にされる存在で、【神】としても未熟なのに……普通に接してくれたから、えっと、だから……」

「私は――そうね、【永久の魔導士】よ」


 言葉に迷うヘズに、何だかむず痒くなったシルはやや早口に言った。

 咄嗟に出たこの二つ名の由来は特にない。ただ、どこかで聞いたことがあるような、後から思い返せばそんな気がした。

 

「【永久の、魔導士】……」


 緩く波打つ黒髪が、風に揺れた。慌てて傘を持ち直す従者を他所に、ヘズはシルの方へ一歩踏み出し、彼女の二つ名を唇に乗せた。


「【永久の魔導士】さん。また、いつか話せますか? ボクはあなたのこと、何と言うか――気になるんです」


 見た目は子供とはいえどこの人は【神】だ。そんな人から、まさか――。


「あなたが望むのなら、私はどこにでも馳せ参じます」

「ほ、ほんとですか!? あ、ありがとうございます……じゃあ、この場所でまた」

「はい。私はこれから中層へ向かわねばなりませんが、遅くとも一週間もかからないかと。一週間後、ここで会いましょう」


 ヘズは笑顔で、その顔を見る女従者も微笑んでいて、シルは胸の奥にちくりとした痛みを感じた。

 シルにはパールがいる。互いに別の仕事に就いてから会う頻度は減ったが、毎日メールのやり取りはしているし、何より同じ志を共にする仲間だ。これは彼の想いを裏切る行為になるのではないか――そう思っても、ヘズの純粋な心を傷つけてしまうのではと考えると冷たい言葉を吐くことはできなかった。


「中層の土産話、あとでたくさんしてあげます。楽しみにしていてください」

「は、はい。楽しみに待ってます。……じゃあ、また」

「はい。では、行って参ります」


 今度こそヘズと別れ、シルは大壁のような『幹』の『入り口』まで足を進めた。


 世界を司る巨大な幹の外面の各所には、その内部に通じる門がある。一見、洞窟のように見える『うろ』を潜り、門番の審査で許可を得れば誰でも通ることが可能だ。毎日多くの人間や亜人がここを通り、世界の層と層を行き来している。

 幹の中は本物の木のように中身が詰まっているわけではなく、中心の柱と幾重にも階層があり、商店や病院など様々な施設が配置されていた。


 世界の階層と階層の間隔は、一律に三百メートル。下層、中層の空はそこが限界となっている。空について軽く触れておくが、この二層の枝葉でできた天井は『ユグドラシル』の魔法により演出され、普通の空と比べても遜色ない景色が見られる。イヴと神々によって作られた世界だが、どこをとっても元の世界と変わらないようにデザインされていた。

 三百メートルもの距離を昇降するのは、力魔法により動くエレベータである。一時も止まることなく人々を載せて往復する魔道具を発明したのも、【神の母】と彼女を支える神々だ。


「ここを使うのも、もうすっかり慣れちゃったわね」


 シルのように政府の要職に就く者は皆、立場を証明するための特別なパスポートを持ち歩いている。

 カウンターの女性にそれを見せて彼女は入場ゲートをさっさと通りすぎ、漆黒の壁面に白い照明が輝く空間を見渡した。

『ブラックストリート』と呼ばれる、王城側の門を抜けて最初にある広大な通路。

 ここは常に多くの人間の往来があるが、早朝の今はピーク時の半分もいない。そんな中、視線の先に一人の女性の姿を認めてシルは足を早めた。


 艶やかな腰まで届く黒髪を流し、同じく漆黒のドレスを身に纏った長身の女性。

 垂れ目と泣き黒子、深紅の唇が特徴の彼女は若いとはいえないが、その美しさは全盛期と変わらず人を惹き付けてやまない。

 

「あら、シル・ヴァルキュリア……? 今日はどうしてこちらに?」

「ノート様。三ヶ月ぶりですね」


 夜の女神、ノート。妖艶に笑む彼女が人々につけられた異名は、【世界樹の番人】といった。

 暗闇と静寂を内包し、夜を司る彼女はこの場所を愛している。また、世界樹を内側から恒常的に見つめている貴重な【神】であった。 

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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