3 エミリアとエンシオ
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トーヤ達がフィルンの王城に帰還した、その翌日。
シル・ヴァルキュリアとの再会を二日後に控え、新たに神器使いとなったシアン達は早朝から修練に励んでいた。
場所は王城の中庭。初夏とはいえ冷える空気に身を擦りながら、静寂の中で彼女らは『精神統一』の修行を行っている。
ノルンの神器使い三人を指導するのは、《攻略者》として先達のエミリア王女である。
「ただひたすらに精神を集中するのです。魔道具を使った経験のあるあなた方なら、魔力の扱い方は言われずとも分かるでしょうが……神器が求める魔力量は、通常の比ではありません。ですから今よりもっと、体内の魔力を引き出す訓練が必要になります」
訓練の始めに、黄金の甲冑を身に纏った王女がそう言った。
新調した鎧に負けず劣らず輝きを放つ美貌のエミリアは、三人を順に見つめる。
神殿ノルン攻略時と同様に『影の傭兵団』のお下がりの軽装を着用したジェード達は、これまで以上に真剣な面持ちで頷いた。
どんな庭園よりも美しく整備された芝生の上に立つ彼らは、握った杖を無言で見下ろす。
――まだ傷も汚れもない、真新しい杖だ。
紅、翠、碧の各三色の宝玉が填められた意匠の神器に触れていると、ジェード達は魔力がそこから自身に流れ込んでくるのを感じた。
それは暖かな日差しのような優しい光だった。
「あなた方の神器はアレクシル陛下やトーヤ君のものとは異なり、純粋な攻撃の魔法は込められていないようですね。そこにあるのは他のどの神器とも隔絶した能力――《時》を操る力です。対悪魔の戦力が早急に求められる今、あなた方には何としてでも神器を完璧に扱えるようになってもらわねばなりません。――自己を追い詰め、辿り着いた境地に魔力の真髄はあるのです。手を抜くことは一切許されませんからね」
エミリアの口調は平生より固く、厳しい。
彼女はこの国の誰よりも世界の「先」を憂いていた。この国の今を守ることが最優先のアレクシル王をも凌ぐ責任感で、自分達の世代で悪魔を完全に滅ぼすのだと決意していた。
彼女が本気であることをまざまざと思い知らされたシアンやユーミ達は、その期待に応えるべく改めて気合いを入れる。
「そうです! 私たちは神様に選ばれた者――その役目を果たさなくちゃ、神器使いである資格なんてない」
「ええ。あたしも神器を使えるようになるまで、禁酒する覚悟でやるわ。どんな辛い修練だって乗り越えてみせる。トーヤやカイだって戦いの中で力を得てきたんだから……あたしたちだけ楽するわけにはいかないわ」
「お、俺もだ。杖も魔法も初めてだけどやってやる。そして、トーヤに追い付いてやるさ」
ユーミの禁酒宣言にジェードは若干驚いた様子だったが、ニヤリと笑って頷く。
エミリアが彼らに課す『精神統一』の修行は、魔法に目覚めた初心者がまず行うべき訓練とされている。己が内に秘める魔力は普通の人間には引き出すことができない。それを成し、さらに魔法として制御できるのは人一倍に精神力が強い者。古くは『ユダグル教』の修験者がそれに当たったが、近年では『フィルン魔導学園』により魔法を形として扱える者が増えているのだ。
「良い心意気です。――さぁ、始めましょう」
エミリアは瞳を閉じた少年達を見、願う。
神器使いであることとは別に、彼らには魔法を究める面白さを知って貰いたい。魔術を通して己を知り、高めていく喜びを覚えてほしい。そうして共に学び、自分とも仲良くしてくれたら……この息の詰まりそうな城での生活も、多少は彩りのあるものになるかもしれない。
◆
「おはようございます、トーヤ様、エル様。起床直後で恐縮なのですが、エンシオ殿下が『第二研究室』でお待ちになられております」
シアン達より遅れて起きた僕たちに、遠慮ぎみにドアを叩いたメイドさんが告げてきた。
彼女が一礼して退室するのを確認し、僕はズボンに足を通しながらエルと目配せする。
「研究室ってことは、さっそく『神杖』の件だろうね」
「まあそうだろうけど……うぅ、気が重いなぁ」
ごそごそとベッドを抜け出しつつ、エルがそうこぼす。
ヴェンド諸島で土産に買った花柄のプリントシャツを彼女に放ってやると、首を横に振って投げ返された。
何だか目もどんよりしてるし、かなり不機嫌な様子だ。大丈夫かな……? 王子様、ひいては王様の頼みとなると断るのも難しいけど……。
「どうしても協力できないのなら、君だけでも席を外させて貰えるか聞いてみようか? 僕だって魔導士の端くれだし、君がいなくても何かしらはできる」
「い、いや……行くだけ行ってみるさ。『神杖』を実際に手に取って調べないことには、その評価を定められないし。……トーヤくん、私の服はいつものを頼む」
無理をするなと言ってもエルはついてくるだろう。
僕は静かに頷き、彼女に魔導士の黒ローブを手渡した。
それから僕らは着替えや洗顔をさっさと済ませると、部屋を出てエンシオさんの待つ『第二研究室』へ急ぐ。正直かなりお腹が空いてるけれど、ここは我慢だ。
フィンドラ王城はこの地方の王国の中でもとびきり大きな城である。城壁の内側に東西南北の四つの塔が位置しており、僕たちが泊まっている『緑玉塔』は南、第二研究室のある『紫玉塔』は北だ。
城は広かったけど道に迷うことはなかった。渡り廊下から北の塔へ移動し、壁の案内板を見て目的の場所まで向かう。
「もう少し上着を着込んでくれば良かったね」
腕を擦りながら僕は呟いた。第二研究室は地下にあり、そこへ通じる階段を降りるごとに体感温度がどんどん下がっている。
イリス島の『神話研究所』が嫌に寒かったせいで、研究室にもそんなイメージを持ってしまっただけかもしれないけど。
「トーヤくんは学校に通ったことはあるかい?」
と、そこで唐突にエルが聞いてきた。僕が素直に首を横に振って答えると、彼女は言葉を続ける。
「私はずうっと昔、魔法使いの学校の生徒だった。ちょうどこのお城みたいな建物で、光魔法の研究をしていたんだ」
「へえ……だから、エルは光魔法が一番得意なんだね」
「そう。そして、『彼』は――ハルマくんは、力魔法を専攻していた」
僕の前世の少年が、力魔法を……。
力魔法とは世界の法則に干渉する、極めて高度な魔法である。代表的なのが《重力魔法》や《斥力魔法》で、これを自在に操ることで空を飛べる魔法使いもいるのだ。神器テュール、それにノルンの神器の能力も、この力魔法に属している。
「彼はどんな魔法に取り組んでいたの? 力魔法と一言でいっても色々あるでしょ?」
「あぁ……ハルマくんが作っていたのは、《転送魔法陣》さ。ある物を別の所へ一瞬で送り届ける――そんな便利なものは当時なかったからね。もしそれを実現できたら、どれだけの人が喜んでくれるだろう。彼はそう考えて、昼夜問わず研究に没頭してたな……」
遠い昔を懐かしむエルの側で、僕は自分と彼とで通じ合うものを見つけて小さく笑む。
剣の修練を旅の中でひたすらに行ってきた僕と、魔法の研究に夢中になっていたという彼。時間を忘れて一つのことに取り組み楽しむ僕たちが、きっとエルは好きなんだ。
「その研究はちゃんと実を結んで、今こうして君が《転送魔法陣》を使えてるってわけだね」
「ああ。彼の魔導理論は素晴らしかった。天才とはこういう人のことをいうんだって、当時の私が感動に打ち震えたのを覚えてるよ。トーヤくん――君もいつかそんな魔法を創り出してくれることを、私は期待してる」
魔法に関しては僕はまだ未熟だ。基礎的なことは殆ど出来るし、精霊の大魔法だって使える。それでも……エルやオリビエさん、ヘルガ・ルシッカさんの立つ領域までは達していない。ハルマがいた場所なんか、到底辿り着けそうにない。
けれど。
「ありがとう、エル。僕だって魔法使いの一員なんだし、きっと前世様のように新しい魔法を編み出してみせるよ」
これまでの戦いの中で、僕は何度も精霊たちから力を借りて危機を凌いできた。しかしそのスタイルがこの先も通用するかはわからない。
未知の敵に対抗するには、また未知の技が必要になるのだ。敵も知らない自分だけの魔法を一つでも作っておけば、いざというとき絶対役に立つはず。
「アドバイスが欲しければいつでも請け負うよ。……っと、そろそろ着くかな」
思考に耽る僕をエルの言葉が呼び戻した。
七階分の階段を下りきった僕らの目の前には、鉄製の大きな横開きの扉が待ち構えている。
「じゃあ、行こうか」
僕はエルに頷きかけ、控えめに扉をノックした。するとすぐに中から「どうぞ」と声が返ってくる。
短く深呼吸してから扉を押し開けた僕らを迎えたのは、やけに殺風景な部屋に一人佇むエンシオさんだった。
「よぉ、トーヤ、エル。来ないかと思ってたからさ、予想が外れて嬉しいぜ」
エミリアさんと瓜二つの甘い美貌が、柔らかい笑みを形作る。
イリス島で会ったときとは異なり白衣を纏った研究者然としたエンシオさんは、その手で黄金の剣を弄んでいた。
「おはようございます、エンシオさん。あの……この部屋は、いつもこんな感じなんですか……?」
僕はまずそのことが気になって聞いてみた。
研究室というから色々な実験機材や薬品、それに机や椅子、棚が当たり前にあるものだと思っていたのに、この部屋には何もない。あるのは灰色をした石の床と壁だけで、フロア一つ分を使った部屋を余計に広く感じさせた。
「いや、普段は物で溢れかえってるよ。王城が誇る最高の科学者たちが、常に王国軍のために研究を――おっと、これは言っちゃいけない決まりだったな。忘れてくれ。……今日は特別に部屋を空けてもらったのさ。こいつが実験道具を焦がしたらたまったもんじゃないからな」
そういえば、あの時もエンシオさんは広々とした地下のスペースで『神杖』を使っていたな……。
今回も、ここであの剣の能力を見せてくれるのだろうか。
「親父から昨日聞いたと思うが、お前たちにはこの『神杖』を改めて観察して貰いたい。そして、《神器使い》と《精霊の魔導士》の視点から批評してほしい」
「わ、わかりました。大丈夫だよね、エル?」
「ああ。批評するくらいなら」
エンシオさんが告げた用件を僕らは承諾した。
だけど僕とエルは『神杖』の作成には反対派だ。見ることは見るが、完成に直結する助言は避けようと思う。
王子様も何か思わしげに僕らを見つめていたけど、手に持ったフレイの『神杖』に視線を戻すと言った。
「そんじゃトーヤ、神器を出せ。今ここで、俺の『神杖』と勝負しよう」




