2 家族
「ただいま、帰ったよ……っ!?」
僕が作業を終えて森から帰ってくると、エルが慌ててキッチンに盛大に吹きこぼした謎の液体を拭き取っているところだった。
目を見開く僕は彼女に何があったのか問い詰める。
「な、何やってんの!?」
「いや、スープでも作ろうかなと思ってて、ちょっと気を抜いてたら何故かこうなった」
エルは「てへっ」と舌を出す。
僕は目頭を押さえ、深く溜め息をついた。
「一体どうしたらこんな事になっちゃうの? 気抜きすぎでしょ……」
この後、僕はエルと一緒にこぼれたスープを拭き取ったのだった。
ちなみに、こんな場面でもエルは何故か楽しそうにしていた。……はぁ。
結局スープは無しで、僕らは乾いたパンと干し肉を焼いて食べた。
質素すぎるその食事に思わず溜め息を吐いてしまう。
「はぁ……もう少しお金に余裕があればなぁ」
エールブルーの武具屋で装備を買ったため、今の僕らには財産が殆ど無い。おまけに借金までしている。
実は、僕は【神殿】攻略前は、【神殿】の奥には金銀財宝がひしめいているのではないかと期待していた。
だが、いざ攻略してみてその夢は打ち砕かれた。
「オーディン様は天界では割りと質素な生活をしていたからね……財宝とかはあまり持ってなかったのかも」
その話をすると、エルはそう言って苦笑いを返す。
「そっか……これからどうしようかな」
僕はパンを肉と一緒に口に放り込み、訊いた。
この先の具体的な計画はまだ殆ど決まっていない。ただ「七つの大罪の悪魔を倒す」ことだけがあるだけだ。
「エルは、まずどこに行きたい?」
軽く腕を組み、少し考えてからエルは答える。
「そうだな……とりあえずスウェルダ王家の人に会っておきたいね」
「えっ!? ええええええっっっ!?」
僕は仰天した。あまりに驚いてその場でひっくり返ってしまう程だった。
「お、王家の人に、会うって……無理だよ、僕ら庶民がどうやったらあんな高貴な方々に会えるっていうの……?」
約500年続くスウェルダ王家は国内でも評判が良く、誰もが認める偉大な王たちだった。
僕はどんな人たちか良く知らないんだけど、昔彼らに会った事のある父さんは、『とても素晴らしい人だった』と言っていた。
そんな人たちに、一体どうしたらお目通りが叶うのだろうか。
やはり……。
「……もしかして、【神器】?」
「そう。私達が【神器】を所有していると分かれば、王族とも話せるかもしれない。トーヤくん、今後の目標はこれでいこうじゃないか」
僕はゆっくりと頷く。
【神器】を持っているということは、つまりは神に認められたということ。神に選ばれし【英雄】ならば、王家の人達も是非会ってみたいと思うはずだ。
「王様と会ったら、この国の貧しい人たちをもっと助けられないか、差別に遭っている人たちも平等に暮らせる国が作れないのか……尋ねてみたい」
僕は拳をぐっと強く握り締める。それは、僕自身の決意の現れだった。
エルは当面の目標が決まり、安心したように微笑んだ。
* * *
食事が終わり、エルが寝床に入ると僕は外に出た。
少し冷たい風が吹いている。満月が出ていて仄かに明るかった。
エルと初めて会ったあの夜も、満月こそ出ていなかったが今日と同じ風が吹いていた。
僕は倒れていた彼女を助けたときの事を思いだし、ふっと笑みを浮かべる。
家の脇に回り、いつも椅子代わりにしている切り株に腰を掛けた。
さっき『精霊樹の森』でユグドのおじいちゃんから頂いてきた、精霊樹の枝。
これを【ジャックナイフ】で削り、彼女でも持ちやすいような杖へと形を変えていく。
「あの時、エルに出会わなかったら、僕は今どうしていたんだろう」
独り言を、呟いた。
この疑問は、分かるはずもない疑問だ。そもそも……。
「エルに会うことは、きっと最初から決まっていたことだったんだ」
僕が木の枝を削る静かな音だけが、夜の森を満たしていた。
あの頃の僕は、毎日、現実から逃げようとしてた。罪を受け入れられず、父さんが本当に死んだものだと思い込んでいた。
現実に、絶望に近いものを感じていた。
でも、それを変えてくれたのがエルだった。
上から目線な物言いが少々鼻に付くことがあるけど、僕に寄り添い、【神器】を手に入れた時は自分の事のように喜んでくれた。
そんなエルが、僕は大好きだ。
緑の美しい髪に、エメラルドの瞳。僕を優しく包み込んでくれる、暖かい心。
その全てが大好きだ。
「……よし、出来た」
明日の朝になったらこれを渡そう。
エルが杖として使っていた枝は、もうヨレヨレだった。新しい杖をプレゼントしてあげれば、喜んでくれるだろう。
僕は高鳴る鼓動をなんとか抑えながら、ベッドに潜り込んだ。
翌朝。何事もなく一日がスタートした。
僕が早く起きて朝食を作り、エルを起こして二人で食べる。
僕たちの、新しい日常だ。
「今日は、エールブルーの街に行かない?」
そう訊くと、エルは親指を上に上げ
「オーケーだよ」と言った。
エルがどこで手に入れたのか手鏡を持って身なりを整えている間、僕は昨夜作った彼女へのプレゼントをごそごそと用意する。
「ね、ねえエル……君に、渡しときたいものがあるんだ」
僕は緊張と照れから少し顔を赤くし、エルに話し掛けた。
背中に精霊樹の杖を握り、彼女の目をじっと見つめる。
「どうしたんだい、トーヤくん」
エルはいつもとは違うであろう僕の様子に、首を少しかしげた。
「あ、あのね、エル。ぼ、僕、君の事……」
顔がどんどん熱くなっていく。舌がもつれて、上手く言葉が出ない。
「こ、これ、僕の気持ち……受け取って、欲しいんだ」
そう言って、僕はエルの前に真心込めて作った杖を差し出した。
エルはそれを見て、ぱあっと顔を輝かせた。そして真っ赤になった僕に抱きつき、囁いた。
「ありがとう、トーヤくん。……でも、今度は君の気持ち、君の言葉で聞きたいな」
嬉しかった。エルが、僕の気持ちを受け入れてくれたんだ。
僕はエルの緑髪に顔を埋め、こう言った。
「僕たち、もう家族だよね」
僕はもう、一人じゃない。
エルは頷き、僕を一層強い力で抱き締めてくれた。




