4 勝負
「し、勝負、ですか!? 今、ここで……!?」
エンシオさんの申し出に、僕は正直唖然とするしかなかった。
この研究室は戦うのに十分広いけど、かといって用途外の決闘をするのもどうかしてる。僕たちが本気で暴れたらこんな石の塔、簡単に壊れちゃうよ。
僕がそう言うと、茶髪の王子様はいたずらっ子の笑みを浮かべてのたまう。
「そんならエルに結界を張って貰えばいい。できるだろ、魔法攻撃を特定の範囲内に抑え込むあれだ」
こ、この人、妹のドジを諌めてるくせに……こんな人だったのか。
呆れて物も言えない僕の横で、意外とあっけらかんとしたエルが答えた。
「いいんじゃない? 私がこの部屋の壁や床、天井に結界を張れば、そこから外側には魔法の影響は一切伝わらなくなる。何を壊す心配もない」
「そ、そんな問題かなぁ……。でもまぁ、ここでは王子様がルールだし、いいのかな……」
「そういうことだ、トーヤ。俺の相手、してくれるよな?」
にっこり笑うエンシオさん。……ダメだ、断れる気がしない。
僕は溜め息を吐き、彼の誘いに頷くしかなかった。
勝負といっても、まさか本気で剣を向けてくるわけじゃないだろう。これは『神杖』の力を見せるためのデモンストレーションだ。だからまぁ、気負わず楽しむくらいの気持ちで挑む方がいいのかもしれない。
「【戦女神の白盾】!」
僕が腰のテュールの剣を抜くと同時に、エルが呪文を高らかに唱えた。白い光のベールが一瞬にしてこの部屋の輪郭を覆い隠す。
これまで僕らを何度も守ってきた防衛魔法である。外からの攻撃を防ぐこれは、内側からの魔法も等しく防いでくれるのだ。
「部屋全体に範囲を広げた分、防御力はだいぶ落ちてる。だから気をつけてやっておくれよ」
僕はエルの忠告に「もちろんだよ」と答える。エンシオさんもばっちり頷いたのを確かめて、彼の青い瞳をじっと見つめた。
エミリアさんもそうだけど、彼女以上にエンシオさんの本心は読みにくい。常に何か思索しているような、はたまた何にも考えていない時もあるような……そんな卑怯な二択なのだ。
今は何を思っているのだろう。神杖の力を見せびらかすのにワクワクしている? それとも僕との戦いを前に内心では興奮しているのかも。
「俺を観察しても得られるものは大してないと思うけどな。だが……相手を視るのは俺とて同じ。トーヤ、お前の全力を、俺にぶつけてみろッ!」
強い語気で吐き、エンシオさんは神杖を中段に構え直した。
それからすぐに動き出す。ガッ、と一歩踏み込んだ彼の第一撃を僕はテュールの剣で迎撃した。
「……っ、熱い!?」
フレイの《勝利の剣》と僕の《テュールの剣》が衝突した直後、相手の剣から放散される熱のすさまじさに驚愕する。
直接触れれば確実に大火傷する高温だ。こうして剣と剣を触れあわせるだけでも、あまりの熱に体力と精神力を削られる。
ならば接近戦は挑みにくいか。一旦距離を取り、テュールの剣の《力魔法》による攻撃に移らなくては。
「《勝利の剣》の属性は炎。複製であるこの神杖も、同じ属性を司っている。神器が有する様々な特殊能力はないが、単純な攻撃力なら並みの魔具以上!」
《勝利の剣》が白の閃光を放ち、火炎と共に僕へと迫り来る。
後退した僕との距離をすかさず詰めてくるエンシオさんに、僕は舌打ちした。
「あくまでも接近戦、って訳ですか」
「お前の神器の能力についてはわかってるからな。離れた所にいれば滅多打ちにされちまう。……正式な試合じゃないが、俺は一剣士としてお前に勝ちたいと思ってるんだ」
レイピアに見紛うほど細身で両刃のフレイの剣。神の造った美麗な剣を自分の剣で受け、僕は王子様の目を真っ直ぐ見据える。
エンシオさんは燃えている。この一瞬を全力で楽しもうとしている。
――同じなんだ、この人も。ルノウェルスのカイやヴァルグさんたちのように、剣と戦いを愛している戦士なのだ。
「なら、僕も……ッ!」
押されてばかりじゃいられない。
僕はこれ以上後退させられないように、両足で強く踏ん張った。《勝利の剣》を受け止める腕にさらなる力を込め、エンシオさんの剣力に負けないようにする。
「本気で、あなたと戦います! 神器使いのトーヤとして恥ずかしくない戦いをする、それが一番だと思うから!」
神テュール、貴方の力を貸してください!
心の中で神様に呼び掛け、テュールの剣に視線を移す。神フレイの剣と交差した片手剣は金の光を纏い――その輝きをどんどん強めていく。
僕の呼吸、鼓動と同調するように光は脈を打ち、明滅する。
「まぶっ……!? し、神化か――」
エンシオさんは目を細め、喘いだ。しかし彼は驚きこそすれ、怯んではいない。すぐにニヤリと笑みを浮かべ直し、口を開く。
心臓から腕や脚、全身に魔力が巡り、僕の姿を変えていった。同時に目の前のエンシオさんも身体に紅い炎を纏い始める。
「……っ、まさか……!?」
「あぁ、そのまさかよ!」
エンシオさんは剣を一息にこちらへ押し、こんな細い体のどこにと思えるほどの力で僕を突き放した。
彼我の距離が瞬間的に開く。その僅かな間に、王子様も『神杖』と一つになっていく。
「『神杖』も神器同様、《神化》を使える! オリジナルと違って持続時間は短いが……短期決戦には十分すぎるくらいだ」
そう言って輝く笑みを見せたのは本当に非の打ち所のない美青年だった。
父・アレクシル王と同じく神化時に髪が伸び、その色は金。同色の瞳は溢れんばかりの闘志を湛え、情熱にたぎっている。
その装備もまさしく華美で、豪奢な赤色の鎧と表が黒地で赤い裏地のマント、竜の革のブーツに加え、ルビーのピアスやネックレスなどで身を飾っていた。
「すごく綺麗だ。でも、力強さではトーヤくんの神化の圧勝だね」
壁にもたれるエルが言う。それを小耳に挟みながら、僕は剥き出しになった自分の右腕を剣を持たない左手で擦った。
神化により今の僕は本来の自分の体格から大きく変化している。細身だった体は大幅に筋肉がついて逞しく、背丈まで頭一つ分も高くなっていた。神化と共に両手剣サイズまで巨大化した《テュールの剣》も片手で軽々扱えるほど、この体の筋力は伸びているのだ。
エンシオさんの瞳に、ツンツンと逆立った朱色の短髪の僕の姿が映る。正直似合ってる気はしないけど――エルに言わせればこれはこれでいいらしいが――、神様が力をくれたからには頑張らなくては。
「行きます――【軍神の戦歌】!」
僕は神化に使っていた魔力の残りをそのまま魔法へ転用した。
それと同時にエンシオさんも鋭く呪文を唱え、剣をこちらへまっすぐ向ける。魔導士が魔法を発動するのとほぼ同様の構えだ。
「【豊穣神の陽光】!」
フレイの名を冠した魔法名。僕はその意味を理解しようとするのもすっ飛ばし、テュールの魔法に身を任せた。
「うおおおおおあああッ!!」
腹の底から出せる限りの大声で叫ぶ。精神の興奮、高揚――テュールの魔法はそれを肉体の力へ直接変換するのだ。
この剣で終わらせる――『神杖』が神器には絶対敵うことのない存在なのだと、ここでエンシオさんに思い知らせる。紛い物の武器に本当の強さはないのだと、教えてやる!
「はあああッ!!」
全身が加速する。二メートル以上はあった間合いをコンマ一秒で詰め、僕はエンシオさんに斬りかかった。大上段に掲げた剣を一気に振り下ろす。
――この一刀で勝負をつけてやる!
「くっ!」
ガキ――ン! と、金属と金属のぶつかり合う衝撃音が盛大に響き渡った。
彼の剣がテュールの剣を受けたのだ。エンシオさんの神杖は未だ折れず、僕の神器と互角でいる。
「全身全霊で打ったようだが、俺の神杖はそれで折れるほどやわじゃないぜ」
「やりますね……まさか、受けられるとは思わなかった」
耐久性は信じられないくらい高い。神器の一刀で壊せない武器というだけでも、強さとしては十分すぎだ。
エルも流石にこの場面には息を呑んだようだった。彼女の驚く声が鋭く響く。
「そんな、ありえない! 神器の力は絶対なはずなのに――」
「『絶対』、か……。俺はそんなものがあるとは思わない。神をも凌駕する人の力、それこそがこの『神杖』なんだ!」
エンシオさんはそんな僕らを見て不敵に笑った。
フラメル博士の作製した武器の第一使用者としての自負が、王子様にはある。そこから生まれる自信が彼に力をもたらしているのだ。
「さぁ、打ち合いといこうか!」
エンシオさんが攻勢に出た。黄金の髪をなびかせながら、王子様はレイピアを中段から突き込んでくる。
豪速の連撃だった。発する熱を増し、光と共に迫る細剣に、僕は必死に捌くことで精一杯。その恐るべき勢いに攻めに転じることも叶わない。
「――っ!」
一発一発の威力が段違いだ。神杖の力じゃない……エンシオさん自身の実力が僕を上回っているから、ここまでの力を出せるんだ。
突き技を受ける度、腕から肩にかけて震えるほどの衝撃がぶちこまれる。
痛い。そして……熱い。
汗が止まらない。呼吸が浅く、荒くなる。目の前のエンシオさんが霞んで見える。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ!」
どういうわけか、僕の動きは完全に鈍っていた。肉体のみならず、頭もぼうっとして考えが回らない。
細剣の一撃を、僕はついに取りこぼした。焦熱を纏う剣先が右腕から右肩までを一挙に切り裂いていく。
鮮血が飛び散り、目の前のエンシオさんの顔を赤く汚した。
――苦しい。
「もっと熱く! 暑く! お前の剣も、この技の前には屈したようだなッ!」
熱く、暑く。
あぁ、そうか……してやられた。
「終わらせよう」
エンシオさんはもはや笑みすら浮かべず、金色の眼で僕を射抜いていた。
最後の一突きが僕の胸を貫こうという、その瞬間――。
「やめ!! ――王子様、剣を止めてください!!」
エルの叫びにエンシオさんは突き出した腕を無理矢理引き戻した。
そして僕の意識はそれを見たのを最後に、ぷつりと途絶えた。
*
次に目を覚ました時、まず僕の眼に飛び込んできたのは灰色の石の天井だった。
どうやら、どこか屋内に寝かされていたらしい。
吊るされたランプの光に目を細めつつ、僕は口を開く。
「水……誰か、水を……」
喉がカラカラで声もか細く枯れてしまっていたから、誰も気づかなかったらどうしようと言ってから焦った。
けれど、杞憂だった。カタン、と誰かが席を立つ足音が聞こえ、それからコップに液体を注ぐ水音がした。
僕は上体を起こそうとして、腕や肩に走った痛みに顔をしかめる。
「と、トーヤくん! 大丈夫……? 私が支えてあげるから」
そう言って駆け寄ってくれたのはエルだ。僕が姿勢を変えるのを補助してくれる彼女は、心配そうに顔を覗き込んでくる。
エルからコップを渡され、冷たい水をごくごくと飲み干した僕は彼女に訊ねた。
「エル、ここはどこで、今はいつだ? それに、エンシオさんは?」
「この場所は王城の医務室で、今はあれから二時間が経ってる。エンシオ王子もここにいるよ」
辺りを見回してみると、そこは思ったよりも広々とした空間だった。ベッドが20個ばかり並べられたこの部屋は、今は僕とエル、そして少し離れた壁際に立つエンシオさんだけがいた。
エンシオさんは僕と視線が合うと、一度瞼を閉じ、それから改めてこちらを見つめてきた。
僕の寝ている窓際のベッドまで歩み寄った彼は、深々と頭を下げて謝罪する。
「すまなかった、トーヤ。ここまで追い詰めるつもりはなかったんだが……やりすぎちまった」
「あ、謝らないでください。エンシオさんの魔法が僕の一手上をいっていた、それだけのことですから。素直に負けを認めます」
僕は眉を下げ、緩めた表情で言った。
エンシオさんの魔法は、恐らくその場の『天候』を変える効果の技なのだ。あの時、地下室には光魔法により炎天下と同じ気象条件ができ、僕はその高温にやられてしまった。
エンシオさんの完璧な作戦勝ちである。そういう魔法に対峙したことがなく、すぐに気付いて対抗策を打てなかった僕の紛れもない失態。
この弱さを侮辱されるのは構わない。でも、勝者に謝罪してほしくは決してない。
「いや、だが……俺は、お前を……」
「本当に、いいですから! エンシオさんは実力で僕に勝ったんですよ。神杖の力より、僕はあなたの力の方が恐ろしかったくらいです」
複雑そうな顔をしていた王子様だったが、僕の言葉を聞いて唇を引き結び、静かに頷いた。
彼の本来の目的は神杖の力を僕らに見せ、評価を貰うこと。僕らも彼に応じた以上、きちんと批評するのが礼儀というものだろう。
エルと目配せし、どこまで踏み込んでいいか考えながら僕は言った。
「神杖の能力は正直想定以上でした。模造品と言えど、まさか神化まで使えるなんて思ってもみなかったので。悪魔と戦う分には十分な戦力になると、僕は感じました」
エンシオさんは何度もこくこくと首を縦に振った。きっとこの感想は彼の期待通りのものだったのだろう。
「――しかしながら、これは悪魔をも倒すことのできる武器。例えば人間に使ったとして、どれほどの人を殺せると思いますか」
が、僕の問いかけに彼の表情は凍りついた。しばらく無言でいたエンシオさんは、ややあって僕の目をその瞳で正面から見つめて答える。
「これさえあれば、一人で普通の兵士なら十数人は軽く殺せる。君の懸念通りフィンドラ国軍に神杖が配備されたなら、無敗の軍として歴史に名を残せるだろうな」
エンシオさんはきっぱりとした口調で言い切った。彼の瞳に宿る光は強く、明確な意志をもって僕と向き合う。
「それは存分に理解している。俺はこの力を軍にばらまきはしない……悪魔が目覚めたその日のために、選りすぐった部隊にのみこれを託すつもりだ。それ以外の用途で神杖を使うことはない。フィンドラ王国の王子として、誓おう」
『神話研究所』の時から重ねて、エンシオ王子は誓いを立てた。
彼も妹のエミリア王女も善良な人物だと僕は思っている。アレクシル王も悪魔打倒のために戦う志は同じで、協力すべき同志だ。
ならば――信じてみよう。共に戦う仲間として、エンシオさんたちを信じよう。
「エル……僕は、彼らを信頼することにするよ。疑ってばかりでも嫌だからね……エンシオさんたちが誤った力の使い方をしないって、信じるから」
エルは僕とエンシオさんとの間で視線を動かし、「わかったよ」と呟いた。
「君がそうするなら、私は反対の立場につこう。私は王子様たちが間違えてしまわないか、使い魔を使ってつぶさに確認する。私たちは二人で一人だけれど、考えはそれぞれ違った方がいい」
ああ、それもいい。エルの言う通りだ。
僕と彼女で別の視点から王子様たちを見るのだ。別の立場から助言して、別々の人間として力を貸す。
そういうスタンスも、これからはとるべきだろう。僕たちの在り方は一つでなく、幾つもある。その時々で何を選び、何を信じるか――この先はよりそれが大事になるはずだ。
「エンシオさん、今日は本当にありがとうございました。僕の弱かった部分も、さっきの戦闘でまた分かりました。これからも自分を鍛えて、修練に励みたいと思います」
僕はエンシオさんに感謝の意を告げた。
今日の出来事は必ず僕の成長の糧になる。気づいたことを未来に活かせるよう、どんどん戦って強くならなくては。
「そうか。じゃあ俺も負けてられないな」
エンシオさんもまた、彼らしい勝ち気な笑みを浮かべて言うのだった。




