1 帰還
神殿ノルンでの任務を終えた僕たちは、真っ先にヴェンド諸島を発ってフィンドラ本土へ帰還することにした。
ヴェンド諸島の人たちに挨拶くらいは交わしておきたい気持ちも、もちろんあった。けれど、何より大事なのはフィンドラ王家への報告なんだ。
アレクシル王やエミリアさん、エンシオさんら《神器使い》の面々は、悪魔を討つ上で絶対に協力しなくてはならない間柄だ。敵に回すなんて言語道断。とにかく最優先で会わなきゃいけない。
かといって、僕らが焦ってばかりいるという訳でもない。
首都フィルンへ向かう連絡船の一室で、新たに神器を得た僕らは団欒の時を過ごしていた。
「どうだアリス、カッコいいだろ!」
「凄いですジェード殿! いやー、やっぱり神器は他の武具とはひと味違いますね。なんと言いますか、輝きが……」
やや広めの船室には二段ベッドが四つあり、中央にはテーブルと椅子が何脚か置かれている。
立ち上がって《現在の杖》を見せびらかしているジェードに、彼を見上げるアリスはおおはしゃぎだった。
銀色の柄と、その先に填められた緑色の宝玉。見た目以上にずっしりと重たい杖はジェードの頭の上で強烈な存在感を放っている。
「トーヤの《テュールの剣》には負けるけどな。――ところでトーヤ、これからフィンドラに着いた後、どうするのか決めたのか? やっぱり予定通り、あの人に会うのか」
二段ベッドの下段に寝そべっていた僕は、ジェードにこくりと頷いて見せた。
彼の言うあの人とは、シル・ヴァルキュリアさんのことである。『組織』の首領である彼女は神殿ロキにて以前、僕たちに一月後会おうと告げた。その期日がもう、三日後に迫っている。
「悪魔やかつての世界について知るために、僕たちはシルさんと話さなくちゃならない。それに、シルさんもエルと特別に話したい用があるみたいだったし」
「具体的に私と何を話そうとかは言ってなかったんだよね? ……姉さんの考え、私にはどうにも読みきれないな」
確認するエルの声が頭上から聞こえてくる。
頭の後ろで腕を組み、ぼんやりと僕は思考に耽った。
シルさんは謎の多い人だ。僕たちは彼女の情報を殆ど得ておらず、エルから聞いた断片的なものしか知らない。シルさんについてエルは詳細を語ろうとせず、僕も無理に追及するつもりはないので仕方のないことではあるけど。
「でも、単純に悪い人じゃない気がするんだよなあ」
僕の呟きは誰にも聞かれていないようだった。その言葉は、椅子に座って談笑するシアンたちの声に掻き消されてしまう。
「ちょっとシアン、さっきから食べ過ぎじゃない? 太るわよ」
「い、いいんですー。神殿帰りで疲れてるし、糖分はいっぱい採った方がいいんですよ! ね、ジェード!」
「お、俺に振るなよ……。まぁ、でも俺もお菓子食いたい気持ちは分かるな。って訳で半分わけてくれよ、シアン」
「は、半分もですか!? 少しは遠慮してくださいよー!」
「なんだよ、いいじゃん。俺たちカップルだろ、お菓子くらい一緒に食べようぜ」
イチャイチャし始める獣人の二人に、思わず微笑む。
僕はシアンの気持ちに応えることはできなかったけど、彼女の隣にジェードがいるなら安心だ。優しくて強い彼なら、シアンを守り抜いてくれる。それにシアンも、これから《女神スクルドの神器使い》として成長するだろう。きっと二人で高め合える神器使いになれるはずだ。
「こんな目の前で見せつけられちゃ、かなわないわ。ね、リオ?」
「私はお主のように色恋沙汰には興味がない。一緒にするでない」
「とか言って、本当は羨ましいんじゃないの?」
「な、何を言う!? 私は、その……」
体を右横に倒して視線を上げると、隣のベッドに掛けるユーミとリオの様子が窺える。
ユーミにおちょくられ顔を真っ赤にするリオだが、彼女は俯くと小さくこぼした。
「お主と、同じじゃよ。欲しい席は既に埋まっておる」
そう呟いたリオと、目が合った。さっと逸らされた瞳の先は、空中を一瞬さ迷った挙げ句、ちょうど目の前を通り過ぎようとしたヒューゴさんに向かう。
「ひゅ、ヒューゴ殿! ど、どちらへ?」
「え? 普通にトイレだけど……何、どしたの?」
妙に紅潮したリオの顔を怪訝そうに眺めるヒューゴさん。
リオは自分の頬に両手を当ててまた下を向き、ブンブンと頭を振った。
「いや、何でもない! 気にせず行ってほしい」
「あ、そう。じゃあ行くけど……個人的に話があるなら、聞くから。いつでも呼んでいいからね」
言い残して部屋を出ていくヒューゴさんの小さな背中を、リオはしばらく見送っていた。
そんな彼女はすぐに僕に見られていることに気づいて、平生よりやや突っぱねるような口調で言った。
「と、トーヤ。さっきからじろじろと見ておるが、何なのだ? 言いたいことがあるなら、言えばいいじゃろう」
な、なんか気まずいな。なんて言おう……。
「あー、えっと……。その、君の木刀、壊しちゃったのを謝ろうと思って! 戦いの最中で仕方なかったとはいえ、あれは君が本当に大事にしてたものだから……」
リオはさっきのヒューゴさんみたいなポカンとした表情を作るが、即座にそれを引っ込めた。
そして苦笑いすると、首を横に振る。
「気にするな。悪魔に操られた私を止めるには、それしか方法がなかったのじゃろう? 代わりの武器も王都で手に入れられるし、お主が謝ることはない」
「そうかい……。あ、武器を選ぶとき、僕も一緒に行っていいかな?」
「詫びか? 要らぬと言っておろうが」
「いや、僕は見てるだけだよ。あまり財布に余裕がなくてね」
僕は剣や槍のような武具を見ることが好きだ。だから付いていこうと思ったのだが、真面目なリオはそれをお詫びと解釈する。
しかし正直に懐事情を明かすと、彼女は声を上げて笑った。
「ははは! そうか、そうじゃろうな。ま、もしかしたらアレクシル王から報償金が出るかもしれんぞ? ふふっ、あの人のいい王様に期待してみようか」
報償金か。どこの国に属する訳でもない僕たちに、果たしてそれは払われるのか疑問だ。でも期待するのはただなので、そうだといいなと頷く。
「……」
僕は体を起こし、ベッドから抜け出て南の窓際へ近づいた。
ガラスの窓を開けると潮風が吹き込んできて、僕らの鼻腔をしょっぱい匂いで満たしていく。乱れる前髪を払いながら、僕は眼下の青い水面を眺めた。
神殿ノルン攻略は日を跨いで決着したが、この海は昨日とは打って変わって晴天であった。風はあったが、穏やかで心地よい。
「やっぱり海って、いいですよね」
隣からシアンが覗き込んできて言う。
水面に煌めく太陽に目を細めつつ、僕は答えた。
「僕のお母さんの故郷は島国なんだ。だからかな……海を見ていると、何だか懐かしい感じがするんだ」
いつかあの国に、鬼蛇王国に行ってみたい。ヴァルグさんや母さんが愛した国を、この目で確かめたい。
「その時は私も、ご一緒します」
「シアン……。そうだね、君にも隣にいてほしい」
内心で呟いたつもりが、どうやら声に出てしまっていたらしい。
笑顔のシアンに首肯し、僕は瞼を軽く閉じた。波の音、船の揺れ、顔に当たる潮風――それらを感じながら、思考する。
シアンは未来を司る神器を手に入れた。彼女が《神器》を使いこなせるようになったら……僕たちの進む先も、見えるようになるのだろうか? もしそうなったら、僕は彼女にそれを問うのだろうか?
「……」
いや、問うことはないだろう。僕らの未来は僕らが掴み取る。シアンが――スクルド様が見せるレールの上を辿るだけなんて、ごめんだ。
本当は、人間が神様の力に振り回される必要なんてない。神器の力はとてつもないもので、あらゆる怪物を屠り、国すら揺るがす脅威を秘めているのだ。悪魔に対抗する上で今は必要だけど、使命を果たした暁には手放すべきだと、僕は思う。
けれど――そうでない人たちもまた、この地方にはいるんだ。
*
「よく帰還したな、トーヤ君。それに、エルちゃんたちも」
フィルンの王城に戻ってきた僕たちは、以前と同様に来賓扱いで城内に通された。
地下の応接間で僕らを待っていたのは、驚くべきことにアレクシル王本人であった。
「はい、アレクシル王陛下。誰一人欠けることなく、生還することができました。これも王様が応援してくださったお陰です」
「そうか、それは素晴らしいな! 私の時は部下が少なくない数、死んだからな……君に同じ苦しみを背負って欲しくなかった。祈りが通じてよかったよ」
人のいい笑顔でアレクシル王は言う。
応接間は特段広くもなく、むしろ狭いと感じるくらいだった。二人掛けのソファーが二つ向かい合わせに置かれていて、間に小机がある。机の上には書類が何枚か重ねられていた。
僕とエルがソファーに座り、他の面々は申し訳ないけど後ろに立ってもらっている。目の前のアレクシル王の隣では、茶色いミディアムヘアの女の子――エミリア王女がいつも通りの微笑みを浮かべていた。
「皆さん、お疲れさまでした! 特に怪我もなく、元気に帰ってきてくれてほっとしてます~。それで、神器を手に入れたのはどなたですか?」
実際は散々怪我したし、中には腕や脚をぶった斬られた子もいたわけなんだけど……ノアさんの不思議な薬のお陰で、今は何事もない状態となっている。
ノアさんが別れ際、自身のことを他言しないでくれと頼んできたので、この事はエミリアさんたちは知る由もないんだけど。
「あたしたちですよ、王女様。あたしがウルズ様の《過去の杖》」
「俺はベルザンディ様の《現在の杖》を」
「最後に私が、スクルド様から《未来の杖》を授かりました」
ユーミ、ジェード、シアンがそれぞれ名乗り出た。彼らは腰帯に差した白銀の長杖を抜き、王様たちに見えやすいようにした。
杖の輝きが地下室を少しばかり明るくし、エミリアさんの瞳も恍惚とした光を宿した。
「うわあ、綺麗ですね~! 形状は至ってシンプルですけど、溢れんばかりの魔力を感じます!」
「やはり杖という形状であるからか、魔法適正には優れているようだな。――君たちは、魔法を使ったことはあるか?」
アレクシル王が問う。シアン達は正直に首を横に振った。
やはりなと呟く王は、茶色の揉み上げの辺りをいじりながら短く思案し、それから口を開いた。
「ならば、訓練が必要になるな。エミリア、三人に魔法のレクチャーを頼めるか?」
「は、はい。それくらいならできますが……しかし、それをやるなら私でなくとも……」
確かにそうだ。魔法ならエルが誰よりも優秀だから、選択肢としては彼女よりも断然いいはず。
エミリアさんに同調する僕だったが、続くアレクシル王の言葉は予想に反するものであった。
「エルちゃんでもいいと言うのかな。その通りだが、彼女には別の役割を与えたいのでね。エミリア、お前は代理だ」
王様があんまりきっぱり言うので、エミリアさんはしばし何も反論できなかった。
アレクシル王の眼はエルと僕を見据えて離さない。彼の瞳はカイと良く似た青なのに、どうしてか目を逸らしたくなってしまう。
この人、王様としてはいい人なんだろうけど……やっぱり、苦手だ。
こうして向き合えばわかるのだ。この人が利己主義の塊で、自分の望み通りになるよう僕らを動かそうとしていることが。以前はそんなこと思わなかったのに、何故だか今はそうとしか感じられなくなってしまっている。
「私の役割、ですか」
「ああそうだ。君の魔導の知識をぜひとも借りたい。……イリス島で神話研究所は見ただろう? 《神杖》の最終調整は、熟練の魔導士にしかできないことだからね」
エルは目を見張った。それは僕も同じだ。
アダム・フラメル博士が作成した神器のコピー、《神杖》。あれを完成させる仕上げを、エルに執り行って欲しいだって……!
?
僕は神器の複製には反対派だ。神器のような強大な力が氾濫すれば、増えすぎたそれらを制御することは格段に難しくなる。そうなった時、王様は手綱を握り続けられるのか?
僕の王様に対する心象が変わったのも、彼がその研究に関わっていると知ってからだ。エンシオさんの話した内容が嘘だとは思わない。けれど、善意によって生み出されたものが思いもよらない事故を呼び込むことも、否定はできないのだ。
「エル、どうするの……?」
これまでに見たことがないくらい深刻な顔をしているエルに僕は訊く。
アレクシル王とエミリアさんとの間で視線を行き来させている彼女は、口を開こうとして――アレクシル王の言葉に遮られた。
「だが、君たちは神殿攻略を終えたばかりだ。休息は取りたいだろうし、新たに神器を得た者は自分を見つめ直す時間も欲しいだろう。この件は今すぐ答えを出さなくてもいい。その気になったら、使いを通してでも構わないから言ってくれ」
民の絶大な指示の要因ともなっている笑顔で、アレクシル王は言った。
彼はソファから腰を上げ、「次の仕事に移らなくては」と懐中時計を見ながら呟く。
僕たちからそれ以上の言葉を聞くこともなく、王様はエミリア王女を連れて部屋から退出していった。
「…………」
エミリアさんの視線が僕の目と合った。
一瞬揺らいだ彼女のブルーの瞳、その中の感情を紐解こうとしたけれど……何も、実際に分かることはない。
それでも言いたいことがあるのは理解した。
エミリア王女――僕は後で、彼女に個人的に会いにいかなくちゃならない。




