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黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第8章  神殿ノルン攻略編

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34  魔女の幻影

 あの《氷人形》と似て非なる異形の怪物。

 そいつを目にした時、僕は背筋がぞわっと粟立つ嫌な感覚を味わった。

 けれど、それは長くは続かなかった。怪物の手の中に囚われた女性――ハーフエルフのモアさんの姿を視認したその瞬間から、戦慄は激しい怒りへと変わっていた。


 ――僕の大好きな人を傷つけるなら、例え誰であろうと許しはしない!


《神槍》を情動に任せてぶん投げる。

 グングニルは正しく神の槍、どんな敵だろうが貫く必殺必中の武器だ。

 狙いは異形の怪物の右肩。まずは腕を落とし、あいつから近接戦闘の術を奪ってやる!


「うらああああッッ!!」


 威勢よく叫び、僕は神槍を魔力で更に後押しした。

 赤き火花と青い電流が槍の周囲を弾けて煌めき、一直線に突き進むグングニルを鮮やかに彩る。

 今の僕には怪物とモアさん、ただそれだけが見えていた。それ以外は何も気にしなくていい。部屋の奥で何やら仲間割れしているアマンダさんたちも、後ろのケルベロスやヴァルグさんたちも、誰も。

 

『ヒュオオオオオッ…………!』

 

 高い笛のような怪物の鳴き声が、全くの無意味であるわけがない。

 それを聞くと即座に僕は左手のひらを前方へ向け、防衛の呪文を唱えていた。

 すると間一髪、地面から伸び上がった氷の蔦が、僕の全身を包んだ薄い光のベールを縦横無尽に絡み取ってくる。


『ギッ……!?』

 

 だが同時に、氷の異形の右肩を僕は想定通りに破壊していた。

 ガキン、と割れて怪物の右腕が崩れ落ちる。そこに捕まっていたモアさんも地面に投げ出され、どうにか奴の手から一旦離すことができたものの――。


「両足を怪物に持っていかれた、のか……!? ちくしょう!」


 倒れたままモアさんは身動きを取ることができない。急いで救助し、治癒魔法をかけなきゃ彼女は死んでしまうだろう。

 怪物が片腕を失って苦悶している間に助けよう――そう思って脚を踏み出そうとするも、僕は前進できなかった。

 それどころじゃなく、実際は前後左右あらゆる方向への動きを封じられている。


「……なんて、硬い……!?」


 神槍グングニルに対抗するかの如く放たれた氷の魔法。

 そいつが僕の防壁魔法のベールごと拘束し、自由を奪い去っているのだ。

 氷の檻に閉じ込められた僕は、やむなく防壁魔法を解除する。

 守りに入ってはいけない。この相手は、ひたすらに攻めて攻めて攻めまくって、ようやく倒せる敵なんだ。


「【炎魔法イグニス】!」


 すぐさま魔法で突破口を開こうとする。

 球体を作り上げている氷のネットも、やはり熱には弱いはずだ。一点に絞って集中的に熱せば、崩せる。

 

 呪文と連動して指先に火球を一つ出現させ、魔力が凝縮されたそれを一気に解き放つ。

 赤の光がカッと弾け、炎が炸裂し――水蒸気の白に視野が埋め尽くされた。


「っ……!」


 目を細める僕は、不十分な視界なんか気にせず前へ足を踏み込む。

 動きに隙を作っちゃダメだ。あの怪物の対応が追い付かないほどの速さで攻撃を撃ち続け、なるべく犠牲の少ない勝利を目指すんだ!

 が、しかし。

 ゴッ、と鈍い音と衝撃が僕を襲った。次には、下から巻き上げるような冷風が一吹き。

 

「痛っ――!?」


 僕は怪物から自分の状態を否応にも知らされる。

 頭をぶつけた氷の檻はヒビ一つない無傷で、僕の炎が全く通っていないことは明白だった。

 魔法ではこの化け物に勝てない――認めたくないけど、認めざるを得ない。少なくとも『神器』が秘める神の奥義以外では、叶いそうになかった。


「は、はは……っ。だいぶ近くないですか、ねぇ」


 そして僕を苦しめ、戦慄させる要因はまだあった。

 文字通り眼前に、氷の網越しに怪物がいるのだ。巨大な胴体を折り曲げ、僕を上から覗いている。

 網を破れば触れられる距離だ。目のないそいつは、けれども僕をじっと見つめている。それだけは分かった。

 これほど近くに獲物がいるのに、何故だか攻撃を仕掛けてこない。観察しているのか? 僕のような人間が珍しいから――それとも神器使いだから……?


「一応、聞いておきたいんだけど……君は異端者ハイレシスのモンスターなのかい? もし、そうだとしたら、話を聞いてもらえないかな……?」


 胸に手を当て、少しでも呼吸を落ち着けようと試みる。

 嫌な動悸と冷や汗に反して、僕の出せた声は幸運にも穏やかなものだった。

 

『…………』


 怪物からの返答はない。どうやら、僕の希望は儚く散ってしまったようだ。

 そうだよね……神殿を目前にしたこの場所に、言葉で懐柔できる可能性のある異端者が配置されてはいないかなんて、女神様たちを侮辱するのと同義の期待だ。

 挑戦者を叩きのめし、そこから生き残った一握りを『神器使い』の候補者として選別する……それこそが、ここでの女神ノルンの意図。

 

「なら……もう、後先なんか考えない! 僕はこの一戦に全力をかける! 神の試練に打ち負けてたまるかよ!」


 声に震えはなかった。不規則な動悸はいつの間にか落ち着きを取り戻し、呼吸も安定している。

 大丈夫、やれるさ。敵の裏をかくことも、卑怯な手を使うことにも、もうとっくに慣れている。自ら傷つくことを選ぶ道への抵抗も、既になくなった。

 痛みなんてあの時さんざん味わったんだ。ちょっと血が流れるくらい、平気に決まってる。


「さあ、グングニルよ……僕のもとへ戻ってこい」


 投擲した瞬間と変わらない勢いで、神の槍は怪物の背後からこちらへと飛んできた。

 


 ――恐るべき剣力だ。だが、それだけでは私は倒せない。

 アマンダ・リューズは敵対する女をそう評価した。

 青い鉱石から発される燐光に照らされる、迷宮最奥の大広間。この部屋の南端にて、二人の女は戦闘を繰り広げている。

 リューズ商会の部隊の面々は、突如アマンダに反旗を翻したマミーに驚きながら、ただ見守るしかなかった。自分達の実力では彼女らの間に割って入ることもできないのだと、知っていたから。

 

「あなたの魂、早くこの舌で味わいたいわ! ふふ、調子づいていられるのも今のうちよ」


 黒い長髪に赤い瞳、褐色の瑞々しい肌――悪魔アスモデウスの《神化》を発動させたアマンダは、笑みと共に舌舐めずりした。

 その姿はまさに《色欲》と言うべきもので、大きく胸元の開かれた白い短衣に生足をさらけ出すスカートと、かつてのアスモデウスが好んだ衣装を再現していた。

《悪器》である烏羽の扇子で自らを扇ぎ、女は体内で魔力を更に高めていく。


「余裕だな、リューズの末裔! その悪しき血筋、この時代において終わらせる!」

  

 アマンダの粘っこい視線に睨み返し、マミーは剣を再度大きく振りかぶる。

 彼女の武器は何と言ってもその化け物じみた膂力だ。例えどれほど硬い鋼だろうと、彼女の刃は斬ってしまう。

 自分が他の誰よりも強い剣士なのだとマミーは自覚していた。その自負が、彼女の力をより強固なものにする。


「はあッ!」


 気合い、そして一閃。

 空気を引き裂き風を生む刃の縦切りが、アマンダに肉薄した。

 直後、鉄と鉄の激突する硬質な音がマミーの耳朶を打つ。

 

「残念ね、効かないわ」


 アマンダの運動能力はそこまで高くない。その脚でマミーから逃れることが不可能だと最初から割りきった彼女は、守りに徹することを第一とした。

 マミーがどのような手を用いるのか、まだ殆ど判明していない。ここはまず様子を見るべき――慎重な女はそう判断する。


 漆黒の防壁がマミーの剣を押し止め、せめぎ合って火花を散らした。

 全身を覆う球形の防壁魔法、これこそが魔導士の最大の強みである。普通の剣士と異なり盾を持つ必要がない上に、その裏から魔法攻撃を放てるのだから、対剣士では圧倒的優位に立てるのだ。

 

「面倒な……叩き斬ってやる!」

「できるものならやってみなさい。ま、すぐに泣きを見ることでしょうけど」


 眉間に皺を刻みながら女は叫ぶ。

 対するアマンダは薄い笑みを崩さぬまま、そうのたまった。

 と、その時。


『キヤアアアアッ――――!』


 怪物の咆哮がこの円形の大広間を震撼させた。

《氷の異形》は部屋の中央部でトーヤと戦っているはず。今の声は――。

 マミーは気になったが、今はそれどころではない。アマンダ・リューズを打ち破り、アスモデウスの悪器を跡形もなく破壊することが彼女の使命なのだ。


「ええええいッ!!」


 高らかに雄叫びを上げ、マミーは剣を振り抜いた。

 まずは右上に斬り上げ、続いてその勢いのまま垂直斬り。緑の残光を引きながら、彼女の《連続技》はアマンダの防壁に真正面から攻め込んでいく。

 剣は左斜め上へと跳ね動き、流れるように右方向へ薙がれる。

 この間、わずか三秒と経っていない。激しく火花を放散させながら、マミーの神速の剣技はアマンダの鉄壁を少しずつ、少しずつ削っていった。


「……ッ、はあっ!」


 押している。アマンダは防壁の維持に精一杯で、新たな魔法の発動に移れていない。

 防御しかできない敵など怖くはない。この最高の剣で突破するのに、そう時間はかからないだろう。

 魔女の黒き防壁は今や、所々がひび割れて中の女の姿が見えつつある。アマンダと視線を交錯させながら、マミーは《連続剣》を放つ腕の速度を限界まで高めた。


「っ、馬鹿な……」


 人間にありうべかざる速さ。想定外のマミーの能力に、アマンダは瞠目していた。

 自分がどんどん追い詰められていくのが、嫌でも分かる。壁際へと押し込められていくアマンダだが、マミーの連撃を跳ね返して前進することなどもう考えられなかった。


 ――さっきまで偉そうな口を利いときながら、このザマか。人の命を喰ったおかげで、どうやら私は傲慢になっていたようね。

 

 それと同時に、彼女は自らを冷静に見つめ直すこともできた。

 慢心していた。自分が絶対的な強者だと思い込み、敗北など想像すらしていなかった。その可能性を常に頭の隅で考えていたマミーに劣勢を演じてしまうのも、当然のことだったのだ。


『簡単に捻り潰してはつまらない、敵に攻撃の機会を一度くらいは設けてやりましょう』――最初のこの思考が浅はかだった。

 自分の敵になる者は誰であれ、本気で殺しにかかるべきだったのだ。


「謝っておくわ、マミー。あなたの強さを私は見くびっていた。どうやらあなたは、普通の人間ではないようね。正体はやっぱりわからないけれど……ここからは本気よ」


 慈悲も容赦も、一滴たりとも残さない。

 崩壊寸前の防壁をあっさりと捨てた女は、もう笑みも浮かべずに深紅の眼でマミーを睨み据えた。

 右肩から胸元までを切り裂こうとする刃を右手で掴み止め、白い魔力をガントレットのように纏わせた五指をぐっと握り込む。


「スピードもパワーも十分。けれど、武器自体の性能は《神器》には遠く及ばない」


 バキリ――。

 血の一滴も流さずに、アマンダは受け止めた銀の剣の刃を握り潰した。

 破片が飛散し、自身の身体にも降り掛かるがアマンダは気にも留めない。

 目を見張るマミーに囁きつつ、魔女はその悪魔の名前を静かに呼ぶ。


「アスモデウス。貴女の真の力、私が解放してあげるわ。――【夜の黒薔薇の誘い】」


 アスモデウスの扇子の烏羽が、黒い薔薇の花弁をより集めたものに変化していく。

 濃密な黒い霧が発散され、続いて甘い香りがこの大部屋を満たした。

 大技が来る――マミーは咄嗟に包帯の上から手で鼻を覆い、地面を蹴って後退する。超人的な脚力で二メートル半の距離をひとっ飛びしたマミーだったが、しかし。


 アスモデウスの魔法に、距離を取っての回避など通用しない。

 この霧を見、薔薇の香りを僅かでも嗅いだ瞬間からもう、意識への悪魔の侵食は始まっているのだ。

 

「さぁ、その胸の中の欲望を解放なさい。愛に飢える憐れな貴女を、私が全部満たしてあげる。寂しかったんでしょ、辛かったんでしょ? 貴女の目を見れば分かるわ、貴女がこれまで命をすり減らしながら戦ってきたことくらい。でも、もう苦しむ必要はないの」


 悪魔の甘い、甘い囁き。

 その声にマミーの緑の瞳が揺れた。

 ――いけない。あたしは惑わされない。こんな女に惑わされるほど、落ちぶれちゃいないはず……なのに。

 何故、ここまで胸が痛切な叫びを上げているのか、マミーには理解できなかった。

 目の前で微笑んでいるアマンダの姿が、陽炎のようにぼやけて消える。それはいつしか、全く別人のものへと変わっていた。

 

姉様ねえさま……?」


 マミーはひび割れたような震え声でその人を呼んだ。

 艶やかに波打つ緑髪の、黒いローブを身につけた若い女性。一流の細工師の彫刻よりも整った、女神のごとき美貌の彼女の姿に、マミーは気づけば涙を流していた。

 刃を砕かれた剣の柄を取り落とした彼女は、脚に力が入らず地面に膝をついてしまう。

 見上げると、その女性は超然とした笑みを浮かべながらマミーに歩み寄ってくる。


「久しぶりね、可愛いノア。今まで厳しい道を歩かせて、本当にごめんなさい。けれど、その運命から解き放たれる時が来たの」


 もちろんアマンダは何も言っていない。

 幻覚に惑うマミーを黙って見下ろし、彼女は口許に小さな笑みを作った。

 ――マミーは何を聞いているのかしら? 気になるけど、訊ねる時間も意味もないわね。


 幻に囚われるマミーは、アマンダの差し伸べた手を取り、大粒の涙をぼろぼろと溢した。

 永遠にも思える長い時を越えて再開した――と思い込んでいる相手の存在を、包帯の女は既に疑うことさえ忘れてしまっていた。

 そして女が亡き実姉の虚像に触れようとしたのと、ほぼ同時。

 

『神器使い』の少年の脳裏で、どこかの世界で同じように手を差し出してきた女性の姿が鮮明に浮かび上がった。

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新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
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